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10日目:性格の良さ、とは

フェネック文章力向上月間
Day10 自分の性格について


性格の話題になるといつも考えるのが、「性格の良し悪しは何で決まるのか」という問題である。
というのも、性格に関する自己評価と他者評価があまりに乖離しているからだ。平たく言えば、他の人からは「性格の良い人」に見えているそうだが、自分ではなかなか性格が悪いと思っているから疑問に思っているのだ。


そこまで親しくない人間相手なら、まあわかる。
私はATフィールドがなかなか分厚い人間なので、本音はめったに見せない。
相手を安心させるために、架空の裏の顔を作ったりする。大丈夫大丈夫、怖くないよ。私も自己開示しているからね。そこに本音は入っていないけど。

だが、かなり本音を見せている数少ない人たちからも「性格がいい」と言われるのはなぜなのだろうか。
特に、夫は事あるごとに「朱音はいい子だね」と言ってくる。私に暴言吐かれてるくせに。
これは別に惚気でも「そんなことないですよ」待ちの面倒なアレでもない。君たちはがっつり私の性格の悪さを知っているだろう。それなのに、なぜ。


試しに「性格が良い 定義」で検索してみたが、一番上に出てきたのが信憑性の薄いファッション雑誌のネット記事だったため、その時点で読む気が失せた。
検索結果を斜め読みしてみたが、どうやら心理学ですら性格の良し悪しを定義していない模様。でも、我々の中には「性格が良い」「性格が悪い」という言葉に対して、ある程度の共通認識はある気がしている。

では、世間が定義する「性格の良さ」とは何なのか。


人の悪口を言わない。
これはまあ、積極的に人の悪口に加担するような人間ではないが(巻き込まれたくないので)、時々爆発して本人のいないところやTwitterで暴言を吐くことがあるので除外。

優しくて思いやりがある。
これも除外。私の中で「優しさ」とはただ親切にすることではなく、時には相手を思って甘やかさないことも含む。
私は耳障りのいいことしか言えない。だって、心を鬼にしてアドバイスをしたところで、大抵相手は共感しか求めていないし。

裏表がなくさっぱりしている。
これこそ私とは違う。表面上は愛想よくしていても、内心で毒づいていることは山ほどある。だって素なんか見せたら皆引くじゃないか。私、社会不適合者だもん。
だから、嫌なこともニコニコしながら引き受ける。それがどんなに嫌いな奴でも、誰かに嫌われるのが怖いから。


ここまで「性格がいい人」の要素を羅列してきて、思う。
私はあくまでご機嫌伺いばかりしているだけで、「性格がいい」「優しい」とは対極にある人間なのだと。
けれど、嫌われたくないが故に優しい振りをしているから、対外的には優しく見えるのだと。

なんてちっぽけで、しょうもない人間。


ここまで「性格の良さ」を語ってきておいてなんなのだが、今の私は「優しそう」「性格が良さそう」と思われることを若干嫌がっている節がある。
性格が良さそうって、裏を返せばつけ入る隙があるってことじゃないか。
そういった匂いを嗅ぎつけて、人を利用する奴らの養分にされたことが何度あっただろうか。

嫌なことは嫌だと言いたい。社会不適合者でも、自分に素直でいたい。
たとえそれで嫌われたとしても、自分を守れるのは自分しかいないから。



P.S.
今回はあくまで自分目線での「性格の良さ」「優しさ」でしか考察できなかったので、もしよければ読んでくださっているあなたの思う「性格の良さ」について教えていただけるととても嬉しいです。

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