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妊娠記録〜出産編〜

数日前に無事出産が終わった。

本陣痛が始まってから5時間半での出産
数字だけ見れば初産だとスーパー安産

でも促進剤を入れてからは丸一日経っていたので
安産???となってはいたけれど結果オーライ。

なーんて、そんな言葉で済ませたくない
と思ったので記録を残します。

遡ること38週検診の日
補助券は残り2枚、、、おっとお金が、、、。
予定日も近いのにまだ横になる事が多く
悪阻も残っていて吐く日もあった。
さすがにもう辛い。と思って
医師に「計画無痛分娩」が出来ないか聞いてみた。

内診してその地点で子宮口3cm
赤ちゃんも3000g前後ということで
その週の土曜日に出産を決めた。

残り数日の2人暮らしを大いに楽しんで
迎えた土曜日
8時に入院、着替えた後に9時ごろから
誘発剤の投与。
の前に子宮口を開く為のバルーンを入れたんだけど
これが冗談抜きで痛かった。
頭にティモンディの高岸や、サンシャイン池崎
鬼滅の刃の竈門炭治郎など
いろんなポジティブパーソン召喚したのに
ガノンドルフみたいな敵の前じゃダメね。

なんだか痛くなってきたのはお昼前。
泣きながら麻酔くださいーーーーーー。と言って
先生の登場。

2月の手術で1度硬膜外麻酔は経験済みだから
余裕ブッこいていたら、存じ上げない痛みが来た。
あれ?違う!違う!!!と謎の悲鳴をあげた結果
背中が逃げてしまって2度も痛みを経験してしまった。

麻酔が効き始めてからは
どんなに内診されても感覚はない。
おまけに寝ることが出来たので体力を温存できた。

あれよあれよと時間が過ぎて夕方
まさかの朝から開きが進まずに終わり
この日に出産はできないと言われてしまった。
個人的なイメージとしては
誘発剤打てばするすると進むと思っていたのに
現実はそうじゃないみたい。

夜は病室に移動して
のんびりとサッカー見ながら過ごし
明日頑張ろう。と思ったものの
深夜から腹部がかなり痛み
自力でトイレにも行けないので
導尿するとのことで分娩室で寝ることに。

痛みが引いて寝ることができて
翌日の朝、再び促進剤の投与が始まった。
昼までは変わらずうんともすんとも、、、
という感じで、呑気に中からお腹を蹴る我が子が
少しばかり恨めしくなった。

が、それは12時になったと同時に変わった。

痛みが一気に来て10分間隔からどんどんと短くなった。
あまりの痛みに麻酔の量を増やすも
痛みが引くことはなく次第に陣痛の感覚で気絶するレベルに。これ本当に無痛?と聞きたくなるほど。
痛い痛いと涙と鼻水を垂れ流しながら
助産師さんが言うように呼吸をして
16時過ぎに人工破水。これやばいの。
助産師さんが破膜をしたのだが
どれくらい痛いかと言うと
スマブラでガノンドルフの
完璧な溜め技を食らった時ぐらいのダメージ。
一発KOレベル。

夫にすぐに連絡しあれよあれよと子宮口全開
助産師さんも慌ただしくしだした。
16:30頃夫到着した後に先生も登場。
私の状況を見て麻酔を増やす指示と
吸引の準備が始まった。
17時過ぎには出すよーとのこと。

もう終わる、もう終わる。と必死に自分に言い聞かせ
ハイエナの出産よりはマシだと言い聞かせていた。
その時、助産師さんがバースプランを思い出したようで
音楽流す⁈と意識が朦朧とする中で聞かれ
いや、もういいっす!とキレ気味で答えてしまった。


全開になって、さぁ出すぞと言うところで
もう何が何だか分からないぐらいに痛かった
無痛なのに本当に普通分娩と変わらないくらいの
絶叫っぷりで、死ぬ!と何度も言ったけど
夫から後から聞くと助産師さん達が冷静に
死なん!!!!と返していたそうな。覚えてない。

そして先生17:25に再登場。
吸引が始まった。私のお股はこの先機能するのか?
と思うくらいに痛い。痛いってもんじゃない。
ウォーキングデッドで生きたまま食われた人と
どっちが痛いだろう。と考えてしまった。
多分他のこと考えられてるから
恐らく麻酔は効いてたらしい。

そして最後はお腹を押しての出産。
もう限界!ということで嘔吐しながらの出産。
ガノンドルフから最後の切り札でやられた感じ。

お母さん!!出すよ!見てて!!!
と言われ一瞬前を見ると
何とも言えない感触と共に娘爆誕。

10ヶ月耐えに耐えてようやく会えた。
約3400g53cmの大きなお嬢さん。

ママさん頑張ってよかったよ。
妊娠期間が辛過ぎて、
可愛いって思えなかったらどうしよう
と思っていたけど、とっても可愛い。

これにて夫との楽しい2人暮らしはおしまいだけど
ここからお嬢との楽しい3人暮らしかぁ。
と思うと育児の不安よりも楽しみが増し増し。

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