見出し画像

かわいいうちのモアちゃんへ

モアちゃんは、浅草で生まれた。ミニチュアダックスのブラックタン(黒い毛で目の上の所に茶色の眉毛みたいな丸い模様がある)の女の子だ。
生粋の江戸っ子である。いや、本当はオーストラリアにルーツを持つミニチュアダックスフントである。
18年前、私がひとり暮らしから実家に戻るときに、犬が飼いたいと思って、信頼できそうなブリーダーさんを見つけて譲り受けた。

ブリーダーさんは浅草の人で、子犬が生まれたと連絡をもらって尋ねた先は、なぜか浅草観音裏にある営業前のスナックだった。薄暗い店内、赤いビロードのソファに載せられたゲージを思い出す。
そこで、モアちゃん(まだその頃は名前もないけれど)と会ったわけだが、モアちゃんのお父さんとも対面した。
お父さんは、本当にミニチュアダックスなの?という大きいわんちゃんで、膝に前脚をかけてきたのだか、おててが大きく、ゴールデンレトリバーのようで、人懐っこく可愛かった。

そして次に子犬たちを見た。
兄弟は確か5匹いて、何匹かはもうお家が決まっていた。どの子がいいかなぁと子犬たちが餌を食べるのを見ていたら、他の兄弟姉妹を押しのけて上に乗っかる勢いでがっついている子を見つけて、その食欲に惚れ惚れした。
この子にします、と言った。
まだ小さいのに、ものすごい食欲だった。

そこからすぐに家に連れて帰ったわけではなく、少し大きくなるまで待ったと思う(記憶あやふや、なんてたって18年も前の話だ)。
その後、また浅草に迎えに行って、車で連れて帰った。
車酔いをするかな?と心配したけれど、全然へっちゃらで、むしろ好きなようだった。

名前は、当時「モカ」とかそういう感じの名前が流行っていたんだけど、ご飯を「もっともっと!」と食べる姿から「モア」にした。あまりいない名前なので、その後いろんな場所で聞き返されることになる。

家に連れて帰ってからも食欲がすごかったし、胃も健康だった。

事件が起きたのは散歩ができるようになって少し経った頃だった。
中学生くらいの女の子が乗る自転車に轢かれてしまったのだ。それこそ、胴の真ん中を轢かれて、さらに動揺した女の子が自転車をバックさせてしまったので、もう一回轢かれた。
あの時は、本当に悲鳴が出たし、心臓がバクバクした。死んでしまったかと思った。
飼い主として、ちゃんと周りを見ていなかったことも反省した。
すぐに病院に連れて行きレントゲンも撮ったが、幸い無傷だった。
骨も太めで丈夫な感じの犬だったから助かったのだと、あの大きいお父さん犬に感謝した。片手でヒョイっと抱えられるような華奢なダックスだったら死んでいたと思う。

体は無傷だったが、大きく変わってしまったことがあった。
とてつもなく臆病になってしまったのだ。
散歩をしてもビクビク、数歩歩いては後ろを振り返る。散歩は最低2名で行かないとうまく歩いてくれなくなった。
尻尾はいつも下がっていて、まるで地面を掃除しているかのようだった。
近所の人にもよく「しっぽでお掃除しちゃってるねー」と言われた。
桜が舞い散る季節には、しっぽに大量の桜の花をつけて歩いていて、家に帰るたびにお風呂で脚としっぽを洗っていたのが懐かしい。

人見知りと犬見知りもひどく、家族以外の人に尻尾を振ったり懐いたりすることが一切なかった。
ただ、家の中ではビクビクする性格ではなく、楽しく遊んだ。典型的な内弁慶だった。
力が強いので、おもちゃは1日で破壊してしまい、最後は軍手を丸めておもちゃにしていた(犬のおもちゃ高いよね)。
軍手ボールを投げて取ってきたり、縄を引っ張り合いっこしたり、新聞紙をビリビリにして遊んだり、とても良く遊んだ。
犬とはまったくコミュニケーションが取れなかったので、散歩中に他の犬が「遊びたい!」と近寄ってくると目を逸らして逃げまわり、抱っこしてちょうだい!助けてちょうだい!となっていたけど。
ドッグランに行ってみたこともあったけど、家族の足元から離れず、ただただストレスなようだったので、やめた。

時々、犬や猫で、この子は前世も犬や猫だなと思う子と、この子は前世人間だな、みたいな子がいるんだけど(私だけ?)、モアちゃんは完全に前世人間タイプだったと思う。

私のガムを取るんじゃないでしょうね?の目

飼い始めた頃、昼間家にいるのはおばあちゃんだけで、父母と私は仕事をしていたので、昼間はおばあちゃんと一緒にテレビを見て過ごしていた。
おばあちゃんが横になっているソファに無理やり乗っかってギュウギュウになって座っていたものだった。写真を見返すと圧倒的におばあちゃんとセットの写真が多いのはそれが理由かもしれない。

おばあちゃんと一緒

東日本大震災の時もおばあちゃんと二人で家にいて、あまりの揺れにモアちゃんを抱いて外に出たと言っていた。モアちゃんはあの頃はまだ若くて重かったからおばあちゃんも大変だったと思う。

セーターかけてもらってますね

旅行にはあまり連れて行かなかったけれど、犬も泊まれる温泉とかに数回行った。
モアちゃんが楽しんだかどうかは疑問だけど、ドライブ好きな子だったので、窓から顔を出して、垂れた耳がパタパタと風に吹かれると、目を細めて楽しそうにしていたから、楽しかったんだと思うことにしている。

食い意地はずっとすごくて、テーブルの上の魚やフライ、あらゆるものが餌食になった。ちょっと目を離したすきに色々食べられてしまった。
ただ、胃も丈夫だったので、あまり吐いたりすることもなく、健康だった。

よく食べて、よく排泄し、散歩はびくびくしながらも好きだから行くけど、ストレスのかかることはあまりさせないで自由に過ごして、モアちゃんの毎日はそんなふうに単調に過ぎて行ったと思う。

新聞を床で読むと必ずこうなった

単調でもない時期もあった。
一度、父が病気になり人が変わってしまった時だ。全然父に寄り付かなくなって、犬も人が変わるとわかるのだな、と妙なところで感心したものだった。父の様子がおかしい時は、どこかに隠れて静かにしていた。
それでも、長い入院から父が戻ってきた後(元の性格に戻った後)は撫でてもらうために近寄って行ったので、不思議だった。

2018年におばあちゃんが亡くなってしまい、ソファはモアちゃんの独占場となった。祖母はいつも「ばあちゃんがボケないのはモアちゃんのおかげかもしれない」とずっと言っていて、本当に認知症になることなく、88歳で亡くなった。

モアちゃんも、15歳くらいになってからは身体に色々不調が出てきたと思う。
心臓が3回に1回しか動いていない、と言われて大きい病院で診てもらったのを皮切りに、顔が腫れるようになったり、腹水が溜まったり、痙攣のような発作が何回もあって傾いて歩くようになってしまったり。
1年ごとに1つ不調が増えていくような感じだった。

ただ、そんな感じでも、よっぽど具合が悪い時以外はちゃんと食欲があったのがモアちゃんらしかった。
目も見えなくなって、耳も聞こえなくなって、おひげも抜けて、だけどご飯の匂いだけはちゃんとわかるので、餌の準備を始めると必ず近寄ってきたし、キャベツやレタスが大好きだったので夕飯の支度にキャベツを切ると必ず足元に来ていた。
歯が傾いてしまってからは餌を食べるのがちょっと大変そうで、スプーンで食事の介助をしてあげていたが、毎回ちゃんと完食していた。

亡くなる3日前、ずっと寝てたね

そんなモアちゃんは、亡くなる2日前に突然ご飯を食べなくなりベッドから出なくなった。
そして、亡くなる前の日からは水も飲まなくなった。
身体をあったかく湿らせたタオルで拭いてあげると、気持ちよさそうにしていた。
そして誰かを呼ぶように、夢の中で走っているかのように尻尾を少し揺らしながら一晩中吠えて、朝まで吠えていた。
身体を触ってあげて「どうしたの、吠えてるの?」と言うと鳴き止んだ。
そして、少し経ってもう一度見たときには、息をしていなかった。

もうだいぶ前から覚悟はしていたのだけど、歩かなくなって3日、食べなくなって2日で死んでしまうなんて。
食べるのが大好きだったモアちゃんらしいな。

朝7時50分、家族が全員いるタイミングを選んでくれたみたいだったけど、どうなんだろう?

2024年4月5日、遅咲きの桜が綺麗に咲く、2月のように寒い日に2月生まれのモアちゃんは虹の橋を渡りました。18歳と1ヶ月でした。



かわいいうちのモアちゃんへ。

私からみたモアちゃんは、とっても短くまとめるとこんな感じの子だったんだけど、モアちゃんから見た私たち家族はどうだったかな?
このお家で楽しく(時に大変だったかもしれないけど)過ごしてくれたかな?
美味しいご飯は、たくさん食べたもんね。そこは満足してもらえたよね。
もう、おばあちゃんには会えたかな?
おばあちゃんは、きっと喜んでくれてるでしょ?

私もいつかそちらに行くので、その時はまた軍手のボールで遊んだり、尻尾にたくさん桜の花びらをつけながら散歩したりしましょう。
それまで、おばあちゃんと仲良く楽しく過ごしていてね。
18年間、ありがとうね。

今、とても寂しいです。

サポート頂けるととても嬉しいです🐶 サポート代は次の本を作るための制作費等に充てさせていただきます