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結局最後、全部、落合陽一が持っていった
前回までのあらすじ
佐渡市長たっての願いで、本来はカルテット構成くらいで行う予定だったサテライト公演が25人のオーケストラ編成に。東京から楽器と奏者を25人連れてくるというキチ○イ沙汰に。さらにクラウドファンディングに参加した我々取材班(違う)はコンサートのプログラムを見た時、驚愕した。
「東京公演と全然違う」
だが実際にコンサートが始まると、取材班に衝撃が走った。
「新作、全部新作カットじゃん!!どうなってんの?いつ作ったの?っつーか一番奥に座ってるの落合陽一じゃん」
これまで東京公演ではあくまでもプロデューサー、映像演出という名目で裏方に徹していた落合陽一先生が、ステージの一番奥でVJブースみたいなのを拵えてVJプレイをしているのである。
しかも画面はこれまでで一番でかい超ウルトラ大画面。
オーケストラに負けないド迫力の大画面である。
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そういえば昨日の夕飯の時に「いやー、プロジェクター一個しかなくて、まあギリギリってとこですねー、あとは照明工夫すれば、なんとか識別できると思いますが・・・」
とかなとんとか言ってたなー。
が、そういう問題じゃない。良くなってるのだ。内容が。圧倒的に。進歩してる。
生成AIで作られたと思しき映像が、クラシックのテーマに合わせて、むしろクラシックを聞くことがほとんどないような佐渡の子供達がわかりやすいように補助線が引かれている。なんてこった!!!!
やりすぎてる。佐渡人の99%は絶対に東京のサントリーホールの公演を見ていない。というか、東京のサントリーホールの公演を見て、尚且つ佐渡の公演を見ているのは我々取材班(クラファン勢)と演者、それに佐渡市長くらいしかいない。
常識的に考えたら、佐渡公演で使った素材をリミックスしたり、調整したり、まあぶっちゃけ手を抜こうと思ったらいくらでも抜ける。だってここに来て両方見るのは落合信者しかいないんだから。
しかし映像を注意深く見てる吾輩は背筋が凍る思いをした。
おい、ちょっと待て。
この映像、俺にも作り方がわからない
もしも作るとしたら、とんでもない天文学的な手間がかかるはず。
この公演で佐渡市からいくらもらえるか知らないが、人口五万人の地方自治体が払える金額などたかが知れてる(悪いけど)。我々クラファン勢だって、全部合わせても(そもそも二泊三日の豪華ツアーで金使ってるはずだし)大した金額にならないはず。
落合陽一、君は何度、俺の予想を超えてくるのか
吾輩は猛烈に反省した。これほどまでに彼を好きで、彼が学生の頃から彼の作品に注目していたというのに、俺は彼を過小評価していた。
なぜならば、これがどれだけ難しいことか、どれだけの汗をかく必要があるか、1300人収容のアミューズメント佐渡にいた人たちは、誰一人として全く伝わらないからだ。そう、俺以外は。
この原稿は落合陽一ファンが主に読むと思うので、敢えて言うが、世間には落合陽一を悪く言う人がたまにいる。吾輩のところには彼のここが好きじゃないとかいうゴミ情報がなぜか磁石を持って両津の砂浜を歩いたかのように集まってくる。しかし、佐渡の砂浜と違ってその中に真に耳を傾けるべき金(言)はほぼない(純金は磁石にくっつかないが)。嫉妬、やっかみや勘違い、理解不足、勉強不足、そもそも理解しようとしない姿勢から生じているものがほとんどであると言う感想を僕は持っている。
でもな、それはピカソもデュシャンもそうなんだよ。というか、のちの時代に残ったアーティストは、常に時代の無理解と無根拠な批判、感情から生じているのにあたかも良識から外れているように誤謬を施された戯言を投げつけられているが、いつの時代も戯言を投げつけた側が歴史に残った例はない。
嫉妬と言われたくないならば、落合よりすごい作品を作ってみればいい。まあ「何がすごい」かはその人次第だが。
落合は間違いなくすごい。何がすごいって、落合が実際に何をやってるのか理解してない落合の支持者がたくさんいることだ。これは普通は真似できない。
いいですか。メディアアートでも、その他のアートでもなんでもいいんだけど、説明なしで作品だけ見せて「すごい」と思わせることができる人はごく一握りしかいない。
草間彌生が作ったという説明なしで草間彌生の水玉を見て「すごい」と言う小学生がいるか?いないよ。普通に「私でも描けそう」と言うのが普通の感想だし、どんなアートの展示でも、必ずコンテキストの説明があって、それで「なるほどすごい」と言う感じになるのが普通なのだ。
落合の展示は、基本的にタイトルとキーワードくらいしか説明がなくて、それを聞いても俺だってさっぱり理解できない。
でもね、佐渡の公演は落合陽一が本気で佐渡の子供達にアートとAI、オーケストラと鬼太鼓、そして佐渡おけさという、佐渡の人なら一度は聞いたことがあるものと、人類の生み出した最先端の技術、そして表現といったものを凝縮し、子供にもわかるような形に咀嚼したものだった。
それを今回は一人のスタッフも使わず丸裸で、たった一人でやってきてその「テクノロジー」パートを全部やった。行動で示した。これは本当にすごいことなのだ。
だって考えても見たらいい。そもそも東京公演と「同じものか、似たようなものを」佐渡でやれば、サテライト公演はそれで大成功である。客を集めるのは佐渡市だし、それを応援するのは我々のようなクラファンに参加したごく少数(10人弱の)人たちだけだ。
その我々にしても、「落合ツアーはお得で美味いものが食える」というかなり不純な動機で来てる。
佐渡の、たった1300人のためだけに新作を作る必要など全くないのだ。
君はできるか?東京公演のついでに地方公演のために全ての作品を作り直す手間をかけることが。
「できらあ!」
というのはバカでもできる。でも本当にできるか?
俺はね、本当にできる人をほとんど知らない。
できるといっても、ここまで完全に違うものを作れるものだろうか。
本当に、これは「新作」と言っていいほど違うのだ。
しかも、東京公演はソフト化されるが、佐渡公演はサテライトのため、ソフト化される予定は全くないのである。
いいですか。誤解を恐れずに言えば、落合陽一はバカなのだ。
バカとは、打算ができない人間のことである。
お利口さんたちはよく「カネにならないことに時間を使うのはバカ」という。
そうですかそうですか。
じゃあ俺たちはバカで結構。バカ上等。バカであることに誇りを持とうじゃないか。
だが落合陽一が本当にバカだと思い知ったのは、コンサートが終わった後だった。
もうええでしょう、落合はん
コンサート終了後、基本的に全ての飲食店は21時に閉まるのだが、わざわざ21時から23時まで貸切にしてくれる神対応のバーが会場となったアミューズメント佐渡の徒歩圏内にあった「かえる食堂けむり」だった。
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クラファン勢は人数も少なかったので関係者のみの打ち上げに参加させていただくことができた。素敵なお店である。
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このカエル食堂、当たり前だが普通は深夜営業などしてない。結婚式の二次会に使われたりなどする程度だという。
しかし、最大25人も参加するというこのアフターパーティに、まさかのワンオペ。
吾輩も小規模ながら技研バーという訳のわかんない店を毎週末やっているだけに、25人のお客さんが飲み放題でやってきてワンオペというのは、正気の沙汰とは思えない。
でもそれほど大きなトラブルもなく、楽しくお酒を飲めたのは、やはり店長さんがこの状況を読み切って注文を受けた猛者であることがわかる。
程なくして佐渡市長、指揮者の海老原さん、コンマスの田之倉さんが現れ、そして落合陽一先生がやってきて乾杯した。
「素晴らしかったよ。というか、東京よりもいいコンサートをやるとか反則すぎるでしょう、落合先生」
僕は一応、正気の時は人前では落合先生と呼ぶことにしている。
落合ファンを敵に回したくないからだ。
「いやまあまあ大変でしたよ。フェリーの中でね、VisionProを被ってコード書いてたんですが、コンフュージョン・マトリックス(混合行列)で解決できた時は、勝ったと思いましたね」
「え、ちょっとまって、まさかあのクソ揺れるフェリーの中で作品作ってたの?」
「はい。ほら、暇なんで」
「落合はん、もうええでしょう」
とは言ってないが、吾輩が死を予感し、生死を彷徨っているとき、その同じ船内で生成AIハックを思いつき、実装していた落合陽一。何をやってんだよ。
「これが生フッテージです」
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「あーこれ良かったよねー」
するとクラファン仲間たちが不思議そうに聞いてきた。
「これって難しいもんなんですか?」
「あのね、俺はAIとかちょっと詳しいけどね、使ってるツールは想像できても、どうやったら同じものが作れるかなんかわかんないよ」
「え、そうなんですか」
「紙と鉛筆で書きましたって言われても、手塚治虫になれないのと同じ」
道具は道具でしかない。それをどう使うか。
落合は今回、動画生成AIを使う際に、曲のテーマや場面ごとのイメージからプロンプト自身を生成するプログラムを書き、さらに複数生成した動画をうまく繋ぐためにコンフュージョンマトリックス(混合行列)を用いて的確なコマを選び出し、そのコマとコマを補完するための動画を生成して繋ぎあわせ、本来、ただ動画生成AIを使うだけでは実現不可能な長尺の動画生成を実現した。あの俺が死を覚悟していたフェリーの中で。
物化する計算機自然を感じよう#変幻する音楽会insado #yoichiochiai #Art #Contemporary #DigitalNature #ContemporaryArt #MediaArt pic.twitter.com/MIFojpQJK1
— 落合陽一 Yoichi OCHIAI (@ochyai) October 22, 2024
いいですか、そんなことしてもどこにも褒めてくれる人はいないんです。
それでチケットがたくさん売れるわけでもないし、それに万が一伝わらなかったとしても、佐渡市やクラファンが落合に支払うフィーが減るわけでもない。というかこの苦労を説明されて理解できる人間が日本に何人いるかわからない。
バカですよ。別に平穏に寝てりゃいいし、そんなに真剣にコンサートに向き合う必要はない。佐渡の人だって子供達だって、落合がそんなにエネルギーを使ってるとは想像もしてない。
なのにタイムスタンプを見ると、コンサート当日の開演直前まで動画を生成させていることがわかる。
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バカだ。こいつはAIバカだ。
全力出しすぎだろ。断末魔か。死ぬのか。死ぬ前の最後の一押しか。
それだってこんなにできないだろ。
俺が昔描いた本には、「プレゼンはその日の朝に書け」と書いた。
それはそれが最も効果的だからだ。
でも本当に「その日の朝」にプレゼンを書く人を見たことがない。
それは、言うほど簡単ではないからだ。
やらない言い訳は、凡人には無限に出てくる。
体調が悪かった、昨日の夜遅かった、朝早かった、時間が取れなかった、移動時間が少なかった、などなど。そういう言い訳をさせると人間はChatGPTより饒舌に色々語る。
でもバカは言い訳をしない。結果が全てだ。
しかもその結果も、別にカネが欲しくてやってるわけじゃない。やりたいからやっている。やらなくてもいいことをただやりたいからという理由で全力でやっている。そんな奴はバカだとしか言いようがない。
けど俺は思った。俺はこんなにバカになれてるだろうか。
かつて俺はプログラミングバカ一代という本を書いた。。昔のブログをまとめたものだ
俺はバカだ。プログラミングバカだ。それしか興味がない。学校の成績とかどうでもいい。大学を卒業するとかしないとか本当にどうでもいい。好きなことに全力を注ぎ、バカになってきた。
だけど俺は落合陽一ほどバカになれているか?
むしろなんか、「お利口」になっていやしないか。
俺は佐渡に来るのが嫌で、直前までサボろうとした。
別に佐渡に行かなくても、俺は何も損しない。
落合先生だって日本フィルだって、俺がクラファンで支援したことに感謝こそすれ恨んだりはしないだろう。俺は東京でやりたいことがもっとたくさんあり、わざわざ新潟まで戻るなら長岡でやるべきことがたくさんある。
でも、それでも、俺は最後の最後で、「落合くんがみんなをもてなそうと心を尽くしているのに、船が怖いという理由でサボっていいものか」と自問自答した。毎週一緒に生放送をやってる松尾さんにまで「清水さん、真心が大切と言っておきながら、怖いという理由で不義理をするんですか」と言われた。
しかも前回、沖縄の公演は俺がぼやぼやしていたせいでサテライト公演の本番は見れていない。
俺は落合陽一を舐めていた。こんなに全力を尽くす人間なのか。
きっと沖縄の公演も、同じだったに違いない。落合は、誰が見るかという打算で手を抜くような人間じゃないからだ。
たとえ誰一人として落合の努力が伝わらなかったとしても、常に全力を尽くす。しかもそれが、まったくDVDやその他何らかの形で残らなかったとしても。
全くおかしい。普通に考えたら、そんなことには意味はない。無駄だ。もっと効率的に稼ぐ方法はいくらでもある。もしも、金を稼ぐことが最も大切なことだったならば。
俺は自分がなんて卑しくてちっぽけな人間なんだろうと恥ずかしくなった。
落合陽一の世界観は、タイパやコスパと対極にある。
全てを受け入れ、自分の中で醸成し、それを全力で表現する。
君は語れるか?嬉々として、絶対に理解してないであろう人々に、コンフュージョンマトリックスとコサイン類似度のことを。
それをわかってあげられるのは、たぶんおれだけだ。
だから彼は一年前、唐突に俺をコンサートに誘ったのだ。
孤独だっただろう、寂しかっただろう。
誰にもわかってもらえず暗中模索を続けるのは本当につらいことだ。
今回、ようやく彼が何をやろうとし、挑戦し、一人ハッカソンとも言える状況で戦い、そして下手をすれば誰にも理解されない努力を尽くして来たか、やっとわかった。わかってあげられるのは、この島で俺だけだ。なんてすごい奴だよ。君は。
彼が本当に全力を尽くして、困難にぶつかっていき、佐渡の人々と子供達に、全力でメッセージを伝えようとして、本番直前のギリギリまで作品の質を高めようとしていたこと、それが打ち上げで初めてわかった。
たった一人で、戦っていたのだ、落合陽一という男は。
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俺は万感極まって、こんなこと口に出したくないが、もう認めざるを得ないと思った。
「俺は君が大好きだよ。君は本当にすごい人だ」
前日から佐渡の文化に深く触れ、それによって今回の作品の理解が深まった側面はもちろんある。それを含めて、このツアーは心底、いつも通り価格以上の価値があると思った。
まったく、こりゃかなわん。最後は全て、落合陽一が持っていった。