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小説 | テセウスの歯 #11

第11話

 最近は新着の求人だけを見るようになった。いい条件のところは掲載が早く終わってしまい、そうではない条件のところはずっと残っている。一通り見終わってからそんな当たり前のことに気付いた。新着の企業に片っ端から応募していくと、途端にブラック企業との遭遇率が低くなってきた。

 片っ端から受けることによる恩恵もある。複数の企業を並行して受け、常にどこかは選考中の状態にしておく。そうするとどこからも選んでもらえなかった女ではなくなる。たとえどこからも内定が貰えていなくても。全てに落ちた訳ではないという慰めを得て動き続けることができる。

 止まってはならない。止まってしまえばもう二度と動き出せなくなる。そんな予感だけがひたすらに背を押した。

 先日の圧迫面接から力が抜けたのか、最近は比較的スラスラと話せるようになった。口内炎が治ったのもあるかもしれないが。気休めだっていい。前より話せている気がする。前へ進んでいる気がする。そう思い込むことこそが職を得るための秘訣だ。

 新卒の就活の時もそうだったと思い出す。面接の経験値が低いまま受けた本命企業に落ち続け、二番手、違う業界へと手を広げていく。志望動機の整合性などどんどん失われていく。それでも続けていかなければ、職を得ることはできない。

 フットワーク軽くあちこちの会社へ足を運んでは、まるでそこで働いている人のように擬態する。ホワイト企業はオフィスからして綺麗だ。まるでこの場が自分のテリトリーであるように、ヒールの音を立てながら迷わず歩を進めていく。すると不思議と受け答えがしっかりしてきた。

 結局面接とは演技の場なのだ。求められた台本通りの答えが返せるか、演出ができるか。企業が求めるのはその配役をこなせる人材であり、それは私でなくても良い。だから私自身を否定されている訳ではない。その役をこなせる力があるのだと、演出家の意図を読み取れる能力があるのだと示すことこそが肝要なのだ。そう思えば舞台で踊り続けられた。否、終わりが来ないと降りられないように社会はできていた。

 内定の連絡が来たのは面接の数が頭打ちを迎えて外出すら減った頃。数打てば当たると言われた弾丸が尽きようという頃だった。具体的に言うと、下着姿で惰眠を貪り、昼に差し掛かろうとしていた時である。

 けたたましく鳴り渡るスマートフォンを手に取り、ベッドの上で正座する。震える手で応答へとスライドさせる。

「もしもし、斉藤でございます」
「この度は弊社の採用選考にお越しくださりありがとうございました。厳選なる審査の結果、斉藤様を正社員として採用することになりました」
「ありがとうございます。ぜひ御社で働かせていただきたいと思います。よろしくお願いいたします」

 面接の段階では何も問題がなかった企業。しかも正社員。断る理由はなかった。しかし入社してみるまでホワイト企業かどうかは分からない。ホワイト企業ガチャに当たりたい。この先全部の運を使い切ってもいい。一生一人で自立していけるだけの仕事が欲しい。

「早速ですが、入社に際してミーティングを行いたいのですが、来週ご都合の良い日にちを教えていただけますか?」
「スケジュールを確認しますので、少々お待ちください」
「承知しました。ゆっくりで大丈夫ですよ」

 マイクをミュートにして立ち上がる。玄関にしゃがみ込み、無造作に置かれたバッグからスケジュール帳とボールペンを取り出す。来週の予定も数件の面接と単発のバイトだけだった。それらも目的の内定を手にした時点で無効になったチケットのようだった。マイクを付けて返事をする。

「お待たせいたしました。来週でしたらいつでも大丈夫です。入社はいつからになりますか?」
「斉藤様のご都合さえ合えば、来週手続きを行って、再来週から研修を始めたいと考えています。基本土日休みになりますが、大丈夫ですか?」
「大丈夫です、ただ通院のために一日だけ平日にお休みを頂戴したくて……。それが無理ならその日以降の入社に調整していただきたいのですが」
「大丈夫ですよ。弊社は入社直後から有給が取得できますので、入社手続きの時に申請しましょう」

 リンゴーン。頭の中で鐘が鳴った。おめでとう。ここはホワイト企業だ。幾多のガチャを引き続けて、とうとうホワイト企業を引き当てたのだ。

「社員一同、ぜひ斉藤様と働きたいと思っております。よろしくお願いいたします」

 持ち物や服装、集合場所等必要な事項を聞いて電話を切る。私は床にへたり込んだ。ようやくこれで、お金の心配をせずに生きていける。全身に張っていた気が抜けていく。

 その代わり人生の夏休みはあっという間に終わってしまった。もう少し先延ばしにすればよかったと後悔するが、一番得たいものを得た今、些末な問題でしかなかった。

 指先に乾いた何かが触れた。ふと見上げると、前職の送別会で貰った花が水もやらずに枯れ、花弁を散らせていた。室内を見渡すと畳まれないまま積み上げられた洗濯物が山を作っており、雑多に物が積み上げられた床にはうっすらと埃が積もっていた。

 部屋は心の鏡だと言う。たったひと月で人の心はここまで荒れるものなのか。働いていないと言うだけで、決して心が休まる瞬間などなかった。これを休みだと認めたくない。休暇とは経済的困窮がなく、明日への不安がない状態であるべきだ。

 窓を開け、掃除を始める。籠った空気が風の通り道を流れて出ていく。この掃除が終わってから次の仕事が始まるまでが真の休暇だ。まるで夏休みの宿題に追われる子供のように、目についたものを片っ端から片付けていく。

 動き始めると途端に掃除スイッチが入り、部屋の掃除どころかトイレとお風呂、コンロにこびり付いた油汚れまで落としたりした。ようやくひと段落着いた時には、もう日が落ちていた。

 久々に湯を張り浴槽に浸かる。この一ヶ月はシャワーで済ませることが多かった。時間短縮、或いは節約のために。たまに貯めても必要最低限、足を浴槽から出す代わりに背を浴槽の床に付けて肩まで浸かっていた。夏でなければ乗り切れなかっただろう。

 髪を乾かして、久々にちゃんとした料理を作ろうとキッチンへ向かう。水切りかごにはマグカップと茶碗が一つずつ、一膳の箸だけが置かれている。腹が膨らめば何でも良いと、米と生野菜ばかりを食べていた。料理をするには気力が要る。皿を洗うには更に。夏場であれば尚更だ。極力火を使わずにいたい。久方ぶりに包丁を手に取る。

 食べやすい大きさに切った野菜をフライパンに入れ、適当に炒めて適当に調味料を入れて、名前のない何かが完成する。食べられるものしか入れていないから食べられるはずだ。料理なんてその程度のものでしかない。

 そもそも食べるという行為にあまり興味がない。活動に必要な栄養素を摂取する、それだけならこんなに複雑な手順は要らない。かと言って自分好みの味の料理を作るということもピンと来ない。

 以前人を家に呼んだ際、実家から送られてくる米や野菜を美味しいと皆口々に言ったが、私には理解できなかった。家で食べる米は腹を膨らませるために味の濃いおかずと食べるもの。野菜は歯応えで腹を膨らませるもの。テレビで米の甘みが際立つと言うのも理解できなかった。

 米を甘く感じるのはでんぷんが唾液の中の消化酵素に分解され糖になるからだということを最近知った。私が米の甘味を感じないのは咀嚼が足りないからかもしれない。虫歯が多いのも、食への興味のなさから来るのかもしれなかった。

 それでも久々に食べる温かい食事は臓腑を満たし、眠気を連れてくる。私は普段より念入りに歯を磨き、ベッドになだれ込んだ。微睡みはすぐに深くなり、一月振りに夢も見ないほどぐっすり眠った。

 そこから先は瞬く間に過ぎていった。ハローワークに行き、新しい会社に記入してもらうための書類をもらう。新しい会社へ出向き、入社手続きを進める。もらった書類を再びハローワークへ持っていく。心機一転と新しい服やインテリアを買い替え、一人で組み立てる。ようやく落ち着けるようになったのは初出社のほんの数日前で、残された数日で、久しぶりに本を開いた。そうして慌ただしく過ごすうち、人生の夏休みは幕を閉じた。

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