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【加筆・修正ver】杉藤 俊雄 は××したい_89_現世編 07

 なにを言って、と開こうとした瞬間に福田少女の強い瞳に射抜かれる。
 誤魔化しも、逃げも、嘘偽りも許さない強い視線だ。
 彼女は白黒つける気なのだ。ずっと夢を見ることを許すことなく、自らもまた不退転の覚悟を決めてその場に臨んでいる。
 追い込まれたと思ったがもう遅い。
 杉藤の卵のようにつるりとした額から汗が伝い、頬を涙の軌道をたどるかのように滑り落ちる。

「この場に同席するにあたって、葉山先生から資料をいただいたわ。その資料で私は、杉藤 俊雄の整形した顔の変遷に一つの法則があることに気付いたのよ」
「へぇ、そうなんだ。聞かせて欲しいものだね。あなたの妄想とやらを」
「妄想……? そうね、たしかに妄想なのかもしれない。だけど、妄想だと断じる根拠も証拠も、だれもじつは証明できないのよ。自分の中でつじつまが合っていれば、それは妄想ではなくて一つの理屈になる。まぁ、人によっては屁理屈って言われちゃうものだけど」

 彼女は杉藤の心を宥めるように前置きを置き、そして言うのだ。

「あなたの顔、とてもキレイね……貴子を思い出すけど、貴子以上にキレイな顔があるってびっくりしているわ」

――キーン。――キーン。――キーン。

 耳の奥が痛い。金属をこすりつけるような耳鳴りが、ぼくの神経を逆撫でて、苛んで、嫌らしく蹂躙する。

「あなたの顔のモデルは、杉藤 貴子なの?」

 少女/老女が問いかける?

――キーン。――キーン。――キーン。

 ぼくの心へ伸ばしているのは天使の触手ではない。ただの平凡でどこにでもいる取るに足りないババア/小娘だというのに、彼女の言葉は動揺を誘い頭の中に反響して、どんどん大きくなっていく。

 この顔のモデルが杉藤 貴子?
 ぼくは世の枠にとらわれない、究極の美貌を手に入れたわけじゃないの?

「けど、もしかしたら貴子がみなに愛された場合、ちょうどあなたみたいな顔になるのかしら。だれも気づかなかったけど、私には気づいたわ。貴子を知っている人間はほとんど死んじゃったし、みんな多分、貴子が杉藤顔になっちゃった時点で、彼女の顔の記憶が、杉藤顔のままで固定されちゃったから、彼女がありえたかもしれない顔をだれも想像できなかったのかも」

 環境一つで顔立ちは変わる。
 福田の記憶の中での杉藤 貴子は、自分の顔を陰気だと評していた。
 憂いを秘めた神秘的な美貌よりも、杉藤 貴子は口角が常に持ち上がっているような、幸せな笑顔を浮かべられる顔が欲しかったのだろう。
 本当に世の中はままならないものばかりだ。

「面白いこと言うね。つまりあなたは、この顔のモデルがぼくの伯母である杉藤 貴子だと言いたいんだね。だけど、それだけじゃあ、ぼくが五代 公博だって証明するのには弱いんじゃないかな。ぼくは親や友達から杉藤 貴子の美しさを教えられていた。だから彼女に対する憧れもあって、この顔のモデルにした……ってね」
「……だからね。パターンが違うのよ」

 じっと杉藤を凝視していた視線が下にさがる。

「最初に気付いたのは、大川くんが死んだあたりかしら。唇を分厚くして、セクシーにしていたわね。顔のバランスが崩れないように、かなり苦労したんじゃないかしら」

――キーン。――キーン。――キーン。

 耳鳴りが続いている。記憶の奥底で鏡を眺めている自分は、化粧箱を片手に分厚い唇をさらに彩ろうと筆をとっていた。
 コーラル、グレー、レッドブラウン、なかなか渋めな色合いの口紅に筆をそっと滑らせて、ヒアルロン酸の注射で分厚くなった唇を鮮やかに染めていく。そして、指先で軽く押さえて乾かすのだ。

「もうちょっと、柔らかい色合いだったかな。大川くんの唇って、思い出してみると。女の子みたいにかわいい色なんだよね」

 勝手に再生された脳内で、杉藤 俊雄は愛しむように唇を指先で撫でる。まるでそれが、死んだ友達に触れているかのような優しい手つきで、まるで壊れ物を扱うかのような繊細な動きで。

「堀の深さを計算して顔のアンニュイな感じは、緑くんかしら」

 堀の深さを計算して、顔全体がくどくならないようにパステルカラーの色実を足す。

「目の感じは五代くんと早瀬くんを足して二で割った感じで」

 けれどもチャームポイントの瞳はゴージャスに、周囲にラメを散りばめて。つけまつ毛を品よくカールさせて眼の全体を縁どって。

「鼻筋は物部くんかしらね」

 鼻の周囲はすっきりさせたい。見る人の目線を瞳の方に向けさせたいから、不潔さも異物感を感じさせないように、まず保湿をしっかりさせて。

 少女の肩越しに、画面の向こうで福田が悼むように目をつぶり、自分の顔を杉藤 俊雄の顔に見立てるのか、説明した顔の部位を指さして声のトーンを落とす。

「わかるかしら?」

 わからない。わかりたくない。
 あんなに近くにいたのに、どうしてぼくは気づかなかったの?

「杉藤 俊雄は友達の顔のパーツを参考に、整形する自分の顔のモデルにしていたのよ。多分、大川くんっていう身近な友達が死んでしまったから、せめて自分の中にとどめたかったのね」

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

――はぁ、先生の顔ぉ、ほんまうらやましいわぁ。

――なんだよ、急に。

――ワテの眼ぇ、軟弱そうな垂れ目やねん。先生みたいなキリリとした二重の方が、男らしゅうてかっこええぇんやよ。

――そうか? 私はこの目つきのせいで、少しでも強いこと言っただけでも即女子が泣き出すレベルだぞ? そんなこというなら、私とお前の瞳を足して二で割ればちょうどいいな。

――あぁ、ほんまわ。女子にも男子にも好かれる。ちょうどええ塩梅やな。とっしーはどう思う?

――うん、良いと思うよ。キレイで繊細で想像するだけでうっとりしちゃう。

……そうなんだ。
 なにげない会話の中で、君はその時から。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 頭が割れるようにズキズキ痛い。

「杉藤 俊雄の中には友達がいた。だけど、貴方の中には誰がいたの? 誰が貴方の心の中心にいたの? 貴方が生きるために拠り所にしていたものは一体なに?」

 言っていることの意味が分からない。

「ばかばかしい、この顔のモデルが杉藤 貴子をモデルにしているって、ばかも休み休み言うなよ」

 やっと手に入れた顔に、汚い言葉が出てくる。やめてくれ、やっとキレイな顔を手に入れたのに、ぼくにこんな汚いものを出さないで。こんな低能な会話をするために、こんな唇にしたんじゃない。

「私は整形手術をしたことがないから分からないけど、凄腕の医者だって患者の希望を聞くものだと思うわ。だって美しいって価値観なんて人それぞれじゃない。あとで揉める可能性を考えて、患者ときちんとコミュニケーションを取ろうとするはずよ。貴方は医者に自分の理想を語った。その理想の形が今の貴方の貌。杉藤 俊雄だったら、貴方を含めた大切な友達のパーツを事細かに語って、今の貴方とは別の顔になっていたでしょうね」

「…………」

 反論を。なんとか目の前の女を黙らせるような、確固とした根拠を示さなければ。理論を組み立てて、血の通った感情をおりまぜて、相手に明確に伝わるように言語化して……。

「…………っ」

 声が出ない。汚濁のような感情の迸りが喉をふるわせて、ぼくが声を出すことを妨害している。

「…………」

 言葉にならない。この女に負けたくないという意地だけが空回りして、意味のある言葉を紡ぐことができない。

「……っ!」

 ああもう! くそったれ!
 いいから早く喋ってくれよ、ぼくの口!

「……っ、……っ!!」
「……体はね、正直なのよ。宿主である魂に抵抗するほどにね」

 憐れむ声を合図に少女の幻影が消えていく。
 消えた先に見える、こちらの状態を見透かすような、悲し気な福田の顔が癪に障った。この場にいたら、彼女の顔をズタズタに引き裂きたかった。
 目をくりぬいて、鼻を潰して、唇を十字に引き裂いて、皮を剥いで、皮膚が露出している部分を煙草で押し付けて、歯を丁寧に一本一本抜いたら、抜いた歯をくりぬいた眼窩の中に押し込んで、舌も引っこ抜いたらすり潰して、ピンクのペースト状にしたやつを……。

「整形手術もそうだけど、あなたの身体はすでに限界を迎えているわ。不自然な状況がずっと続けば、ゆがみはいずれどこかで破綻する」

 聞きたくない言葉現実を聞きながら、ぼくは自分の体が熱を帯びていくのを感じていた。そして、全身を巡る血液の流れを意識した時、頭の奥で赤く弾けるモノを感じた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「どうしたんだ? この前は不幸のどん底の顔だったのに?」

 君になにがあったんだ? 
 どうしてそんな幸せそうな顔が出来るようになったんだ?

「そうかな? そうなんだね。じつはね」

 そう言って、君はなんだか悪戯を思いついた子供のように、無邪気な顔をしていたね。いつも計算尽くで取り繕った君とはかけ離れていて、幸せそうで無防備な君は、なんだかとても薄いガラスのように儚く見えた。触れたら壊れて、もう元には戻れないような。

「真由とね、ケンカしたんだ。とはいっても、僕の方が一方的にキレ散らかしていただけだったんだけど」

 ケンカ? おおよそ君からはかけ離れた行為だ。君はいつも平和を望み、みなが仲良く穏やかに生きることを心掛けていたのに。

「不思議だね。汚い言葉をいっぱい投げかけたのに、真由は僕のことを受け入れてくれたんだ。え? 信じられないけど、本当なんだよ。彼女の匂いでわかるもの」

 あぁ、君を壊してしまいたい。
 これ以上、あの女に汚される前に。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 画面の向こう側でベッドに拘束されている少女が、凄まじい形相で福田を睨みつけている。白い顔を真っ赤にして、歯並びの良い歯をぎしりときしませて、血走りにした瞳に強い殺意をのせて、福田を感情だけで殺せないかと思考させている。

――貴子、これがあなたの見せたかったこと?

 五代 公博が自分に見せてくる、様々な生々しい感情と顔は、貴子がずっと自分に見せてくれなかったものだ。彼女は臆病で繊細で……そして、いつも孤独だった。

 懐かしさと寂しさが、福田の心臓を掴みあげて締め上げる。苛むような息苦しさに耐えながら、杉藤 貴子が自分に伝えたいことを想い至って、鼻の奥がつんと痛くなった。

 もし自分の考えが正解だとしたら、こんな残酷で滑稽な話はない。

 自分の血を分けた息子たちを駒にして

 彼女は自分の本懐を

 今

 遂げた。

「ありがとう……」

 ぽたりと零れたものに気付いて、福田は自分が泣いているのだと気づく。

「ありがとう。私に貴子を会わせてくれて」

 貴子の訃報を風の噂で聞いたとしても、私の中で杉藤 貴子は生きていた。思い出の中で生き続けて、彼女と交わした会話をゆっくりと噛みしめて、自分たちに降りかかった理不尽に憤り、世界よ滅べと唱えながら、自分たちの未来がきっと明るいものであると信じていた矛盾した願いと希望。

 己の宿した青春の影に囚われることで、大切な人がいない世界を生きる折り合いをずっとつけてきた。
 迎えた限界を延長できたのは、園生 緑のおかげだろう。彼なりの悪意の向き合い方は私にとって新鮮であり、仄暗い喜びが麻酔のように現実感を麻痺させて、辛い現実を忘れさせてくれた。彼がいなかったら、とっくに自分は命を絶っていたことだろう。

 自分の中にずっしりと詰まっている、杉藤貴子の思い出。自分が生き続けるためのよすがが、砕けて、壊れて、白い砂となって消えていく。

 眼前の杉藤 貴子の面差しを宿した男の存在が、福田自身がかけてきた生きるための呪縛を解いていく。

 貴子、あなたは本当に死んでしまったのね。

 ずっと目を逸らしてきた現実と向き合った瞬間、全身に途方もない脱力感が襲い、福田の意識は闇に溶けた。

【つづく】

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