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羊文学について(好きな曲とライブ感想)

羊文学。
塩塚モエカ(gt.&vo.)河西ゆりか(ba.)、フクダヒロア(dr.)の3人で結成されたオルタナティブロックバンド。歪みとリバーブを効かせたサウンドと、その名の通り文学を感じさせるほどのハイコンテクストな歌詞を特徴に持っている。

音楽の話はあまり分からないが、「グワーンギョワーンヴォヴーン」、「ギョワギョワギィヨーン」みたいな音を出してる。神秘的で、精神的な雰囲気。小田和正の「ラブストーリーは突然に」のトゥクトゥーンが、「感情の発現」だとしたら羊文学のは、「感情の揺らぎ」的なものを感じます。

やっぱめっちゃ好きだな、羊文学。
3年前に「1999」から入ってからずっと聴いてる。
ずっとApplemusicのサブスクでつまみ食いをしてきた自分からすると、こんな聞き込んでるバンドは初めてです。(西野カナ以来)

「ハイウェイ」という曲が好きでして。特にイントロ。
小気味良いギターに始まり、シンプルなベースとバスドラムが合流してくる、というはじまり。曲中もそれぞれの楽器がシンプルな構成でまとまっていて、でもそれぞれの音に個性があるような。チャットモンチーの「シャングリラ」からも感じるフリーセッション的な雰囲気がすごく良い。音楽の起源もたぶんこんな感じじゃないか。誰かがノリで弾き始めたら、それに合わせて合奏が始まっちゃうみたいな。知らんけども。
関係ないけど、大学で少しだけコピーバンドをしていて、練習中のその時間が1番楽しかったんだよな。

それぞれの楽器のリズムが依りあって音楽になる。一つの曲が始まるその様が美しいです。3ピースの関係性だからこそ魅力的なんだと思います。
互いの音とフィーリングを確かめ合いながら、3人だけの世界を丁寧に構築していくように聞こえます。

「キャロル」という曲のライブバージョンにもハイウェイと同じ雰囲気があります。
一昨年の六月、初めて羊文学のライブに行ったんですけども、「キャロル」をやってくれました。心がほぐれていく感覚。特別なことはなくて、ただ美しい音楽を同じ空間で聴いているというか。以下情緒多めの冒頭部分です。

セットリストの半分くらいまできた頃。
真っ暗だった会場の中にギターの音がゆっくり流れはじめると、
途中まで閉まっていた幕が開いて、でかいスクリーンが出てくる。
呆気に取られてしまった。
その間に、ギターとベースは背を向けてドラムと3人で向かい合っていた。まるで会話をするように、お互いの音を視ながら、聴きながら、丁寧にかつ自由に音を依り合わせていく。会場にもその感覚は伝播していて、静かに体を揺らしながらリズムを感じ取り始めている。

繊維が糸を作るように、三つの音が一つの音楽になっていく。
3人のリズムとフロウが同調してきたら、その一節一節を踏みしめるように力強いギターへと変わっていき、塩塚モエカが「キャロル!」と叫び曲が始まった。

いやーやばいです。。喰らったというより、包み込まれてしまったような。こんなライブがあるのか…。
ライブの主役は誰なのかという話。今振り返ってみると、ライブの主役はアーティストだ!いやいやお客さんだ!という二元的な解釈には落ち着かない気がしていて。そこにはお互いのコミュニケーションがあったと思います。

遠い世界で今起きていること。言いたいけど、言わなくていいこと。言語の壁。聞きたい言葉とか、相手の幸せとか。色んなことを考えました。それは塩塚モエカの言葉から感じたことですが。

ただ、キャロルの時の暖かな空気はお互いのコミュニケーションで成り立っているということは分かりました。最高潮のボルテージはないけど、ただただ暖かな空気があって、聞きたい人と歌いたい人がいた。言ってしまえば、普通のコミュニケーションです。年末に友達とコタツでやりたいやつです。

でも、そんな当たり前のようになされているいつもの会話に、お互いの色んな感情が関わっているなんてことを考えました。
キャロルの普遍的な雰囲気の中で、色んな感情や思考を音楽で与えてくれたから気づけたことだとおもいます。

お互いの気遣いがなければコミュニケーションは成立しない。

長かった反抗期を乗り越えてくれた両親に感謝しながらこのnoteを終えたいと思います。

キャロルもハイウェイも歌詞がとても素敵です。また歌詞についてもnote作ります。

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