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小説 | テセウスの歯 #9
第9話
二度目の失業保険認定日が来て、一ヶ月振りにハローワークを訪れる。ハローワークには様々な人が居た。第二新卒に近い年齢の人も、要職に就いていそうな風貌の人も、住所不定に近いような人も。皆等しく職を失っている。ただ一つの共通点だけが、交わることのないはずの人々をこの場に集わせている。
失業認定申告書や雇用保険受給資格者証といった書類を提出する。書類選考は数社に応募しているものの面接を受けたのは二社だけだった。一社を辞退し、もう一社の面接結果を待っているが未だ求職中であることを書類には記入してある。規定の回数は満たしている。失業状態と認定されれば、次回の認定日が案内され、失業保険が振り込まれる。
書類に目を通す中年男性は明らかに目が滑っており、今にも船を漕ぎ出しそうだった。ちゃんと書類に目を通したのか分からないが、呆気ないほど簡単に失業と認定された。
早々にハローワークを後にする。ハローワークで検索できる求人は家でもできるし、見ず知らずの人に一から身の上を語ることにほとほと疲れ果てていた。
人と話す機会が増えるくらいなら、仕事が見つからない方が良いとまで思った。社会が安息の地を与えてくれるなら。或いは尊厳のある死を受け入れてくれるなら。生きながらえなくていいのなら。
口内炎を口実に母からの電話に出なくなった。元々人付き合いもほとんどない。声を発さずに過ごす日が増えていく。何をするでもなく部屋に籠り、空腹にならないように植物のように静かにベッドに横たわっている。いよいよもって社会不適合者だ。
これが私が望んだ人生の夏休みのはずがない。休みになったらやろうと積んでいた本やゲームに埃が積み重なっていく。ただ死なないために生きている。それは果たして生きていると言えるのだろうか。
道中、ATMに寄ってお金を下ろす。通帳は死にかけの蝉のように羽をばたつかせる。出金の記録ばかりが残され、私の心の余裕が目減りしていく。文字通りの命綱がどんどん短くなっていく。
神様の設計ミスがなければ。歯にお金が掛からなければ。失業保険を受け取って、ギリギリまで求職活動をせずに。もっと休みを謳歌できたはずなのに。
不意にスマートフォンが震えた。鞄からスマートフォンを取り出すと、見知らぬ番号からの着信を伝える画面が表示されている。普段見知らぬ番号からの電話に出ないようにしている。だが就職活動の間においてはその限りではない。私は応答のマークに指をスライドさせた。
「もしもし、斉藤です」
「もしもし、アサカですが」
知らない名前だった。だが声で分かる。先日の圧迫面接の男だ。そう言えばこの会社もその前の会社も担当者が名乗らなかったことを思い出す。いくら会社の中での地位が高かったとしても、それを外にまで持ち出すのはどうかと思う。
「お世話になっております」
「今時間大丈夫? 採用のご連絡なんだけど」
まだ社内の人間ではないのにタメ口なのも、格下だと断じているから。電話を放り出したい気持ちをぐっと堪える。堪える私の方が人間として出来ているのだと、自身を宥めすかす。
「ありがとうございます。大丈夫です」
「承諾いただけると言うことで?」
絶対嫌だ。私は一呼吸置き、何と断れば角が立たないのか思案する。
「まだ選考中のところがあるのであと一週間ほどお待ちいただけますか」
「……お宅ねぇ、面接の時第一志望だって言ったじゃない。こっちだって遊びでやってる訳じゃないのよ。アンタがダメなら探さなきゃいけないの、分かる?」
ハアァ、わざとらしく長い溜め息をはく。色良い返事ではないことが分かった瞬間、態度を一変させる。私はスマートフォンを耳から遠ざけた。
「面接を受けた時点では第一志望でした。その後に受けた企業の選考中ですので」
お前のせいだよ、お前の。お前と面接して入社したいと思う人間がいると思うのか。
「一週間ね。それ以上は待たないから。決まったらすぐ連絡してください。すぐね」
乱暴に受話器を置く音がして電話は切れた。
担当者が名乗りもしない企業からばかり内定が出る。私はこんな企業からしか欲しがられないような人間なのだろうか。
企業は不採用通知をお祈りメールで済ませているくせに求職者には直接か電話での連絡を求めるなんてどうかしている。
私は逆お祈りメールを作成し、一週間後に送信予約をした。出来得る限りの損失が与えられますように。
電話を着信拒否しようか迷った末、そのままにした。住所は知られている。連絡がつかない故に強行に及ぶ人間は、思ったよりたくさんいる。流石に会社絡みだからないとは思うが、念には念を。念を入れないと生きていけないような社会の方が間違っているはずなのに。私が正しいとは、誰も言ってくれなかった。
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