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【短編小説】柘榴と秘密の花園

「柘榴とショコラ」の続きです。

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「元気にしてました?」
そうわたしが聞くと、アイスコーヒーを飲んでいた彼は、グラスを口に運びながら「うん」と頷いた。グラスをコースターに戻したときの氷の音が、季節が変わったことを伝えている。いつの間にか店内は禁煙になり、カウベルの下がったドアは開け放たれ、そこから見える街路樹の青さが際立っていた。彼も半袖のTシャツ姿だ。そんな変化の中でも彼のグラスの持ち方が変わっていないことに妙な安心を覚えた。
「変わったなーと思って」

いつものカウンター席に座りながら頬杖をつき、わたしと同じ外の景色を見ながら彼は言う。その言い方には、良い/悪いの感情は読み取れない。そういえば、彼と「喫茶柘榴」で会うのはとても久しぶりだ。最後に彼と会ったのはわたしの働くバー「M」だった。

「前に会った時、チョコレートくれたじゃないですか」
わたしがそう聞くと彼は忘れてしまったみたいな顔をして言った。
「そうだっけ?」
「火曜日の女性と来た時です」
「あーー!あの日か。あげたあげた、忘れてた!おいしかった?」
そう言って、首を傾げた。わたしは忘れられていたことに一瞬ムッとしたことも忘れ、その仕草に思わず(可愛い)と呟きそうになってしまう。
「美味しかったです」
「あの日は大変だったんだよ、彼女酔っちゃって」
大変だと言いながらもどこか楽しそうな顔をしている。
「最終的にはお姫様抱っこしたもんなー」

カウンターの中で洗い物をしていたマスターが、呆れたような顔してこっちを見た。柘榴で会う彼と、それ以外の場所や夜のバーで会う彼はどこか別人のような雰囲気がする。いや、そうではないのか、二人でいる時だけ彼は弱さのようなものをわたしに見せるようになっただけなのかもしれない。そう思うのは高慢だろうか。

「さてと」と彼は言うと突然立ち上がり、カウンターの中へすたすたと歩いていく。わたしが驚いた顔をしていると、マスターが手招きした。カウンターの奥に小さなドアがあり、そこが勝手口のようになっていたのだ。背の高い彼が少し腰をかがめ、ドアをくぐって出ていく。「いいよ、行ってみな」と、マスターが言うので、わたしも彼の後について出てみると、そこは店の裏庭になっていた。

名前の知らない草木がいくつもあり、雀が餌をついばんでいる。いくつか置かれたプランターにはディルやミントなどのハーブが育てられており、その隣に小さな木のベンチが置かれていた。彼はそのベンチに腰掛け、脚を前の方に投げ出してタバコを吸っていた。
「あ、俺の秘密の花園が見つかってしまった……」
「こんな場所があったんですね」

わたしはプランターの前にしゃがみ込むと、ハーブたちを撫でるように触った。手にハーブのいい香りが移る。彼はベンチから腰を浮かせて少し移動すると、自分の隣の座面をぽんぽんと叩いて「座んなよ」と言ってタバコの火を消して灰皿に捨てた。わたしは「はい」と言って素直に彼の隣に座った。その時ふと触れてしまった彼の腕の柔らかい産毛の感触に、思わず喉の渇きを覚えて動揺する。
「この目の前のオレンジの花の木ってなんですかねぇ」
彼の腕に触れないように座り直しながら、わたしは自分の動揺を隠すように話題を振った。
「ん?これ?柘榴だよ?花言葉は【円熟した美しさ、大人の関係】とも言うらしい」
そう言うと、彼はベンチに置いていたわたしの手に手を重ねた。時間が止まったように感じた。

「柘榴の実はいつ頃実るんですか」
わたしは少しひんやりとした彼の手が、わたしの手の温度で温められていくのを感じながら聞いた。
「どうだろう、こんな都会の庭で実るのかな」
彼はわたしの手からそっと手を退けると「もう一本吸ったら戻るよ」と言った。
それは、先に店に入りなと言う合図でもあった。わたしはベンチから立ちあがると、また小さな勝手口を開けて店の中に戻った。マスターは常連の客に丁寧にコーヒーをドリップしているところだったがこちらを優しい目で見て頷いた。
わたしは父親に悪さがバレてしまったようなバツの悪さを感じながら、カウンター席に戻った。気づいたら彼の隣に自然と座っていることが増えた気がする。
例え彼がわたしに言えないたくさんの秘密を抱えていたとしても、隣にいられればそれでいいじゃないか、彼の教えてくれた柘榴の花言葉を思い出しながら、そんな気持ちになっていた。

(つづく)

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