【短編小説】柘榴と七夕

「柘榴と秘密の花園」の続きです

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「喫茶柘榴」のカウンターでは彼がパソコンに向かっている。少し寝癖がついたままの髪で、今日は丸メガネを掛けている。
そういえば前にも一度メガネを掛けていたことがあったっけ。マスターは銅色のケトルで丁寧にコーヒーを淹れている。わたしは、いつものテーブル席で手帳を開いている。
常連の男性が新聞を開いたり閉じたりする乾いた音と静かに流れるバロック音楽。いつも通りの平和な店内だ。ただ少しだけ以前と違う風景がある。わたしは時計を確認する。
そろそろかな?入り口に幼稚園児二名の姿が見える。後ろにはそのお母さんたち。マスターにオレンジジュースとアイスコーヒーを注文すると、四人は窓側のテーブル席へと向かう。
「喫茶柘榴」が禁煙になったことで、新しくかわいい常連さんができたのだ。彼は仕事をしているので子供の声は苦手だろうかと思っていたが、案外子ども好きなようで、子どもたちの会話を聞いてはカウンター席で頬が緩んでいる時がある。
マスターがコーヒーとオレンジジュースを彼らの席に運んでいく。子どもたちが何やらマスターに渡しているようだ。「今日は七夕だもんね」という話し声が聞こえる。そして、お盆に色とりどりの画用紙の短冊を持って戻ってきた。
「みんなにも書いて欲しいってさ、あちらのお客様から」
わたしと彼にそう言って、奥の子どもたちに手を振る。彼はくるっと椅子ごと振り返ると子どもたちに向かって「おじちゃんも書いていいの?」と聞いた。お母さんたちが恐縮してすみませんと頭を下げる。彼はお盆から短冊を二枚取って席を立つと、わたしの目の前に座わり、短パンを履いた長い脚を無造作に組むと「ほい、君も書こう」と言ってわたしに一枚渡してきた。
「お願い事、書くの久しぶりです」

わたしは手帳用の万年筆を手に持った。するとパタパタと子どもたちが近づいてきて「これ使って!」とテーブルにクレパスを置いていく。
「いいの?」と聞くと「書いたら持ってきてね!」と、自分たちの席に戻って行った。彼は「懐かしいなこれ」と、何色かテーブルに出して並べた。そして結構真剣な顔をして短冊に何を書こうか悩んでいるようだ。俯き加減になるとメガネと目に少しだけかかる前髪に、なぜだろうたまらない品がある。
わたしもクレパスを手に取った。(喫茶柘榴がいつまでも続きますように?彼ともっと仲良くなれますように?違うか、あれ、意外と難しいな)
「みんなが笑って楽しく過ごせますように?」
彼がわたしの短冊を反対側から覗き込んで、声に出す。
「え?ダメですか?」
「ダメじゃないけど、もっと自分のこと願ってもいいんじゃない?」
そう言って自信満々に彼が見せてきた短冊には
【美味しいハンバーグがたらふく食べられますように】とお肉の絵付きで書いてあった。
「欲望が出過ぎてません?」
思わず吹き出すと、彼は意外と真剣な顔をして言った。

「みんな人のことばっかり願いすぎなんだよ、俺は俺で楽しくやるからみんなもちゃんと自分の楽しさを追求しなよっていう気持ち」
「なんかあったんですか?」
「ううん、別に」と少し唇を尖らせた。

彼はクレパスを箱に仕舞って、わたしとマスターの短冊を回収すると子どもたちの方へ歩いて行った。テーブルの横にしゃがんで笑顔で子どもたちと話す彼の横顔がとても優しい。しゃがんだまま子どもたちの笹に短冊を結び付けている。お母さんたちもとても嬉しそうだ。この人はどこにいたって周りをこんな風に幸せにしてしまう。どこか陰がありそうに見える日も、ちょっと疲れているのかなと感じる日もあるけれど、それすら自分の中に上手く取り込んで周りを優しい気持ちにさせる。

しばらくするとジュースを飲み終えた子どもたちが短冊を持ってマスターやわたしたちに手を振りながら出て行った。いつもは渋い顔で新聞を読んでいる常連の男性も小さく手を振っていた。彼はちょっと一服……と言いながらカウンターの中からまたあのドアをくぐって出て行った。マスターがわたしの方を向いて(行かないの?)という顔をする。
もう、なんだか色々お見通しだ。わたしは席を立つと、同じようにドアを開けて「秘密の花園」へ向かう。彼は小さなベンチに脚を組んで座り、タバコを吸っていた。わたしが来たのを見ても驚いた顔もせずに、少し座っている場所を空けてくれる。

「星ってさ、JOY寄りのLOVEだよね」
わたしに背を向けて煙を吐き出してからそう呟いた。
「何ですか、急に。ラップ?」
「いや、さっき願い事書いててさ、一年に一回しか会えないのか織姫と彦星!って思ったらつらいなぁーって。でも実際の星を見てると、なんか星って楽しそうにしてない?悲恋!みたいな感じしないんだよね。俺だったら好きな子とは毎日のように会いたいなって思うし。本当は星もそうなんじゃないのかなって」
「七夕のあたらしい解釈ですね」
「そう、俺なりの七夕ね」
彼はそう言うと、小さな庭を真っ直ぐに見つめてタバコを口に運んだ。その瞳の色は宇宙のように漆黒で透明で、そして星のようにどこか楽しげだ。

(つづく)

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