ふりだし
数日前、約2年半の盛岡での生活を終え、東京の実家に拠点を戻した。
理由は持病の鬱の進行だった。
もはや思い出せないほど前から強い眠気に悩まされていた。夜しっかり睡眠をとっているにも関わらず、仕事中何度も寝落ちしそうになっていた。
眠気を我慢し続けると目眩・頭痛・吐き気・動悸・息切れなどの症状が出るようになり、今年4月頃から頻繁に仕事を休むようになっていた。
GWに実家で休養を取り、一時は持ち直したものの、6月に入ると今度は言いようのない不安感に襲われるようになった。
気づくともう、40歳。これまでの人生に後悔などなかったはず。なのに、急に過去のことを思い出してはあの時こうしていればなどと考えても仕方のないことばかり考えるようになった。1月に40歳の誕生日を迎えた時にはむしろ色々なことを乗り越えてここまで来たという達成感で満たされていたと言うのに、今の自分がひどく惨めに思えた。40歳でアパートで一人暮らし。資産もない。派遣で働きながら細々と作家活動をしている何者でもない私。全てが中途半端に感じられた。結婚している人や正社員として働いている人がひどく羨ましくなった。他人と比べても意味がないことなどわかっているのに。
昨年末に雑誌で読んだ2024年の占いに、今年は振り返りと清算の年になると書かれていた。実際ここ2年半の盛岡での生活で何を成し遂げたか、その間に参加したイベントや開催した個展のことを何度もぐるぐると考えた。私は精一杯やってきたはず、なのになぜこんなにも虚しいのか、わからなかった。
いたたまれず、母に電話をした。母に励ましてもらい、なるべく深く考えないよう努めて過ごしたが、体調不良と胸が潰れるような不安感は拭い去れなかった。苦しい。息ができない。食欲もなくなり、自炊する気力もなくろくに食べない日が続いた。
6月最初の週の木曜だっただろうか。その日もひどい倦怠感と頭痛で身体が動かず、会社を休んだ。惨めさに涙が出た。その日一日、部屋で独りで過ごすことが耐えられなくなり、回らない頭でリュックに数日分の衣類や薬を詰めて新幹線で実家に帰った。帰る道中も、帰ってからもなぜか涙が止まらなかった。
その後数日間、胸を掻きむしりたいような不安感と闘いながら少しずつ実家で平静さを取り戻していった。そして決めた。もう帰るしかないと。
すぐに会社に連絡し、仕事を辞めた。急にこんな辞め方をするなんて、数日前には考えてもいなかった。
鬱のくせに持ち前の行動力だけはしっかり機能していた。
しかし実家に戻るためには今一度盛岡に戻って、一人で引っ越しの手配をしなければならない。これは億劫で仕方なかった。戻ると決めた当日は吐き気がした。
どうにか盛岡に戻り、引っ越し業者に見積もりに来てもらいなんとか気持ちが落ち着いた。
それから引っ越しまでの1週間は良い意味で忙しかった。方向性が決まったことで少し前向きになれたが、同時に盛岡で出会った色々な人たちと離れるのが寂しくなり、できる限り友人たちと会う約束をした。
皆暖かかった。去っていく私に優しい言葉をかけてくれて餞別まで渡してくれた。この2年半の自分の生活に自信を持たせてくれた。ここへ来て良かった。本当に良かった。
ありがとう盛岡。しばし、さようなら。また来るからね。
そしてまたふりだし。東京の子供部屋に舞い戻ってきた。今後は鬱と付き合いつつ無理なく働く方法を模索しながら、創作活動もこれまで以上に工夫して展開していこう。40歳、子供部屋おばさん、そう思うと惨めになることは否めない。だがもう、鬱でない人と同じような生活は今後厳しいだろうという現実を受け入れ始めている。
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