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やる気のスイッチはどこにある?

「誰かうちの子のやる気のスイッチを入れてほしい」というのは多くの親御さんの切実な願いなのかもしれません。


「スイッチが入らないままだったら、うちの子の将来はどうなってしまうんだろう。」

「もしスイッチが入ったとしても、受験に間に合わなかったらどうしよう。」

「うちの子にはそもそもスイッチがなかったらどうする?」

というように不安に感じる方もいるかもしれません。


結果的に、厳しく接しても、詰め込みでもなんでもいいので成績をあげてほしいということになるのではないでしょうか?


そこで、勉強へのやる気のスイッチはどこにあるのか、どうやってやる気のスイッチを入れればいいのか、整理してみたいと思います。


まず残念ながら、やる気のスイッチは他人が押せるような外側にはありません。むしろ本人すら気づけない無意識の場所にあるともいえます。


例えば、何か買い物をする時を考えてみましょう。


多くの方は、これはこうこうこういう理由があるから買う、など冷静に論理的に考えて買っていると感じているかもしれません。しかし実は「欲しい」という感情が先行しています。理屈とか理由は後付けなのです。「人は感情で(購入を)決定し、論理で正当化する」と言われています。そのため、多くの宣伝はまずは感情に訴えかけ、さらに正当化できる理由を提示してきます。


情動、やる気などの感情は、脳の中でも原始的な大脳辺縁系が担当しており、論理を司る大脳皮質(新皮質)よりも強いということなのです。


考えてみれば当然です。


人類の歴史として最も長い期間だった原始時代には、人類は弱い存在でした。肉食獣に襲われた時、とっさに逃げるという判断が遅れたら大変です。逃げるメリットとデメリットを分析して、なんて悠長なことは言っていられません。それはDNAに組み込まれており、基本的に衝動や感情は論理よりも強いのです。


そのため、勉強のやる気に対しても、他人ができるのは、やってみたいと思ってもらえるようなサポートをすることしかできないということなのです。


では周りはどういうサポートができるのでしょうか?


私はそれは「環境を提供すること」と思っています。そして、その環境には大きく3つあると考えています。一つは「関わり方」、もう一つは「体験」そして「一緒に取り組む仲間」です。今回はそのうちの一つ「関わり方」についてご紹介したいと思います。


例えば料理について考えてみましょう。食べたいと思ってもらうためにはどうすればいいでしょうか?


まず見た目があるでしょう。おいしそうな匂いもあります。うなぎの焼く匂いには思わず惹きつけられます。食べている時の、おいしそうな表情を見せるのも効果的でしょう。多くの人がおいしいおいしいと言っているのを聞いてもらったり、試食してもらうというのもあるかもしれません。


それよりもそもそも、ものすごくお腹が空いていたら、細かい工夫は必要ないかもしれません。


少なくとも「つべこべ言わず食べなさい。」とか「食べなかったらどうなっても知らないよ。」と言ったり、とにかく口にねじりこむ、などのやり方ではないことは確かです。


同じことを勉強に当てはめてみましょう。


大人の言うとおりにやれる子は別として、「つべこべ言わず勉強しなさい。」と言ったり、「将来どうなっても知らないよ。」と脅してもダメなのです。


このように強制したり自由を阻害することに抵抗して、自由を回復しようとして反発をまねくメカニズムをJack W. Brehmは「心理的リアクタンス」といいました。


また、周りの大人が勉強を苦痛と感じていたり、勉強なんて意味がないと言うのが口癖だったりすれば、勉強が楽しいとは感じられないはずです。


そうなのです。まずは大人である我々が勉強を楽しむのがいいのではないかと思ったのです。


いろいろな本を読み、それについて夫婦で楽しそうに話していたら彼らはどう感じるでしょうか? たとえ毎日でなくてもいいのです。思わず天の岩戸を開いた天照大御神のように、きっと興味を惹かれるはずです。


それで「何してるの?」と聞かれたら「勉強だよ。」と答えます。やってみたいと言われたら、喜び勇んで塾を探そうとするのではなく「勉強は大人の楽しみなので、もう少し大きくなったらね。」ともったいつけて、学ぶことへの飢えを感じさせるのです。


中学受験をしないのであれば、小学生のうちはそれで十分と腹をくくるのです。学校で勉強しているだけでもよしとするわけです。もともと生まれ落ちた時には、か弱くてかわいくて、元気でさえあればいいと思ったはずですから。(最悪そうでもいいと覚悟を決めるだけで、勉強しなくてもいいと積極的に思わなくてもいいです。)


実は、これは希望的観測ではなく、実際に起こることです。周りの大人が、その子に強制することをやめ、腹をくくっていると、子供達は反発することにエネルギーを使うことをやめ、自分のことに考えを巡らせるようになります。そして、勉強を始めたりします。


そうなった時には、内心嬉しい気持ちを抑えて十分注意して取り組まれるといいと思います。「なんだ、やっぱりつまらないジャン」とならないようにするためです。


ドリルをやらせるのではなく、本当の学びの楽しさを教えてあげるのです。最初は算数とか英語ではなくても、子供が好きなテーマでいいと思います。必ずしも机に座る必要もありません。


一緒に調べたり、絵を描いたり、ノートにまとめてみたり、実験してみたり。必ずしも点数につながらなくてもいいわけです。


一番怖いのは、中学とか高校、あるいは大学に入って、勉強なんてうんざり、ということになることだからです。大学入学時に人生のピークを持ってくるのであれば詰め込みでもいいのですが、大学を卒業してからの人生のほうがずっと長いので、勉強嫌いになってしまったら大きな損失です。


もしすぐに勉強をしたいと言ってこなくても焦る必要はないと考えます。無意識に大人が楽しそうに勉強していたことは心に残っています。ちょっとしたきっかけで発火する土台を作っておくわけです。


私はこのアプローチを「北風と太陽」における「太陽のアプローチ」と呼んでいます。


同じ労力を使うのであれば、毎日「勉強しなさい。」と叱ることに労力を使い、ストレスをためるのではなく、お互い笑顔になれる方法で勉強の楽しさを教えてあげられたらいいですね。


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