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【加筆・修正ver】杉藤 俊雄 は××したい_94_終幕

 三年後 20××年 東京某所。

 墓参りを済ませた本田と八幡は、近くの喫茶店にてお互いの近況を報告していた。本田は妹の幻聴から解放されたと話し、八幡の方は葛西真由の遺骨が、敬愛する上司であり本田の父親の墓に収められたことを喜び、定年制が撤廃されたことでずっと刑事として働き続けられることを愚痴交じりに語りあう。

 この三年でいろいろあった。
 事件の真相究明に貢献してくれた
――福田 エリ子が亡くなり、園生 利喜が亡くなり、葉山 甲斐も亡くなった。
 まるで役目を終えたように、三人とも安らかな死に顔だったのが印象深い。

「来月ですね。私達の休職が終わるのは」

 八幡はそう言って窓側の席に座り、遠くを見る目で七月の町を見る。四十度近くの日差しがアスファルトを焼き陽炎を立ち上らせて、熱風が容赦なく吹きすさむ乾いた世界。なにも解決することなく世界は平然と続いている。

「あぁ。だが、また海外だとさ。公安の連中のしりぬぐいだ」

 三年前。公安に五代公博を引き渡した二人は、これで終わったと信じていた。公安よりさきに帰国して二人に下されたのは長期休暇。日本の暗部に踏み込んでしまった代償であるから仕方がない。常に見張りをつけられて、言動を記録されていることは、二人とも知っていたが気に留めることはなかった。

 休職が明けの連絡が来たのは、周囲が安心して無罪放免になったからではない。新たな問題が発生して、二人の力が必要になったからだ。

「五代公博が逃げたらしいな」

 店内には自分たち二人以外誰もいない。店員は店長のみであり、やる気がなさそうな店長はカウンターの奥に引っ込んでいる。微かにテレビの音声が聞こえてきていることから、カウンターでのんびりテレビを見ているのだろう。用件があればテーブルに設置されているボタンを押せば済むのだから。

 本田はアイスコーヒーに口をつけて、苦くて冷たい液体と一緒にこみ上げる感情を胃に流し込む。
 自白剤を打って、必要な証言をまとめればそれでおしまい。証言はすべての人間が納得できるように、きれいに捏造されて、さらにマスコミと関係各所の学者たちによって、それらしい分析やら解説やらを添付されつつ、世に出す準備を着々と進められていた。

 ある意味、本田と八幡は幸運であり、公安は不運だったのだ。
 なにせ取り調べの準備が整う前に、五代公博の顔が崩れてしまったのだから。

「ここに来る前に報告書を拝見いたしましたが、かなりひどい状況だったらしいですね。公安が詰めていたホテル丸ごと機能不全。コロナの上に、明けたと思っていたスコールが再び降り出したことも含めて、ひどい不運が重なったと申しましょうが……」
「杉藤 貴子の呪いだと言っているヤツがいるらしいがバカバカしい。ずっと我が子を駒にして、いまさら母親ずらして息子を助けよおってのか。俺からしたら、とんだおめでたい考え方だ。反吐が出るっ!」

 吐き捨てる本田は、公安に引き渡した時の五代の顔を思い出した。なにもない空間に向かってぶつぶつと話しかけて、なにも見えていない瞳には闇が広がっている。心が折れて満身創痍の肉体、もはや逃げる気力なんてないと思っていたのだ。
 これは自分の落ち度だと本田は思っている。自分たちの優先順位に拘泥するあまりに、肝心な疑問に目を逸らしていた。

 すなわち、五代がタイに潜伏するにあたって協力者がいた可能性だ。
 金があるとはいえ、偽造パスポート一つでは無理がある。

「物部 雪彦の叔父……ですね」

 協力者として容疑がかかったのは、病院で亡くなった物部 雪彦の叔父という人物。彼が脅されて協力したのか、自分から協力したのかは定かではないが、彼がタイで個展を開いている時期と、五代の潜伏と逃走の期間が被っているのは偶然にしては出来すぎている話だ。

 この男――物部氏は、東南アジアを中心に活動しているそこそこ著名なアーティスト……との話であるが、最近の彼の行動にはきな臭い噂がつきまとい、宗教じみた活動をして小さい訴訟を何件も起こされていると聞いている。

 タブレットで彼の名前と宗教、東南アジアのキーワードを打ち込めば、必ず出てくるのは御神体である壺だ。天使のごとき両翼を携えた大きなツボは、人がまるまる一人入りそうなほど大きく、いかにも教祖っぽい胡散臭い格好をした男が、壺の横に立って演説をしている。この宗教の広告塔となっている米井は、ユーチューバー【とっしー】の熱狂的なファンとして有名だった男だ。

 動画の中で米井が終末論と最終戦争を演説し、多くの信者たちが熱狂して声を上げる。

『私達には天使がついている。この世の真理を理解し、神の御意志を我々の言葉で通訳してくださる天使様だ……、天使様はこの薄汚れた物質界は滅びるべきだとおっしゃっている。私達人間は豊かさと引き換えに、多くのモノを失い、大切なものを消耗品のごとく扱うようになった。美しさと醜さ、それがなぜ存在するのか考えたことがあるでしょうか。それは真実を見抜く第三の眼を養うための大切な試練なのです。さぁ、この御神体をのぞき込んで、この世の真実と対峙して御覧なさい。そして自分たちの存在の愚かさに気づくのです。天国の門はすぐそこまで――』

「なるほど、恐怖と好奇心。カルト教団たらしめる要素があるわけだ」

 タブレットから目を離した本田は、疲れた顔で眉間を揉んだ。
 人の精神を錯乱させるほど醜い存在。そんな危険な存在と知らずに、自分たちは対峙していたわけだ。
 杉藤 俊雄の背後には日本の暗部が蠢いていた。事件の首謀者が杉藤だろうが五代だろうが闇に葬られることは決定しており、逃走して行方不明のシナリオを採用し幕を締める予定だった。
 真相は闇の中。死んでいないことを除けば上の人間にとって、ほぼ理想的な展開だったともいえる。
 福田の言葉を信じるならば、そのまま放置していれば死ぬだけの存在だ。
 定められたシナリオは揺るぎない。

 が、信奉する人間が存在し、多くの人間が得体のしれない存在を崇めている危うい状態。令和の大量殺人鬼を生きている上に、異国の地でカルト教団のシンボルとなっている状況を無視できるほど、日本の上層部は神経が太くない。

 逃走を良しとして見逃してしまった失態に加えて、将来の禍根と脅威となるのならば、早々に手を打ちたいのが本音であるのだろう。

 物部の叔父という分かりやすい立場。杉藤 俊雄の協力者、その親戚。権力を行使すればしょっぴきやすい立場の人間が、まるで挑発するようにメディアに露出しはじめたのだ。見え透いた罠であり、本田と八幡の二人はわざと罠にはまることで、相手の懐の奥深くに潜り込むことを余儀なくされる。

 危険度は前回の比ではない、二人対大勢だ。
 生きて日本の地を踏む可能性は低くがやらなければならない。
 
 物部氏を超法的措置の元、表向きは物部を逮捕して五代公博を確保する。
 
 どちらかが死ぬか、どちらかが生きるか。だ。

「はぁ、この宗教の演説を聞いていると。タイのホテルでのことを思い出しますね。人の愚かさ、人の見かけ……自分たちは被害者であり加害者」

 八幡はやれやれと肩をすくめて、本田の方は付き合ってられんというふうに息を吐く。

「まぁ。真理だろうけど、これは人類がずっと解けなかった問題だ。そんな問題を今更俺たちが解けるわけないだろう。というか、そんなこと考えなくても生きていけるのに、どうしてこうも人が集まるのかね。なんでもなくても生きていけるって、どうして誰も言ってやらねぇんだろう」

 若い頃は確かに、答えのない問いかけに熱中した。
 自分の存在をかけるほどに熱中して、だれかが自分の疑問に答えてくれないかと切実に願ったこともある。

 けど、結局他人の寄りかかって得たものは、××だ。

 定まらず、固まらず、吐しゃ物のように不定形で、いつまでもわだかまっている。 

 ふと、本田は思った。 自分たちは被害者であり、加害者であり、そして傍観者であると。

「いやはや、この状態が五代の意思なのかはわかりませんが。かなり厄介なことになりましたねぇ」

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 八幡は緑茶を飲み、湿らせた舌で乾いた唇を舐めた。
 死地へ送り出される自分たちの状況、勢力を伸ばし続けるカルト教団、反社と癒着が露見した政治家たちは、適当な生贄を見繕って責任をとろうとしない。
 熟れた果実の行きつく先は、腐敗して大地に還るだけ。この国においては、大地に還れるほど栄養が残っているかは疑問であるが。

「はぁ。杉藤 俊雄がもし政治家になれたら、こんなことにならなかっただろうな」

 少なくとも、過去の杉藤家は市議会選挙に出馬しようとした。そこへブレーキをかけたのが後藤家だろう。杉藤家が政界に進出してしまえば、異能の力で自分たちの特権階級が脅かされるからだ。後援会と言えば聞こえはいいかもしれないが、実態は政府が送り込んだ監視役なのだろう。

 その後の後藤家は、杉藤 俊雄の凶行についての責任を追及されたものの、兆単位の保釈金やら遺族への賠償やらをあっさり払って放免されてしまった。 大金を積めば罪も責任も免除される。ひと昔に連続殺人をおかした殺人鬼も出所して、高らかに幸せになれる。
 なんてすばらしい法治国家だ。反吐が出る。

「五代がいろいろと、彼を惜しんだ気持ちがいまなら少しわかりますね。杉藤 俊雄は意識的なのか無意識的なのかはわかりませんが、殺しの手口があまりにも直接的過ぎる。そうですねぇ。なんでもいうことを聞く身体を潰された子供たちが、本当に存在したのならば殺さずに活用すればよかった。その工場をフル活用して遺体をどろどろに溶せば、産業排水と一緒に流せることも出来た。大川家や早瀬家を巻き込むことなく、杉藤家単独で処理できることが多かった」
「ははははは……。まぁ、杉藤家なら出来ただろうし、山中崎には山岳宗教的な土壌があるから、その気になったらカルト教団の教祖になった可能性もあったわけだしな。もしかしたら、今、五代が御神体になっているカルト教団よりも規模がデカくなって、日本を裏で支配していた可能性もある」

 ありえたかもしれない可能性。最悪の未来。杉藤 俊雄には常人には手にすることができない、強大で無限の可能性が確かにあったのだ。
 それの行きつく先が、復讐という名のみみっちい連続殺人な上に、友人に騙されたあげくに死後まで利用されて、遺骨は協力員の葉山によって某大学に極秘裏に収監され表に出ることはない。

 杉藤俊雄の大きな敗因は、友人たちの存在にこだわったこと。
 友人たちを巻き込んで、自身を矮小化させることで不幸な自業自爆に陥ってしまった。
 彼を大切に思う友人たちがいたからこそ、容姿の件でバカにされることも、貶められることも、比較されることも、その他大勢の残酷な感情に晒されることなく、トラブルに見舞わられても平等に不幸を分かち合って、彼らは固い絆を手にしたはずなのに、杉藤 俊雄が気づかないゆえに自ら破滅を呼びこんでしまった。

「年を取るっていやですね。愚痴っぽくなってしまって」
「まったくだ」

 八幡に同意する本田は、お互いに確実に老け込んだ顔を見つめ合って苦笑を漏らす。自分たちの関係は上司の部下、父の相棒であり部下であり、その父の子供。長年の修羅場を掻い潜ってきた同士。友情と表現できない分、互いに語り尽くすことのないエピソードがたくさんある。

「あーあ、このまま世界が滅びればいいのに」
「あははは、なつかしい。学生時代によく言っていましたね。けど、もうすぐ五十代の言葉じゃないですよ」
「おいおい、笑うなよ。ったく」

 西に傾いた陽光が目に染みて、本田は目をしばたたかせながら窓のブラインドを下げた。じゃっと音を立てて、ブラインドが二人と世界を遮った。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 もうすぐぼくは死ぬ。
 だけど恐怖はない。後悔もない。だってぼくは生きたいと願ったから。
 結局まわりに振りまわされて、逆にふりまわしてきたけど、生きたいと願った。生きる目的なんてなかったけど、幸せを感じることも不幸を感じることも、友情と残酷さと美しさと醜さと、誓いと約束と恩讐とさまざまなことをうけとってきた。
 その中で唯一果たせないのは責任だけだ。

「うっげぇ……っ」

 えづく声が暗闇に響いて、僕の頭上から生温かい液体が降り注ぐ。苦くて酸っぱくて、どこか甘さを感じるソレは定期的に降り注いで、えもいえぬえた匂いが狭い空間に充満して気持ち悪い。数時間後には風呂に入れてもらえるけど、なんのなぐさめにもならない。

「―――っ」

 また闇の向こう側で誰かが叫んでいる。前は聞き取れていた言葉が、今は耳の中を音と振動が素通りするだけだ。頭上を仰げば太陽でも月でもない、人間の眼が二つ、ゲロまみれのぼくの醜態を眺めて表情を歪めている。

 ねぇ、気づいているかな。ぼくたちは無意識に互いに影響を与えながら生きているんだよ。体はバラバラなのに、存在と存在はがっちりと結びついている。生きていても、死んでいても。

 ぼくの不幸を糧に、きみは、なにを手に入れるの?

【エピローグ】

――ピシッ。

 それは突然だった。
 暗闇から亀裂が入り、まるで超新星が爆発したかのように、溢れんばかりの光が五代の身体を包み込む。

「あー、くさ。っていうか、ひどい。つーかまじありえない。ツボぶっ壊したら、本当に中にジジイいるし」
「……ぅぁ」

 光の中をキャンキャンと少女の声が木霊する。
 長い間、闇の中で生活した弊害で外界の明るさに目がくらみ、声をかけようとしても、舌が口の中に貼りついてまともに声を出すことができない。

「あー、大丈夫大丈夫。わたし、一応、味方。だいたいの事情はおじいちゃんからきいてるから」

 目の前で小柄な人影が揺らぎ、瑞々しく頼もしげな声が光の世界に響いている。ぶんぶんと元気よく、壺を叩き割ったであろう鈍器らしき影を振りまわす溌溂とした落ち着きのなさ。影法師の年齢は十代ぐらいだろうか。
 五代は光の中で懸命に情報を拾い、自分に起きたことを理解しようとした。
 彼女のいう【おじいちゃん】とは……。

「あ、ぉぃい?」
「そっそっ。杉藤 俊雄がわたしのじいちゃん。死んでも死にきれないのか、わざわざ夢に出てきて友達を助けてくれってうるさいのよ」
「……っぁ」

――杉藤 俊雄は友達を助けたい。

「とりま! 自首しましょ。少なくともここより人間扱いされるよ」
「…………」

 強引に手を掴んで立たされる。
 鮮烈な光の中で、少女と共に走り出す。

 20××年 未明。
 五代 公博 緊急逮捕。

【了】

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