時を経てコロナ人災禍に思う・④ 〜再会が災いに〜
前回の記事では対人関係の変遷、そして家族・親族との模様に触れましたが、本記事でも、引き続き対人関係に纏わる話……もうひとつの再会から、それによってもたらされた弊害までを綴ってみたいと思います。
後に自身のコロナ罹患体験へと繋がる話でもありますが、長文となる可能性がある為、こちらでは前編として区切り、それに至る経緯までを記して行きます。
再会そして交流の再開、新たな問題の入口
かつての同僚で、仕事を離れた後もプライベートで交流を持つようになった友人女性・Sさんとの再会からその後の話です。
2020年当時、30歳を迎えたばかりで未婚のSさんは、ご両親と3人で暮らしていました。
互いに家の事情で彼女とはもう2年半ほど会っていませんでしたが、電話とメールを介し連絡は取り合っていました。
そんなある時、ふとしたきっかけで彼女と再会する事になったのです。
遡る事数年前。
Sさんの妹さんが若くして嫁がれ、その矢先、お父さんに癌が見付かりました。
その看病と仕事とで忙しくしていた彼女。
私自身もまた、家絡みで何かと慌ただしい時期でもあり、彼女と対面する機会が激減。
そうして時は過ぎ、奇しくもそのままコロナ(人災)禍に突入。
連絡を取り合っていたとはいえ、込み入った話もままならなかった事もあり、当初は騒動に対しても互いの認識が噛み合わず。
なかなか会って話すには至りませんでした。
「もしコロナに感染したら……」と不安を抱く彼女に、こちらから「心配しなくても大丈夫だから会って話しましょう」とも言えませんでした。
……が、そんな2020年夏。
Sさんの近況を聞いていたところ、どうもお父さんの病状が芳しくない様子で、娘である彼女自身「抗がん剤に疑問を持っている」と漏らしていました。
ご本人は病気を治したい一心で苦しい抗がん剤治療に挑んでいるものの、全く成果が上がらないばかりか悪くなる一方だ……と。
最初に癌告知を受けた日から3年超え。
当時は目立った症状も無ければ余命宣告を受けた訳でも無かったというだけに、彼女の落胆ぶりには私の方まで心が痛む程でした。
折しも私はこの騒動の背景・裏側に着目し調べを進めると同時に、病の成り立ちや食養生を復習する形で学んでいた時期でもありました。
その秋には自身の支持する医師(漢方医)の講演会に行く予定を入れてあったのですが、あえて誘うような事はせず、彼女には近況報告と共に私自身の思いや考えを伝えるに留めました。
すると……。
彼女の方から「自分もその医師の講演会に参加してみたい」との言葉が返って来たのです。
その日を境に、彼女もまた本気で学びに入りました。
講演会の会場で2年半ぶりに対面したSさんは、最初はそれこそおっかなびっくりといった様子で、マスク姿で私の前に現れました。
しかし、同席していた私の主人をはじめ講演会の参加者の大半が素顔という状況に安堵してか、講演会後の医師との交流会では自らマスクを外し、医師にも父の治療について積極的に質問するなど、本気で目の前の問題に向き合っている気迫が伝わって来ました。
この日を機に、私はSさんとの交流を再開。
相談事があると彼女が言えば可能な限り時間を作りましたし、また何より、私自身が心の支えにもなりたかったのです。
しかし……。
約半年後の2021年5月初旬。
残念ながら、Sさんのお父さんは亡くなられました。
延命の為にと抗がん剤治療を継続した結果、告げられた命の期限よりも早く、ご本人は苦しみの末に息を引き取ったとの事でした。
家庭内で親子間で、最後まで思いは重ならず治療方針が合致せず。
また病院側の意向で、病室に入る事が許されるのは家族1名のみという状況。
娘であるSさんはその最期を見守る事も出来ず、悔しさと疑問だけが残る形となってしまったと言います。
一家の主であるお父さんを亡くした彼女、同居家族はお母さんひとりとなりました。
49日法要も済み、季節は夏へ。
ちょうど時同じくして、一般国民への遺伝子注射が本格的に進められていた頃でした。
まだ悲しみも癒えぬ彼女の心を乱す出来事が、そして後には友人である私の身にまで波及する問題が起こり始めていたのです。
社会問題にもならない現実を目の前に
2021年夏。
世間はやれコロナワクチンだ職域接種だと日々騒がしく、私が当時就労していた職場でも、ひとり、またひとりと、まるで流行に乗るかの如く皆こぞって接種に向かっていました。
何事もなく接種を終える者、発熱で床に伏す者、接種した部位が腫れ上がる者……色々様々でしたが、どれだけの副反応が現れようとも、どれだけ体調不良で欠勤者が続出しようとも、この遺伝子注射に疑問を抱く者はおらず、中にはP社ならば安全と思い込み「自分はP社しか打たない」と豪語する者までおり、この様に私はただ唖然とするのみでした。
同僚ひとりひとりのあまりの危機感の無さ誤認に、私の口からはどれほどの言葉が出掛かったかわかりません。
そして。
職場で接種を強要された、或いは接種しない者は非難された、果ては配置転換された、退職に追い込まれたなどという話が聞こえ始めて来たのもこの頃でした。
少なくとも、私自身にも家族親族らにも全く無縁の話でしたので、本当にそのような事が起こっているのかにわかに信じがたかったのですが……。
接種を拒んでいたが退職に追い込まれるような脅し文句を受け接種、その直後から体調を崩したと涙ながらに語る方と実際にお会いした時は愕然としました。
法で定められているのでもない、ともすれば命をも落としかねないものを一体何故、人に強要出来るというのだろう。
このような事がまかり通っていて良い筈がない。
私はただただ強い憤りを覚えました。
そして、このように社会で起こっている問題がSさんの身にも起こっていたのです。
社会の縮図がそこに
Sさんの職場でも職域接種は行われていましたが、当然ながら任意という形でしたので、その面では何ら問題はありませんでした。
しかし……。
問題は彼女の家庭環境にあったのです。
彼女のお母さん、そして早くに嫁いだ妹さんによる同調圧力です。
聞くところによると、お母さんも妹さんも西洋医学とその医師に絶対の信頼を置いているような印象で、それは遺伝子注射に対してもまた同様でした。
彼女自身、一般国民への接種が始まる前から異論を唱えていたのですが、まさに陰謀論だ何だと一蹴され、知らぬ間に2人とも接種を終えていたとの事でした。
それのみならず接種を拒んだ事を咎められ非難され、家族仲は険悪なものに。
彼女に一度、妹さんとの文字のやり取りを見せて貰った事があるのですが、第三者目線から見ても、それはそれはあまりにも口汚い、酷い暴言が綴られていました。
私が覚えている限りのほんの一文ですが……。
「ワクチンも打たないで遊び歩いて、コロナばら蒔いてんじゃねーよ!!」
……この文言には、私も思わず言葉を失いました。
このような状況となってしまっては、もはや何をどう話しても伝わる事はありません。
私が彼女に助言した事はただ1つ。
「1日も早くご家族から物理的に離れ、距離を置いた方が良い」というものでした。
しかし……。
当のSさんは首を縦に振るでもなく、ご家族との問題を抱えたまま煮え切らない様子で、ただ時だけが過ぎて行きました。
私はその間も頻回に彼女と会っていましたが、その度に彼女の口からは同じ言葉ばかりが並び、挙げ句「自分は宗教に取り込まれておかしくなったと思われている。母が、詩絵璃さんの事を自分を騙した人間だと疑っている」などと口にするようになって行きました。
仏心とでもいうのでしょうか。
尚も私は彼女に救いの手を差し伸べようと、苦肉の策でこう伝えました。
「ならばご家庭まで赴いて、私が直接お母さんとお会いしてお話ししましょうか?」と。
すると今度はお母さんの方が及び腰で、私になど会いたくないと、にべもなく突っぱねられたのでした。
私もこの辺りで身の振り方を考えるべきだったのですが、最後の手段とばかりに彼女に言いました。
「もしすぐに家を出られないのならば、我が家の空いている部屋を間貸しするから」と。
しかしこれも実現する事はありませんでした。
そしてある週明けの朝、再び、それも突然にSさんから電話が入りました。
聞けば「今から会って話したい。相談したい事がある」と。
その時の私は、これから主人を仕事に送り出すタイミングで食事の準備をしていたのですが、どうしても会って話したいと言うので「自宅近くでなら」と伝えたところ……。
彼女からの申し出で、我が家で話したいとの返答。
やむなく主人に許可を得て、彼女を自宅に迎え入れる事に。
この時の相談内容としては家族絡みの話とはまた別の問題だったのですが、ここでもまた彼女の問題発言が勃発。
「母が詩絵璃さんに苦情を入れたいと騒いでいる。今日家を出て来る時も、詩絵璃さんの連絡先を書いて置いて行けと怒鳴られた」
……私はもう、ただ呆気に取られるばかりでした。
30歳も過ぎた娘の交遊関係に口出しし続けた挙げ句、今にも我が家まで乗り込まんばかりの勢いを見せる母親。
相談だ何だと言いながら、それを逐一こちらに伝えて来る友人。
いくら何でも、これはもう異常としか言いようがないではないか……と。
ここでも私は「そんな家族間の問題に付き合うほど私は暇ではない、これ以上はご勘弁願いたい」と言いたい気持ちを抑えてしまったのでした。
こうして私はSさんのお母さんと妹さんに「娘(姉)を騙した悪人」のレッテルを貼られ、1年以上にも渡り姿も見えぬ場所で罵られ続けていたのです。
今思えば、彼女はお母さんや妹さんに私の事を一体どのように話していたのだろう、毎度自宅を出発する際も、どのように伝えて私の元を訪れていたのだろうと考えてしまいます。
これだけでも彼女から離れたくなる充分な理由と言えそうですが、この直後、いよいよ別離の決定打となるような出来事が起ころうとは、この時の私はまだ知らずに居たのでした。
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