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才能、あるいは運命、経済について

こんにちは。
このブログでは「自分の人生を自分らしく生きるために」をテーマに教育、子育て、転職、投資などの話題や情報をお届けします。

今日は才能や運命もしくはそれに付随した生き方について私が考えていることを書きたいと思います。

才能について思うこと

世の中に才能というものが事実として確実に存在すると思います。

それは、人によって様々で
知能であり、運動能力であり、容姿であり、獲物を早く見つける能力であり、魚の名前を覚えることであります。

それが現代において有用で収入に結び付く能力かもしれませんし、現代においては直接収入に結び付くものではないかもしれません。

いずれにしても才能は存在し、多かれ少なかれ誰にでも何かしらの才能を持っており、それが多様性となって人類は生き残ってきたのだと思います。


同時に、先天的あるいは後天的にハンディキャップを持っている方もいらっしゃいます。

先天的なものは、時代が違えばあるいは才能と呼ばれていたのかもしれません。

運命について思うこと

そうした才能、もしくはそれを育む環境は自分で選択することはできません。それは時に完全に運任せのゲームとしてガチャガチャを準えて「ガチャ」と呼ばれます。

では才能を持ちえなかった人、ハンディキャップ負ってしまった人は諦めるしかないのでしょうか。

私は、才能という点では決まってしまっていると思いますが、誰でも幸福になることは出来ると考えています。

それは自分の心の在り様だからです。


同時に、国や周囲はそれを担保する必要があると考えます。
つまり多様性を認めるのです。

べき論はあまり好きではないですが
自分に余裕のある人は寄付や自分が動いて人を助けるべきだし、
自分が生きることだけで精一杯な人は、自分が生きることだけに注力すればよいし、失業したら失業保険を貰えばよいし、自立して生活できないのであれば生活保護に頼ればよいと思います。

生活保護や人に頼ることは何も恥ずかしいこではなく胸を張って堂々と権利を主張すればよいと思います。

運命においてどうなるかわからない不確実性を、そうしたシステムで担保されているということを目撃することで、支える側も安心して生活が出来るのだと思います。

もし、そうしたシステムが機能していなかったら自分やその子供がどうなるのかわからない不確実性の中でお金を使い経済を廻そうとは思えないのではないでしょうか。

生活保護者など社会的弱者と呼ばれる人々が安心して暮らしていることで経済は回るのです。

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