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「経営したことあります」って言いたい母親のわたし

戦闘態勢の一日が終わろうとしている。
ことの発端は一昨日の夜。ムスコ(9才)が言い放ったひとこと。

「学校にいきたくない」

実は、我が家にしてみれば、そんなにめずらしいことではない。
この学年になった瞬間から、週に2回は聞かされ、月に1回はそのことばが勝利し、学校を休ませてきたからだ。ただ、一日休めば気が晴れるのか、翌日はケロッと登校することが常だ。そこまで大ごとではないのが幸い。
ただ、親としてみれば、できれば言われたくはないことばである。
言われた瞬間、わたしのどこかにある親スイッチがオン!になることばである。
なぜなら、「いきたくない」のことばの裏に隠されている彼の本心を瞬時に嗅ぎ分けなければいけないからだ。

そりゃあ、おとなだって、行かなければいけない仕事や約束にいきたくなくなることはある。ましてや小学校なんていうのは、こども標本の見本市のように、いろんな子がいるのだ。先生だって、教育に使命感をもっている熱血先生もいれば、「教員」という組織でのし上がりたい人もいるだろうしさまざま。小学校というのは、おとなもこどももひっくるめて人種のるつぼだ。理不尽なことも、不完全なこともルール違反も日常にあふれている。

そんな中で、まだ自分の中の価値観すらぐらぐらしているこどもたちが、毎日毎日「楽しく!」「友達と仲良く!」「たくさん学ぶ!」を求められるなんてむちゃな話だと思う。情報は親の間を駆け巡り、教育についてもおとな主導でどんどんアップデートされていき、いろんな規制をされて、親世代が持っていないようないろんなスキルを求められ、多様性だ、個性の時代だと言われながらも、同時に「旧型の良い子」も求められる。
今の子どもたちを見ていると、なんだか両極端のことを一度に求められ過ぎて、気の毒に思えてくるものだ。

そんな小学生のひとりがうちのムスコだ。
さらに、ムスコは感受性が人よりも豊かで、あまりに繊細で、それでいて正義感あふれる男だ。親のひいき目だが、頭の回転も悪くないので、本質を感じ取ってしまう。嘘やごまかしは絶対にスルーできない男だ。一度、「なぜだ?!」と立ち止まってしまう。そんな彼が無秩序な小学校という社会で生きていくのはほんとうに大変なことだと思う。

「学校にいきたくない」と言われれば、「そりゃー、疲れるよな」とおもう気持ちと、「ただの怠慢か??」とおもう気持ちを両手に持ち、それまでの言動を元に、「共感」と「怠慢」のどちらに軍配を上げるのかを瞬時に判断するのがわたしの役目だ。(残念ながら、情報量不足により夫にはできない任務だ)
正直、これはかなり難しい。さながら経営者の経営判断並みの難易度ではないかとおもっている。母親であるわたしの判断を間違え、「休んでいいよ」と言わなければいけない局面で「行きなさい!」などと言ってしまった日には、彼の中で取り返しのつかないほど親の株の暴落が起こるだろう。それが致命傷になってしまったならば、きっと株価回復にはものすごい時間がかかってしまうだろう… いや、回復できない可能性すらある。
だから、慎重かつ、的確に、瞬時に「スパッ!」と判断しなければいけない。

今回の「学校にいきたくない」はおそらくこれまでとは比にならないメッセージだと判断した。
いろいろな理由を説明しながら、怒り散らしながら、涙目で訴える彼に、
「休みな」と言ったあとの彼のホッとしたなんとも嬉しそうな顔。親としてはなんとも複雑…

ということで、今回の初動はOKだった模様。それからさらなる試練がわたしたち親に降りかかるのだけれど、それはまた別の話で。

と、色々書いたけど、とにかく疲れたーーーーーー。
グッジョブわたし!と言いたかっただけ。

家族にわたしのことCEOって呼んでもらおうかな。
我が家の最強の裏ボスは夫だけど。

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