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【加筆・修正ver】杉藤 俊雄 は××したい_62_20代編 04

 早瀬くんを帰して、一人になった僕はキッチンカウンターに戻った。残された空のグラスが二つ、おつまみに出した缶詰が三つ。おつまみは結局、箸をつけないでぽかんと開いたままだ。

 僕は疲れたようにイスに座って、缶詰の貝柱に箸を伸ばして口に含む。少し噛んだだけで、弾けるように口の中に広がっていく貝の味を舌先で楽しみながら。顔面に感じる疼きを感じて、暗澹とした気分になる。

『極力、君は自衛意外に杉藤の力を使わないようにして欲しい。せっかくここまで整えた顔面が、いつ崩壊するのか分からないからね』

 坂白が言った、僕の足元。薄氷の上に立っている現状。

 疼いた部分を左手でなぞったり、つついたり、つねったりして、しっとりとした肌の感触にほっとしながら、次の瞬間、頭の中で自分の顔面が一気に崩れる映像を見た気がした。
 僕の顔面は、潰れた果実のように無残にひしゃげて、蠅がたかり、蛆がわき、地面に喰われるように還ってなにも残らない。そう、なにも。

「――っ」

 僕は声にならない悲鳴をあげる。感情が吹き荒れて、目の前がぐにゃりと溶けた飴のようにずるずると糸をひいて伸びていく。
 壊れていく世界。歪んだ日常。腐りきった絆。
 美しい顔を手に入れてもなにも変わることなく、ただただ気に入らない人間を、一人残らず殺してしまいたい強い感情だけが一人歩きしている。

 杉藤顔を持った者は、長く生きられない。もしくは、精神を病んで自殺する。まだ僕は二十代、だけどもう二十代。漠然としていた自分の将来が、整形前の自分の顔をして、僕の肩にそっと手をかけてくるんだ。そのまま首に手を這わせて、いつか僕の首を絞めてくるんじゃないかって思うほどに。

 目の奥が熱くなりどろりと脈打つ感覚。左めの眼球の白い部分が、餅のように眼窩から零れようとする重さに、お腹の辺りがつめたくなる。

「薬、のまないと」

 キッチンの引き出しからピルケースを取り出して、五種類の錠剤を放り込み、まだグラスに残ったままのビールで胃の中に押し流す。アルコールの酩酊感に、皮膚の下で流れる血がざわつくのを感じながら、喉を通る炭酸のプチプチ弾ける感触に心地よさを感じながら、どくんどくんと激しく脈打つ心臓の音を聞きながら、火が付いたようにあがっていく体温を感じ流ながら、五感をフルに研ぎ澄ませて、僕は必死に現実から逃避する。

 殺す。殺してやる。

 僕が死ぬ前に、僕が壊れる前に。
 必ず、殺す。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 あぁ、と、タイのホテルで眠る僕は目をつぶる。
 手に入れた美貌が仮初であることに、怒りと不安を覚えて、八つ当たりのようにどす黒い殺意を固めている20代の僕は、発作的に自室のクローゼットから黒いワンピースを取り出した。
 いつも身に着けているブランドものではなく、ユニクロとかで売っている大量生産のシンプルな服だ。次に取り出したジーンズも、シューズも、僕らしくないものが詰まった、安っぽい無個性のファッションアイテム。

 さらに僕はさらりとした短髪の髪を、腰まで届く茶髪のウィッグですっぽりと覆って、壁に掛けてある鏡ににっこりと微笑みかけた。

 イボイボな皮膚じゃない、腐ったミカンのような顔色でもない、異形の面相でもない、十代の可憐な少女がそこにいる。
 鏡の中の少女は、今にも泣きそうな笑みを浮かべながら、ギラギラとした視線を僕におくって「ほら、お化粧をしてでかけましょう」と無言で促すのだ。

 ローズ、コーラル、ほのかにパープル。三色のリップを駆使して、薄く形の良い唇を、立体的に、瑞々しい果実のようないろどりに仕上げていく。アイシャドウは黒に近い藍色で、チークはオレンジとピンク系。肌色は化粧の色合いが生えるように、トーンを計算して。

 下品にならないすれすれの派手さに、美少女の顔を仕上げた僕は、クローゼットの奥から金属バットを引っぱりだした。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「ねぇ、寂しいの。お願い、お小遣いをはずむから、私の身体を温めて」

 ぬるい風が吹き抜ける繁華街で、僕は愛に飢える女の子になりきって、見た目に騙されるバカな男を釣る。女性のハスキーボイスを意識した声を出して、無防備にワンピースを翻しながら尻軽でバカな女を演じる僕。――そんなバカな僕にあっさりと引っ掛かるのは、意外にも真面目でお堅い感じのサラリーマンだ。飲み会の帰りなら、確実に僕が誘うと彼らは鼻の舌を伸ばしてついていく。

 いつも誘う場所は狭い路地裏だ。
 わざと逃げられない場所、相手にとって優位に見える場所に誘い込んで、獲物の理性が飛ぶのをただひたすら待つ。
 時には商売女のように身をくねらせて、時には足同士を絡めて、時には壁に押し付けられた状態で、時には半分勃起しかけている股間に頭をうずめて。
 僕の外見に夢中になって、偉そうに半分説教をかましながら、頭の中ではただひたすら僕を蹂躙することしか考えていないバカ。
 匂いで分かる、相手の人間性の浅さ。結婚して、安定した生活を手に入れたにもかかわらず、このままでは自分がダメになると勘違いして、僕を使って一時のスリルを楽しみ、これまでの生活を維持させる延命処置に使用する。
 もうそれ自体が、間違いだ。死ねばいいのに。というか、死ね。

「ぎゃっ」

 ぐちゃっとイヤな音が路地裏に響いた。派手に血が飛び散って、蹲る男を絶対者の僕が見下ろしている。少女の外見をした僕が、審判を下す女神の如く闇を背負って男を睥睨し、この時だけ僕は仮初の僕であることを忘れることが出来た。完璧で完全な存在であるように錯覚できて、なんの罪もない男に隠し持っているナイフとか、ゴミ箱の隅に隠していた金属バットとかを天罰のごとく、無慈悲に振り下ろすことができるんだ。

「やめっ! 痛っ! いたっ! ひぃっ!」

 惨めな被害者に女神となった僕は、その日、その時の凶器を振り回す。

 鈍い音。 
 変形する顔面。
 噴き出す血。
 裂ける服。
 折れる骨。
 虚栄心とプライドが砕ける手ごたえ。

 完全に逆転した関係性と、僕が支配しているという愉悦に酔って、この時だけ、心の底から安心して笑うことができるんだ。
 天使になれない僕は神。普通の外見を持ちながら、普通に生きられないクズに天誅を下す正義の味方だ。だけど殺しはしない、生還したことを後悔するレベルの障がいが残ればいい。僕がやったことは正しいことだ。 安っぽい誘いかけにホイホイついてくるバカは、いずれ取り返しのつかない罪を犯して、周囲に迷惑をかけるのだから。

 ふー、すっきりした。

 と、ぼろ雑巾のようになるまで男を嬲り続けた僕は、憎らしいほど清々とした顔で家に帰る。
 シャワーを浴びて、ウィッグと化粧を落とし、下着姿のままベッドに倒れ込むと、そのまま泥のような眠りにつくのだ。
 いっそ、このまま死んじゃえばいいのに。

――生まれたくなかった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

2010年11月

 さて今回の件は、早瀬くんの頑張りにかかっている。
 山中崎が関東系のヤクザと中国マフィアとアジア系組織に食い散らかされるなんて、断固拒否だ。
 先手必勝。本人にその気がなかったとしても、先兵となった住職には消えてもらうし、メールのやりとりをしていた組員には消えてもらうことにする。
 これは僕なりのケジメであり、早瀬くんを筆頭とした関西系暴力団と、これからも付き合っていくという決意表明。
 後藤さんも八雲会系の組織ならと、GOサインを出してくれた。
 本来なら勢力圏である関東の央龍会へ、最初に話を持っていくべきなのだが、央龍会も代替わりを果たして、体勢が大きく変わってしまったらしい。新しく就任した会長は前時代的な筋の通し方よりも、ビジネスライクと無駄の排除を好み、海外組織との迎合も積極的に進めているとのことだ。
 今回の騒動が関東&海外組織の思惑が絡んでいるのだとしたら、初動が肝心。
 一般人には迷惑な話かもしれないけど、僕は早瀬くんを応援するうえで、必要な犠牲だと考えている。

「これが日野の大まかなスケジュールと、ナンバーズレートの組員三名のスケジュール。日曜よりも金曜日の夜の方が拉致監禁の狙い目だよ。毎週通っている店があってそこで」
「うわぁ、君にストーキングの才能があるなんて驚いた」
「あぁ、そりゃあ、俺んち大川運送のトラック乗ってうろうろしていれば、簡単にストーキングできるって」
「というよりも緑、お前反省しろ。もとはと言えば、お前が迂闊に関東のヤクザとつながりのある、坊さんを紹介したのが原因だろうが」
「その話はあとにして、ナンバーズレートって会社がメールの相手なんだね?」

 園生くんを糾弾しようとする五代くんを制して、僕は物部くんと園生くんを見る。物部くんはこくんと小さく頷いて、園生くんはややむっつりとした顔で首肯した。

 強張った沈黙が流れる、僕の部屋のリビング。ソファに腰かけたいつものメンバーのなかで、珍しく早瀬くんの口数が少ない、というよりもなにもしゃべろうとしない。これはとても珍しいことであり、異常事態であることを物語っている。

 いつもよりも早瀬くんの背中が小さく、頼りなく感じたのは、僕の杞憂ではない。友情とは別にヤクザ社会の重圧が、彼の双肩に重くのしかかっているからだ。
 そんな彼にかける言葉を探しながら、僕は物部くんが提出してくれた写真と、エクセルで作成されたスケジュール表を眺めた。
 日野とは別に、組員三名。合計四名を僕たちはこれからの為に、処刑しないといけない。 来年から始まる復讐も、今回のことを乗り越えれば、きっとうまくいくはず……。そう、きっと。

 僕たちの身体から放たれる匂いが、腐臭交じりの悪臭に変わる。
 もう戻れない道。ひきかえして、なにもかも忘れて日常に回帰する道を僕が閉ざしてしまった。
 だから、僕は立ち止まっちゃいけない。

 関東組織のフロント企業――ナンバーズレートを撤退まで追い込んで、早瀬くんの地盤を固め、最低でも山中崎を関西と関東組織の緩衝地帯として機能させなければいけないのだ。

 すべては僕がやろうとしている復讐の為に、復讐の支障となる不穏分子は徹底的に排除する。

 ターゲットとなった組員三名。これでも絞った結果だ。
 住職とやりとりして僕の個人情報を入手した十条じゅうじょう。 さらに僕の名前を使って、勝手に地元企業と詐欺取引を始めた組員の冴木さえき。こいつはインターホンのシールを頼りに、僕の部屋に忍び込んで盗聴器を仕掛けていた。もちろん盗聴器は撤去したけど、まさかカードを偽造してオートロックを破るなんて思わなかった。
 残りの一人、干野ほしのはナンバーズレートの副社長であり、この男を殺せば、一時的にでも敵に大打撃を与えることができる。

 社長を殺さないのはわざとだ。頭を真っ先に潰してしまったら、事態の収拾がつかなくなる。僕たちの望みは全面戦争ではなく一時的な撤退。そう、僕のために山中崎を守る時間を、僕たちは四人の人間を犠牲にして得ようとしている。

「やろう、早瀬くん。今回のことを乗り越えたら、早瀬くんはみんなに認められるよ! 絶対!」

 僕は早瀬くんの肩に手を置いて、女神のように優しく微笑む。すると彼は、ぎゅっと目を閉じてから、覚悟を決めた表情でゆっくりと瞼を開いた。そして、早瀬くんの瞳の奥底にある光を見たとき、僕は嬉しくなって笑顔になる。 
 
 早瀬くん、頑張ってね。 君ならできるよ。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 この時の僕は、とても致命的な見落としに気づかなかった。いや、うすうす気づいていたけど、気づかない振りをしていた。

 今回のことが失敗しても、しなくても得をした人物が一人いる。
 草を刈ったつもりが、根っこを残したままにしてしまった禍根。けど、僕になにが出来ただろうか。
 2020年代の山中崎、結局土地の一部を中国組織に買収されてしまった。あまつさえ、僕の罪が発覚する遠因を作ったのも奴らだ。

 ねぇ、園生くん。そんなに家計が狂したかったの?
 それほど無茶してまで、本家の屋敷が欲しかったの?
 そんなに僕が嫌いだったの?

 ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ……っ!

 早瀬くんが死んじゃったからって、まるでだまし討ちのように、君は僕とヤクザ組織から大金をかすめ取ろうとした。
 巻き込まれた僕は絶体絶命のピンチになって、諸悪の根源となった園生くんを五代くんが処刑したんだ。僕を助けるために。

 美しいこと、尊いこと、大切なこと、重要なヒント、取り返しがつかないこと、それらはすべていつも過去にある。そして、君も過去になった。

【つづく】

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