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【東京という街と私】

いつもお世話になっております。
志庵の店主です‪‪☺︎‬
2週に亘ってお届けした【志庵店主の自己紹介】
お読み頂いた皆さま有難うございました。
まだの方は是非こちらからお読みください↓↓↓

という具合で、なんだかドタバタとしながらも
なんだかんだ人生を謳歌している私ですが
今日は私にとっての特別な場所のひとつでもある
"東京"という街についてのお話しです。

先日飛行機の中から見た、東京。

遡ること23年前、18歳高校3年生の頃、
(そんなに遡るのかと今愕然としましたが続けます…)
将来の事やなんやかんや考えなくてはならない時期。
その頃洋服に夢中でスタイリストになりたかった私は、誰にも相談することなく早々に東京の服飾専門学校へ行くことを決め、決意を固めてから両親に報告しました。

高校を卒業したら東京へ行くと急に言い出す娘に
両親は反対することもなく、やりたい事はなんでもやってみたら良いと了承してくれました。
思えばこの時だけではなく、屋久島へ移住を決めた時も島根に戻りお店を始めると決めた時もいつも事後報告。
とんでもない娘ですみません…寛容な両親に感謝✧̣̥̇

というわけで18歳の春、「オラ、東京さ行くだ」。
東京に行きたかった理由は、スタイリストになりたいという夢の為はもちろんでしたが、その頃の私はとにかく島根を出たかった…今思えば思春期特有のモヤモヤとした感情そのものだったのだけれど、転校を繰り返していた私は島根に対する愛着がなかなか湧かず(今は島根も大好きですっ!!)どうにかして島根から脱出することを考えた結果、東京への憧れも相まって東京の服飾専門学校へと行こう!!なったわけです。

憧れの東京の暮らしはとても大変でとても楽しかった。
初めての一人暮らし、眠らない街東京で眠らない私。
なんていうとカッコイイですが、実際は昼間は学校へ行き、自分で東京へ行くと言った手前、生活をする為にほぼ毎日バイトをし、夜中に学校の課題をこなしという鬼ハードスケジュール…それでも誰も知らない街で一から人間関係を築き生活することはなんだか無性に楽しかった。

肝心の学校生活は全く順風満帆ではなく、
大都会の服飾専門学校ですから、お洒落な人ばかり。
才能や個性、金銭的なことも含め格差というものの存在を身をもってしっかりと痛感しました。
例えば今のようにスマホアプリでいろいろ作れたり、
誰しもがPCを持っている時代ではなかったので
課題を作る時に周りのみんなのようにPCを使ってスタイリッシュになんていう事はできず、手書きで書いて資料を切って貼って作成。今では手書きが暖かくて大好きですが、その当時はその手作り感がとても恥ずかしくて惨めだったなぁ…

日々大きな鞄と筒を抱え毎員電車に揺られて学校に通い
お友達にも恵まれ、授業ではスタイリング撮影や
洋服を一から作ったりファッションショーをしたりと
貴重な体験ばかりでとっても楽しかったけれど
どこかの段階でスタイリストになるのは今の自分では無理なのだなとはっきり悟り、夢半ば、初めての大きな挫折。甘酸っぱい記憶の街、東京。


今思えば、それから島根に戻り洋服に関わるお仕事をしたことも、お店を始めたことも、SNS用の撮影も専門学校で学んだことがしっかり活かされているのです。
よく「人生に無駄はない」と言うけれど、私の人生は本当にその言葉通りだと思う。只、そう思えるようになるには無駄だったのかなと感じたその先の日々をなんとか歩み続けて今思えばと言える所まで辿り着くしかないのだと最近凄く思うのです。

眠らない街、東京。

先日展示会で東京を訪れた時にホテルの部屋から観た、眠らない街東京のキラキラした夜景はやっぱり綺麗で
あの頃悔しい思いをした自分に、「あれから20年、酸いも甘いも経験してなんとかやってるから大丈夫だよ。」
と伝えてあげたくなりました。

若かりし頃、甘酸っぱい記憶のままお別れした東京。
大人になった今はとっても好きな街になりました。
東京という街は私にとって初心に戻れる街。
悩んだり壁にぶつかったりした時に訪れたい場所です。

今日は東京という街と私のお話しでした。
最後までお読み頂き有難うございました。
それでは、また来週月曜日に𓂃 𓈒𓏸◌
追伸:来週のお題はまだ決まっておりません。


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