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何で学ばないといけないの。

どうもしいたけです。
普段は子どもと関わるお仕事をしています。

今日は質問されてどきっとしたお話です。
思考の整理にお付き合いください。


学ぶってなんなんだ。

この前、子どもたちと一緒に修学旅行へ。
バスの中でだらだらと話していました。
結構、バス移動の時も思い出に残りますよね。

ゲームしたり雑談したり、
わいわいがやがやの中で。
何気なく、悪気なく。
こうやって聞かれました。

「何で学ばないとあかんのさー。」
「先生の考え教えてや。」

おぉー!焦る。
雑談の中から急に本質をついてくる。
たまーにありませんかこんな経験が。
しいたけは上手く切り返せませんでした。

そこで改めて言語化しておこうという訳です。
何で学ばなきゃいけないの。
…どうやって答えますか。


1番初めの学びとは。

何でを考える前に、
一度学びについて考えておきましょう。
初めての学びとなると、ずっと昔に遡ります。

おそらくみなさんもしたであろう、
私にとって初めての学びは赤ちゃんの頃。
学びってのを意識することすら、
難しいぐらいの幼い頃に戻って考えます。

私たちは歩くことを学んでいるはず。

もっと噛み砕いて考えてみると。
赤ちゃんが歩くことを学ぶように、
自分にとって必要なことをできるようになる。
そんな経験をしていく中で育ってきています。
必要感ってのが、重要なんでしょう。

赤ちゃんになって考えてみると、
遠くにお母さんの姿や
手にとってみたい興味のあるものや
テレビなどの音の出るものなど。

自分の見ている景色や、
手の届く範囲だけではどうしようもなくて。
それでも何かしたい!
そうやって歩くという行動について学びます。
だから、学ぶまでの過程が大切になるんでしょう。

大人が赤ちゃんに対して、
歩くってのはねまず手をついて、
お尻や腰を上に持っていって立ち、
右足を前に出し左手を引いてバランスを…
ってな具合に。

学ぶってのはやり方を教えて、
頭の中だけで理解するもんじゃない。

でもね、気づいたら子どもたちに。
手取り足取り教え込んでしまいがちなのが
教師の気をつけたいところですね。

何事もバランスが大切。


願うものは創り出せる。

「先生ー、何で学ばなアカンの。」

そう聞いてくる子は、
自分にとっての必要感がないのか、
もしくは悩んでいるんでしょう。

その子に沢山の言葉や理論で、
言いくるめても納得してくれるかな。
悩んでる時に欲しいのは、
アドバイスではなく共感な気がします。
ここを間違えるとモテません。

けれども、教師側が自分なりの
納得解を持っておくことが重要ですよね。
聞き流しているの、結構見破られます。

どうしたの。
なるほどねぇー。
どうしたいと思ってる。
うんうん
力を貸せそうなところはある。
なるほどね。
それだと先生は…

そんなプロセスをしてから、
もしもその子にまた聞かれたら答えたいですね。


話を戻しまして。
改めて私たちに出来ることを考えましょう。
赤ちゃんだって学べるんだ。
私たちも何歳になっても学べますよね。

赤ちゃんについてもう少し語ると、
遠くにいきたい、あれが欲しいなど
その状態はクリエイトしている状態です。
目指したいビジョンがあれば、
何かを創り出すことが私たちにはできる。

はいはいとか、泣くとか。
赤ちゃんも状態を創り出していますよね。

自分にとっての必要なことをするために、
自分がどうしたいのかを意識するのが大切。
それが学びが発生する条件なのに。
クリエイト(創造)ではないことをしがちです。

創造の反対は問題解決です。
悪いところを見つけてそれを直していく。
そのように思考が偏ってしまうと。

私たちの意識は何が悪いのかに意識がいく。
だから、こうすればいいと仮説を立証し、
問題を解決することで私たちにとって、
今望まないものをなくしていくんです。

でもね、問題は無限に存在しています。

保護者対応、子どもトラブル、事件、ニュース。
あらゆるところで問題があります。
仕事でも、プライベートでも。

私たちは、何かが起こって、
それに反射的に行動してしまう癖が、
自然とついてしまっているんですよね。

そうやってだんだんと、
何がしたいのか考える余白を奪われていく。
問題と戦う思考になっていくんですよね。
自分がどうしたいのか分からんようになります。
日々のトラブルがそれを加速させる。

問題を解決すること、
それが教師の仕事のような感覚に陥ります。
ほんまにそうでしょうか。


私が実現させたいものは何か。

健康は心と体の状態が良いことを考える。
病気は心と体に問題があること考える。
前提が違う。
エドワーズデニング

どうしたら良くなるのか?

そう考えることが難しい世の中です。
色んなシステムが複雑に絡まって、
考える余白すら与えてくれないですよね。

変えられるとしたらまず自分です。
もっというなら、自分の意識です。

赤ちゃんの時のように、
純粋に目指したいものがあればいいのに。
いつしか自分がどうしたいのかではなく、
どうだったら無難にできそうか。
しいたけはそう考えていました。

意識の向け方は、
オリエンテーションともいいます。
そこを変えると何かが変わる気がしませんか。

自分にとっての前提を問い直す。
その中で生まれたどうしたいのかを大切に。
自分が創り出したい状況にしていく。
その過程が学びってものかなぁと思います

きっと聞いてきた子も悩んでたのでしょう。
将来の不安、日々の問題、今の社会など
子どもながらにでも、
何となーく理解していくと問題だらけです。

だから今度聞かれたら、
その子の中にある、自分はどうしたいのか。
それを引き出せるような対話をしよう。

何で学ぶのかを教えるのではなく、
学びたいことは何なのかを一緒に考えよう。

そんな先生になれるといいなぁ。

今日も頑張りますか!


早朝に書いてみました。
ギンギンの状態で出勤します。

またね。