【短編】今見ている風景はかつて夢の中で行ったことのある場所で、その夢と全く同じ日射しの中、全く同じ足取りで道を歩いて行くのだけれど、その夢のことは何も思い出せない
僕は僕自身を壊れた機械だと思っている、と春の終わる頃に僕は呟いた。 そんな僕のことが心配になったというより、情けないこと言ってるんじゃないよ、と思った彼女は、彼と二人で、紙飛行機飛ばし飛ばし委員会を設立した。週末が憂鬱で仕方がないのなら、何でもいいから理由を付けて外に出てみたら良いんじゃないか、例えば紙飛行機を飛ばしに行くとか。いいね、と彼は答えたので、私たちは一週間か二週間に一度、顔を合わすようになった。それは私が突然失踪するまでの間、約三年ほど続いた。とはいえ実際に紙飛行機を飛ばしたのは最初の一回だけで、あとは映画を見たりお酒を飲みに行ったりして過ごした。途中からは彼や私の友達がしばしば顔を出すようになり、紙飛行機飛ばし飛ばし委員会という名前を彼ら彼女らがとても気に入ってくれて、私や彼のいないときにもその名前を使うようになった。実はこの名前は私が考えたものではなくて、私が小さい頃によく遊んでいた子が、私や彼女を含む四人組の集まりをそう呼んだのをそのまま使っているのだけれど、そのことは結局誰にも言わずじまいだった。その子はある秋の夕方、月に帰る、と言った。すすきの生えた野原で、宇宙服を着てヘルメットを脇にかかえ、牛車に乗り込んでいく彼女の姿を私一人だけが見ていた。来る? と彼女は目を伏せて尋ねた。私は答えられなかった。走り始めた彼女を載せた牛車の速度はとてもゆっくりだったのに、どれだけ走っても追いつくことはできなかった。
それから紙飛行機飛ばし飛ばし委員会は、私と彼の週末の集まりを離れ、年に何度か河原でバーベキューをする会の名前になった。集まりは大きくなって、そのうちの何人かがバンドを組み、紙飛行機飛ばし飛ばし委員会を名乗った。半年ほどで活動を休止したが、後年、編曲家として有名になった元メンバーの一人が、未だに思い出す半年間だった、と述懐した。バーベキューの方は、何人かが結婚し子供が生まれたことで、今度はキャンプの会に変わった。紙飛行機飛ばし飛ばし委員会という長い名前はいつの間にか忘れられていたのだけれど、子供たちが紙飛行機を飛ばした後に一人が、そういえば紙飛行機飛ばし飛ばし委員会ってあったな、と思い出し、それを聴いた子供たちが面白がって、SNSやゲームのアカウント名などに使うようになった。しまいには小学校の委員会に紙飛行機飛ばし飛ばし委員会を作る子も現れた。その子は紙飛行機飛ばし飛ばし委員会という名前をずっと忘れなかったので、大学在学中に起業した際、会社名としてその名前を使った。紙飛行機とは全く関係のないITサービスの会社だったが、ユニークな名前を用いたからかまずまずの成功を収めた。それから紙飛行機飛ばし飛ばし委員会は大企業に買収され、今度は飲食チェーンの名前になり、映画の製作委員会となり、数年後には大企業の方が社名を紙飛行機飛ばし飛ばし委員会に変更した。すぐに企業は倒産したものの、チェーンを外れて生き残った牛丼屋がその名前を使い続けたり、ビルの愛称や旅館の屋号として残り続けた。やがて市町村合併の結果、紙飛行機飛ばし飛ばし市が誕生し、紙飛行機飛ばし飛ばし党が国政選挙に出馬した。紙飛行機飛ばし飛ばしという言葉は一般名詞となって、ついには国際的な平和同盟である紙飛行機飛ばし飛ばし同盟が締結され、青い旗に白い紙飛行機を飛ばす子供のイラストが描かれた。かくして、人類が初めて人類以外の知的生命体と接触するプロジェクト名に、紙飛行機飛ばし飛ばし委員会という名前が採択されることになった。接触場所は討議の末、月面になった。宇宙服を着て大きな旗を掲げた会員たちが、我々は紙飛行機飛ばし飛ばし委員会と言います、と名乗った。
私はその名前に聞き覚えがあったけれど、それが何のことかすぐに思い出せなかった。周りの仲間に尋ねても、分からないと首を傾げるばかりだった。小さな胸騒ぎを抱えたまま地球人との接触を続けるうちに、どうやらその言葉は、千年ほど前に地球に遊びに行ったときに自分が考えた言葉らしい、と思い当たった。そして、夕暮れの中で私を見つめる彼女の姿も。そこからが大変だった。私が千年前に紙飛行機飛ばし飛ばし委員会などと言い出したばかりに、地球には紙飛行機飛ばし飛ばし委員会という地名や組織名、人名で溢れかえっていたのだ。その全てに目を通すことは人間業ではないと思われたものの、幸いにして私は人間ではなく、人間の何百倍も寿命の長い生物なので、人間が残した紙飛行機飛ばし飛ばし委員会にまつわる資料のほとんどすべてに目を通すことができた。何十年もかかってようやく、初代メンバーが判明した。中でも私を見送った彼女は、二十代の一時期、行方不明になっていたことが分かって、そのときは言いようもなく悲しい気持ちになったけれど、調べていくうちにその後、何事もなかったかのように家に帰ってきて、元の職場に復帰した様子だった。それから彼女は趣味で書き溜めていた漫画を賞に出して、その作品は佳作に選ばれてWEBページに掲載された。彼女の作品が公になったのはこの一回きりだった。かつて仲の良かった二人が、会えないままときどきお互いのことを思い出す、という内容のその漫画は、最後の一コマで唐突に背景が宇宙空間になって、主人公の一人の後ろ姿が白抜きで描かれて終わっている。いくらでも解釈のしようがあって難しいその一コマが、それでも彼女からの遠く隔たったメッセージのように思えて、私は今でも折に触れてその漫画を読み返している。
(ざくろ)
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