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24歳、モラトリアム。

3月は出会いと別れの季節。
とは言うものの、転勤も異動もほとんどない小さい会社に勤めるサラリーマンにとってそんなものはもはや無縁。

大学時代2年間同じ研究室で過ごした仲間たちと夏ぶりに旅行をした。
皆それぞれお仕事を頑張っていた。当たり前なんだけど、うん、当たり前なんだけどね。
大学院を卒業して国家資格を取得した子もいた。春からは専門職で働くらしい。

何を隠そう私はその専門職につこうか考えていたことがある。
大学での学びに直結する職業。入学当時丁度その国家資格が出来るタイミングだったこともあって文系学部にしては珍しく、大学一年次には大学院進学を視野に入れている人が多かった。

だが、当然そんな簡単な話ではない。
その国家資格を取得するためには大学在学中に莫大な量の指定科目の単位を取得しなければならないし、当然大学院受験のための勉強もハードで面接突破のために卒論も高レベルなものを書き上げなければならない。
学部によっては卒論すらなく、とにかく遊び惚けている4年次には精神的にも体力的にも厳しい実習に行かなくてはならず、もちろん大学院に進学してからはよりハードな日々が待っている。

そして、たいていの人はそれをする覚悟を決められず、国家資格を取得するために必要な科目がより専門性を帯びてきたタイミング、もしくは就職活動を始めなければ間に合わなくなってしまうタイミングで専門職に進む道を諦めることになる。

「諦める」というと志半ばで終わらせてしまい悔しさを抱えているようなイメージだが、この場合は正直そこまでには及ばないと思う。

結果的にその道に進まなかったことを後悔することがあったとしても、当時諦めたことを悔しいと感じ、それを大人になっても引きずり続ける人は少ないんじゃないかな。
そもそもの志自体が中途半端で、ただただ覚悟がなかっただけ。
たくさんある選択肢の中で、様々なものを天秤にかけて選ばなかっただけ。

別にこの学部に限ったことでもこの職業に限ったことでもないと思うし、当然どの職業が上だとか下だとかはないと思う。(免許がないとなれない職業はその分狭き門で私がやる気をだしたところでなれるとは限らないからそういう意味で言えば高等になるのかもしれないけど。)

私がその職業を選ばなかった理由はハードさを憂いたからというだけではない。他にも要因はある。
ただ、ここまで来るまでの大変な道のりをちゃんと分かっているからこそ単純にすごいなって思う。
そして、社会人を2年やっても何も変わらず、停滞ではなく後退の一途を辿りつつある自分の現状から嫉妬に近い感情さえも浮かんでしまった。
というか、自分自身が恥ずかしくなった。

この旅行は研究室のほとんど全員という大人数で行った。
大学院を卒業した子以外は既に全員就職しており、大学卒業後に専門学校に進学した1人を除いて全員が社会人2年目を終えるところだった。
当然ながら全員が仕事に没頭し、大人として自分自身の将来のことを考えながら地に足をつけて目の前のことをコツコツと頑張っているように見えた。

そして私はどうかと自分自身を見つめてみたら、この中の誰よりも幼く、ふわふわとした時間を過ごし続けているように感じた
いや、これはずっと思っている。だけど現実をまじまじと突き付けられたような感覚になった。

24歳って若いのかな。
「何歳から大人だと思いますか?」大学生のころに授業の中でふと取られたアンケートを思い出す。
確か大学2年生の頃だったと思う。
このときは大学卒業の22歳か25歳という意見が多かった。高校生以下にこの質問をすると多くの人が20歳と回答するだろう。
その年齢を1年もせずに超えてしまう。

高校生のころは早く大人になりたいと思っていた。
それが大人になりたくないに変わり、大人にならなきゃなに変わっていった。

私は大人なのかな。
いい年齢だとは常々思っている。
そしていつまでも実家に甘えていられるわけではないなとも、この何も責任を負わず夢もなく、休みがとりやすくてゆるい職場から抜け出さなきゃならないなとも、せめて大人としての社会常識を身に着けて最低限お金のことだけでも考えなきゃなとも、結婚を考えなきゃなとも、全部思う。

全部思うんだけど、全部軽く漠然と思っているだけで真剣に考えるまでに至らず、軽いことでも行動に移せた試しがない。
とにかくゆるやかで傷つくことの少ない環境に身を置いて、粛々と日々が過ぎていくのを待っているだけ。
何も変わらずに、学生時代と同じレベルの範囲でただただ年をとっていくだけ。
自分に甘く、厳しい場所は避けるくせに何のためか分からないご褒美しか用意しておらず、そのご褒美のために大金を使って貯金すらままならない。

それでいてこのままもっと年をとってしまって大丈夫なのかな。そんな不安を抱えて毎日病んでいる。
そんなことで病むのならこの中のどれか一つでも奪回できるように行動すればいいのにどうしてもそれができない。

3月。卒業のストーリーがたくさん流れてきた。思っていたのよりはるかに多くの人が大学院に進学していたことを知った。
薬学部など元々6年制の学部もあれば、私の学部のように大学院に進学しなければ資格を取得できない学部もある。
もちろん大学院にもいろいろある。猶予期間を延ばすために進学する人もいるらしい。
でも大体の場合が夢を叶えるために必要だから、もしくはさらに深い研究がしたいから、理系学部の場合はよりよい就職先に出会うためというのもあるかもしれない。
ダラダラと流れに身を任せて”普通に就職”して何も変わりのない日々を過ごしていた私よりは濃密な2年間を過ごしてきただろう。
だからこそそういう華やかなSNSを見る度にまた私は2年間何をしてきたんだろうと深い暗闇に身を投げてしまう。

精神に不調を抱えて退職して当時ニート状態だった1歳上の友達が1年ちょっと前に「進学した友達が多いからまだのらりくらりしていても焦りがあまりない」と言っていたのを覚えている。
大体の場合進学した子たちも就職するときになった。
もうひとつ上の学校に進んだ友達もいるし、そもそも何年か浪人して大学入学自体が遅れた子もいるけどまだ就職したことがない同級生はこのタイミングで格段と減ったと思う。
気づけば私はもうのらりくらりとしていていい年齢ではなくなっていた。
当然正社員として働いているのだから社会人としてそんなふわふわしていてはいけないのだけど、私は現状まだまだ社会人としての自覚がほとんどないと思う。

社会人3年目。友達と話していたら転職の話が出てくる。
結婚や同棲の話だって出てくる。実際にそれらをした子もいる。

私はまだそんな段階にいない。
先述した通りどちらも考えなきゃいけないなとは思いながらも具体的にはまだまだである。
25歳になる年齢、”大人”にならなきゃいけないな。

“大人”って曖昧で具体性に欠ける。
何も分かっていないからこそ使える言葉だと思う。
だからまずはそこをかみ砕くところから。
と言っていたら一生なれないと思うから、”大人”以外の言葉でなりたい自分を具体的にあらわしてみることから始めてみよう。

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