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【ネタバレ】映画『七人の侍』感想。'50〜'80年代の時代劇や俳優の魅力も語った

 「”世界のクロサワ”の最高傑作」という言葉の意味は到底分からない。
1回観たくらいでは。

先日、オンラインで行われた複数人での上映会に参加。

観たのは『七人の侍』(1954年公開)だ。

日本の戦国時代の天正年間(劇中の台詞によると1586年)を舞台とし、野武士の略奪に悩む百姓に雇われた7人の侍が、身分差による軋轢を乗り越えながら協力して野武士の襲撃から村を守るという物語である。

Wikipediaより引用

私は、幼少期から広く浅く、古い日本の映画や時代劇を観てきた。

祖父がチャンバラ映画好きだった。
よくくっついて一緒に観て、当時の映画や娯楽の話を教えてもらったのはいい思い出。

そんなかんじで少しはこの時代の作品を知ってても、今回この映画を観て「ここまでする??」と驚愕した。

本記事では『七人の侍』の見どころや感想も話しつつ、

  • 脚本はどのようにして書かれたのか

  • ココが違うよ!昔の時代劇・俳優の特徴3つ

本作の脚本の成り立ちや、昔の時代劇や俳優の魅力もあわせて語ってみる。

『七人の侍』がきっかけで昔の日本の映画に興味を持った人へ。
他の作品も観てみようと思ったときの参考にしてもらえるとうれしい。

『七人の侍』の脚本は奇跡のチームによって生まれた

この映画を観て最初に思い出した1冊の本を紹介したいと思う。
『君に友だちはいらない』(瀧本哲史著)だ。

東大法学部の研究者からコンサルティング会社に転職。

現在は京都大学で教鞭を取りつつ、エンジェル投資家として活躍する筆者が「人材のコモディティー※化が起きている世界でイノベーションを起こすには、チームの力が必要」と説き、「よいチームのつくりかた」を豊富な例を挙げながら説明した本である。

※経済学で「どのメーカーの製品を買っても大した差がない、成熟した商品(家電やパソコンなど)」を指す。

本文の冒頭で、『七人の侍』の脚本を書いたメンバーが「奇跡を成し遂げたチーム」として取り上げられていた。

ともかく『七人の侍』は、ちょっと考えられない脚本のつくりかたをしたらしい。

『七人の侍』のシナリオは、黒澤明、橋本忍、小国英雄という当時の日本を代表する脚本家の3名のチームによって書かれた。
(中略)
黒澤明の脚本作りの特徴は、黒澤自身を含む複数のシナリオライターによる「共同執筆」にある。ふつう映画の脚本は、ひとりのライターが第一稿を最初から最後まで書き上げ、それをたたき台として監督や演出家が手を入れていく。

『君に友だちはいらない』(瀧本哲史著)より

最初にたたき台になる脚本をひとりのライターが書くところまでは同じ。
ただし、その先は、世界でも他に例のない方法でブラッシュアップするという。

作品をより面白く、深くするために、黒澤組では複数のライターが、3人いれば3人それぞれが、同じシーンを用意ドンで書き直すのである。
そして書き上がったシナリオを見比べて、誰が書いたものがもっとも面白いか話し合い、いちばんよくできた原稿がそのシーンの決定稿になるのである。

『君に友だちはいらない』(瀧本哲史著)より

しかも、もちろん作業はこれでは終わらない。
シナリオや登場人物について夜を徹して話しあい、練りに練られた上での撮影。

身を削ってつくり上げられた、一切の妥協を許さないものだったのだ。

なるほど…「どうやって撮ったのかな」と思ったシーンの数々は、計算され尽くしたものということか〜…

納得もしつつ、唖然とさせられた。ど素人の私でも、とんでもないコストがかかっているくらいのことはわかる。

見どころBEST5と感想

作品づくりのすごさを垣間見たところで、個人的な見どころBEST5と感想をまとめてみる。

第5位:白黒の映像美

モノクロの長編映画をじっくり観たのは初めてだったけれど。
映像美にしびれた。

特に美しかったのは、農村でたわわに実った稲穂が風に揺れる場面。

そしてクライマックスの、豪雨の中での野武士集団との合戦シーン。

村人や7人の侍からも死者が続出。
決死の戦いから伝わってくる緊迫感も画面を彩っているように見えた。

カラー映画だったら、あの情感は表現できただろうか。
モノクロだからこそ表現できる美しさがあるのだろうと思った。

第4位:ロマンス

7人の侍のメンバーで一番若く、他の侍から「まだ子ども」とからかわれている勝四郎。

その勝四郎と村の娘、志乃とのロマンスも本作の見どころ。

「侍が村に来たら何をされるかわからない」という理由で髪を切られ、男の格好をさせられていた志乃と森の中で出会い、だんだんと惹かれあっていくふたり。

最後の戦いの前夜、村人と侍たちの間で行われた宴の席を離れ、ひと時の契りを結ぶ。

でも身分の違いもあり、野武士との戦いの後には終わってしまう恋なのだった…

勝四郎への思いと決別するかのように、村の田植えの一団に加わる志乃。
失意のうちに彼女を見送る勝四郎。

その顔からは、あどけなかった少年っぽさが消え、大人の男の精悍さが見えたのが心に残った。

それは「女を知ったから」という理由もあるだろう。
でも、私にはそれだけとは思えなかった。

「寂しさとかつらいことを経験するたびに大人になっていくわけよね…うんうん…」としんみりしたのだった(オカンか)

第3位:わかりやすい場面づくり

全体を通して、場面づくりがとてもわかりやすかった。

モノローグや字幕による状況の説明はほぼなし。
それにもかかわらずストーリーがよく理解できるし、登場人物の葛藤や感情なども丁寧に描かれていた。

現代よくいわれる「タイムパフォーマンス」という概念はない。
だから正直、オープニングは少々長く感じるかも。

でも、先にも書いたように脚本、全ての場面、カメラワーク、編集に至るまで計算され尽くしていて、無駄は一切ないのだろう。

第2位:長いのに迫力満点で一切退屈させない戦いシーン

野武士集団との戦いシーンは圧巻。

かなり長いのに全く退屈しなかった。

同じような時期の他の時代劇って、場面が全く変わらずひらすら斬りまくったりするようなタイプの長い戦いシーンもある。最初はそういうかんじなのかな?と思った。

でも本作品では偵察の野武士たちが現れるところから、仲間割れしてついに壊滅するところまでが、何日かに分けて段階的に描かれている。

その合間合間にも死んだ仲間を悼んだり宴会をしたりとストーリーが展開する。むしろ、クライマックスである戦闘シーンの中の、またまたクライマックスに向けて気持ちが盛り上がっていった。

うーん、秀逸な仕掛けだ…

第1位:綿密な時代考証

時代考証がすごく綿密にされているなぁと思った。

特に注目したのは武士と農民の関係性だ。

菊千代が他の侍たちのもとに、村人が落武者狩りで集めた鎧を持ち込んでくる。それを見て侍達が怒るシーンがある。

7人の侍の中で、唯一農民の出である菊千代。

他の侍に向かって「百姓ほど悪ずれした生き物はない。でもそうさせたのはお前ら侍じゃないか!」と叫ぶ。

落ち武者狩り(おちむしゃがり)は、日本の戦国時代に百姓が自分の村の地域自衛の一環として、敗戦で支配権力が変わった時に敵方の逃亡武将(落武者)を探して略奪し、殺害した慣行である。武将の鎧や刀など装備を剥いで売ったり金品など得たりするためでもあり…

Wikipediaより引用

7人の侍のリーダー的存在の勘兵衛ら他の6人は負け戦で辛酸を舐めてきた。

この言葉どおり、物語の中では村人たちが侍を雇うという設定ではあるけれど、両者は相容れない関係だ。

お互いに疑心暗鬼な状態から、徐々に戦いかたを教え教えられたりしているうちにひとつになると思いきや、ちょっとしたことですぐにその関係はバランスを崩しバラバラになってしまいそうになる。

目標に向けてまた何とか力を合わせる。
でも決してひとつにはならない。

そんな「危うい関係」をとても繊細に描いているところが一番心に残った。

番外編:休憩があるのには驚いた!

映画の途中に休憩があるのには驚いた。

画面に「休憩」という毛筆の文字とともにBGMが流れている時間が5分程度あった。ほぇ〜!

映写の際、上映用フィルムを巻き取ったリールを映写機にセットして上映するが、リール1本に巻き取れるフィルムの長さには限界がある。このため、リールを2本以上必要とする長さの映画では、映写機にセットしたリールを交換する必要がある。
当時は、リール1本を上映し終わったら、途中休憩(インターミッション)を入れて、その間にリールを交換して、上映を再開していた。

Wikipediaより引用

「インターミッション」っていうんや…初めて聞いた。

『七人の侍』の場合は上映時間もトータル207分と長かったのもあるんだろうなと。休憩の有無や箇所は制作者側が決めていたのだそう。

時代とともに、映写技術も進化。
映写機を2台設置し、交互に使うことで上映が途切れないようにできるようになり、やがてはリール交換する必要がなくなっていったらしい。

ココが違うよ!’50〜’80年代映画・俳優の特徴3つ

『七人の侍』の映画とは少し話が逸れるのだけれど。

私が今までいろんな作品を観た経験から感じている、'50年代〜'80年代の時代劇・俳優の特徴を3つ挙げてみる。

現代とはずいぶん違うので、「へぇ〜古い映画とか時代劇観てみよっかな」と思えるきっかけにしてもらえたら。

昔の俳優は芸事をひと通りマスターしている

今回レビューした『七人の侍』は武士と農民の話。
舞台が農村だった。

でも、主人公が役者や旅芸人などの作品だと、色々な芸事を楽しめるのも昔の作品や俳優の魅力だ。

昔の俳優は、歌舞伎役者筋の人もそうでない人も、日本舞踊、三味線、唄などをひと通りマスターするのが当たり前だったそう。

俳優本人が三味線を弾きながら唄う美しい音色に魅了されたり。
立居振る舞いも完璧なので、そこから出てくる上品な色気も半端ない。

ここまで書いて思い出したのが、銭形平次第1話(’66年)の冒頭シーン。

この2分ごろの髭剃りシーンがさぁ、、、ほんっとーに何でもなさそうな場面。

それなのに、しっとりと醸し出される大川橋蔵氏の男っぽさ+奥方との仲睦まじさに、ワタクシ「きぃやぁぁぁぁー(照)」て叫びそうになりましたよ・・・ええ・・・目のやり場に困る。あと八千草薫さん若い。

セットや美術、衣装など全体的につくった感が少ない

『七人の侍』でも感じたのだけれど、現代の時代劇のように「つくられた感」がなく、本当にその時代に迷い込んだかのような錯覚を覚える。

着物や家の「ボロ」なかんじの再現度がすごい。

「遠山の金さん」「鬼平犯科帳」などでは着物の柄が小粋で美しく、目の保養になるし…

主人公が役者の役で、芝居の舞台シーンなどのある作品の場合。
衣装や装飾品も超本格的なので、伝統工芸とか芸術鑑賞が好きな人にもおすすめ。

俳優のかっこよさ・美しさがちょっと違う

『七人の侍』の主人公ポジションだった三船敏郎氏を筆頭に、昔の俳優はかっこよさとか美しさの次元がちょっと今とは違うかんじ。

今の俳優さんと何だか顔のかんじが違うなと思う。
風格というか、唯一無二のレジェンド感が強い。

それはさっき書いたような芸事を修めてるところからくる、立居振る舞いの美しさもあるのかもなぁと思う。

見た目だけじゃなく、みなさん声もかっこいい・美しい点にも注目。

『七人の侍』…作品の成り立ちが知りたくなる映画

『七人の侍』の感想を書きながら、作品の成り立ちをもっと知ってみたくなった。今回参加した上映会でも「どうやって撮ったんだろう??」というコメントが色々な場面で出ていた。

黒澤監督の自筆メモの解説本から、ロケ地めぐり、制作プロセスを開設したものなどなど、さまざまな解説本が出ている。

早速、解説本を1冊注文してみた(ワクワク)。

何せあのスピルバーグ監督がお手本にしている映画だもんね。

私を含めたどんな形ででも「作品づくり」をしている人や、チームづくりに興味がある人には参考になるはずだ。

本を読み終わったら、もう1回映画を見直してみようと思っている。

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