アンティークコインの世界 | 王妃フィリスティスの銀貨
今回は、シチリア島シラクサで発行された王妃フィリスティスの銀貨を紹介する。シラクサは、古代ギリシアの中で屈指の名品コインを生み出した地域として知られている。精霊アレトゥーサの銀貨などが著名である。
シチリア島シラクサで、前240〜前214年まで発行された16リトラ銀貨。アッティカ式のドラクマと異なり、リトラという独自の単位が用いられていた。本貨は16リトラで、量目は12.98グラム。英表記のLitrai(リトライ)はリトラの複数形である。日本では慣習的に複数形にせず原形のままで表記することが多いため、慣習に合わせて16リトラと示したが、本来は16リトライが正しい。
フェリスティスについては、彼女がヒエロン2世の妻だったこと以外は、ほとんど何も分かっていない。おそらくシチリアの有力氏族の娘で、ヒエロン2世は彼女との結婚を通じてシラクサの僭主としての立場をより盤石なものにしようとしたと思われる。フィリスティスについては、貨幣の銘文から分かるようにBAΣIΛIΣΣAΣ ΦIΛIΣTIΔOΣ(バシリッサス・フィリスティドス)という称号が与えられている。バシリッサとはバシレウスの女性形であり、王妃を示す。すなわち、「フィリスティス王妃の」を表している。そして、このBAΣIΛIΣΣAΣ ΦIΛIΣTIΔOΣという名と称号がシラクサの大劇場に刻まれている。
本貨の発行年代は、前240年〜前214年頃と推測されている。これはヒエロン2世の治世期間に基づくものである。プトレマイオス朝エジプト王国の王妃たちの貨幣と表現が類似していることから、エジプトの貨幣を参考にしている可能性が高い。上の画像はエジプト王妃アルシノエ2世の肖像を描いたデカドラクマ銀貨である。
比較すれば、フードを被った貴婦人像がアルシノエ2世の肖像を参照していると分かるだろう。このスタイルは当時のギリシア世界の貴婦人を象徴するものであり、豊穣の女神デメテルとも結び付けられている。
エジプト王プトレマイオス2世フィラデルフォスは、ヒエロン2世の軍事クーデタを支援するなど、両者の間には関わりがあった。それを証明するようにシチリアミントのエジプトの貨幣が存在する。アメン神の頭部を描いた貨幣などで、プトレマイオス2世がシチリアに駐留させていた自軍の兵士に給与として与えていたものである。
フィリスティスに関する情報については、文献が残されていないことから肖像と名前以外は何も分からない。文献を頼りにする歴史学の限界がここにある。考古学的アプローチでは、シラクサの大劇場に彼女の名が記されていることから、当時のシラクサでは著名で力を持っていたことが分かる。夫のヒエロン2世については、現存する文献からだいぶ詳細が分かっている。ヒエロン2世は、エペイロス王国のピュロス王に仕える将軍だった。だが、前275年にピュロスがシラクサからエペイロスに帰還すると、ヒエロン2世は部下の兵士たちからシラクサの僭主として擁立された。以後、彼がシラクサの事実上の王となり、前275〜前215年まで長きに亘って統治を行なった。ローマ台頭後はその力に屈するも、僭主としての地位はローマから保障され、他界するまでローマに忠誠を誓った。だが、その後シチリアはローマに併合され、シケリア属州として直接支配下に置かれた。
本貨は、センターストライクの完璧な一枚である。通常は裏側のクァドリガを操るニケ女神の意匠やギリシア文字銘文が見切れてしまっている場合が多い。気品あるフィリスティスの肖像は美しく、クァドリガの描写の細かさ、躍動感は、これぞまさにギリシアコインと思わせる質の高さを誇っている。
このフィリスティスの銀貨には幾つかのヴァリエーションが存在しており、上の画像のようにマーキングしたシンボルの種類も多様である。本貨では4つの点だが、天体の光線のようなシンボルが打たれたものもある。
ハンマーコインであるため、個体や状態によっても一枚一枚の雰囲気が異なる。手代わりに加え、そうした個性も古代コインの醍醐味である。上の画像の個体は、眼の瞳がはっきりと描かれており、カールした巻き髪やフードの下からのぞくディアデマなども明瞭に描写されている。
フィリスティス妃の銀貨は近年、その造形の美しさから評価が高まっており、オークションの落札相場も高騰してきている古代コインの人気銘柄のひとつである。発行背景や描かれた人物の詳細はほとんど謎に包まれているが、その美しさから評価され、多くのファンの人気を集めている。以上、シラクサの王妃フィリスティスを描いた銀貨を紹介した。古代史に対する理解、コイン収集の糧となれば幸いである。
Shelk 🦋