
「やわらかい能力」と「カタい能力」
今、半沢直樹が大人気ですね。
「勧善懲悪」「倍返し」「勝つか負けるか」
私も好きで原作を全て読みました。わかりやすく、悪いことをした人がやりこめられるところはスカっとします。私も若い頃には憧れていたスタイルです。
一方、最近は、タモリさんていいなぁ、と思うようになりました。肩の力が抜けていて、器が大きく後輩から人望もある。でも教養も高い。
半沢直樹のバリバリやる仕事力だけでなく、スポーツの技や、考える力、知識力、集中力、学力などは、質感として硬いイメージです。正解・不正解、勝ち負けがはっきりしていて、どちらかというと父性であり、この記事では「カタい能力」と呼びたいと思います。(男性の中にも母性があり、女性の中にも父性があるため、父性=男性という意味ではありません)
一方、しなやかで包み込むような包容力、許容力、受容力、のようなものは、やわらかいイメージです。母性的なものであり、ここでは「やわらかい能力」と呼びたいと思います。
指示されたことをやっている、一人で完結する仕事をしている若いうちは「カタい能力」だけでもやっていけます。むしろ、人柄がよくても能力が低ければ任せられない、頼りない、使えないと見られてしまいます。
しかし、複数の人の調整をして仕事をしなければならない、部下を含めたグループで成果を上げなければならないとなると「カタい能力」だけでは、うまくいかないことがあります。
「カタい能力」と「やわらかい能力」はどちらも大事であり、バランスが大事ですよね。
テストで点数を取る能力は「カタい能力」です。頑張ることで能力が磨けます。若い頃は「カタい能力」を磨くことに一生懸命になるものです。親御さんもテストの成績を上げることを期待することでしょう。
「カタい能力」を磨くこと自体はいいのですが、それだけで頑張っていると、個人差はあれ、厄年を迎える年齢になるとやっていけなくなります。若くて鋭い人が出てくるし、テクノロジーも新しくなるため、鋭い仕事ができなくなってきます。体力的にも能力的にもきつくなります。プライドも保てなくなり、つらくなってくる。
子育てもそうですよね。子供はなかなか思い通りにはなりません。
うまくいかなくなり、自分を見つめ直すことを余儀なくされる、このことをミッドライフクライシス(中年の危機)というそうです。
私も若い時は一人でバリバリ成果を上げればよかったのですが、30代前半に中間管理職になってからは上司と部下のはざまで苦しむようになりました。なんでこんなこともできないんだ、とか、上司はなんでこんなに理不尽なんだ、とかイライラや不満が出てきてしまったのです。でもそれで相手を論破したり、変えようとしてもうまくいきませんでした。それでは成果も出ず、自分自身もどんどん苦しくなっていったのです。
このミッドライフクライシスを乗り越えるのに、誤った方法を取りがちです。
それは、さらに頑張って頑張って頑張るというやり方です。
特に組織や相手を変えようとさらに頑張って説得したり、管理をさらに厳しくしたり、さらに激しく叱ったり、かと思うとおだてたり、小手先のコーチングをしたり、他の人から言ってもらったりです。
でも、自分が変わらない限り、どうしてもうまくいかないのですね。もちろん短期的にはうまくいくこともあるのですが、5年とかというスパンではうまくいかなくなってしまうわけです。
その結果、自分がみじめに感じるようになり(無意識に)、いかにすごいかということをアピールしたくなります。飲み会で昔の武勇伝を語ったり、若い人に厳しく当たったり、足を引っぱったり、役職や権威にしがみついたり、不要な報告会議を開催していばったりということをしてしまいがちです。お恥ずかしい話、私もだいぶイタイことをやってきました。これがイタイおじさんが増えるメカニズムなのかもしれません。
そんなときに助けになったのが「やわらかい能力」でした。
しかし、包容力などの「やわらかい能力」は頑張ることでは身に付けることができません。細かいところは割愛しますが、むしろ頑張らないほうがいいのですね。できない部下や上司にイライラしない心理状態になり、さらに成果を上げてもらうためには、頑張ればいいというものではないのです。
私などは、やわらかい能力を磨くために、心理学のメンターに教えをこいながら、15年も経ってしまいました。それでもまだまだ修行中です。
常に気をつけていないと、今だに頑張りたくなってしまうのです。一度作り上げた自分というものの殻を破るのは本当に大変です。
学力の負の側面も知る
学力や能力を身に付けることは、社会でやっていくための能力を身に付けることにもつながり、大事なことです。もちろん頑張って磨くにこしたことはありません。子供達にも身につけさせてあげたいと思います。
しかし、テストで点数をとる学力をはじめ、頑張って手に入れられる能力は万能ではないことを知っておいたほうがいいと思っています。そして、学び方によっても変わるという点も知っておいたほうがいいでしょう。
個々の性格や進む道にもよりますが、特に点数をとるための力は、他のすべてのことを犠牲にしてでも、必ず手に入れなければならないというものではありません。
学力も高く、学歴もあって、カタい能力で全身を武装し、仕事が鋭くなったのに、40歳くらいになって行き詰まり、自死を選ぶようなことになっては話になりません。もしそこまでいかなくても、ストレスで体を壊したり、離婚に至ったり、子供に問題が出たりといったことは世の中にたくさん起こっています。最近は学歴の高い優秀な若い子でも入社後数ヶ月で出社できなくなる子が多いようです。幸せを犠牲にしてでも高い学力を手に入れなければならないわけではないのです。
逆に、学生時代はゆっくり「やわらかい能力」を磨き、社会人になってから猛勉強して「カタい能力」を身に付けることで成功している人もたくさんいます。
バランスのいい状態になるには
「カタい能力」と「やわらかい能力」のバランスを取りながら成長するにはどうすればいいのでしょうか?
もともと多くの人は「やわらかい能力」をもっています。それを大事にしながら、能力を磨ければいいのですが、勉強を頑張ってきた人の中にはもともともっていた「やわらかい能力」を犠牲にして、「カタい能力」を伸ばしてきた人もいるはずです。私などはまさにその典型です。
私はバランスの取り方は、大人と子供では変わり、個々の性格によっても変わると考えています。
大人の場合は、偏ってしまっていたら、それらのバランスをとるようにしていけばいいのですが、子供の場合は、小さいうちからバランスをとるのは難しいことでしょう。
そのため、この時期は遊び中心、この時期は部活中心、この時期は勉強を頑張るという形で、一時的には「カタい能力」や「やわらかい能力」に偏ってしまってもいいのかもしれません。大人のある時期までにバランスをとれればいいというスタンスです。
小学生のうちに、「友達と遊んでばかりだから、勉強も同じくらいさせないと」と焦ると、「やわらかい能力」を磨くことがおろそかになってしまうかもしれません。
注意すべきは、あくまで子供のやりたい時期、やりたい興味に合わせてサポートするということではないでしょうか。
いくら今は周りの様子からも「カタい能力」を身に付けたほうがいい時期としても、本人の意に反して(イヤイヤながら)詰め込みをしてしまうといずれ弊害がおきるかもしれません。もちろん、そうはいっても受験が迫っていたらそうも言っていられないということもありますよね。難しい判断ですが、それでも、将来にリスクを残すことがないようにするのは大事だろうと考えています。
ただ、どこかのタイミングで勉強をやる気になった時に、何をどう勉強すればいいのかわからないという状態では大変です。
そのため、学生時代には「学び方を学ぶ」というのは最低限やっておくといいと思うのです。
小学生は好きなことを題材にして、そして、中学生では定期テスト対策をしながら、学び方を学んでおくのは、進路の選択肢を広げることにもつながり、あとで大きな力となることと考えています。
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