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【加筆・修正ver】杉藤 俊雄 は××したい_92_現世編 10

「事態を収束しようとする僕たちが容認されている。
――この流れをどう説明する? つまり、解決の糸口はすでに提示されていて、私たちはそれぞれの役割を担ってここに集まった。運命か杉藤 貴子の意思かは、この際考えないようにしよう。私が思うに、彼女は自分の力を死後も及ぼせるような、大きな歪みを作ったと考えられる。それが起点となって今回の騒動に発展したのだとしたら、起点となった歪み、出来事を修正すればいい。そのヒントを与えてくれたのが、園生 緑の手紙だ」

 葉山の言葉は利喜りきを嘲笑うように、わざと難解な言い回しをしているようだった。

「園生緑は手紙で遺骨を盗んだことを後悔していた。それが大きな過ちだとも、つまり私が思うに、本来の歴史では、遺骨はつつがなく杉藤家の霊園に埋葬されることになていた。だが実際、彼女の遺骨は骨壺ごと盗まれて、骨は現在も本来の場所に収まっていない。あぁ、なんて単純でありふれた解決法だ」

 ここまでくれば、自分が何をするべきか理解できたのだろう。利喜の老いた瞳にわざかながらの光が差した。

「今の貴方なら、園生 緑の手紙の全文が読めるはずだ。そして、彼が遺したヒントも。恐らく、最終的にあなたに届くであったであろう最後の遺志も」

 あたかも聖職者のような口ぶりで、園生 緑の手紙を利喜に手渡す葉山。手紙を受け取った利喜はうつむいた後に顔を上げて、まなこを血走らせてテーブルに手紙を広げた。次のページの手紙を横に置き、また次のページを横に置き、テーブルの端のぎりぎり限界の可能な限り広げていく。まるで上空から獲物を見定める鷹のように、全体を俯瞰し手紙を並べて読み取る利喜に福田はある可能性に思い当たる。

 もしかして、暗号?

 その可能性に思い至り、福田は園生 緑のらしくない長文の手紙に納得した。そして、気づいてあげられなかった己の無力さと、自分たちの運命を支配し導いている存在に恐怖を覚える。

 私達はなんのために存在しているのか。
 どうして意志を持ち、美醜、能力、差別、優劣を付けたがり、執着し、傷つけ合わせるのか。
 学生時代に卒業を済ませたはずの答えのない問いかけが、頭の中でループする。

 本来の未来。貴子が作ったであろう未来。この二つの世界が融合し、結局本来の形へと収束するというのなら、私達のやっていることは果たして私たちの意思であるのだろうか。

 本当は人間には意思も感情もなく、それぞれの役割を振り分けられた神の操り奴隷あやつりどれいであり、ネタバースやパラレルワールドという可能性を謳ったとしても、並行世界が存在する根拠は存在せず、盲目に知らない間にもう一つの世界――可能性を否定して本来の世界に一本化していく。

 枝分かれしても、修正して収束して、本来の有るべき流れに戻るのだ。
 そんな絶対的に流れを歪めて、自身の願いを叶える?
 いいや、そもそも歪みすらも本来の流れである可能性もありうる。
 だとするなら……。
 
「わかった!」

 確信を持った言葉に、福田は思考の迷路から抜け出した。
 上体をがばりを持ち上げた利喜は、葉山に対して一言二言ひとことふたこと言葉を交わし最後に頭を下げる。

 この瞬間に、福田は否応なく悟ったのだ。
 これが利喜との最後の別れになると。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「ちょっと行ってくる!」

 と言って、園生 利喜そのう りきは駆け出した。車に乗り、山道を走り、視線の先に過去を見据える。

――おい、義姉さん。緑が入院したって本当か? 大丈夫なのか?

――はぁ、お騒がせして申し訳ございません。あの子、食べかけのクッキーをずっと隠していたみたいなのよ。それを食べてしまったみたいで。

――あぁ、まぁ、三歳児だから仕方ないか。食べ物が腐るとか、味や匂いが変わるとか、そういうこと考えてなさそうだし。

――それだけじゃないです。この前も……。

 そうだ。緑には悪いクセがあった。

 大切だと感じたものを、一旦引っ込めて自身の手元に置いておくクセ。 
 切り札をずっとキープしないと気が済まない悪癖。
 例えば、クーポンを使おうとしたら期限が過ぎていた……だったら、まだ微笑ましいが。
 貧乏性ともいえるし、出し惜しみで身を滅ぼしたと言えばいいのだろうか。

 甥は切り札を有効的に使いこなす器量がなかった。

 まるで園生家の運営がままならず借金まみれになった兄のように。
 故郷に帰るタイミングを見失った義姉のように。
 三つ子の魂は百まで。甥は生きるために変わった。けれども、変わらない部分も確かにあったのだ。

 それをもっと早く分かっていて、現実に苦しむ甥に寄り添っていれば、殺される結末は回避できたのではないか。

『もうきみひろにおどしがつうじないそれがわかったからほねをかくすことにしたかくしたばしょは』

 バカ野郎が!

 園生家の家業柄、情報の漏洩を防ぐために独自の暗号術が編み出されていた。細い針で微量な凹凸をつけて、膨大な文章から必要な文字を拾い上げて文章化し、その文章からまた暗号を拾い上げてさらに文章へと変換する。
 老いて老眼となった自分たちでは、そんな些細なことすら気づくことができなかった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 目的地が近づけば近づくほど、周囲の木々の色が色濃くなる。濃密に茂る植物の気配と比例して、整備されていない道路はどこもかしこもひび割れていて、割れ目からは出血のように痛々しい雑草を茂らせていた。
 車が停車したのは、道路から枝分かれした小さな道。枝分かれした場所には、丸い鏡をつけた分かれ道を示す標識が立っている。

 利喜が車から降りると、ぬるりとした風が顔を舐めた。頭上には今にも雨を降らしそうな鈍色の曇天が広がって、太陽がどこにあるかも分からない。
 閉ざされた世界の息苦しさが、鏡がひび割れて長年の風雪に耐えて錆だらけになった標識が、自分になにかを呼びかけているように思えて仕方がない。

――消去法からして骨を隠したのは緑、手紙を隠したのは物部ってことだろうな。

 変質した友情に振りまわされた彼らは、誰かに希望を託して、現実に向き合うことを放棄したように思えた。絶望とひきかえに幸せな夢をずっとみて、成長しない子供となり果てて笑っているのだ。

 彼らをそうさせたのは、大人たち。
 無責任で幼稚な大人が、さらに幼稚な大人を量産させて、負の連鎖が止まらなくなってしまった。連鎖の始まりには、確かに利喜自体も含まれていたのだ。

 葉山から借りたスコップで標榜の根元を掘り返すと、確かな手ごたえとともに、大きめなジップロックに放送された正方形のクッキー缶が現れた。封を切って持ち上げると、からりと音が鳴り、缶に中身が入っていることが確認できる。
 恐らくこの中に、杉藤 貴子の遺骨がある。

 ごめんな。

 ムシのいい謝罪の言葉が出そうになり、奥歯を噛んだ。
 薄暗い風景に視界がじわりと滲んで、自分が泣いていることを隠すように利喜は走った。走り続けた。息が切れて苦しくても足を止めたくなる衝動に駆られても、利喜は走り続けた。

 開け放たれて放置された霊園の裏口。
 警察関係者が何度も出入りして踏み荒らされた無残な光景。
 引っぺがされたプレートの向こう側。
 黄泉の入り口のような下り階段に足を止めて、利喜は無明が広がる闇の中へ遺骨の入った缶を投げた。

――ブチィッ。

 まるで、大きなつながりを断ち切った音を利喜は聞いた気がした。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「やぁ。遅くなって悪かったね」

 呑気な声とともに葉山が席に着いた。
 左手にティーカップ右手にソーサーを優雅に持ち上げて優しく微笑する姿は、おおよそこの場に似つかわしくない。本田は平手打ちをやめて五代から離れると、赤く腫れた痛々しい手でネクタイをしゅっと締めて、八幡の方は素知らぬ顔で猿轡をテーブルに置き涼しい顔をする。

「ずいぶんと面白いことをやっているようだね」

 カチャンと音がした。ティーカップをテーブルに置いた音だ。立ち上る湯気が、かすかにタブレットの下半分をゆがめている。

「あぁ、結構、結構。元気があることはいいことだ」

 この男はなにを言っているんだと。本田と八幡は目を合わせた。容赦のない暴力にさらされた五代を顔を見れば、なにがおきたのかおおよその見当が付くというのに、葉山はまるで三人がカードゲームでもしているかのように微笑まし気に笑うのだ。

「五代君、君に悪い報せだ。君がブラフで探させようとしていた、山中崎に隠されていた核爆弾は、はじめから存在していなかったよ」

 葉山の言葉に、五代からひゅっとした音が漏れた。所々ひび割れて、炎症を起こし端から血を流している唇。覗く白い歯が所々抜けて、両鼻から流れた鼻血が開いた口に入っていく。

「後藤家の方でなんとか裏どりが取れたんだ。じつはひょんなことから杉藤家の隠し部屋を見つけてね。そこから私の推論を話したところ、あっさりと白状したよ。もう時効だとね」

 笑う、笑う、笑う、うっとうしい笑顔で。
 酒に酔うように、暴力に酔うように、性的に酔うように。この男はこの地獄のような現実を楽しんでいる。

「なかなか開発が進まない山中崎の山々、意味ありげな施設、出来た時期……。不動産バブルを隠れ蓑に、杉藤家と後援者たちは山中崎のいたるところに核シェルターを作ったんだ」

 冷戦。ベトナム戦争。湾岸戦争。ノストラダムスの大予言。終末思考流行。実際に起きた場合の保険。海外に逃げ場がない権力者たちは、自分たちが助かる安全な場所を確保していたかった。

「核爆弾ではなく核シェルター。まったくわかりやすいミスリードだよ。自分たちを脅かす連中をあぶりだすために、杉藤家と後藤家は、わざと核爆弾の噂を流したんだ」
「そ、そんな」
「いやいや、君もうすうす気づいていたはずさ。けれど、認めたくなかったから、わざとらしい演技で探させようとしたんだろうね。なにせ君の立場は、なにかがあるのかは確かだけど、それが核爆弾だって確信がない。証拠もない。けれども意味ありげな空白が、山中崎に点在している。おおかた杉藤 貴子から話を聞かされていたのだろうけど」
「…………貴子さん」

 ぼくは多分、あなたと同じ絶望を味わっている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

――わからないのよ、私にはもう。ここに核爆弾が眠っているのか。核シェルターだって、父たちは言っていたけど確認する術はない。なぜって、いざとなれば切り札になるはずだもの。

――それって、貴子さんの観た未来って、戦争が起こらなかったから分からなかったの?

――うん、そうよ。君って、本当に頭がいいわね。私が君と同じ三歳だった頃は、いったいなにを考えていたのかしら。もう、思い出せないわ。

――ねぇ、貴子さん。ぼくがかわりに爆弾探そうか?

――ありがとう。けど、気持ちだけ受け取っておくわ。くれぐれもバカな真似はしないようにね。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「もうこれで、君の物語は終わりだよ」

 精神世界の暗闇の中で、幼い杉藤 俊雄は頭上をあおぐ。
 彼と対峙していた白衣の男はすっかり出会ったころの幼い姿になり、身の丈に合わない白衣を引きずりながら、亀のように縮こまって泣いている。

「ほら、もう内も外も君の望む現実は待っていない。いい加減に諦めたらどうなんだい。結局、君は僕になれなかった。杉藤 俊雄を名乗るのなら、あの刑事に顔を引っぱたかれた時点で反撃して欲しいものだよ。僕ならせっかくきれいな顔を手に入れたのに、一方的にボコボコにされたんだ。手が折れようが腕がもげようが、あの澄ました顔をかみちぎるぐらいはするね」
「…………」
「五代くん、いいかい? 生き残った君は、僕たちが大人になれなかった分、大人になって責任を果たさないといけないんだ。それが、地獄を見ることだったとしても、死ぬことだったとしてもね」
「いやだ、いやだ、死にたくない、死にたくないよぉ」
「…………そう」と、呟いて杉藤 俊雄は背を向けた。
 目の前に広がる無明の闇の中で、数多に蠢く気配を感じ取り、うっとりと目をつぶる。
 手を伸ばせば握り返してくる、柔らかくて湿った手の感触。自分を取り巻く優しい匂いと声。
 それは短い呼び声だったり、喝采だったり、罵声だったり、はっきりと自分の名前を呼ぶ声だったり様々だ。

「行こうか、真由」
「うん」

 どこへ。どこに。彼方に。
 死者の本来あるべき場所に。
 美醜も差別も意味をなさない、肉体の向こう側へ。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 二年後 山中崎

「もう、すっかり。君は忘れ去られたね」

 パソコンを立ち上げてネットを検索する葉山は、ニュースにYouTubeにSNSに、あらゆるメディアの杉藤 俊雄の記事が、すっかりなくなっことを確認して寂しげにつぶやく。

 稀代の大量殺人鬼の逮捕。世紀の大ニュースは、一時期世を騒がせていたが、やがて潮がひくかのようにあっさりと忘れられた。
 世間の興味は杉藤 俊雄の事件に関与した容疑者たちにフォーカスされ、芋づる式に反社と政界、カルト教団の癒着が発覚し、そこからまた新たなことが発覚して、国民の注目が移り変わる。その繰り返し。

 どんなに美しかろうと、どんなに醜かろうと、他者の欲求を満たせなくなれば飽きられて忘れられる。どんな悲惨なことでも、どんな喜ばしいことでも。無かったことにされて日常がつつがなく続いていく。
 数少ない当事者たちを置き去りにして、人々は予定調和を謳歌し、他者の不幸を甘受するのだ。

 だが、葉山は覚えていた。
 そして確かめてみたいと思っていた。
 事件を通じて自分のやりたいことを見つけた彼は、初恋を知った少年のように胸を高鳴らせて、澄んだ瞳に無数の星をうかべている。
 しかしそれは、けっして純粋なものではない。
 

 ピンポーンとチャイムが鳴った。
 モニターで来客者を確認すると、そこには懐かしい面影があった。

「やぁ、来てくれたんだね」

 そう、杉藤 俊雄は小学生の時、葉山の手で無理やりある女性と性交した。その女性は――。

 葉山はインターホンを取って、ドアを開ける前に来訪者を迎え入れた。

【つづく】

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