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【加筆・修正ver】杉藤 俊雄 は××したい_72_30代編 02

 三月の割に気温が高いせいで、施設の周りに植えられていた桜はすでに満開だった。空は嫌味なくらいに青くて高くて、雲が少なくて、太陽が輝い笑っている。

 施設を訪問する前に撮影OKの許可を取り付けた。
 さらには入居者の何人かは、僕の動画に出ることを快く快諾してくれた。
 なにせこの施設は山中崎にあり、入居者のほとんども山中崎の住民。山中崎で杉藤の名前を出したら、全面的に協力するのが山中崎の住む人々の共通認識なのだ。

 僕は杉藤顔を捨ててしまったけど、この地域に尽くしてきたことで落ちた名誉が回復しつつある。特に年配の人間は複雑ながらも、杉藤顔を捨てた異端を受け入れざるを得ない現状だ。ボランティアで訪れるたびに、入居者たちは物言わず声で僕に問いかける――この無駄に美しい顔は何の為にあるのか。と。

 僕は笑って無視をする。
 宗教画に出てくる天使のような笑顔を浮かべて、キレイなえくぼを作って黙殺する。

 ということで、ボランティア仲間たちと軽く打ち合わせをして、美容系ユーチューバー【とっしー】の動画撮影が開始された。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 入居者が生活している二人部屋を訪問して、次々と化粧を施していく僕たち。撮影時には必ず担当の職員がつけられて、急な体調不良にも対応できるようになっている。

「ほら、みてくださーい。見違えたでしょう?」
「う……あ、うん」

 午後の昼下がり。介護施設にて、僕はフェイシャルマッサージを施した老女に鏡を向けた。老女の方は言葉にならない声を上げながらも、老いた顔にまんざらでもない色を浮かべて笑顔を作る。認知症が進んでいる理由で、彼女の動画撮影の許可が下りなかったが、鏡で自分の顔を見ている時の彼女の顔には、はっきりとした感情の揺らぎが現れて見えた。
 老いてしなびた顔が僕の手でわずかながらに艶を取り戻す光景は、いつも微かな感動と実感を与えてくれて、僕は僕を取り巻くすべてに感謝するとともに、僕を取り巻くすべてを大切にしたいと、祈りにも似た気持ちを抱かせる。

 母さんも、こんな気持ちだったのかな。

 母は結婚する前、デパートで化粧の販売員をしていたと聞いている。とても評判がよく、客からよく指名をされていたと父が僕に語っていた。なにせ化粧品というのは肌の相性があるうえに、種類が気の遠くなるほど多い。高い化粧で万事解決なんて、そんな都合の良い話はないのだ。

 母は化粧を売るために客にメイクを施したらしいけど、彼女の仕事に対する姿勢と客に対する真摯さ、思いやりと熱意は並々ならぬものがあった。
 ただの仕事として割り切ろうとしない妥協の無さ、我が事のように喜び、悲しみ、感情を共有して共感する感性――そう、醜い僕の行く末を案じて首を締めるほどの……。

 そうだ。母は善人だった。善人だからこそ、父に見初められて杉藤家という呪われた家系の一枝に加えられてしまった。

「としちゃーん。はやくわたしのメイクをしてよぉ」

 おっと、いけない。

 母のことを考えていたら背後で僕を呼ぶ声がした。隣のベッドの祥子さんは、少し不機嫌そうな顔で僕を見て、そして僕の横にいる物部くんを見る。
 撮影用の小型アクションカメラをまわしている物部くんが、無言で祥子さんにカメラを向けると、彼女は仕方がなさそうに不機嫌な表情を引っ込めつつ、顔をひきつらせた。笑おうとしているのだろう。

「はいはい、お待ちどうさま~」

 僕が朗らさを意識した口調でいうと、祥子さんはため息を付けつつ、孫を見るような眼で目を細めて肩をすくめた。

 祥子さんのメイクは今回で三回目である。
 シルクのパジャマを着て、パーマの当てられた白髪の髪は艶やかで、老いた顔からは内側にある感情が水のように迸り、実年齢より若々しく見えた。
 彼女は当初、古い価値観の元で男が化粧をすることに懐疑的であったため、僕が全力でフルメイクを決行した結果、見事に僕のファンになってくれた。顔出しの動画撮影にも快諾して、家族が自分の近況を見てくれているのが嬉しいとも語ってくれた。

 僕は化粧箱を開けて道具を取り出す。化粧水と乳液を手のひらに出して、指先で顔全体に馴染ませる。そして蒸しタオルで顔を温めて、リンパの流れをよくして血行を良くする。

「ねぇ、今日はこの色がいいわ」
「え、この色ですか?」

 祥子さんが化粧箱から目ざとく見つけたのは、ラメの入ったマゼンタの口紅だった。僕は彼女の唇の形と、口紅を塗った後の発色具合を想像しつつ、この動画をアップロードした時の色の具合とかをぐちゃぐちゃと考えてしまった。なんで同じ色なのに自分の目で見た色と、カメラを通して見た色、そして祥子さんの目で見た色とで、見えるものが同じじゃないのだろう。

「わっかりました。だけど、一色じゃ味気ないから他の色も加えますね」

 けどここは美容系ユーチューバー【とっしー】として受けて立つ場面だ。今まで頑張ってきたことの腕の見せ所だと思わないといけない。

 僕は慎重にかつ思い切りをもって、器用に筆をはしらせながら祥子さんというキャンパスに色をかさねていく。ラメは夜空を輝く星々みたいな存在だ。だが今回の主役はラメではなく、あくまで祥子さんという空だ。闇が深い分ラメが無駄に輝くというのなら、闇をうすめて黄昏空にすればいい。

 祥子さんの顔全体の色のバランスを考えながら、僕は筆先の感触と、唇の形を感じ取り、その時々の角度や距離、位置関係を把握しつつ、最適な色を重ねていった。

 数十分後。

「出来ましたー」

 僕は道具を化粧箱に入れて祥子さんに鏡を向ける。そこには、僕が手を加えたことで別人みたいに若返った彼女がいた。

 元々、健康で肌も綺麗だしケアも行き届いていたけど、そこに色気のある艶やかな印象が加わり、さらに少し暗めな色を肌の方に加えることで、少し陰りのある憂いを秘めさせたのだ。唇を彩るマゼンダとラメの輝きが、そこはかとなく儚さを演出させて、祥子さんを薄幸な未亡人っぽく仕立てている。

「あら、これがわたし? さすがとしちゃんねぇ」
「いえ、それほどでも……」

 僕は謙遜しつつも内心でガッツポーズをした。我ながら会心の出来だと、自画自賛する。やはり化粧というのは人を美しくさせる魔法なのだ。どんなブスだって化粧次第で見違えるように美人になるのだから。

「わたしの遺影はこの顔がいいわね」
「そんな縁起でもない」

 それは僕にだって言える。僕はもっともっと美しくなれる。幸せになれるのだ。だから、もう人を殺すよりも自分を大事にしよう。同じ時間を生きている友達を大切にしよう。それがいいに決まっているんだ。

 祥子さんを通じて、僕は自分のやるべきことを見つけた気がした。
 前向きになれたおかげなのか、この後のマッサージやメイクは会心の出来を連発した。

 マンションに帰宅した物部くんがぼそりと「これはバズりますね」と呟いて、一人一人のショート動画も作りましょうかと耳打ちする。
 確かに最近は長い動画よりも、要所要所を切り抜いた短い動画の方が再生数が良い。僕は正直言って短い動画に抵抗がある。動画とはいえ、自分の思い出や経験が細切れになるのは良い気分じゃない。
(確かに僕は録画した番組のCMを飛ばしたり、倍速再生したりと人のことを言えないけど、それはそれ、これはこれ)

 僕は多くに人に自分を見て欲しいんだ。がんばっている僕を、僕のしてきた人を、関わった人々を、僕を構成する世界を。

 だったら、答えなんてわかりきっているじゃない。

 その日、ロングバージョンの動画と併せて、一人一人のメイクやマッサージの場面を抜き出して、早送りをすることで五分に収めたショートバージョンの動画を投稿した。それが、どかんと一日で万単位の再生数を稼いだことに、狂喜乱舞する――どころではなくなった、祥子さんがその日のうちに亡くなったからだ。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

井波 祥子いなみ しょうこの死因は溺死。原因は付き添っていた介護士が目を離したのが原因らしいけど、私はそう思えないね。というか、ここの施設、最近入居者の事故死が相次いでいるんだよ。警察もうすうすは感づいているんだろうけど」

 警察から簡単な調書を受けた僕は、五代くんに検死結果を持ってくるように頼んだ。ファミレスに落ち合った五代くんは、疲れた表情でドリンクバーのコーヒーをカブ飲みしながら、僕にファイルを見せて説明する。

 検死資料をすぐに入手できるなんて、さすがこの辺りを牛耳っている五代病院医院長様だ。警察も資料を共有しているんだろうけど、五代くんとでの死因の見解は違うらしい。

「目を離したって、なにがあったの?」
「女性用浴場に男性の入居者が侵入したんだ。そこらへんは、廊下の監視カメラもあって確認は取れている。まぁ、ボケたふりをして女性にセクハラをするんだから、良い御身分だよ……。って、あっ、話が逸れたね。それでなんとか付き添っていた介護士が男性を追い返して浴場に戻っていたら、遺体が浮かんでいたってわけさ。浴場の利用していたのは、この時、介護士と井波 祥子の二人だけ。他の入居者たちは理由はくだんの入居者がよく乱入するから、用心を重ねていたらしいけど……だけど、この日は祥子さんの強い希望で入浴することになったらしい」
「……へぇ。そうなんだ」

 警察では詳しく説明されなかった事件の顛末に、悲しみと憤りが腹に中で赤黒く渦巻くのを感じた。警察は事故死だと思っているから、僕に詳細を語らなかったのだろう。すでに彼らの中で、事件解決への筋書きが出来上がっているのなら尚更だ。

「井波 祥子は殺された。確かに足腰は弱まっていたけど、溺れるほど弱まっていたわけじゃない。男性を追い返してから、死体を発見して十分程度の間が空いているけど、十分もあれば人を殺すくらい出来る。それは私達が一番知っているはずだ」

 とうとうと説明する五代くんは、コーヒー臭い息を吐きながら、僕に写真を見せる。病院に運ばれた時点の祥子さんの写真は、衣服をはぎ取られた全裸の状態で、様々な角度で撮影されていた。

 濡れた体に乱れた白髪、表情は……。

「あれ、祥子さん。化粧を落としていなかったの?」

 そうだ。彼女の苦悶の表情には、濡れてくずれた化粧が無残な彩を与えている。口紅のラメが顔中にもはりついて、どこか滑稽さを感じさせる――そんな光景に、強い怒りを覚えて落ち着かない気分になった。

「あぁ。付き添いの介護士が言うには、化粧を落とすのが惜しいから、今日はそのままにして欲しいって頼んだみたいだ」
「そうなんだ。気に入ったてくれたようで嬉しいけど、お風呂に入った時点で、湯気とか飛沫で化粧が崩れちゃうよ」

 僕は祥子さんの写真を凝視して、自分の顔が歪んでいくのを感じた。その場で泣きだしたい衝動に駆れらながら、頭の冷静な部分が僕に意識に囁いている。

 まどろっこしい。その場にいた介護士を呼び出して、相手の匂いを嗅げば真相なんて簡単に手に入る。五代も確信をもって事故死ではなく、殺人だと断定しているのだ。迷う時間が惜しい。せっかく持って生まれた能力を活用して何が悪い。また顔が崩れてしまったとしても、また顔を治せばいいだけだ。そうだ、それがいいんだ。真相を暴いて、祥子さんを殺した理由を問いただして殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ……。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「――殺せ」
「っ、杉藤っ!」

 思わず口に出してしまい、驚いた五代くんが慌てた様子で、僕の肩を手のひらでトンっと叩く。思わぬ衝撃に意識が現実に引き戻されると、五代くんは封筒にファイルを戻して悲しそうな顔をした。

 そうだ。僕は……、何を考えてしまったのだろう。

 僕は大川くんの遺言を大切にしたいのに、誰かを殺したい衝動を抑えることができない。

「杉藤、高校の頃を思い出せ。警察は一般人を相手にしないけど、君は杉藤だから話を聞き入れてくれる。山中崎ここでは君の一言で、すべてが覆される。白だろうと黒にできるんだ。君は山中崎の警察署長に正直に話せばいい。あの介護施設で事故死が相次いでいるのは、職員が入居者を事故に見せかけて殺しているからだってね」
「五代くん……」

 言い聞かせるように優しく、けれども力強く語りかける五代くんに、僕は胸が詰まりそうになった。僕と大川くんの願いを尊重してくれる優しい友達。今もこうして身を削るように無茶をして、手を汚そうとする僕の心を救おうとしてくれる。

 僕がお礼をしたいと言うと、五代くんはここで30分寝かせてくれと薄く笑った。なんでも、僕の名前があるから激務から解放されて、自由に動けるのだという。今回も僕の名前を出してくれたおかげで、久しぶりにコーヒーを飲めたそうだ。しかも、最近はろくに寝ていないから「30分でもいいから、仮眠を取りたい」とお願いされた。

「いいよ」と、了承すると、力が抜けたように突っ伏す五代くん。眼鏡をかけたまま寝てしまった彼に、僕は医院長としての激務を想像して、胸が締め付けられそうになった。疲れ切った顔にこけた頬が、末期状態の大川くんの姿と被って見えて、言いようのない不安に襲われてしまい気が気ではない。

 五代くんもいつか、大川くんのように僕からいなくなってしまうのではないか。物部くんも、早瀬くんも、園生くんも。そして、僕自身も。

 祥子さんだって、自分が浴場で死ぬなんて思わなかったはずだ。

 なのに、どうしてこんなにもあっさりと、人は死んでいってしまうのだろうか……。

 僕はそんなことを思いながら、眠る五代くんの横顔をしばらく眺めていた。

【つづく】

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