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考え過ぎなオトナと子供らしさ

こんにちは、Shibaと申します。
普段は、スプラトゥーンという対戦ゲームで、上を目指す人に向けて実体験に基づいた情報発信を行っています。YouTubeで週1回動画投稿と、不定期で配信をしているのでよければチャンネル登録をお願いします!


今回は、考え過ぎなオトナに向けたお話です。

スプラを例に出しますが、大人が抱える認知と学習の問題に通じています。

オトナができなくて、子供ができること

自分自身もそうだし、私のコンテンツが好きな方は特に、
「アタマで考え過ぎ」な方が多いと感じています。

そういう方は、
(´-ω-`)「○○な行動が強いと思っていて~、その理論でやってるけどずっと勝てない...」
(´-ω-`)「このブキならこういう立ち回りが良くて~、でも強い人一人にボコボコにされて...」

みたいなことが多いのではないでしょうか。


オトナになってしまった我々には、一つ気を付けなければいけないことがあります。

それは、「体験を歪めている」ということです。

我々オトナは、中途半端に知識や考える能力があるおかげで、体験をする前から想像を膨らますことが出来ます。
また、自己の認識と他者からどう見られるかを考えながら行動をしてしまいます。

それによりバイアスがかかり、実際に起きている体験を歪めてしまうことがあるのです。

たとえば、漠然と「高台が強い」「前に行った方がいい」という知識・考えを持っていると、
オブジェクト(エリアやヤグラ)とは関係ない位置で戦ってしまうことがあります。(私も今でもやってしまいます;;)

このようなときに、自分の考えに自信を持ちすぎていると、
「自分は(漠然と)高台を取ってるのに/前に出て頑張っているのに、味方はカバーもないし、オブジェクトに関与してくれない!」となってしまいがちですが、

実際には、オブジェクトから離れた、重要度の低いポジションに来てしまっていて、試合に関与できていないのは自分だったなんてことがあります。


自分が、「こうした方がいいに違いない!」と思ってやってみて、何度も負けているようなら現実を受け止めなければいけません。

これは特に、自分の能力に自信を持っている人、そして我慢強い人ほど、現実で起きている不都合な事象を正確に捉えられなくなってしまいます。

これはオトナになってしまった弊害と言えると思います。


それに対し、子供は、驚くほど純粋に、目の前で起きていることを素直に感じ取っています。
限られた知識と体験、そして自己と他者の視点が無いことが、実は物事をシンプルに見る秘訣だったのです。

では、オトナらしく成長するにはどうすればよいか


では、オトナになってしまった我々は、どうすればよいでしょうか。
子供からオトナになるのは不可逆的なものですが、さらなる知識と体験により、新しい頭の使い方を覚えることはできると考えています。

1.予測と自我を入れる余地を作らない


個人的な経験ですが、
・焦っているとき、追い込まれているとき
・疲れていて頭が働かないとき
・寝起きすぐ
は、とてもシンプルで合理的な判断ができる場合が多いです。


自分が変な考えをしているときは、大体「追い込まれてないせいで余裕がある」ときです。
余裕があるときの自分の感情やプライドが認知を歪めているのかもしれません。

考え過ぎな人は、その人なりに考えて真剣にスプラに取り組んでいますが、「その試合に絶対勝つならどうすればいいか?」という必死さや卑怯さが足りないことで、重要度の低いことが優先されてしまうことがあります。

2.我慢を自覚する


オトナは、我慢に慣れ過ぎています。
子供は、つまらなくなったらすぐ違うことをするし、退屈な作業に感じているものは無理にはやらないはずです。一つのことを伸ばすのには向いていないかもしれませんが、最も吸収しやすい状態で、好きな順番で学ぶことができます。そして、実はそれが体系的に物事を学ぶのに向いている方法であると思います。

オトナは、上手くいかなくて面白くないときにも、ちょっと我慢して続けられてしまいます。
そこからなにか得られるのであれば良いですが、間違った努力の方向性で我慢を続けてしまう人もいます。
ひとつのものの効率を考えてしまうと、そのような我慢を許容しやすくなってしまいがちです。

我慢をしているかの判断に、「効率を求めていないか」「やってて気持ちいいかどうか」が使えると思います。

3.自分の持つ知識や理論は、中途半端なものではないか?と疑う

「限定的な場合にのみ適用できる知識や理論」は、他の場面で使うと毒になり得ます。
中途半端な知識や理論が原因でエラーが起きている場合は、きちんとその拡張が必要です。

大抵の場合、その知識や理論が完全に間違っているわけではなく、限定的すぎるだけで、十分に拡張されていないことが問題です。

先程の例で言えば、「高台が強い」というのは、見晴らしがよい、射程が伸びる、引きやすいなどの利点があるからですが、
「試合中のその瞬間オブジェクト付近に関与できない高台」はいくら上記の利点があっても、最も干渉すべき「オブジェクトに関与してくる敵」がいないので重要度が低いです。

「高台が強い」から「オブジェクト付近に関与できる高台が強い」に拡張できると、よりいろんな場面で試合に貢献できます。

今回は、考え過ぎな人は、体験を歪めてしまっていて、自分の行動を修正しづらいという点についてお話しました。

参考になれば幸いです。


(追記)空っぽのアタマと裸のココロ

大人になるまでに、たくさんの知識を得て、たくさんの体験をしてきました。

蓄えてきた知識は、勝手に目の前のものを省略し、食べやすく、飲み込みやすく加工してくれるし、
今までしてきた体験が、そっちは危ないよと手を引いてきます。

今の自分は、寒くないようにとたくさん服を着させられた、おぼっちゃまのようです。


いつか、何も持たずに飛び出せたら、そこからはどんな景色が見えるでしょうか。





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