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恋人は呪縛なのか?

私の好きなライターさんが気になる文章を書いていた。
要約すると「恋人をつくるとは呪いのように、相手に好きでいてもらうことを強要するように感じる」というものだった。

私はそうは思わなかった。確かに恋愛は相手へ強要する一面を持ち合わせていることには共感する。ただ私の感覚では少し違うと思った。

では違和感の理由は何だったのか。


私にとって恋人をつくるとは

私にとって恋人を作るとは「私が相手を愛し慈しみ、他者に目移りしない制約を自身にかけたもの」に思うからだ。

端的に言おう。私は惚れっぽいのだ。
ここがライターさんとのスタンスの違いの根源と言っても過言じゃない。

この世には素敵な人がいて、多様な考え方がある。ネットの発達や、書物と出会うハードルも下がった今、それらと出会う機会は格段と増えている。

そんな環境は惚れっぽい私には大敵だ。
そんな状況下では私の手で大切にしたい、あなたのことをもっと知りたい、そんな気持ちが無限に湧き出てくる。自分のキャパシティを超えるほどに関心は広がってしまうのだ。目移りしそうなほどに。

しかしここで問題が2点ある。

1.目移りしていたら、疲れる

己のキャパシティを踏まえたとき、そんなにいろんなことに同時に関心を払えるほど器用じゃない。私は恋愛のパートナーがいないとき、心が動くことが多すぎて非常に疲れた。

2.倫理観と衝突する

私の倫理観は「絶対に浮気はしない、相手に誠実でいる」だ。
興味の範囲は広いと移り気になってしまうため、このままでは倫理観と衝突する。私の行為で誰かを悲しませるのは本意じゃないし、傷つけるくらいなら1人のほうがいい。
恋人を欲するならば、相手と誠実に深い関係を築くほうが私は好きだ。

まとめ

私の気質とこの2点の問題点を踏まえて妥協点を探ると、恋人を作って制限をかけ「この人以外は恋愛的に愛さない」としたほうがいいと思った。

メリットはメンタルの安定、愛する者への気持ちの集中など。あとは目移りすることによる誰かとのトラブルも事前に防げる。恋愛をすることで過剰な周囲への関心度も下がるからだ。

結論、相手に好きを強要をすることへの意識よりも私自身が恋愛とうまく向き合う為の制約の意識が強いなと思った。

最後に今回のトピックと少々ずれるが、私の好きな言葉を書いておく。「恋人と彼女の言う結婚指輪」の性質は異なるが、誘惑の多い中で自分を守ってくれる存在として何か近しいものを感じる。

長いこと結婚指輪が活躍してくれましたわ。誘惑からも守ってくれました。パーティーでは夫を何度も思い出させてくれ、もう帰る時間よとうながしてくれました。夕食のお相手をホッとさせたこともありますし、産科の病室では結婚指輪がステータスシンボルでした。

エルマ・ボンベック(1927~1996)

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