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私のオタク史に残る暗黒期について語る

今からふたつ前の推しを好きだったころのこと。
私は病んでいた。今ならはっきりそう言える。あの頃は病んでいた。
のちに私はこの推しを好きだったころのことを「暗黒期」と呼んでいる。

期間にして大体一年ほどだったと思う。私にしては割と短い期間だった。
具体的に暗黒期であった理由を語っていきたいと思う。

1.推しについて

まずは推しのこと。
実はかなり狭いコミュニティ……簡単に言うと売れていない人たちだったので、グループ名等は控えさせていただく。(その界隈にいた人が見たら9割身バレする可能性があるため。)

彼は某ダンス&ボーカルグループのメンバーのひとりだった。
歌がとても上手い人だった。

その頃の私は所謂2.5次元俳優とか舞台にハマっていたのだが、観に行った舞台に彼が出演していたことで存在を知った。
舞台への出演は歌要員だったと思う。(演技はお世辞にも上手いとは言えなかった。)
声が好きだなと思ったのと、舞台上で他の演者と楽しそうにしている姿が可愛いと思い興味を持った。
調べたところ音楽活動も頻繁に行っていることを知り、さっそくライブに足を運ぶことになる。
チケットを取ることもそれほど大変ではなかったし、半分ドル売り(接触イベントなどで人を集める)のグループだったので、特典会にも比較的簡単に参加できた。

2.グループについて

彼らは当初4人グループだった。
センターの子(Aとする)はデビューしてからずっとソロで活動していたのだが、本人の「グループ活動をしたい」という希望で結成されたグループでセンターの子with愉快な仲間たちみたいな構成だった。

推しともうひとり(Bとする)は元々ユニットを組んで路上ライブをメインに活動していたそうだが、事務所の人にスカウトされたらしい。
そしてもうひとり(Cとする)は有名なアーティストのバックダンサーをするようなダンススキルを持つ人だった。

ではここでメンバーたちを紹介するぜ!!(バンドマン風煽り)

【Aくん】
ソロで活動していたことと舞台やミュージカルへの出演も多かったため、ファンの母数が圧倒的に多く、特にマダム層に人気があった。
グループの構成上、というか彼の一存で作ったグループだから彼がグループのルールみたいな感じだった。

【Bくん】
デビュー直前に辞めた。
公にされた脱退理由は「会社のルールを守れなかった」というような内容だった。
のちに彼は別の人とユニットを組んで音楽活動をしていた。
私は彼のことを全く知らないが、音源などを聴く限り、歌は推しよりも上手いと思った。

【Cくん】
綺麗な顔をしていたしダンスは上手かった。
ダンス上手かった。
そう、歌は全然駄目だった。声質もあると思うが、歌に向いていないなというのが本音だった。だからなのか、曲中ではラップパートが多かった。

【推し】
当たり前だが、歌は上手かった。
しかしダンスについては未経験だったそうでグループ結成までの間にかなり練習をしたと聞いた。
AくんやCくんと比べたら……という感じだったが、下手ではなかったと思う。

Bくん脱退後、しばらくは3人で活動していたが、のちに追加メンバー2人が発表される。
顔面がめちゃめちゃいいDくんとラップ要員であろうEくんが加入。
そんなに売れていないグループであればメンバーの増減はそれほど珍しいことではなさそうな感じではあったので、ファンの間でも特に反発はなかったように思う。

【Dくん】
顔がいいのとファンサが神ですぐにたくさんのファンがついた。
どのメンバーよりも太いファン(※資金的な話)が多かった印象。

【Eくん】
確か加入当時十代だったと思うが、初々しさがウケてAくんのファンだったマダム層が流れていた。

私がこのグループを推していたのは5人になる直前~5人で活動していた終盤くらいまでである。
私がオタクをやめた直後くらいにDくんが脱退した。
そして彼らはその後一年ほど活動して解散した。
そのため、今このグループは存在していない。

余談だがDくんは脱退後、歌舞伎町でナンバーワンになった。
知っている限りでは何名かの太いファンはそっちまで追いかけていたようだった。
そして今は店の代表である。
ファンを釣るのが上手だったし、今話題の他担狩りが得意なタイプだったから脱退後のことを聞いて「天職やん……」と思わずにはいられなかった。

3.この頃の私のこと

この頃の私は所謂ブラック企業勤めだった。
毎日残業は当たり前(というか仕事がなくても帰れない空気)+薄給+劣悪な職場環境のせいでメンタルは常に闇。

あの会社のことも会社にいた人たちのことも一生忘れないだろうなと思うくらい憎んでいるし、今後もし街中で見かけることがあれば後ろから飛び蹴りのひとつやふたつかましてやっても罰は当たらないだろうというくらいには苦しめられた。

唯一のストレス発散はお金を使うことだった。
貰った給料は毎月使い切り、残高は常にゼロ。今思えばなんでそんなお金の使い方をしていたのか理解できないし「貯金しろよ!!!!」と声を大にして言いたいが、あの頃はとにかくお金を使うことで自分のメンタルを保っていた。

通勤途中、訳も分からず呼吸が苦しくなったり、涙が止まらなくなることが増えていた。毎日頭痛がしていて会社に来ると心が死んだ。
だから休みの日くらい、自分の好きなことにくらいお金を使って楽しみたい。
今の私には推ししかいない。

あまりにも仕事がつらすぎてそう思い込んでいた節がある。

この時点で自分の精神状態はあまり正常ではなかったが、そのときの自分は自分の異常さに気付くことができなかった。

4.推しが嫌い

嫌いだったのに推してたの?と言われそうだが、その頃は「嫌い!!でも好き!!」みたいな感じ(?)だった。
これも既に正常ではないと思うが、そのときは推しの存在に依存していたので「離れる」という選択ができなかったのだ。

推しは好き嫌いがはっきりしているタイプだった。
ファンの間では自分のファンの名前を全然覚えないことで有名だった。
「全然覚えてくれないんだよねぇ」とマダムたちがなぜか嬉しそうに語っているのを聞いて「?」となった。
いや失礼なやつだなと思った。
決して安くない金額を払ってライブや特典会に参加しているファンに対してファンサの努力ひとつしないなんてクズじゃんと思ってしまった。(ボロクソ)

好きになったばかりの頃、この界隈ではレポという名の特典会自慢(マウントをとること)が普通のことのようだったので、私も例に漏れず、よくSNSにその様子を書いていた。
「推しくん、今回も名乗ったのに全然覚えてくれてなかったつらいぴえん」みたいなことを書いた次の特典会のことだった。

彼は私がブースに入るなり「〇〇さん!」と名前を呼んだ。「覚えてくれたんですね」と言ったら「当たり前じゃん!」と笑った。

この人、エゴサしたなと思った。
売れてないグループにとってファンによるSNSでのネガキャンは大きな痛手になる。
コミュニティが狭い分、話はすぐに広まるし、事務所から気をつけろと言われたのかもしれない。

そう思ざわるをえない原因はこれだけではなかった。

彼には所謂「オキニ」(贔屓にしているファン)がふたりいた。
ひとりはめちゃめちゃ顔が可愛い女の子。
もうひとりは情緒が不安定なのか、何かあるたびにSNSで推しの悪口を書くタイプの女の子だった。
前者は単純にタイプだったんだろうなと思う。
しかし、推しは特に後者へのファンサがえぐかった。
誰がどこから見ていても明らかに分かるようなファンサをしていた。

その子はその度にSNSでマウントを取り、同担から嫌われていた。
そして自分が気に入らないファンサをされると「全然わかってくれてない!!」と喚き散らかしていた。
究極のかまってちゃんだなと思った記憶がある。

これは後々知った話だが、かまってちゃんはその前にいた別の界隈でも同じようなことをしていたようでその界隈のファンの間では「やばい人」で有名だったらしい。
若いのに大変だなと思った。(他人事)

話を戻すが、推しが後者の厄介オタクにえぐいファンサをする理由は完全にSNSでのネガキャンを恐れてのことだったのだろうなと悟った。
オキニというか「そうしないといけない枠の人」という感じ。

それからは私もレポを書くのを控えた。
シンプルにこの厄介オタクと同じ枠になるの嫌だなと思ったのと、そんなことで気を遣われてもな……と思ったからだ。

そもそもファンに平等に接することができないとかファンサの努力を怠るとか、そういったプロ意識に欠ける行動にずっと疑問はあった。
ライブで推しがオキニとかまってちゃんへ過剰なファンサをしている場面を見るたびに精神はすり減っていった。
しかし、その頃の私はなんといっても普通の精神状態ではなかったので「推しに対してお金を遣っている自分」を辞めることができず、傷つくのに比例してCDを買う枚数は増え、金遣いが荒くなっていった。

5.グループの体制が異質

先ほど「2.グループのこと」を書いた際にメンバーについて書いた。
このグループ、音楽しかりライブの集客しかり、良くも悪くもAくんがいなければ成り立たない。

いつもAくんファンのマダムが「今日はAくんの機嫌がよかったからライブよかった~」とか「Aくん機嫌悪かったみたいで特典会全然話してくれなかった」などと話していた。
プロが機嫌で仕事すんなよといつも思っていた。

私は推しのことしか見ていなかったのでAくんがどんな様子かなんて知ったことではなかったが、オタクが音楽以外のことに気を回さなければいけない現場なんてくそだと思う。
曲がりなりにもプロとしてデビューし、それを仕事として、それでお金をもらっている身なのであれば機嫌で仕事をするのはおかしい。
そんなやつ一般企業なら即クビ。

そんな面倒くさいAくんに加えて、ダンス未経験者や歌えないメンバーが半数はいたので、お金を払って見るレベルのものかと問われると自信をもって「はい」というのは難しかった。

彼らは多分、K-POPグループのようになりたかったんだろうなと今は思う。揃ったダンスや海外の最新トレンドを取り入れた音楽。
しかし、どれをとってもとにかくレベルが半端だった。
性格や姿勢はともかく、全員が歌、ダンスともにAくんレベルならかなりいいところまでいけたと思うが。

ファンの間では「彼らの成長を見守っている」という空気があった。
まだ成長過程なのだから未熟であっても構わないし、多少歌えなくても踊れなくても、次できていればそれでいいという感じ。

子供の授業参観じゃねえぞと私は思ってしまった。

こちらはお金を払っているのだから金額に見合ったエンターテイメントを提供してもらえるのが当たり前だと思っている。
それをメンバーの機嫌がどうとか、できないのは仕方ないとか舐め腐っている。
プロならできるようになるまで表に出てくんな。
せめてできない部分はない状態でステージに立て。

手足が千切れそうになるくらい毎日必死に練習したダンスがそれか?
喉から血が出るくらい歌の練習をした結果が本当にそれ?
毎日毎日SNSの更新だけは一生懸命やってるけど本当に売れたいの?

そう言われても仕方ないレベルだったと思う。

のちにLDHやK-POPを知って、どれだけ生ぬるい世界を見ていたんだろう、あんなことにお金を使っていたのがもったいないと暗黒期を悔いることになる。
やっぱり本当のプロはレベルが違う。

6.やばい同担

狭いコミュニティだったので、よくライブに行くようなオタクは大体顔が割れていたし、どこかしらでつながっていた。
知りたくもなかったが、誰が誰のファンとかそういうのもすぐにわかってしまった。

先述したかまってちゃんも面倒くさいやつのうちのひとりだが、周りのオタクにお金を借りまくっているオタクとか、現場やSNSで騒いで無駄に目立っている男のファンとか、狭いコミュニティだとこんなもんか……といつも思っていた。

中でも衝撃的だったのがとある特典会で出会った同担だった。
私はその特典会が実施されたときにちょうどボーナスが支給され(とはいえ雀の涙ほどの金額だが)、ほぼ全額をCD購入につぎ込んだ。馬鹿である。

CDの購入枚数に応じて特典会の参加券がもらえる仕組みで、そのときは云十回分の参加券を持っていた。
まとめて使用することはできず、一回ずつ並び直す必要があったので、参加券を握りしめて何度も推しの列に並んだ。

段々と話すこともなくなってきたので話題を考えようと一旦列から離れたときだった。
仲が良かった別メンバーのオタクに「今日は何回?」と聞かれた。
あまり言いたくなかったが、まあ同担じゃないしいいかと思い残り回数を伝えた。
それから少ししてその別メンバーのオタクが、私とは関わりのない、友達でもなんでもないオタクを連れてきた。
私より随分年上のマダムだった。

なんだ?と思っているとその人が私に「今日いちばん頑張っているのは〇〇ちゃんだね!鍵閉め(※握手会などで一番最後に握手をすること)譲ってあげる!」と言われた。

譲ってあげるとは????別にお前のもんじゃなくない????
そのときに初めてその人が同担であるということも知ったし、馴れ馴れしいし、別に鍵閉めにこだわりがないから嬉しくもなんともないんですけど……と言いたいことは山ほどあったが、本能的に「この人はこれ以上関わっちゃダメな人」だと察し、分かりました~とほほ笑むに留めた。
シンプルに怖かった。

そして、どこの界隈でもあるが、オタク同士のいがみ合いが酷かった。
表面上、みんな仲良し~という空気を出しつつ、あいつが嫌い・気に入らない、あのグループはうるさいとかそんな話ばかりだった。
最初に記載したように、大体が顔見知りだから誰のことを言っているのかはすぐに分かったし、共通の知り合い同士の喧嘩に巻き込まれることもあり、うんざりしていた。

7.推しに見切りをつけた理由

色々書いてきたが、約一年ほど推していた推しとこのグループ。
見切りをつけた最大の理由は、仕事を辞めたからだった。

メンタルがズタボロだった私は残りの有給日数を計算し、次の日から会社に来る必要がなくなるタイミングで半ば強引に退職を願い出た。
そうでもしなければ辞めることができなかったからだ。

退職を申し出る前日、割と本気で線路に飛び込むか上司を刺すかみたいなことまで考えていて、さすがに自分でもやばいと思った。

今思えばあんな退職の仕方はとんでもない暴挙だったがと思うが、そもそも労働契約書通りの勤務時間すら無視されている会社に退職時期云々文句を言われる筋合いはない。労基に訴えんぞボケコラ。

仕事を辞めて転職活動をしつつ、二ヶ月程ニートをさせていただいた。
驚くほど心が穏やかになり、そのときに頭に浮かんだのが「あれ?私ってなんであんなに推しに執着してたんだっけ?」だった。


拝啓、推しへ。

お元気ですか?
君は歌が上手いだけでダンスは大したことないし、顔はかっこよくないし、大したファンサもしないし、オキニへの贔屓凄いし、プロ意識も低かったね。
そういえば私がプレゼントした服を「着てくれてありがとう!」と伝えたらめちゃめちゃ目を泳がせながら「あ~うん!」と言ったこともあったね!
誰からもらったかも分からずに着てたんだよね!(ファンから貰った服は全部着ていたっぽい)
手紙読んでないんだなってすぐに分かったよ!

あともうひとつ。
君は音楽を奏でる(歌う)才能はあったけど作る才能は残念なくらいなかったね。
君のソロライブ、カバー曲ばかり歌うのだと思っていたら「作った曲を歌います!」と言って何曲か披露したね。
周りのオタクは「いい曲だった~!」「感動して泣いちゃった」と大絶賛だったよ。
でもね、本当に本当に申し訳ないけど、私にはどれもこれもRADWIMPSの曲にしか聴こえなかったよ。
影響を受けすぎている、というか曲調やコード進行、歌詞、ほぼ丸パクか?というレベルだったね。丸パクというにはお粗末だったけど。
自分のファン層にはバンドの曲を聴いている人なんていないだろうと思っていたのかもしれないね。なめんなよ。
ドヤ顔で歌っている君のこと、恥ずかしすぎて見ていられなかったよ。
最初に披露した曲、ほぼ『いいんですか?/RADWIMPS』だったけど、売れてない歌手が音源として出すわけではなかったらパクっていいんですか??って気持ちだったよ。

今となってはなぜ君のことが好きだったのかも思い出せません。
以上を持ちまして私のお気持ち表明とさせていただきます。 敬具


心の中でここまで考えて、好きでいる要素がひとつもなく、寧ろ一番嫌いなタイプだったことに気が付いた。

それからニート期間中にCDやグッズをフリマサイトで売り、枚数が多すぎるCDは捨てた。
そして、一瞬でも面倒くさいと思ったことがあるオタクは全員切った。

8.暗黒期の終焉

幸い転職先もすぐに見つかり、今の会社に入社することができた。
収入とメンタルが安定してからは新しい推しに出会い、元気にオタクができるようになった。(このあとLDHの沼にハマった私はアーティストの影響でジムに通うようになり、心身ともに本当に健康になったが、それはまたいつか別の機会に。)

今でもある程度散財することがストレス発散になっているが、この頃のように云十万円を一気に推しに注ぎ込むなんてことはしない。
ちょっといい化粧品を買うとか、服をまとめ買いするとかそんな程度だ。
そして、勿論貯金もしている。

人間はメンタルが弱っているときに何かに依存すると好きか嫌いかの判断すらも碌にできなくなるということを思い知った。
また、推しの存在はオタクを幸せにしてくれるが、入れ込みすぎたり、日常生活とのバランスが取れなくなると自分を不幸にしかねないということも知った。

誰のオタクをするときもそうだが、自分が元気でいることが最低条件で、その次に収入やメンタルが安定していること、そして依存することなく「趣味」として楽しむことが良識あるオタクでいるために必要なことであるという教訓を得た。

以上が私のオタク史に残る暗黒期の記録である。

推しだった人の情報が入ってこないようにするために本人含め関連アカウントも全てブロックしたので今何しているかすらも知らない。
まだ活動してるのかな?
まあ、お察しですが、名前聞かないってことは売れてないんだろうなって感じです。(暴言)


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