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【短編小説】柘榴とペルセウスと桃

「柘榴と海のアトリエ」の続きです。

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目が覚めて最初に視界に入るベッドサイドの小さな棚に、彼からもらった柘榴の絵を飾っている。
そして、必然だろうか、朝起きて一番に彼のことを考えてしまう。何かお礼がしたい、そう思いつつも何も浮かばず数日が過ぎた。
何かお礼の品を買ってからじゃないと会えない。そんな風に考えてしまって身体が「喫茶柘榴」に向かなかったのだ。コレをしないとアレに進めない、誰に言われたわけでもないのに、勝手に自分でルールを決めて身動きが取れなくなるのはわたしの昔からの悪い癖だ。一日中歩いて街の雑貨屋などをのぞいてみても、あの柘榴の絵のお返しにそぐうようなものは何も見つからなかった。

夜は「M」へ向かった。バイトは休んでいるが、店長が御馳走するからおいでと連絡をくれたのだ。この階段を降りるのも随分久しぶりだ。手帳を持って行ったことがばれた時、ここで彼とすれ違って腕を掴まれたことがあったっけ。結局こうやって、いつも彼のことを思い出してしまう。

開け放ったままのドアから店に入ると、カウンターに彼が座っていた。なんとなく、いるような気はしていたので、あまり驚かなかった。ビッグシルエットのシャツに、麻のパンツ、革のサンダルがとても涼しげだ。頬杖をついて店長と何か話している。店長がわたしに気づいて手招きをする。彼もわたしの方を振り返る。

「こんばんは」と小声で言いながら、癖でバックヤードの方に向かおうとすると、彼が「俺が呼んでって言ったの」と言って自分の隣のスツールをポンッと叩いた。店長が「ごゆっくり」と微笑んでカウンターから離れていく。
「なんか怒ってます?」
スツールに座りながらそう聞くと
「怒ってるように見える?」
唇を尖らせてわたしの方を見てくる。少しだけ酔っているのだろうか。二重のほうの目の幅がいつもより広く感じるし、頬がだいぶ赤い。
「いや、酔ってるように見えます」
「うん、それは正解」
そう言うと彼はウィスキーのロックをぐっと飲んだ。グラスに氷がぶつかる音がして唇を濡らす。

「絵を渡した途端に柘榴に来ないんだもん、わかりやすいと言うか、わかりにくいと言うか、どうせお礼でもしようと思ってなんか探してたんでしょ?」
「あ……はい」
わたしはズバリ当てられたのが恥ずかしくて、下を向いた。
「あのね、いらないからね、お礼なんて」
そう言ってまたウィスキーを一口飲む。どうもペースが早いようだ。店長がわたしに白桃のベリーニを作ってそっと出してくれた。濃い桃色から白へ、グラスの中のグラデーションが美しい。
「あれ、頼んでないですよ」
「いいのいいの、お店からのサービス。バイト休んでもらっちゃってるし。飲み過ぎない程度にゆっくりしてって」

彼は自分のグラスをわたしのグラスに近づけると、乾杯と言ってまた一口飲んだ。
「なんか、やっぱり怒ってます?」
「大人にはね、お酒を飲みたい日もあるのだよ」
そう言ってじっとわたしの目をみた。バーの薄明かりのせいで瞳の色がいつもより暗く見える。いつもは犬みたいだなと思う顔が今夜は少し猫っぽく見える。そして、少しの沈黙の後、絞り出すような声で言った。
「あの絵だけど……迷惑だったなら、そう言って欲しい」
「迷惑なんかじゃないです、すごく、とっても嬉しかったです、枕元に飾ってあるし、毎日、毎朝見てます!」
慌ててまくし立てるわたしを見て、彼は思わず吹き出すように笑った。
「そっか。良かった。そっか。やっとお酒に味がしてきた」
そのあとは〈海のアトリエ〉にもう一度行こうという話や「喫茶柘榴」の新しい可愛い常連さんたちのことなど、たわいもない話をずっと続けた。そういえばいつからかわたしは彼の周りの女性たちのことをそんなに気にしなくなっていた。拾った手帳で見てしまった写真の謎も。彼がいまこの瞬間に隣に居てくれることがただ単純に嬉しかった。

そろそろ行こうか、と彼が言ってスツールから降りた時、少しだけ足元がふらついていた。わたしは思わず彼の二の腕を支えた。
「あれ、ちょっと酔ってるな」と舌を出す。
店長が、桃が悪くなっちゃうから家で食べてと、剥いた桃を入れたタッパーを持たせてくれた。わたしはふわふわと歩く彼の後ろについて店を出た。
「そういえば、今日はペル、ペス、ペルセウルス、あ、ペルセウス流星群が見えるらしい」

店の前の道を歩きながら、彼が空を仰いで言った。赤くなった頬と白い喉元の対比が、わたしがさっきまで飲んでいた白桃のベリーニみたいだ。
「流れ星ですか?」
「そう、ちょっと見てみない?」
わたしたちは大学のそばの公園まで行ってみようと歩き出した。少し暗いところなら見えるらしいと、したり顔で言う彼と一緒に公園に入る。目に見えない分、木々の息遣いを感じる。公園はどこもきちんと電燈が点いていて明るい。わたしたちは少しだけ暗い場所にあるベンチを見つけるとそこに座った。彼は空を見上げながら、見えないねぇとニコニコしながら呟いた。わたしは膝の上に置いたタッパーの桃が温まってしまうのが気になり始めて「桃、食べちゃいません?」と聞いた。
「星より団子かいっ!ん、まぁ、それもいいな。じゃあ俺は星を観測してるから食べさして」
そう言って口を大きく開けた。なんだか酔っているのが助けになって、空を見ている彼の口に桃をそっと入れた。つるりとした桃がつるりとした彼の唇に迎え入れられる。
「あんまっ、美味い」
そう言いながら、彼はまだ嬉しそうに何もない夜空を見ている。わたしも桃を一口食べて空を見る。どうも東京ではペルセウス流星群は見えないらしい。わたしがそう思ったのが伝わったのか、急にわたしの方を向くと言った。
「目に見えなくても確かにそこには流星があるということのほうが、大切だったりするからね」
そして「桃をもうひとつください」とまた大きく口を開けた。

(つづく)

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