見出し画像

【加筆・修正ver】杉藤 俊雄 は××したい_81_閑話 06

 中学にあがる前に、自殺をしようとしたことがある。
 家に常備してある風邪薬を全部飲もうとして、途中で水の飲みすぎて派手に吐き出してしまい、結局のところ未遂で終わってしまった。

 娘を見舞みまった父は言った。

「貴子、お前に未来が見えているなら分かるはずだ。運命は、私達の命は、みな神様のモノなのだ。だから、勝手に舞台を降りることは許されない」

 杉藤顔を包帯で巻いて隠している父は、その言葉だけを娘にかけて、そそくさと不便極まりない家に帰っていった。

 私には物心ついた以前から、うすぼんやりと自分の歩く道がイバラの道だと気づいていた。生きる歩くだけで傷つき、周囲を巻き込んで最後に全てを無に還す。
 歩くその先に見えたのは【希望】、歩いた先に残るのは【絶望】、行きついた先にあった到達点には――。

【破壊と再生】
【有と無】
【白と黒】
【私とあなた】
【一つで二つ】
【ゼロとイチ】

「貴子」
「エリコ」

 あなたに会えることを私は知っていた。
 どんなに自分が異端であり、疎外感と迫害に襲われようとも、あなたに会えることを私はずっと待っていた。自殺未遂も、もしかしたら自分が助かることを薄々と気づいていたからの、たんなる駄々だだだったのかもしれない。けれども希望に縋る自分の滑稽さを、にじみ出るような惨めさを、どう解消すればいいのか、幼い私にはわからなかった。

 最初からすべて――までとはいえないけど、自分の身に起こることの八割を把握していた。自分のしたことの結果も行く先も、私が踏み固めた道を作った流れを、誰が歩き、誰が脱落するのかも。

 出会った当初にエリコは言った。

「ここは静かなのね」……と。

 寮の相部屋で読書をしていた彼女は、ふと気づいたように三島 由紀夫の小説から目を離して顔をあげる。
 そうなの……? 私が聞くと、エリコは小さく頷いて言った。

「すごいわよ、近所の公園なんか反戦フォークの集会が行われたり、喫茶店ではレコードのボリュームを最大限にして、学校をさぼった学生たちがタバコを吸いながら、わけのわからない委員会を開いて熱心に討論したり。道端でギターを弾いた小汚い男や、機動隊との小競り合いとか、ちょっと道を歩けば、この国を豊かな国にするためには君の力が必要だ。とか言って、怪しい集まりに連れて行かれそうになったりとか……まぁ、だからうちの親は、私をこの学校に入れたのかもね」

 と、一息に言って疲れたように笑って見せる。
 この学校はB県だけど、山中崎に隣接している影響なのか、世間ではやっている若者の政治活動とは無縁で、ただただ閉鎖的で陰湿な空気がこもっていた。周囲に漂っている張りつめた沈黙をエリコも感じている筈なのに「静かだ」と評して、ゆったりと読書をする彼女が、なんだかカッコよくて特別に思えた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「本当に、ひどい、顔」

 鏡に指を這わせて、杉藤 貴子は自分の顔を凝視した。顔面の皮がすべて爛れて真っ赤に膨れ、顎から額にかけて縦横無尽に血管が不気味に浮き出ている様はまるで臓器。頭部の辺りも不自然に盛り上がっているせいもあって、余計にグロテスクだ。
 かつての二重の瞳は縁が赤く爛れた肉に埋もれて、大きな猫目の瞳は白濁し、唇には白いぶつぶつが浮き出て、鼻や頬にも血豆のような赤いできものが無数にあった。髪はべっとりと脂汗で濡れそぼち、肌からは湯気が立っている。

 この顔を見たら誰もが悲鳴を上げるだろう。
 それこそ、化け物だと叫んで逃げ出すかもしれない。

「あぁっ、美しいよ貴子。まさに神が宿った杉藤顔だ。本当によかったよかった、これで本家としての面目が保たれる」

 脳裡によみがえる父の声に、喉の奥が詰まり目の奥が熱くなるも、次にどうしようもない脱力感が意識を襲ってすべてが遠くなる感覚。
 このまま命を絶てば、自分以外の全てが丸く収まり、将来の禍根も最小限に抑えられるのだろうけど。

「……」

 新しい命が宿ってしまった腹を撫で、貴子は奥歯を噛んだ。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 杉藤家は悪魔と取引でもしたのか、容姿と引き換えに異能を手に入れて、人々を支配してきた一族だ。その中で、美しい容姿の貴子が生まれたことは、一族の間で大きな波紋を呼び、期待を呼び、新たな軋轢を生みだした……らしい。

 そう、杉藤家の血筋のせいで醜い容姿に生まれてきた彼らは、心のどこかで普通で平凡で、異能なんてない、どこにでもいる人間に憧れを抱いていた。美しい容姿の子供が生まれたということは、新しい時代と古い因習の解放を意味するのではないか。
 自分たちではかなわなかったけど、次世代の子供たちは普通の容姿を持ち、異能を持たない平凡な人生が送れるのではないか。
 そんな希望が生まれてしまったのだ。

 しかし、現実は非情である。高校の修学旅行で男たちに襲われた貴子は顔が崩れて杉藤顔すぎとうになり、杉藤顔を誇りに持つ醜い顔の保守派の連中が歓喜することになった。
 彼女の能力は未来予知。顔が崩れる以前から勘が鋭く、次の展開を予想し、的中させることのできた彼女が杉藤顔として覚醒したのだ。絶対的な能力を手にしたことで、一族の安泰は約束されたようなものだった。

 貴子は冗談じゃない。と、鼻で笑う。
 彼女の容姿ことで杉藤家は、執拗に彼女を排斥してきた。今更虫が良すぎる話だ。だけど、当主の席は魅力的であり、貴子は杉藤家を援助している後援団体と関りを持ち、屈辱的な仕打ちを受けつつもなんとか、彼らに認められて当主になった。……なったものの、彼女は不本意な二つの荷物を背負うことになった。

「すでに、君のお父さんから聞いているかもしれないが」

 父の親友だという後藤は、落胆と失望をない交ぜにした瞳で貴子を見て言う。彼女は後藤のテストにギリギリで合格したものの、彼が期待する水準に至ることが出来なかったからだ。

「――っ!」

 それは貴子の希望を討つ砕く鉄槌だった。
 まことしやかにささやかれた噂は、敵対勢力である左翼派の連中をあぶりだすための疑似餌であり、真実は自分の預かり知らぬところで、とっくのとうに決着がついていた。……自分はとんだ道化であり、幼稚な復讐心に囚われた小娘だったと痛感させられた。
 しかも、望まない妊娠をしてまで当主の座に就いたのに。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 某日の夜。都内の料亭に呼び出された男は、そわそわと落ち着かない様子であたりを見回し、指定された席に着いた。
 座椅子にテーブル、淡い緑の畳。素朴ながらも品の良い調度品に囲まれた男は居心地が悪そうに背中を丸めて、じっとたえるように座っている。

「すいません、おまたせました」
「……っ!」

 すっと襖が空いて音もなく入ってきた人物に、男の顔が歪む。
 自分を呼び出したのが杉藤 貴子であることに、体中から嫌な汗がだらりと流れて、呼吸が浅くなるのを感じた。
 なんでここに。と、声にならない声で問いかけるも、貴子は答えず男の向かい側に腰を下ろして、上座に用意されていたお膳に手を伸ばした。
 流麗な仕草で貴子が箸を手に取り、料理を口に運び始めたことで、ようやく男が口を開く。

「この度は、このような席にお招きいただき嬉しい限りですが、その、どうして私なんかを?」

 その言葉はひどく震えて顔を困惑に歪めている。自分を知っているのか、いやまさか……と、思い当たる可能性に戦慄を覚える。

「そうですよ……杉藤××さん!」
「!」

 貴子から告げられた名前は、自分が捨てたかつての名前であり決別した過去だった。

 自分の名を呼ぶ声に男の背筋が凍る。全身の血の気が引き、目前が赤くちかちかと明滅して真っ暗になる感覚を覚えた。

「今は山の教習所でお仕事をしているんですってね。羨ましいわ。貴方は他人の身体を奪って運よく、杉藤の呪縛から逃げられたのですから……」

 貴子の言葉に男は目を大きく見開き、唇を震わせて、血走った眼差しを貴子に向けた。明らかに怯えた様子に、貴子は醜い顔を横に歪めて見せる。どうやら笑いかけているようだ。

「い、いやだ。俺は、自由になったんだ。もう、汚れ仕事なんてまっぴらだ」

 腰を浮かせて後じさり、泣きそうな顔で訴える男。
 その姿は哀れを誘うが、貴子は表情を変えずに、ゆっくりと細い首を振った。

「そう。まっぴらだというのなら、早く山中崎から出るといいわ」
「そ、そんなことは、お前に関係ない」
「関係なくはないのよ。未来に貴方の姿が見えたからね」
「はぁ、み、未来。……そうか、未来視か。あんたの能力は」
「えぇ、未来が見えるの。だから、私はこうして貴方を呼ぶことにしたのよ」

 水のように淡々とした口調に、男はごくりと唾を飲み込む。

「俺に何をしろというんだ?」
「そうね。1999年の夏休みに貴方が働いている教習所へ、私の甥たちが研修を受けに来るのだけど、よからぬ連中のトラブルに巻き込まれるわ」

 そこで、貴子は言葉を切って、目の前の男を値踏みするように見る。男には貴子が何を言いたいのか分からなかった。だが、その視線を受けて、まるで蛇に睨まれた蛙のような気分になって身動きが取れなくなる。

「そんなに怖がらないで欲しいわ。私はただお願いを三つほど聞いて欲しいのよ」と、小さくためいきのように息を吐く貴子。白濁した瞳がじっと男を捉えて、言いようのない息苦しい緊張感が全神経を苛んでいく。

「お願い……ですか?」
「そう、一つは甥たちをギリギリのラインで助ける事。最悪、死者が出ても構わないわ。あと二つ目は、五代家の子供が誘拐されるのを見逃して、救出に手を貸すこと。あなたは絶対に五代家の子供を助けてはダメ」
「……もう一つは?」
「今の話を誰にも話さないことかしら」
「秘密にしろと? 貴方の甥だとすると杉藤の異能を持っているのでは? すぐにばれると思うのですが」
「大丈夫よ。だって、甥はまだ子供ですもの」

 感情も心も魂も記憶も、人間が内側に秘めている情報量は海みたいに膨大だ。たかが匂いを嗅いだ程度で、人の全てを分かった気でいるのだからおめでたい。甥のやっていることは海に触れることなく、波打ち際の浜辺に座って海の磯久臭さに顔をしかめながら、人間は汚いものだと頭から決めつけているに過ぎない。

「自分以外のすべての人間をバカにしているし、人間の複雑さをまるで分かっていない」

 人間の根本的な部分が変わらない。それでは環境に適応できないからこそ、周囲の影響で人格を増やす。感情が海ならば人格は樹海だ。乱立する私たちはどこまでも孤独で、どこまでも無限で、どこまでも潤沢で、どこまでも混沌として狂っている。

「貴方の心は元の人格から混じって、分裂して派生して、万華鏡のように広がっているわ。甥があなたの心を正確に読み取れることなんてない。絶対に」

 貴子の確信を持った言い方に、男は不気味なものを感じてぶるりと身を震わせた。

「まぁ、すべては貴方が思う通りにすればいい。逆らってみてもいいし、逃げても私は貴方をせめない」

――けれど、そうしたらみんな死んじゃったわ。

「…………っ」

 そして悟ったのだ。自分は結局逃げられないのだと。山中崎からも、杉藤からも、自分からも。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 抱える問題の解決策を自分が死んだ後の未来を視ることで、貴子はある男の存在に行き当たった。杉藤家の力の負荷に耐え切れなかった憑依能力者の話。使用すればするほど身体は老化していき……用がなくなれば捨てられる存在。

 それだけ、自分が生まれる一昔前は杉藤顔の人間が山中崎に溢れていて、異能を振るい、そして同族すら簡単に切ることが出来た。

 帰るために車の後部座席に乗り、窓に顔を押し付けて思考する貴子は、目的を達成できた満足感と、あまりにも便利すぎる自分の能力に疑問を持つ。
……いいや。うすうす気づいていたが、認めたくないのが本音なのかもしれない。

――となれば、自分の望みは叶うのだろう。
 自分の血族と甥と、そして生まれてきた【息子たち】の人生を引き換えにして。

「どうかいたしましたか? 当主様。せっかくの美人の顔が台無しだぜ」

 運転席の男がルームミラー越しに声をかけてくる。彼の名前は園生 利信そのう としのぶ。杉藤家に仕える一族であるにも関わらず、彼の声音には貴子を嘲笑する冷たい悪意が込められている。

「なんでもないわ」と、貴子は素っ気なく返事をして、それから深くシートに背中を沈めた。これから杉藤の屋敷に帰るには、県外を迂回してB市から南下するルートをとらないといけないが、なにぶん時間も体力の消耗するから、今日は適当にホテルで一泊しようと考える。

「今日は疲れたから、ホテルで一泊したいわ。埼玉あたりの温泉なんかいいわね」
「ハハハ……温泉ねぇ。本当はオレとじゃなくて、福田と入りたかったんだろう?」

 下卑た笑みを浮かべる猿顔に貴子は笑いだしたくなった。学生時代でさんざん自分を虐げてきたこの男。彼女をブスだと罵りながら一方的な恋慕を募らせて、いつか貴子が自分のものになると確信していた愚者。
 彼がこんなにも分かりやすく、惨めで精一杯の皮肉を言うことしかできない小者に成り下がったことに、貴子はある種の満足感があった。
 だからこそ今は寛大な心で、園生の言葉を聞き流すことにする。

「バカ言わないで。貴方、自分の立場くらい分かっているでしょう?」

 けど一応、釘は刺しておこう。

「ケッ! このレズビアンのクソ女が。脳みそわいているんじゃねぇかっ!!!」
「はいはい、運転には注意してよね」
「ケッ」

 舌打ちしながら車を発進させる園生に、貴子は口元に微笑みをたたえながら窓の外を見る。ブランド物のスーツを着た会社員たちが、ほろ酔い加減で道を歩き、流行の服と髪形で男たちを誘惑する女たちが、華やかな笑みをうかべてアッシー君を物色する光景。

「……」

 彼らのうちの何人が、学生時代に本気でこの国の未来を憂いだのだろう。
 近所の公園で反戦フォークの集会をお開いたり。
 学校をさぼって、喫茶店ではレコードのボリュームを最大限にして、タバコを吸いながら熱心に討論をして。
 道端でギターを弾いて。
 機動隊との小競り合いをして。
 何も知れない少女を自分たちの集会に誘おうとする。

 無責任にそしらぬ顔で大人になった彼ら。
 
 まるで、今現在の日本を象徴するような光景だと貴子は思った。黄金の虚飾色に騙されて、カルト教団が徐々に日本の政界を侵食していることに気づかず、明日も来年も数年後も、豊かな日常が、もしかしたら今以上に輝く日常が舞い込んでくると信じている羊の群れたち。

 数年後にはバブルがはじけて、まるで悪夢のような大不況が待ち受けているなんて夢にも思っていないだろう。しかも、震災が起きることも、世界規模の疫病が流行ることも、ロシアのウクライナ進行も、なにもかもが質が悪い。

 私はエリコが幸せならそれでいいけど……。

 未来は変わる。貴子が望んだとおりに書き換わり、代償は周囲におよぶ。別にそのことに怖気づいているわけではない。
 ただ今の、抜き取られた臓器のようなグロテスクな自分の顔を彼女に見られるのだけは耐えられない。

 なんで世界は滅ばないのだろう。

 窓から流れる外の景色を見て、貴子はそんなことを考える。
 どんなに悲惨な状況に陥ろうとも、どんなに甥が史上最低の殺人鬼になろうとも、日常がそこそこ維持される理不尽さ。地獄の釜が開いているにもかかわらず、状況は刻々と悪化しているのに、この国の国民は声をあげ拳を振り上げることも、強硬手段に出ることもない。

 滅ばない、救われない、生きている限り逃げられない世界。
 だから自分は布石を打つのだ。
 自分の見出した可能性に賭けて、これから生まれてくる子供たちが、自分の望みを叶えてくれることを信じるしかない。

「……ふぅ」

 考えすぎて息が詰まりそうになった。疲れたように眉間を揉んで目を閉じ、そして再び目を開けると、ただ黙って流れていく夜の街並みを見つめて思考をフラットにする。

 自分は流れを作り、流れに乗った。
 あとは身を任せるだけだ。
 愛する者と再び巡り合うために。

【つづく】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?