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小説 | テセウスの歯 #8

 次の面接は小さなハウスメーカーのオフィスだった。一階には顧客が見学する用の台所設備がいくつも並んでいて、子供連れが訪れている。天井が高く全面を窓で囲まれており、開放感に溢れていた。面接で通されたのは二階だった。一階は顧客用、二階がオフィスになっており、三階は社員が宿泊できるようになっているらしい。

「こちらの部屋でお掛けになってお待ちください」

 柔和な表情を浮かべた男性は中腰になりながらそう言った。

 二階の部屋は一階とは対照的に天井が低めに設定されており、小さな窓が嵌め込まれているのみだ。入り口を潜るのに若干腰を屈める。屈まなくても私ならおそらく通れるが、先導する男性はぶつかってしまうだろう。視界に枠が見えるとぶつかりそうな錯覚に駆られる。

 部屋の中央に置かれた低めのソファに腰掛ける。部屋全体がダークブラウンと黒の調度でまとまっており、落ち着いた印象だった。部屋の中には学校の校長室のように歴代の社長の写真がずらりと並べられている。

 口の中の唾液を飲み込むと、口内炎が痛んだ。新しい歯が入って仮詰めがなくなった代わりに二つの口内炎が残った。口内炎は口を開閉する度に歯に擦れて痛みを加速させた。数日で治まるだろうと思って放置していたが、どうにも治りそうにない。調べてみると口内炎は治るまでに二、三週間掛かるらしい。今日の面接を無事に終えられたら痛み止めを買おう。そして大人しくしていようと決めた。

「それでお宅は何ができるの?」

 部屋に入ってきた男性は挨拶もなくソファに腰掛けると、開口一番そう言った。一体どんな立場の人なのだろう。作業着を着た男性は小柄で、おそらく私より身長が低い。重心が横に傾いており、背が曲がって見える。男性が座るとまるで部屋の縮尺が変わったかのように広く感じた。

「前職では八年事務をしていました。書類作成、伝票入力、電話応対等一通りできます。簿記の資格も勉強中なので、ゆくゆくは経理事務にも携われると……」
「そういうことじゃなくてさ、お宅が働くことでうちに何のメリットがあるの?」

 企業が見込むメリットとは一体何なのだろうか? この企業においても営業より一般事務の方が給料が低い。労働の対価に給料をもらう、それ以外に何があるだろう。一般事務の給料で営業もしろと言うこと? 何を期待されているのか分からず、言葉が出ない。口内炎の痛みが広がっていく。

「仕事をすることで間接的にお客様を笑顔にするとか言えないわけ? 仕事に対する認識が甘いんじゃない?」
「もちろんそうなればと願っております」
「取ってつけたような返事だね。八年も勤めてたのに何で辞めちゃったの? クビ?」
「いえ、自己都合での退職です」
「何で?」

 目の前の男性はふんぞり返りながらなぜなぜを繰り返す。まるで幼な子のように。その癖私には興味がないことを示すように耳をほじって垢を飛ばしている。

 ここもか。早く帰りたい。早く痛み止めを買いたい。それ以外の感情がない。これが圧迫面接か。一体何が目的なのだろう。お互いの時間を浪費しているだけなのに。

「八年間契約社員として働いていました。正社員になりたかったので退職しました」
「何で正社員になれなかったと思う?」

 何でだろうね。そんなの私が聞きたい。可もなく不可もなくだったからじゃないかな。安いコストで働く人材がいるならそれでいいと思っているからでは? もし全員でノーを突きつければ、条件は上がっていくのだろうか。前職の求人は見る度に少しずつ条件が上がっていった。八年働いた私は一度も昇給がなかったのに。

「前職では正社員登用を謳っておりましたが、私が在籍した八年間、正社員登用された人はおりませんでした。事務職は完璧であることが求められ減点方式ですので、努力で目標を達成していく営業職に比べると成果が見えにくいのではないでしょうか。正当に評価されなかったと思っています」

 急に怒りが湧いてきたので、そのまま蓋をしないことにした。もう二度と会わないだろう人になら何を言ってもいいだろう。向こうだってそのつもりなのだから。

「あっそう。自信過剰なんじゃない? 実際君がどれくらい出来るのか働いてみないと分からない訳でさぁ。もし君が本当に仕事ができなかったとして、僕たちが正当な評価をしたとしても君は正当に評価されないと思っちゃう訳でしょ? この会社に入ってもすぐ辞めちゃうんじゃないの?」
「契約が八年更新されていたので、仕事ができない訳じゃないですし、辞めたくて辞める訳じゃないです。できるだけ長く働ける場所を探したいと思っています」

 企業は私じゃなくてもいい。私だってこの会社じゃなくてもいい。全ての会社に第一志望だと告げた八方美人の大学の同期を思い出す。嘘も方便と言うやつだ。現時点では第一志望です、と言えばその時は嘘ではなかったと強調できる。誰もがそんな強かさを持つべきなんだろう。よくも悪くも素直な私は、就職活動において圧倒的弱者だった。だから今こそ私は彼女を見習うべきなのだ。たとえ相手が私に興味がなくても。

「ふぅん。うちが第一志望なの?」
「複数の選考を受けておりますが、現段階では第一志望です」

 他の企業は書類選考が進んでいるし、現時点で面接に進んでいるのはこの会社だけなので、現時点では第一志望だ。嘘は言っていない。

「あっそう。もう帰っていいよ」い
「ありがとうございました」
「質問とかないの?」
「特にありません。では失礼します」

 私は一礼すると足早に扉へ向かった。喋りすぎて口内炎が痛い。薬局に寄って薬を買って早く帰りたい。口内炎のお陰で食欲もない。帰って惰眠を貪りたい。

 階段へ出ると、急に視界が開ける。大きな窓からまるで吹き抜けのように日の光が差し込んでいた。俯瞰して眺めると、いくつも用意された台所の設備や商談用のテーブルがパーティー会場のように等間隔に並んでいた。キッズスペースでは子供が笑い声を上げている。目下には私が手にすることができるか分からない光景が広がっている。

 結婚もできなければ子供ができる気もしない。そうでなくとも家を買える気もしない。マンションの一室だって怪しい。頭金もなければボーナスもない。住宅ローンなんて大抵の場合、ボーナスでの返済が組み込まれている。私にお金を貸してくれる銀行なんてない。逆の立場だったら絶対貸さない。返ってくる見込みがないのだから。

 階段を降りると、最初に対応してくれた穏和な男性に声を掛けられる。

「お疲れ様でした。社長、気難しい人だったでしょう?」
「社長?」

 先程の男性を思い浮かべる。あの、さも現場で働いていますよという服装をしたあの人が? 校長室のように並べられた写真の中身を思い出そうとするが、一向に結びつかない。

「はい、実はあの方が社長なんですよ。小さい会社ですから、面接は全部自分でやると仰って。面接を受けた時は僕もびっくりしたんですけど。本音でぶつかり合ってしっかり意見を言える人がいいと。だからもし気分を害されたならすみません。私個人としては、ご縁があって斉藤さんと働ける日が来ることを祈っています」

 ありがとうございましたと九十度に腰を曲げ頭を下げて見送られる。まるで客のように。時折後ろを振り返ると、男性はまだ頭を下げていた。私があの角を曲がるまで、ずっとそうしているのだろう。

 きっとあの圧迫面接は意図的なものなのだろうと思わせるためのものに違いない。最後に優しくフォローさせて、人を見極めるために敢えてそうさせているのだと、やり甲斐のある仕事なのだと錯覚させる魂胆なのだ。

 社長だという男が言う通り、求職者が実際に役に立つか、働かせてみないと分からない。同時に求職者の側も、働いてみないと会社の実態は分からない。その条件は同じのはずだ。

 ただ透けて見えることもある。あのビルは社長の体に合わせて設計され、その他の社員のことは考えられていない。自社ビルの中に社員が泊まれるスペースがあると言うことは、泊まり込みの残業が発生するということだ。

 一見綺麗に見えても薬で染め上げないと虫歯だと判断できないように、ブラック企業も見た目では判断が付かない。

 全てを見極めるための薬剤が欲しい。虫歯があるのかないのか、詰め物なのか元の歯なのか。企業の環境が良いのか悪いのか、私の価値が高いのか低いのか。見た目で判断できないが故に、私たちは過ちを繰り返す。歯に擦れた口内炎の痛みが全身に広がっていくような徒労を感じた。

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