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アドバイスって必要なの。

どうもしいたけです。
普段は教育関係のお仕事をしています。

今日はイライラしたことから学んだ話。


GIGAスクールの闇。

やたらめったらやり方とか経験とかを、
アドバイスしてこられてやり辛くなること。
これが最近ありました。

今、小学校の流行は
もっぱらGIGAスクールです。
iPadとか使って教育していたら、
休校になってもいけるよねってやつです。
ほんまかいな。

急に導入がされたものなので、
現場は大忙しになりました。
誰もやり方がわからない中、もがいています。
それがだいたい2年前ほどでした。

今では少しずつですが、
ICTを活用することができてきています。
マニュアルはあるようでないので、
目の前の子どもたちに合わせて、
日々、試行錯誤しています。

しいたけはそんな感じの、
小学校のICTの管理などが仕事です。

iPadとかの機械もそうですし、
それを使うためのアカウント整備や
困った時のトラブル対応なども。
あらゆる雑用をしている感じです。

正直、1人でするのは大変です。
でも、誰かがやらないといけない。
白羽の矢がたってる感じで過ごしています。

そんないっぱいの日々で、
事あることに管理職から言われます。

「アカウントの管理はこうしたら。」
「画面が割れた子には、こう対応してみては。」
「このアプリはこう使ってみては。」などなど

そこまでいうならあなたがやりなよって。
なんというか、こうめんどくさくなるやつです。
手伝ってくれないのに、色々言われるんすよ。

それにイライラして、
愚痴を言って過ごしていました。


アドバイスってなんだ。

アドバイスなのか何なのか。
よく分からんことをたくさん言われる毎日で、
ある日ふと思いました。

人はどんな時にアドバイスをしたがるのか。

相手の行動に反射的に反応するのでなく、
自分だったらどんな時にどんな行動してしまうのか。
ここに意識を向けて考えないとなと思ったのです。
相手は変わらないけど、自分は変われます。

そうやって考えていくと、
相手の話を聞いていくうちに、
自分の経験と結びつけてしまうこと。

無意識的な習慣としてある気がします。

最初は話を聞くモードだったのに、
相手の話を聞いていくうちに、
どんどん自分の経験と結びつけてしまう。
そうして、話を聞くよりも、
自分の話をしたいモードになっちゃうなぁ。

そういや、こんなことが。

「今日、教室でよく暴れるAがね。
 私の上着を投げようとしていたんです。」
「だからね、強めに指導したら、
 その子が泣いていたんですよー。」
放課後の話

いつものしいたけなら、
無意識的にそのAの子の気持ちになって、
「でもね、その子は〜。」
と反射的にアドバイスをしてしまっていたと思います。

だけども意識的に話を聞くモードに切り替えて。
続けて話を聞いていくと、
会話をしていた若手の子はこう語ります。

「でもね、後から周りの子が教えてくれて。
 その子が作った剣を無くしたみたいで、
 それを探すために、色々投げてたんです。」

「やり方はアレだけど、
 そのAなりに、理由があったみたいで、
 落ち着いた時にもう一度話をしたんです。」

という感じのことがありました。

アドバイスをしすぎると、
その人が元々持っている力を、
潰すことになるかもしれない。

これが大きな気づきになりました。


様々なモード。

考えていくと色々なモードがあるのに気づきます。

仕事中でも、
問題解決モード
アドバイスしなきゃモード
聞くだけモード などなど

いろんなモードを無意識に使っている。
そうやって習慣的に日々を過ごしています。

子どものトラブルが起きた時。
自分にとって不都合なことが起きた時。
自然と問題解決モードのスイッチが入り、
反射的に行動に移してしまうことが多々あります。

最初に書いた教頭先生とのやりとりもそう。
自分の中で、怒るモードに移行してるんですね。

ただ、人間は習慣の生き物です。
自分のその習慣やモードは、
自分が心から願ったものなんでしょうか。

自分の習慣やくせに意識的になり、
一度立ち止まって考えてみる。
これってものすごく大切だと思います。

noteに書きながら内省です。
相手の立場も考えないとなぁ。むずいや。

自戒も込めて好きな言葉を残しておきます。

ただ、リフレクション(内省)を通じてのみ
私たちは歴史を変えていくことができる。
ウンベルト・マトゥラーナ

明日もがんばりましょう。


相手に変わってもらうことより、
自分が何かその場にできることを願う。

これが大切ですね。
またね。