見出し画像

【加筆・修正ver】杉藤 俊雄 は××したい_19_小学生編 08

 気づいたら病院にいた。白くかすむ天井と、網戸から吹き込む風が白いカーテンを揺らしているのが見える。どうやら、外は晴れているのだろう。柔らかな初夏の日差しに背を向けて、看護婦さんがなにかをを書き込んでいるのを見つけた。僕が声をかけると。

「ぁ……」

 出した声はしゃがれていて、喉の奥がすごく痛む。
 あぁ、そう言えば、首を絞められたことを思い出しつつ、どこかまだ、自分に降りかかって出来事と自分の意識が結びつかない。いや、頭が結びつくことを拒絶しようとしている。全身が熱っぽくて、まるで風邪にかかったような状態。……ぜんぶ、病気が見せた悪夢だったらよかったのに。

「あ、よかった。目がさめたのね」

 砂利のように小さい声を拾った看護婦は、目が覚めた僕に近寄って「良かった」と、僕に微笑みかけた。僕の醜い顔に動じない「よかった」と笑う顔に、猛烈に気持ちが波立っていく。
 胃がムカムカして、怒りで呼吸がおかしくなりそうだ。
 なんで、大人は意味もなく「よかった」と言うのだろう。

 声をだすのが億劫だったが、僕は必死に言葉をつむいだ。

「み………んぁ、ぇん”、だ、じょ、ぶ?」

 みんな大丈夫?

 電波の悪いラジオのような声だ。看護婦が正確に聞き取れるか不安だったが、それは杞憂だったらしい。

「えぇ、みんな無事よ。別の部屋にいるけど、同じ病院にいるからね」

 安心させるようにいう言葉の端々には、温かいものが水のように溢れている。その言葉は僕の心に浸透して、ようやくやっと助かったのだと安堵した。
 
 
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 筆談が出来るまで回復して分かったことは、僕たちが入院している病院は、五代くんの家が経営している病院の一つであることと、僕が幼稚園の時に入院した病院と同じだったという二点だ。

 与えられた病室は、病院の三階に位置する個室のタイプで、ベッドの横には冷蔵庫と、冷蔵庫の上に小型のテレビがあり、収納のための大きなタンスが備えられていた。
 出入り口付近にはトイレと洗面台があり、採光用の大きな窓が、部屋を明るく照らしている。
 白い天井と、淡いクリームイエローの床、壁はアスパラガスのような緑の壁紙が貼られていて、まるでホテルみたいな内装だが、病院に流れる独特な空気は誤魔化せない。
 生きようとする活力と理不尽に対しての諦めが拮抗している、不安定な空気感。消毒の匂いとともに、病院の庭に植えられた植物が季節の匂いを風に乗せていた。
 時折、庭に設置された噴水の水音が聞こえて、水に戯れる鳥たちの羽ばたきや鳴き声が、不安で揺れている心を和ませる。

……いつまで、ここに入院するんだろう。
 みんなどうしているんだろう。

 そのみんなには、父さんや母さん、弟や妹、それにこの病院のどこかに入院している友人たちが含まれていた。

 僕は知っている顔がないか、窓を開けて外を見る。
 三階から見下ろす庭は、元気のいい緑で溢れていて、噴水広場に憩う患者と看護婦の姿が見えた。
 残念だけど、大川くんも五代くんの姿も、家族の姿もなかった。

 さびしい。

 光の溢れる世界は、僕の嫌な現実を浮き彫りにさせる。
 僕の居場所はここにはいない。僕が安らぐ世界はここではない。
 僕は暗闇に還りたくなった。 
 幼稚園の物置小屋に閉じ込められた時の、皆の視線に解放された暗闇。
 山で遭難した時に感じた、お互いの境界線がなくなり、一体感を感じられた暗闇。

 僕にとっての理想の暗闇へ、僕は辿り着くことが出来るのだろうか。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 

 初めて面会に来たのは両親ではなくて警察だった。
 警察手帳を見せた制服姿の男は、僕を見てぎょっとした顔になったあと、顔を直視しないように、勤めて優しく声をかける。言葉の端々から嫌悪感がにじみ出て、体中からは、まるで発酵した玉ねぎのような匂いを発して、話をするだけで僕は苦痛で苦痛で仕方がなかった。

「時間はとらせないし、無理のない範囲で答えて良いからね。あとは、私達大人に任せて」
『はい、わかりました』と僕は渡された紙に鉛筆を走らせた。
「それで遠足の帰り道に、最後尾を歩いていた君たちは、別に道に入り込んで、そのまま山の奥に入り込んでしまったと」
『えぇ、そうです』

 なにもない白い紙に、言葉ではなく、伝えたい要点をまとめて文字に書き出そうとすると、頭の中にその時の情景がよみがえった。後ろの列を追って、荷物を背負い必死に歩く僕たち、視界に飛び込んできた黄色いテープを――目印にしていた。

 あぁ、どうしよう。もどかしい。

 クラスメイトたちが故意で、僕たちを迷わせようとしたことを証明できる決め手がない。道に迷ったのではないかと焦り、木の幹をぐるりと巻いて、木々をロープのように張り巡らされている黄色いテープを見つけて、僕たちはそのテープを頼りに山中に入り込んでしまった。

『あの黄色いテープは、道路とか施設に行ける目印と思っていたのですが、違うのですか?』
「あー、なるほど。君たちは子供だから知らないだろうけど、君たちの言う黄色いテープは、山とアスレチック施設をわける境界線のかわりだったんだよ。境界線の目印を、勘違いして山に迷い込む……よくある話だ」

 ここに来る前に、あらかじめ遭難した現場を調べたのだろう。うんうんと頷いた警察の男は、自己満足に陶酔しきったゆるみがあった。
 自分たちの理屈に適う原因が解明できて、それだけで満足した様子だった。

 僕は敷布団の中で拳を作る。

 違う。絶対故意だ。強い敵意の匂いがした。

 そう、説明しても、大人たちが納得しないのが分かっていた。

 警察とのうんざりとしたやりとりで分かったことは、警察や学校は事故――僕たち四人の【過失で遭難したこと】にしたいらしい。
 さらに、担任の宇都木先生が責任を取って辞職することがわかった。宇都木先生には、少し同情してしまった。が、彼女がクラスのいじめを放置したツケが僕たちにまわったことを考えると、何とも言えなくなる。
 彼女はどのタイミングで、僕たち四人が帰りのバスにいないことに気付いたのだろう。熊谷がいないことでトラブルなんてなかったし、去年みたいに突き落とされることなんてなかったから緊張が緩みっぱなしで、ろくに点呼も取らなかったのではないか。……ありえそうで、笑えない。

 そしてまた数日が経過して、ようやく両親が面会に来た。母も父もげっそりとやせて、弟と妹は家政婦に預けたことを説明する。
 ちょっと残念だ。僕が居ないことで弟たちは泣いていないだろうか、それとも、あっさりと僕のことなんて忘れてしまったのではないか。
 また孝雄と一緒にアンパンマンを見て、和子に絵本を読んであげたい。それはもう、叶わないのだろうか。

「ごめんなさい。結局、私が足を引っぱっちゃったのね」

 僕たちが遭難した原因を、母は自分のせいだと位置づけているようだった。不安だからと、僕の荷物をいろいろ詰め込んだせいだと。
 父は母を慰めつつも、僕も頭をそっと撫でて目を合わせる。

「俊雄。すまないな。今回は向こうの親たちが弁護士連中をつけて、強硬に自分たちに非がないことを主張している。しかも、厄介な人権派も味方につけてな。このような行動をとっている時点で、自分たちの子供が、後ろ黒いことをやっている証明となっているのだがね。今回は幼稚園の時のように一掃できない。許してくれ」

 父は僕に噛んで含めて、ゆっくりと僕に伝えた。
 僕も警察の態度から、クラスメイト達が裁かれないことが分かっていた。だから、黙って父の話という名の愚痴を聞いていた。

――杉藤家の恩恵を受けてきたクセに恩知らず。
――父さんや母さん、姉さんの時はそんなことにはならなかった。
――杉藤家に弓を引いて、この土地で生きていけるかと思うな。

 チワワのような眼をぎょろつかせて、口から飛び出す黒くて赤い呪詛と怒り。
 父の話を小学生の僕が理解することはできなかった。だけど、加害者が完全武装をしたうえで、厄介な連中を味方につけている状態であること、僕の代で次第に杉藤家の力が通用しなくなっていることが理解できた。

 小学生の僕は幼稚園の僕よりも、現実が分かっていて、父の言葉に悲しくなる。

――杉藤家に弓を引いて、この土地で生きていけるかと思うな。

……だったら、別の土地に移住すればいい。
 父の中ではここ、山中崎が世界の中心だと思い込んでいる。この土地を離れたら人最後、悲惨な最後を迎えると思い込んでいる節がある。
 そんなこと、あるはずないのに。

 僕はふと疑問を覚えた。ずっと考えないようにしていたことだ。
 卒園式で姿を消した子供たちは一体、どこに消えたのだろうと。

「すまない、俊雄。本当にすまない」
「ごめんね、怖かったわよね。お母さんを許して」
「……」

 両親は悲しみにどっぷりと浸った。父と母の身体から、果実が発酵した甘い匂いが漂ってきて鳥肌が立ち、僕はなにも言えずにシーツの端を掴むしかなかった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 悲嘆にくれる両親を慰める、息子。
 大人の僕は呆れた瞳で、逆転してねじれた面会にため息をつく。

 母がいろいろと、荷物を詰めてくれたおかげで助かったのは事実なのだ。
 なのに、自分のせいだと嘆く姿をみると、感謝の念が萎えてしまう。助けられたという現実を忘却に押しやってしまう。そうやって母は、いつも僕に対して感謝の気持ちを雑草のように摘んできた。

「悲しい」とは不思議な感情だった。
 喜びよりも相手の気持ちに訴えかけて、怒りのような強さはないが、相手の心に爪跡をのこす。

 悲しくて泣いている当人は、その影響力を考えることなく、独りでよがって内面の海に溺れていくだけ。

 僕は母に感謝したくても出来ない。
 それが、僕にできる母の感謝だから。

 悲しみに酔うことでバランスをとる母は、息子に感謝されたら、ダメな自分として酔える要素が無いのだ。そうやって、彼女はずっと自分がかわいそうなままで、満足に死んでいった。母はそれでよかったのだ。

「ねぇ、俊雄。なにか、差し入れて欲しいもの無いかしら? まだ食べ物を食べるのが辛い?」

 視点が小学生の僕に戻る。
 母の申し出に、呼応するように包帯にまかれた喉が痛んだ。病院食はまだ流動食で、固形の食べ物を食べたら痛みで咽せそうなのが想像できる。メロンとか桃とかの、柔らかい果物が欲しいと頭が嘆くのに、体が食べたいものを拒絶するのだ。
 だから……。

『化粧品、一式が欲しい。また、僕にお化粧をして欲しい』
「え」

 紙を渡された母は当惑した顔で僕を見た。言葉ではなく、ちゃんと意志が文字となっているのだ。伝え間違いなんておこらない。

「それで、いいの?」
『いいの。母さん言ったよね。僕には可能性があるって』
「えぇ、そうよ。そうよね」
「……化粧か。俊雄、お前はそれでいいのか? それが、お前の望みなんだな」

 父は少し念をおすように言ったが、僕は首をこくこくと上下に振った。少し、痛かった。

『いやああああああああああああああああああ、化け物おおおおおおおおおおおおおおおおお』

 あの時の、園生くんに罪はない。
 錯乱している上に、ひどい死体を見たんだ。理性が吹っ飛んだ状態だから、僕のことを誤認してもおかしくない。
 だけど、年単位で彼と思い出を積み重ねていた分、堪えるものがあった。理性も記憶もない、まっさらな状態で僕を見たら、結局、僕は化け物レベルの醜い顔なんだ。
 友情を疑いたくない。小学校に入学してから、三年と言う月日をともに過ごした。彼との思い出が嘘だったと思いたくない。意味がなかったと思いたくない。

 結局、友情を感じていたのが、僕だけだった。
 幸せだったのは僕だけだった。
 みんなに我慢をさせて、僕はなにも知らずに笑っていた。

……そんな、虚しい妄想に囚われる。

 僕は生きている価値なんてない。生きているだけで、周囲の時間と労力を奪って食いつぶしている寄生虫なんだ。

 イヤな汗な顔中を濡らした。気分が悪くなって、顔を洗おうと洗面台に近づくと、鏡に自分の顔が映り込む。狆《ちん》くしゃの中央に寄っている、ぶよついた丸顔。成長と共に丸みが少しとれて、引き締まってきたと思っていたが、それは僕の思い込みだった。

 呼吸を整えて、気持ちをまっさらに自分の顔を覗き込むと、粘土を無理やり縦に引き延ばされたような歪さがあり、顔中のパーツが、見えないフックに釣り上げられたかのように上にひきつっている。鼻なんかまるでブタの鼻だ。

 化け物……。

 必死に目を逸らしてきた醜さに、涙が出てきた。思い出す、杉藤本家の屋敷で見た、歴代当主たちの写真は、どれもこれも人の形を逸脱していた。僕が大人になった時、果たして自分はどのような顔になっているのだろう。

 僕の友達は、そんな僕の傍にいてくれるのだろうか。

「う……うぅ……」

 どうして、僕がこんな目に?

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 それからさらに数日が経過した。
 会話ができるまでに回復すると、点滴を刺しながら、病院内を移動する許可をもらえた。

 僕が最初に訪れたのは、命の恩人である五代くんの病室だった。まだ彼が入院しており、同じ階の端の部屋にいることを主治医の先生が教えてくれた。礼を言おうと訪れた時、僕はびっくりして息が詰まりそうになった。

 五代くんの頭には痛々しい包帯が巻かれていた。

「やぁ、杉藤。お互い、悪運がよかったな」

 安心したように表情を緩ませる五代くん。彼の病室は、僕と同じ個室タイプで内装も同じだったけど、ベッドの横には本棚があり、部屋の隅には洗濯物を干すX型のスタンドが置かれ、壁には学校の時間割とプリントが貼られていた。よく見るとタンスの下の収納ボックスには、ランドセルも置かれている。

 病院にはあまり似つかわしくない、生活感の溢れた部屋に、僕は内心首をかしげる。

「あ、うん。助けてくれてありがとう。あの、その頭の包帯は?」
「あぁ、入院初日に階段を踏み外してね。頭から落ちてしまったんだ」

 なんのことはない、と話す五代くんは、僕の目を見ようとしなかった。

 消毒の香りに交じって、五代くんの匂いが僕の鼻腔に入ってくる。その光景は……。

「真夜中の病室、学生服の男、廊下に連れ出されて階段から……」

 断片的に見えた光景を僕は語る。すると、五代くんは目を逸らしたまま自嘲気味に笑った。

「すごいな、そこまで分かっちゃうんだ。というか、それだけ参っている証拠だよね。そうだよ、私の兄――五代 幸博《ごだい ゆきひろ》が私を階段からつき落としたんだ。さすが、我が五代家の期待の跡取りで自慢の息子。誰よりも繊細な神経を持ち合わせているらしい」
「そんな、なんでお兄さんが、君を階段から」
「私が入院したからだろうね。家にいないから、私を使ってストレス発散できない。ということで、こう、どーんと」
「ひどい、ひどいよ。君のお父さんとお母さんは、そのこと知っているの?」
「知っている。だから今年に入って、この病室に避難させてもらったんだけどね。ふふふ……、もう暮らしていると言っても過言ではないかな」

 五代くんは、あまり自分のことを話そうとしない。
 お兄さんとの関係に悩んで、母親から冷遇されていることは知っていたけど、まさかここまでヒドイなんて。

「なにせ私は、父が浮気して孕ませた妾の子だからね。とはいえ、その実の母親もどんな人なのか知らないけど」

 隠す必要がないと気づいて、五代くんは饒舌に自分のことについて話した。目の端に涙を光らせながら、吐き出すように語る五代くんは強がるように、口の端を持ち上げて見せる。

「結構、得られるものもあったよ。痛みを楽にする呼吸とか、緑を一発で落とした関節技とか、わざと痛がって相手を満足させる演技とかね。こんど、教えてあげよっか?」
「…………」
「あぁ、ごめん。調子にのった」

 僕のきまずそうな顔に気付いて、五代くんは空回りのテンションをひっこめる。

「ねぇ、あの死体。なんで、ここで死んでいたと思う?」

 本音は別の明るい話題に切り替えたかった。だけど、今の僕から出てくるのは、自分にたちに降りかかった理不尽に関することだけだった。

「どうせ、自殺の死体だよ。最近、うちの病院によく自殺者の死体が持ち込まれるんだ。刑事ドラマでよくある【検死】ってやつを、警察に依頼されてうちの病院はやっているんだよ。まったく、最近はノストラダムスの大予言を気にして、自殺するヤツが多くて困る」
「検死って、五代君の家ってすごいんだね。そういえば、あの時の五代くん、死体があるって分かっているみたいだったけど」

 近くで見ていないけど、あれはヒドイものだってわかった。
 人間はあそこまで壊れて、醜く崩壊していくのだと、思考の深みにはまりそうだった。

 そう、あれは暗闇に咲く肉の花だった。甘さを感じさせる腐臭をまき散らしながら、血肉を獣に、多くの虫を誘惑して地面に還る。地面に還元した栄養は、もてあますことなく植物に分配されて、命は無数の命によって繋がり伝わっていく。

 けれでも、こんなにも合理的で機能的なのに、同時に、こんなにも醜く、吐き気を催すほどグロテスクで背徳的……これは、存在してはいけないものだ。

 それを、五代くんは察知した。

『……いや。ちょっと待て、この匂いっ! 杉藤、これ以上なにも嗅ごうとするな。というよりも、緑に今、近づかないほうがいい!』

「父の教育方針で、物心ついた頃から検死によく立ち会わされていたんだよ。そのせいで、耐性が付いたというか。……というよりも、緑が発狂している点が解せない。てっきり、緑も私と同じ死体に慣れていると思っていたんだけどね」

 ため息をつき、苛立ちを隠さない五代くんは、目の前に園生くんがいるかのように、表情を険しくする。メガネの奥の釣り目がさらにつりあがって、冬の日のガソリンスタンドの匂いが、彼の身体から漂いだした。

「死体に慣れているって、それっておかしくない?」

 僕が疑問を口にすると、五代くんは険しい顔のまま、僕のほうに首を向ける。まるで、僕がなにも知らないことを責めているようだった。

「私の五代家は代々杉藤家の主治医と、あと君の家を守るために警察と通じて隠ぺい工作を働いてきた家だ。そして、園生家も杉藤家の施設管理を担うと共に、斎場をとりしきって杉藤家にとっての邪魔なヤツらを、専用の火葬場に直葬させてきた……いわば、私と緑は杉藤の暗部を担う家系さ。汚れ仕事がいつでもできるように、幼い頃から死体に慣れていないといけない。私はそう教えられてきた」
「え」

 五代君の話は、情報量が多くて頭がパンクしそうだった。
 隠蔽、工作、暗部……まるで、マンガのような設定が次々と友達の口から飛び出してきて僕は唖然としてしまった。彼との間に氷で出来た冷たい溝が横たわっているような、そんな錯覚をおぼえてしまう。

 それじゃあ、僕とは家の付き合いだったの?
 僕との友情は嘘だった? 僕の方が一方的だった?
 そんなわけない……よね?

「もしかして、僕をからかっているの?」

 これはある意味、拒絶反応だった。
 自分の日常を守るために、僕は五代くんの話を真っ向から茶化して、聞かなかったことにしようとした。

「信じる、信じないは君の勝手で良いよ。私は多分、緑に嫉妬しているんだ。両親に守られているアイツが、弱虫キャラでいつも自分の要求を押し通しているアイツが、ひどい目に遭ってとても喜んでいる。ざまあみろって、嘲笑っているんだ。軽蔑するだろ?」
「……っ。軽蔑って、それは嘘だよ。嬉しそうな顔していないもん」

 私はそんな人間なんだ。と、強がる五代くんに僕は即答した。
 だって、嬉しいのなら、なんで、そんな泣きそうな顔をするのさ。

「……そうか、杉藤は優しいな」
「…………」

 流れる沈黙が、僕と五代くんの間に横たわる氷の溝に流れて、冷たい空気を部屋に満たした。
 あまりの冷たさに、氷がさらに分厚くなり、さらに溝が深くなってしまったような、そんな危機感を僕は感じた。

「それで、ノストラダムスってなに? 最近よく聞くよね」

 僕は話題を変えた。このまま、冷たくて嫌な空気に引きずられていくのがイヤだった。

「1999年7月に世界が滅びるって、ノストラダムスのおっさんが言っているんだ。ここ最近、大量のリストラとか景気の悪化でとかで、嫌なことが多い大人たちは、世界の滅びにかこつけて勝手に絶望して、自分から首を吊るんだよ。もう、これ以上嫌な思いをしたくないからだろうね」

 僕の言葉を汲んで、五代くんが詳しく教えてくれる。
 話す五代くんの安心した表情に、僕はこれでよかったんだと言いきかせた。
 それが大きな間違いの一つだと、小学生の僕にはわからなかった。

「1999年ってことは、六年後だよね。本当に世界が滅びるのかな?」

……世界が滅びるのだとするのなら、この心の底に澱のようにたまっている黒い感情ごと、虚しい妄想ごと、僕を滅ぼしてくれるのだろうか。

「その顔、いますぐ世界が滅んでほしそうだね」
「うん」

 僕が正直に答えると、五代くんはぐちゃりと笑顔を歪ませた。まるで、その言葉を待っていたかのように、不気味みな笑顔を浮かべる五代くんは、メガネをかけ直して、真っすぐに僕を見る。

「貴子さんが言ってたんだ。山中崎には、どこかに核爆弾が隠されているんだってさ。非核三原則が確立される前に日本に持ち込まれた、存在しちゃいけない核さ。杉藤家が戦後でもGHQによって勢いが削がれなかったのは、ヤバいやつを隠してやった恩恵ってヤツさ」
「……五代くんは、そんな話信じているの?」
「信じているといろいろ気が楽なんだよ。だから、杉藤も信じればいいんだ。ここのどこかに核爆弾が埋まっていて、いつかだれかが終わらせてくれるって想像。死にたくなった時に、爆発と熱風に巻き込まれる自分を想像するとすこし楽になる」
「死……」

 そうだ。死は解放だ。苦痛と理不尽からの、こんな肉体からの解放。だけど、小学生の僕は、下手に知恵をつけたせいで幼稚園の時よりも疑問を持ってしまった。死んだら、自分はどこに行くのだろうかと。

「そうだ、大川の見舞いには行ったか?」
「ううん。五代くんの次に行くつもりだったの」
「じゃあさ、一緒に行こう。アイツが罪悪感が潰れる前に」

 僕が思い出したのは、耐え切れずに泣き出した大川くんの声だ。

『いやだ。もう、いやだ。うぅ……うぁああーん』

 その【もう、いやだ】は、どこからどこまでを指しているのか、僕には追及する勇気がない。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 大川くんの病室は、僕たちとは一つ下の階にあった。

「大川くーん」
「大川、生きてるかー」

 訪れると、真っ白く統一された内装に目が痛くなった。白い天井、白い床、白いベッド、僕たちの部屋に比べると部屋は狭く、個室のベッドが病室の面積を半分占めている。そんな病室らしい病室に、僕たちの他に先客がいた。背の高い男の人だった。

「お、友達が来たな……君たちは」

 振り返った男の人は、面長で馬のように穏やか風貌の男だ。背が高く、肩幅もあって黒のジャージ姿がよく似合っている。この顔、どこかで。

「あの、どこかで会いましたか?」
「あははは、着物をきていないと分からないかな?」
「ほら、オレたちを見つけてくれたオッサンだよ」
「まぁ、君たちからするとオッサンだな、ハハハハハハ」

 大川くんが簡単に紹介すると、僕の中で記憶の中の顔と眼前の顔が一致した。そうだ。たしかに、目の前の男だ。

 もう、大丈夫でもない僕たちに、「よかった」と「大丈夫」を溢れんばかりに投げ込んだ男。ピントの外れた祝福の言葉は、僕の神経を毒のようにじゅわじゅと音を立てて侵食した。

「俺の名前は、葉山 甲斐《はやま かい》だ。君たちは」
「杉藤 俊雄」
「五代 公博」
「あ、オレはもう、自己紹介済みだぜ」
「あぁ。もう直人くんとは、すっかり仲良しだ。君たちとも友達になりたいな」

……なに、この人。

 僕たちが来る前に、葉山に色々吹き込まれたのだろう。僕たちの心配をよそに、大川くんの顔色はおもったよりも良く、表情も柔らかい。
 顔はやつれているが、後をひいていない明るさと、朝の空気のようなすっきりとした匂いが大川くんから漂ってくる。

 このっ……。

 僕は言いようのない感情に、ぐらぐらと視界が揺らいだ。
 僕たちがもっと早く、お見舞いに来れたなら、大川くんの心を癒やすことが出来たのに、大川くんを笑顔にできたのに、大川くんの塞いだ心を晴らすことができたのに――この大人に先を越されてしまった。

「よろしくお願いします」

 僕は精一杯、笑顔でとり繕った。
 僕たちは過去に戻れない。
 葉山が大川くんの心をケアしてくれたのだから、僕はこの大人を認めなければいけないのだ。どう足掻こうとも、僕は子供なのだから。

「ってか、ゴー。なんだよ、頭ケガして」
「あぁ、たんなる兄弟げんかだ。気にしなくていい」

 僕がいるから、五代くんは改めてうそをつく必要がない。半分正直に話して弱々しく笑う。

「そういえば、受験がどうとか言ってたな。まだお前の兄ちゃん、中一だろ?」
「母に言わせると、もう中一なんだよ。中一の中間テストですべてが決まると思い込んで、毎日が地獄さ」
「ゲッ」
「大川くん、足、大丈夫なの?」

 僕はベッドに寝かされている大川くんに近づいてたずねる。太い両足にギプスがはめられて、白い包帯と相まってとても痛々しい。

「骨に異常がないらしいんだけど、爪が割れていたり、アレコレがどうかって潰れていたりで、普通に歩くには時間がかかるみたいなんだ。まったく大川運送《うち》は、万年人手不足だってのに、参っちまう……まぁ、いいんだ。それより、ソノはどうしているんだ。アイツ、泣き叫んでわけわからない状態だったし」

 園生くん。

 僕は心臓を掴まれたような息苦しさに襲われた。
 ここに入院してからそれまで、彼のことを思い出しても、心配したことなんてなかったのだから。

 この時点で、僕の心は、すでに、壊れ始めていた。

【つづく】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?