教育学の探求~教育とは・ルソー~
最近、学問としての教育に対して興味がわいてきた。
今自分が行っている教育にはどれくらい効果があるのか・過去にはどのような教育がどのような意図をもって行われてきたか。
あまり整理せず、思考と探求の経路をそのまま記載していこうと思う。
まずは原点に立ち返り、「そもそも教育とは」という観点で、リサーチしてみた。
教育の目的をネットで検索して出てきた論文のうち、個人的に納得感があったのは伊藤博."教育の理念-教育の歴史及び思想の概観”で挙げられていた以下の3つの観点である。
科目教育の大半は2にあたるのだろう。逆に、自分が今取り組んでいる個別のプロジェクト型の学習は、1の能力や資質を引き出すという観点が強いと解釈した。
能力を引き出すという観点で深ぼっていくと、多くの文献からルソーについての記述が見られた。
文献によって表現は異なるが、ルソーは 民主的な社会を担える≒自立し(自分を満たし)、自由な社会を担う人間を育てることが教育の目的と据えた。
前者を自然人・後者を社会人と据えたうえで、上記の目標を達成するために以下のように教育内容を整理したそう。(一部自分の解釈あり)
【自分の心を育む自然人フェーズ】
乳幼児期(0~1歳):快・不快
児童期(0~12歳):感覚
少年期:(12~15歳):好奇心
【他者意識を育む社会人フェーズ】
思春期(15~20歳):道徳心
青年期(20歳~):徳・幸福
上記の考え方を仮にPBL教育にそのまま落とし込むと、小学生までは5感を使ったプロジェクトが発達段階としては適しているのかもしれない。代表的なところでいくとものづくり系か。そしてここのフェーズではとにかく本人の自然な主体性に任せる形が望まれると解釈した。
小学校高学年あたりからは、好きなものを好奇心ベースで追及していくプロジェクトになるだろう。ものづくり・研究あたりがあてはまる。この段階からは、プロジェクトも個人に合わせてより多岐にわたっていくイメージである。
そして、中学生~高校生にかけて、いわゆる社会性を持ったプロジェクト、企画系やお商売系が適していると解釈できる。
結果的に弊教室で発生している年齢とプロジェクトの傾向も概ね上記に当てはまっている。
ルソーがいた社会と比べると現代は大きく変化した。年齢区分に幾分疑問はあるものの、概ね現代においても納得度の高い整理である。普遍性を感じる。
一方でドイツの哲学者ディルタイは、「教育の目的は歴史的に制約されているので普遍性はありえない」という論を展開したそう。社会の変化に応じて、必要な教育が変わっていくということだろう。つまり、フレームにとらわれすぎると、社会の変化を見失うという教育の側面があると捉えることができる。
就活時期、ちょうど前職のインターンで「不易流行」というキーワードを耳にした。社会が変化しても変わらないものと、社会の変化に応じて変えていく必要があるものがある。
子ども1人1人において発達段階に差があることからも一概にフレームに当てはめていくことは愚策である。
とはいうものの、歴史の知見はうまく活用することでジャンプアップできると思うので、学問的な理論を学びつつ、現場を通じて変化していく部分についても考え続けたい。
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