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小説 | テセウスの歯 #6

第6話

 二日間の仕事をこなし、歯医者が開く月曜日までをじっと耐えた。幸い痛みはない。型を取ったセラミックの歯が届くまであと数日耐えればいいのだが、仮詰め本体が柔らかく固定されていないせいで、何を食べても引っ付いているような気がしてならない。何より細かく削られた歯の隙間に新たに虫歯ができないか心配だし、残る仮詰めまで取れて二本とも剥き出しになるのも抵抗があった。

 重い体を引き摺り、朝一で歯医者に駆け込む。受付を済ませ、待合室の椅子に腰掛ける。仕事があった頃には活動していたはずの時間なのにやけに眠い。単純作業とは言え肉体労働だったからだろうか。

 土曜日は物販が開始すると二人組はレジ係になり、私は渡されたバインダーにチェックの入ったグッズをかき集めて渡す係になった。全て番号が振られていたのでその後の仕事はつつがなく終わった。

 日曜日はチケットもぎりで、電子チケットの日付を確認し未使用から使用済に切り替えるだけの仕事だった。スマートフォンには個人情報やそれ以上のプライベートな事柄が入っている。他人のスマートフォンに触れることへの抵抗もあったが、数をこなす度にその抵抗も薄れていった。作業としては土曜日よりも単純だったが立ち仕事だったことと、多くの人と接することが疲労を蓄積させたのかもしれない。

「斉藤さん、奥へどうぞ」

 細い通路を渡り、一番奥の部屋へと通される。低い位置に置かれた椅子の上に静かに横たわる。自動的に腹式呼吸に切り替わり、その真上で手を組む。全年齢向けのオルゴールBGMはベビーベッドの上で鳴る玩具のように微睡へと誘い、思わず意識を手放しそうになる。

「斉藤さん、おはようございます。本日担当するはせと言います。よろしくお願いします」

 薄れ行く意識の中、かろうじてよろしくお願いしますと返す。前回担当した歯科医師と年齢が近そうな壮年の男性だった。歯科医院と言えば男性の医師が一人、歯科衛生士の女性が複数人のイメージだった。

 今回担当する男性が医師なのか歯科衛生士なのか、私には判別が付かない。何なら前回の歯科医師との違いもあまり分からない。スタイリング剤で整えられた髪、焼けた素肌、髪の長さが若干違うだろうか。

「詰め物が外れてしまったそうで、大変申し訳ございません。すぐに詰め直しますね。お口開けてください」

 この人は開けてくださいの人なんだな、と思いながら口を開く。

「一度詰め物を外して、もう少し強いものに変えさせていただきますね」

 なら最初から強いのにしてくれればよかったのに。男性が仮詰めの切れ端をピンセットで摘むと、一気に仮詰めが取れた。二本の歯が露出する。

「水で汚れを落として風で乾かします。その後詰めていきますね」

 はい、と返事をして組んだ指を弄ぶ。詰め物が取れた方の歯は特に沁みなかったが、先程まで詰め物で覆われていた方の歯は水や風に対して過敏な反応を見せた。思わず手を強く握る。

「今日の処置はこれで終わりです。今日は無料で施術させていただきます。今週末には新しい歯が届きますが、それまで左側の歯はなるべく使わないようにしてください。またご来院お待ちしております」

 処置は数分で終わり、お大事に、と部屋から送り出される。前回と同じ。前回もなるべくと言うから可能な限り右で噛んで柔らかくしてから左側に移していたのに。慎ましやかな努力も襲い来るストレスの前には無力だった。

 新しく詰められたそれにそっと舌先を這わせる。舌先が欠けた歯を埋めるように形を変える。中央の部分は歯の形に沿うように仮詰めで覆われているが、内側の一部が覆われずに残っている。僅かな部分は見落とされてしまったらしい。今度は詰め物よりその欠けが気になる。だがそれもあと数日の我慢だと思えば、耐え難いほどではない。

 とにかく今は眠い。早く帰って眠りにつきたい。日が照り出す前に家に帰って、泥のように眠りたい。慣性に従い足を交互に動かす。遊歩道には蝉の死骸が転がっている。それらを避けることに注力しながら帰路に着く。

 半時間も経たずに自宅に戻る。扉を開けるとつけっぱなしのエアコンから冷気が漏れ出してくる。

 部屋は荒れている。家具や家電、インテリア雑貨に統一感はなく、様々な物が定位置になく乱雑に散らかっている。他人様に見せられるような部屋ではない。外から戻ると余計にそう感じる。だが対外的にどう見られるかは重要ではない。自分だけの空間を持つことに対する安堵が体を弛緩させた。

 鍵を掛け鞄を玄関に放ると寝室へ向かい、迷わずベッドへ体を投げ出した。明るい時間、しかも人が活動している時間に眠ることの至福を噛み締める。掛け布団を抱きしめ足を絡める。ここ数日、眠れない日が続いていた。体力が余っていると余計なことまで考えてしまうのかもしれない。二日間の労働がもたらした心地の良い眠気に今は身を委ねる。焦燥感が襲い来る前に眠りへと落ちていった。

 お祈りメールではないメールが届いたのはその日の午後のことだった。会社の名前に心当たりはない。ただメールに私の名前が記載されている以上、本命に落ち続け、数撃てば当たると手当たり次第受けたうちのどこかであることは確かだった。捨てる神あれば拾う神あり。エントリーフォームの内容はほぼコピーアンドペーストだった。

 本命の企業には書類選考で落ちた。おそらく短大卒、第二新卒でもないという段階で足切りにあっている。高卒の母に大学、せめて短大に行って欲しいと言われ短大を選んだ。家から通える範囲内でという条件が付随していたからだ。もしも家を出られたなら、四年制の大学を選んだだろう。

 年数が短い分学費が安く済むから、四年制を卒業するより二年多く働けるから有利になる。新卒の時には有利だったはずの短大を選んだ理由が、転職時にはことごとく裏目に出る。実際は四大卒の方が初任給が高く、給料は転職に影響する。

 別にやりたいことなんてない。一人で自立できるだけの収入があればどんな仕事だって構わない、とまではいかないけれど。いずれかの条件が前職を超えていれば。可能なら最初から正社員で。

 私の市場価格が一番高かったのはいつだったのだろう。新卒の時? 三、四年目くらい? 少なくとも今より前、三十歳になる前のはずだ。三十歳の賞味期限までには行動に移せたはずだ。今こうしていることは間違っていない……はずだ。私は先方の提示してきた日程で問題ない旨を返信して、再びベッドに身を横たえる。

 次のところを探してから辞めるべきだった、それが正論なのだろう。だが人生の大半を学生として過ごして来た身には長期休暇の習慣が染み付いている。部屋に閉じこもって時間を浪費する贅沢を忘れることができない。もしあの頃怠惰に過ごした数ヶ月のうちの数日を今後の人生に配分できたなら、そう願わずにはいられない。社会人の財力に学生の休暇が合わさったなら、無敵に違いないのだ。残念ながら大した財力を持たないことが問題なのだけれど。

 不意にインターホンが鳴って、私はベッドから這い上がる。足音を忍ばせながらリビングのモニターを確認する。モニターの向こうの人の服装を確認し、宅配便だという確信を得てから応答する。

「はい」
「お荷物のお届けです」
「今開けます」

 玄関へと駆け寄る。服を着たまま寝ていてよかった。服を着ていない時は人前に出られるようになるまで時間が掛かる。

 扉を開くと生温い外気が部屋の中へ侵入してくる。私の部屋は四階にある。エレベーターもなく、アパートと言った方が実態に近いかもしれない。炎天下に四階まで階段を登って来た配達員の首筋には汗が滲み玉を連ねていた。

「お荷物一点です。こちらにサインをお願いします」

 ボールペンを受け取りサインをする。送り元には実家の住所が記載されていた。両手で抱えられる程度の大きさの箱を玄関に置いてもらう。おそらく米や野菜が入っている。礼を言うと配達員は控えを受け取りお辞儀をして去って行った。

 たまたま家にいてよかった。実際、仕事をしていたら定時退社しても受け取れないことが多く、何度も足を運ばせてしまった。ただ土日に受け取りを指定すると、受け取る頃には生鮮食品が傷んでしまっていることもある。

 母は足が悪い。週の後半に送って欲しいと懇願しても、車がないと生きていかれない田舎においては父の都合に従うしかない。手書きの伝票だと通知も事前に把握もできない。結局傷む前に受け取るために平日の一番遅い時間を指定して受け取りチャレンジをするしかない。

 宅配便がもっと夜に受け取れるようになればいいのに。シフト制になるとか交代になるとか、何とかして。その方が再配達の手間がなくていいのではないか。そもそも早朝から夜まで働いているのがおかしいのだ。八時間労働の根拠だって二世紀も前に提唱されたもの。日本に至っては導入されてからその半分の歴史しかない。八時間以上働かせてはならないはずなのに、残業代をつけるだけで良しとするのはどうかしている。

 労働時間はもっと短くなるべきだ。八時間が上限であるべきだ。許せるのは八時間の睡眠と八時間の休憩と八時間の労働までだ。休憩を含めると実際の拘束時間は九時間だし、残業が恒常になっている仕事はどうかしている。早朝から荷物を運び続ける宅配業者、睡眠時間を削るトラック運転手、休日や昼夜を問わず仕事をしている上司の働き方が適切である訳がない。いつか誰かが尻を拭う日が来る。

 既に家庭には皺寄せがいっているだろう。家庭より仕事を優先する瞬間があるのは仕方がなくても、仕事に逃げるのはただ負担を配偶者に押し付けているだけだ。先輩の奥さんや私の母のような存在に。仕事は評価が定数で表され成果が目に見えるが、家庭においてはその限りではない。

 丁寧に梱包された箱を開けると、いつもと変わらないラインナップの野菜と米が詰め込まれている。その奥底からラップで包まれた一筆箋が出てくる。

「仕事は順調ですか? 家にはいつ帰ってきますか? いつでも帰ってきていいからね」

 ここ数年、母はそんな手紙を忍ばせる。これは母のSOSだ。母は仕事に明け暮れる父の、我が家の歪みを一身に引き受けている。

 母子家庭で育った母は最速で就職するため商業高校に入学し、取れるすべての資格を取って寮のある会社に入社した。当時にしては珍しく、実力で評価する上司の元で快適に働いていたらしい。だが取引先だった父が母を見初め、幾度かの熱烈な求婚の末、遂に絆されて結婚を受け入れた。結婚後も働き続けることを条件に。

 だが舅姑との同居に伴い約束は反故に、結婚と同時に家庭へ入るよう強要された。親の言うことだから我慢してくれと、努力して手に入れた職を取り上げられた。寿退社が当たり前の時流に抗うことができなかった。その上、結婚してすぐに子を授かった。母はそれでも諦めず、子育てがひと段落したら働こうと考えていた。

 だがその矢先に事故に遭い、足を悪くした。車がないと生きていけないような田舎、父が運転する車にしか乗れない母。障害者雇用なんて外聞が悪いと言う家族の反対にあって、母は自立する術を失った。その後舅姑が早くに亡くなったのは不幸中の幸いだったのかもしれない。

 実家の話をすると誰もが帰って母を楽にさせてやるべきだと言う。母の手紙にはいつでも帰ってきてもいいと書かれているが、本心では早く挫折して戻って来ればいいと思っている。その先に待つのは家庭という墓場だ。父は私に見合い相手を用意するだろう。父にとって都合のいい相手を。

 自立したい。誰にも依存せずに生きていきたい。それだけなのに。たったそれだけのことが、身の程をわきまえない、贅沢な願いなのだろうか。

 実家には帰りたくないくせに、実家から送られてくる米と野菜で糊口を凌ぐ自分が酷く惨めに思えた。

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