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【加筆・修正ver】杉藤 俊雄 は××したい_53_大学生編 07

 イジメ加害者への制裁。彼らが山中崎県外にいた時は、僕が単身で手を下してきた。物取り、過失、無理心中……偽装工作はやればやるごとにうまくなって、リーマンショックによる圧倒的な不景気が僕の味方になった。

 物騒な事件が多い――不景気のせいだ。
 ブラック企業で働いていたから、寝たばこして家が全焼した――不景気のせいだ。
 将来への不安から一家心中があった――不景気のせいだ。
 
……そんな具合に。

 マンガだったら、ドラマだったら、連続して起こった級友たちの不幸に身の危険を感じたのかもしれない。けれども、現実はそうならなかった。彼らは自分の過去を、周囲に知られないように細心の注意を払って生きていた。
 だから互いに連絡なんてしないし、相談なんてもってのほかだ。成人式で熊谷が出席したからこそ例外が発生し、彼らは過去の栄光と憧憬に浸りたくて山中崎に、その日、帰ったのだ。

 熊谷だけじゃなく、僕に、僕たちに、なにをしたのかをすっぽりと頭から忘却したまま。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 成人式から帰った僕は一種の虚脱状態だった。
 警察に取り調べを受けたけど、意識を集中しないとどんな内容だったのか思い出せない状態だった。それほどショックだったんだろうけど、驚異的な記憶力を持っていたはずなのに、熊谷の手を離してからの記憶が、途切れ途切れになってしまった。

 意識的にすれば、生じた部分を思い出そうと集中すれば、記憶のブランクは解消されるのかもしれないけど、それよりも学生寮に戻って何日か大学の授業をさぼりつつ意識を回復させた僕は、一つの決意をもとに覚悟を決めた。

 そう、整形手術だった。

 鏡に映る、もはや人外の面貌は見れたものではなく、このままでは僕の意思に関わらず多くの人々を、視覚的見えない暴力で傷つけてしまうことが分かりきっている。

 だけど、僕の顔を整形してくれる所なんてあるのだろうか?
 ううん、探さないといけないんだ。
 じゃないと、このままじゃ、僕は安心して生きていけない。

 縦に裂けた口から歯がのぞき、白目が目を閉じてもはみ出しはじめた。この顔の行きつく先なんて知りたくない。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 ごとん、ごとん、と、電車に揺れる。
 僕は今、とても感情的だった。成人祝いで父が買ってくれた車に乗ってしまったら、最後、スピード違反どころか何人も罪のない人を撥ねてしまいそうで怖い。

「…………」

ごとん、ごとん、ごとん、ごとん。

 電窓から初春の日差しが、容赦なく僕の首筋を焼く。
 体中からじんわりと汗が噴いて、マスクのゴムがむず痒くて仕方がない。
 それに……。

「…………」

 僕はなにも見ないふりをして、座席に腰を沈めたまま体を縮こませる。
 床に落ちた影をじっと眺めて、これからは一人で電車に乗らず、一人で遠出をする時はバイクか車に乗って行こうと、そんなことを考える。
 だけど、感情的になって運転に支障が出る時は、部屋に籠っているしかない。それがとても歯がゆい。

「ねぇ。この人……ない?」
「シッ」

 僕はなにも聞こえない。
 
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 バイクで単独ツーリングした時、ネコを轢き殺してしまった。とても後悔した。それにも関わらず、次は野ウサギを轢いて、次にニホンジカと追突事故。不思議なことに、友達とツーリングしている時は、動物たちとエンカウントしないのだ。もしかして、僕にわざと轢かれたいのかもしれない。そんな現実逃避をさせたのは、電車の中の乗客たちがはっきりと僕を認知し、はっきりとした嫌悪感を示して、僕を見ていたからだ。

 B県はまだ、山中崎と地続きで東京郊外というはっきりとしたアウェーだと、痛感するとともに、膝に握りしめた手が焦燥感でじっとりと汗ばんでいくのを感じる。

「ねぇ。あの人、なんかキモくない?」
「わかる。冬じゃないのにマスクつけて、なんだか暗いし」

 電車内の軋む音の中でひそひそと交わされた会話は、僕の耳の中に水のようにゆっくりと吸い込まれて、胸のあたりに澱の如くたまった。

 衆目の瞳が僕に注がれている。自意識過剰ではなく、事実として。
 彼らは直感的に異物である僕を見つけて、僕がなにかをしないように監視しているのだ。彼らにとって僕はキモくて暗い、人間に近いナニカナ存在。僕を知らない人たちの匂いの束が、僕に彼らの悪趣味な妄想を開示する。

 僕が突然ナイフを取り出して暴れだす。
 僕が近くの女性客を殴って押し倒す。
 僕の身体から、突然蝙蝠の翼が生えてきて乗客たちを襲う。
 中には、電車が橋を通るタイミングを見計らって、僕が窓を突き破って投身自殺する。

 そんな妄想が乗客たちからただ漏れて、僕はくっと喉を鳴らした。
 後藤の屋敷で演劇をした時とは違うベクトルの、排他的な空気。
 電車の中の乗客が全身、白いのっぺらぼうの天使に化けて、鳥のさえずりのように小声でささやき合って、僕について情報交換をかわす。多種多様な動物を寄せ集めた羽根を震わせて、注意深く腰から垂れた触手を僕の身体に這わせて、五感をフルに使って、杉藤 俊雄という存在の脅威度を測ろうとする。

 怖いと、僕は思ってしまった。
 つま先が氷を押し付けられたかのように冷たくなり、体中の産毛がぞわぞわと内側から服を撫でる。
 背筋に震えが走り、自然と呼吸が浅くなって、誰かがいないことがこんなにも堪えることを、二十歳になってようやく知った。
 いつも誰かと行動を共にしていて、他者の視線を意識したことなんてなかった。山中崎とB県では一人でも平気だったけど、勢い任せで県外に飛び出して、僕は自分の異質感に耐えられなくなっている。

 気持ちを落ち着かせようと息を吐くと、空気がどろりと振動した。ひそひそとどこからか言葉が交わされて、小さな声の割には僕の行動を批難しているような、強い感情が宿っている。

「わ、目が合った」
……合っていない。
「なんか、ヤバくない」
……傷つける意思なんてありません。
「マスクが異様にでかいわね。指名手配犯かしら?」
……なんでそんな根拠のない言葉を吐けるんですか?

 電車内の人々が一つの意思に集約される。天使たちが手を取り合って「ハレルヤ!」と歌を歌い、電車の振動音と軋む音が、絶妙なハーモニーとなって悪趣味な聖歌を響かせる。

 あぁ、神様。僕を救い給え。神様、神様……。

 見えない暴力だ。見えない暴力に襲われた。

 誰も僕を助けてくれない。だって、僕はただ電車の座席に座っているだけだから。

 誰も僕を放っておいてくれない。だって、彼らは僕になんの被害を与えていないから。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 目に見えないものがこの世界には多すぎる。目に見えないものを視覚化しようとして芸術が生まれて、メディアが生まれて、SMSが生まれた。

 掲示板なんか感情を文字に圧縮させた結果、凄まじいほどのカオスを呈している。なんかのSFで人類全体がテレパシーを使えるようになれば、人と人は相互理解して世界は平和になるという主張があったけど、僕はそう思えない。互いの顔が見えない、文字を打つだけの意思になっている状態で、画面の向こうに生身の人間がいるなんて思わないだろうし、ネットのつながりが相互理解を促すとしても、理解した先にあるのは独りよがりな感情の押し付け合いに過ぎない。

 なんとか目的の駅に辿り着いた瞬間、僕は見えない暴力から逃げるようにその場を後にした。

 目的地に着くまで、僕は足を止めるのが怖くなった。電車で行われた透明な蹂躙劇による見えない傷跡が、体中で疼いていて、全身がギザギザでびっしりな牙にかじり取られたように痛いんだ。それも全身、何か所も。

 僕は齧り取られて欠損して、だけど道路に落ちる僕の影は五体満足な人の形を保っている。
 二本の伸びた足も、腕も、頭も、僕が受けたダメージを反映してくれるはずなく、非情な現実を突き付けて訴える。

 風がマスク越しに頬を叩いた。その感触も、見えない欠損を証明することなく、現実の肌を撫でて輪郭を浮きだたせる。

「――っ!」

 気づいたら僕は叫んでいた。
 周囲の人々の視線を集まる。じろりと僕を見る黒目が、込められている意志が強烈に僕を打ちのめす。

 僕は逃げて、走って、叫んで、逃げた。

 助けを呼ぶことはできない。これからしようとすることを考えれば、そんな柔な考えじゃ、この先が思いやられる。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「やあ、杉藤君。ここまで歩いてきたのかい?」

 出迎えた後藤に、歓迎する笑顔に僕は心から安堵した。

 僕の尋常ではない様子に、後藤がぎょっとした顔になって洗練された動作で、僕を客間のテーブルに座らせた。
 出されたのは紅茶ではなくてハーブティーで、ライムグリーンの水面を眺めていると少し気持ちが落ち着いてくる。

 やっぱり、キレイな物の効果はすごい。

 見ているだけで、こんなにも心が落ち着いてくるのだ。
 これがもし、ウンコ色の薬草茶だったら、薬草が水面に海でよく見かける、海藻が絡まったゴミのように浮いているものだったら……。

 考えただけでげんなりした気分になる。見かけは悪いけど、効果は絶大という大きなリターンが無ければ、自分から飲むことはない。

「それで、整形手術を受けてくれる場所を探しているんだね?」

 僕は無言で頷いて、ハーブティーを飲むとレモンのようなすっきりとした味と香りが僕の肉体を可愛がってくれた。こんなきれいな液体が、僕の内側に流れ込んでいることを考えると、それだけで優しい気持ちになってくる。

「過去に、杉藤 貴子も同じことを訊いてきたよ。好きな人がいるから、普通に隣にいられるようになりたい。普通の顔になりたいってね」

 とつとつと吐き出すように紡がれた言葉には、一つ一つに冷たくて重たくて、苦いものが滲んでいた。

「紹介できる場所が確かにある。向こうは、貴子さんのリベンジの為に君の顔を格安で……いいや、無料で切り刻んで作り替えてくれるだろう。だけど、貴子さんは結局耐えられなかったんだ。杉藤顔は何度も何度も元に戻ろうとする。君は何度も何度も顔を切り拓かれて、異物を入れられて、骨をけずられて、薬を投与される。終わりのない拷問が始まるんだ。それでも、君は普通の顔を望むのかい? 君の度胸なら、君の認識しだいで、この世界は自分の住みやすい世界に変わっていくというのに」

 本当にもったいない。

 そんな後藤の本音が聞こえた気がした。
 だけど、二十歳の僕は後藤の言葉も真意も届かない。
 それどころか、後藤の老婆心に対して微かな苛立ちと怒りすら感じた。

 貴方は杉藤顔じゃないから、どれほどこの世が苦痛に満ちているのか分からないのだと。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 思えば僕は友達に恵まれていた。
 学校で一人になっても、変に絡まれなかったのは大川くんたちがいたからだ。彼らが僕を人として扱ってくれるから、周囲は僕をそこそこ尊重してくれた。
 電車の出来事を分析しながら、僕は苦渋に満ちた後藤の顔を眺めている。

「君の意思は変わらないのかい?」
「えぇ。僕はこの顔とおさらばしたいんです」

 そう言ってマスクを外すと、後藤は微かに息を飲んだ。

「…………」

 思っていなかったものを見せつけられて、動揺して、まるで自分が攻撃されたかのように振舞い、だけど、自分の言動を思い出して思いとどまる。
 この老紳士でも、杉藤 俊雄の醜さは想像の上をいってしまったのだ。
 シワに囲まれた瞳が悔いるように伏せられて、僕は微かに溜飲が下がるのを感じた。

「なら、一つ条件がある。君が整形手術することをご両親に話すんだ。君は杉藤家の次期当主、必要最低限の筋を通してほしい。杉藤顔じゃない人間が杉藤家の当主になるのは前代未聞なんだ。本来は、それぐらい重いんだよ」

【つづく】

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