【加筆・修正ver】杉藤 俊雄 は××したい_32_中学生編 10
なんで、こんなに軽いの?
衝撃を受けた僕は、ふてくされた後輩たちを見た。殴られて、縛られて、視界を閉ざしているにも関わらず、彼らは心底、どうでもいいと感じているのだ。
物部くんを襲ったことも。
自分たちが人を殺しかけたことも。
野球部に罪を擦り付けたことも。
ようやく秋らしくなった涼しい夜に、背筋が凍りつくほどの寒さを感じて、頭の思考が止まってしまう。
「とっしー、顔色悪いな? 臭いか?」
「うん、とっても、くさいキモチワルイ」
「それはそうだよ、杉藤。こいつらの性根は腐っているんだ」
早瀬くんが土の匂いを、五代くんがガソリンの匂いを漂わせている。園生君も強烈なカビの匂いをさせて、大川くんも強烈な硫黄臭を発した。
みんな怒っている。僕も怒っている。
二人の様子から、僕たちが望んでいる謝罪も答えも、なにもかも持ち合わせていないことがよくわかった。
「本当は、こんなこと、したくなかったんだけどね」
「ぼくも裏切られた気分だよ」
園生くんの瞳の奥で、火が爆ぜるのが見えた。力が強くて体格がいい、大川くんと早瀬くんが二人を抑えて、園生くんが二人の靴と靴下を脱がせている。青白い足が闇夜の中で不気味に光って見えた。
「ちょっと先輩たち、冗談キツイって」
「そうそう、このまま野球部のせいにすれば、全部丸くうまくいくんですよー」
ようやく事態を飲み込んで、狼狽えだすがもう遅い。
もう、なにも聞きたくない。
僕と園生くんは、無言で脱がせた靴下を丸めて、二人の口に無理やり詰め込んだ。後ろで拘束している大川くんと早瀬くんが、目を覆っているタオルを外して、靴下で塞がっている口をタオルで覆い隠す。これで、なにもしゃべることはないだろう。
「むー、むぅー」
「む、ふぅうっ!」
二人が抗議の声を上げるけど、すべてが遅すぎた。
僕たちが野球部に対して、自分たちの非を認めて、清い気分で、かつ神妙に学生生活を維持するためには、こいつらの血をみなければ収まらない。
去年に引き続いて、横暴の限りを尽くしている野球部に頭を下げるなんて、死んでもイヤだった。後輩が捏造した美談を訂正してまわるなんて、考えただけで苦行だ。
人間は他人の不幸と失敗を喜び、よほどのことがない限り、記憶を風化させずに何度も何度もネタにする。対して、ネタに出来ない不幸はそうそうに忘れて見向きもしない薄情な生き物だ。
今年起こった神戸の連続殺人も、数年したら、みんなわすれて都合のいい思い出の一幕に変わる。
そう、僕たちは後輩の言葉を鵜呑したせいで、中学卒業までの数年、大勢の同級生たちに失敗を笑われるのだ。
なにかの醜聞があったときに。
茶化されたり関連付けされたりして。
これから先、おもちゃのようにイジられる。
最悪すぎる未来だ。僕たちは悪くないのに、なにも知らない、当事者でもない人間が、まるで神になったかのように僕たちを笑いものにして、つまらない日常をおいしくいただく、刺激のあるスパイスにしようとしている。
僕たちは、常に、誰かの腹の中で無様にもがき、苦しみ、滑稽なダンスを踊って上質な黄金色の糖蜜を精製するんだ。
死ねばいいのに。みんな、みんな、死ねばいいのに。
想像してしまって、形容しがたい恥辱で体中が熱くなって、腹の中の臓器が直接締め上げられたかのように、息苦しくなって……許さない、許さない、許さない、ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない。
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僕はずっと自分は平和主義者だと思っていた。志もプライドも低くて、ことを収めるためなら、野球部に頭を下げることもいとわない人格をもっていたと思い込んでいた。
大川くんを許したし、五代くんも許した。園生くんも一定の妥協の元で、あり合うことを選択した。
痛いこと、傷つくことが、どんなに自分の魂を蝕むのか分かっていたから。自分が被害者だったにしろ、加害者だったにしろ、痛みの伴う傷にまつわる記憶は、思い描く未来を醜く歪ませて、希望に冷たい影を落とし続けている。
だから、僕が自分自身が信じられない。こんな暴力的な手段で訴えて、血なまぐさいやりかたで、留飲を下げようとする自分が。
洗濯ロープで足を拘束された後輩たちは、ヤバイことを察して、魚の尾鰭のようにバタバタと動かして抵抗した。早瀬くんと大川くんは、後ろで二人を羽交い絞めにしているだけで低一杯で、残るのはひよわな三人。だけど、なにも用意してないわけじゃない。
ここに二人を連れ出す前に、東屋のテーブルとイスの影に、いろいろと道具を隠した。それを使うまでだ。
隠していた道具を、僕たちは見せつけて足元に置いた。
ペンチ、カッター、ハサミ、縄跳び、彫刻刀……etc
夜目でもわかる凶器のシルエットに、後輩二人が体をバタつかせる。目を真っ赤に血走らせて「むぐー」「うぅ」とうめき声を漏らす。
普段使っている日常的なものだからこそ感じる恐怖。身動きが取れない分、彼ら抱く恐怖は風船のように膨れ上がっているはずだ。
「じゃあ、いくよ」
僕はハサミを持って二人の視線を誘導する。
血走った四つの瞳に向かって、ゆっくりと進んでいくと、二人はばたつかせる下半身を休めて、代わりに上体を激しくゆすって抵抗し始めた。あまりにも激しくて必死で、取り押さえている大川くんと早瀬くんの額から、汗が流れて顔が赤くなる。
そう、あまりにも二人の反応は単純だ。僕がハサミを使って、自分たちの顔に攻撃を仕掛けてくると思っている。
だけど、本当は。
――グッ。
「「――――っ!」」
鈍い音と共に、二人の口から声にならない悲鳴が出た。
五代くんと園生くんが、動かない状態の無謀な股間を思いっきり踏みつけたのだ。脳天をつく強烈な痛みに、がたがたと身を揺らせて白目をむいている後輩二人。
じょー。と、辺りに響く水音とアンモニア臭が、鼻をついた。
緩んだ下半身から尿が漏れているが、この程度で気が済むわけがない。
僕はハサミを東屋のテーブルに置いて、ペンチを手に持ち変える。五代くんはハサミ。園生くんはいつの間にか、カメラを持っていた。二人が動けなくなったことで、早瀬くんと大川くんも、二人を開放してカッターと彫刻刀を持って薄ら笑いを浮かべる。
「えぇか、あくまで軽めや。本格的にリンチするんには、それなりの場所を用意せなあかんのや」
そう言って、僕たちに自制を呼びかけようとする早瀬くんの声が、怒りと愉悦で震えている。
「わかっている。まぁ、そこそこの傷なら、私が手当てしてしまうけどね」
どこか五代くんの声は、うっとりとした湿った響きを帯びている。
「あーあ。シャベルで殴りたかったのに、これじゃあ、すぐ死んじゃうもんね。残念~」
心底がっかりしている園生くんは、黒い目を愉快に細めた。
「弱い奴をイジメるのは気が乗らないけど、お前らは別だ」
大川くんの低い声には、強い怒気を含が含まれていて、言い訳も許しも、受け付けない意志の強さが見えている。
「大丈夫、殺さないから。ただ、しばらく授業に出られないから覚悟してね」
ペンチをカチカチさせて笑う僕は、脅しではなく、本気で暴力を振るえることに喜んで、残酷な期待に胸を弾ませた。
こうして中学時代の僕たちは、二人の人間を廃人に追い込んだ。
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ばしゃばしゃと、部屋に取り付けられていた洗面台で手を洗う。
冷たい水の感触と、自分の中でこびりついてしまった、血とアンモニアの香りが、僕の中で今まで起こったことが現実だと伝えていた。歯が砕ける音、肉を裂く音、肉体が物体となる感覚、絶叫を通り越して喉が痛ましげにひゅーひゅーと泣いている。
あぁ、この肉体は【物】なんだ。
僕は濡れた手に触れた。右手で左手の指先を摘まみ、爪を指の肌で撫でてつまんでみる。
皮膚は柔らかで、爪はつやつや……。
次に目を閉じて、右手で左手の指先を摘まみ、爪を指の肌で撫でてつまんでみる。
爪はプラスチックの感触がして、皮膚は柔らかいけどゴムみたいな感触がした。まるで【物】どころじゃない【物】そのものだった。
後輩のどちらかの爪をペンチで剥いだ時、まるでプラスチックみたいに、呆気なくひしゃげた光景は嘘ではなかった。あの光景は嘘ではなかったのだ。
僕は目をつぶり続ける。山で見つけた死体のことを思い出し、葉山にされた時のことを思い出し、そして血を流していてぐったりしている物部くんを思い出す。
人間と物体の境界線。魂の在り処すら疑わしいと感じてしまう瞬間。
目を開けて、ぎゅっと両手で拳を作ると、その手が自分の手ではなく、ただの物体で僕の顔は被り物のような奇妙な実感。
――あぁ、だけど、僕は生きている。
思い悩む思考が醜い顔を凝視して、この顔をどう改造すれば普通の顔になれるだろうか、そんなことを考える。
中学に入ってから、縦に引き延ばされた顔。ハプスブルク家の顎よりも、強引に引き延ばされて、鼻の形も左右に非対称に崩れて、目の瞳孔の形すら崩れ始めている。視力検査は2.0以上あったが、納得できるはずもない。
これでも、まだ、人の原形を保っている。
この程度では、まだ、他人を不快にさせてしまう。
歴代杉藤家当主たちの写真のように、怪物そのものの容貌にならない限り、僕は本当の意味で人間扱いされない。中途半端な醜さよりも、他を圧倒させて諦めの極致に至らせる化け物の顔にならない限り、中学の僕は解放されないと思い込んでいた。
母の化粧箱から口紅をとりだして、唇の形を色で誤魔化して、深めの藍色に金色のラメが散っているアイシャドーで、瞳孔が崩れ始めた瞳の周りを彩ってみる。
「俊雄が男の子に生まれて、本当によかった。本当に……」
不意に母の言葉が脳裡によみがえった。
色で縁どられた部分が、神秘的な仮面となって鏡の向こうに浮かび上り、その他は闇に埋もれて何も見えない。
そう、僕が女の子だったら、周囲は怪物のような容貌の女性を即座に排斥するだろう。性差による美醜の差別意識は根深くて、熊谷を通じて、僕は母の言葉に納得せざるをえなくなった。
――男に生まれてよかった。と。
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一週間後。
「あぁ、やっぱりそうですか」
物部くんは驚きもせず、見舞いに来た僕の、これまでの説明を淡々とい聞いてくれた。漂う甘いミルクの香りに、彼の精神状態がおもったよりも安定していて、少し安定する。
「目が覚めたら、頭に包帯な上に後輩を庇ってケガをしたって聞いて、さすがに無いと思いました。だから、実は襲われたって教えてくれて、ありがたかったです」
そう言って、ベッドに上体を起こした体勢でぺこりとお辞儀をする。頭に巻いた包帯が痛々しくも、物部くんの表情はすっきりしたような明るさがあった。
「それで結局、野球部に謝ったんですか?」
「ううん。物部くんが襲われた前後を忘れているって確定したから、僕たちが謝るよりも早く、顧問が傷害の責任を取らされちゃってね。なんだか、野球部に謝れない状態になっちゃった。結局、寮の裏庭にごみを捨てていたのは、寮生だったってオチだし、なんだかなー」
僕は頭の後ろに両手を組んで一気に背伸びをした。僕の影が途端に長くなって、物部くんの身体に落ちる。
「あ、ごめん」
なんだか、物部くんの身体を無遠慮に触れた気分になって謝った。
「杉藤さんは、繊細なんですね」
僕の反応を見た物部くんは苦笑した。繊細、なんて言葉をもらったのは生まれて初めてだ。なんだか中学に入ってから、ポジティブな感想をけっこうもらった気がする。
「なんか、不便はない? 五代くんのエロ本見る? 熟女ものだけど」
「あ、大丈夫です。ナースさんがいます。ここは病院ですから、生のナースさんが見放題ですよ」
「あー、なるほど。羨ましい身分だな」
「っていうのは冗談で、勉強どれくらい進んでいるのか気になります」
「そうなんだ。じゃあ、大川くんを連れて来るね」
「……勉強担当窓口が、彼に確定なんですね。……大川さんと言えば、気になりますね」
少しヒゲの生えたアゴに手を当てて、物部くんが気になることを言い出した。
「杉藤さんの記憶力を正とするなら、火事で避難した時のやりとりを思うと、大川さんと早瀬さんが怪しくないですか?」
なにをいっているの?
――いや。だって早瀬くんはあの時、なんで即座に避難誘導できたんだ?
大川くんはなんで、すぐに大量の濡れたタオルを用意できたんだ?
五代くんもなにかを察しているのか、早瀬くんとの会話の流れが不自然だった。
「放火の犯人、もしかして早瀬さんじゃ……」
「ちょっと、待てーや」
と、いつの間にか、病室の戸口に早瀬くんが立っていた。
「こんにちは」
物部くんはさっき、早瀬くん放火の犯人説を推していたのに、当人を相手に堂々と普通に挨拶している。後輩に襲われたことを知っても、動揺を見せないことから、僕が思っているよりも彼という人間は、肝が据わっているのかもしれない。
「おうっ! 元気そうで何よりやな。見舞いなのに、手ぶらですまんね」
そういえば、僕、手ぶらで来ちゃった。なにか、今からでも差し入れた方がいいかな?
「いえ。安易に花を渡されても困りますから。花は嫌いなんです」
え、それじゃあ。裏庭係で、花を植えるのって苦行なんじゃ。
「だけど、ネコは好きなんです。好きなネコを見ながら作業できるのなら、大抵のことは我慢できます」
「ちょっと、僕の思考を読んだの?」
「とっしーは純粋やさかい。考えることはすぐにわかるんや。だから、安心するんやけどね……ところで、困ったなー。あー、と。じつは、放火の犯人ワテやねん。発火材と実行犯を用意したんや。ハッチも共犯やで」
「なに、日常会話の延長線でさらりとバラすんだよ。どうして、そんなことしたのさ」
あっさりとばらされて、僕の方が面喰ってしまった。
「なーに、とことん被害者でいることが、最大の攻撃で最大の防御なんや。顧問がワテを潰そうとしてたらしいし、思うに、五代のようにアイツはワテに売春とか飲酒の容疑をかけたかったんやと思う。とはいえあの野球部、なんかきな臭かったから潰そうと思ったんや。親父の伝手使って野球部の過去調べさせたら、やばいもんがザクザクやで。学校の敷地内に女子寮があったころなんか、野球部総出で女子寮襲ったクズっぷりや。当然、学校卒業して落ちぶれた奴らがたくさんおる。そん中で逮捕されても前科があって、なかなか出られん上に刑務所にわざわざ入りたい奴をえりすぐったんやよ」
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「とっしー、すまんな。火事、怖かったよな。一人じゃ無理やったから、ナオっちも巻き込んでもうた。こんな危険なヤツ、友達なんてイヤやよな?」
「…………」
僕はいま決断を迫られていた。
僕の前に立つ早瀬くんは、笑わない垂れ目で僕を見て消え入りそうな笑顔を浮かべる。
静かにうなだれて佇む姿は、すべてを諦めているような、それでいて、慣れてしまっているような、そんな印象を与えた。
「ワテ、とっしーたちのこと好きやで、こんなに一か所で馴染んだの、生まれてはじめてや」
彼の続く言葉がわかっているからこそ、胸の奥が詰まった。
早瀬くんから漂う、いつもの土の香りじゃない、ラベンダー系のハーブの香が僕に纏わりついて、本心を明かせない早瀬くんの代りに訴える。
いま引き留めないと、早瀬くんは自分たちの前に、もう二度と現れない。
このまま、早瀬くんのせいにすれば丸く収まる。
そうやって、彼はずっと、あっちこっちで背負わなくてもいい、他人の罪も背負ってきたのだろうか。
「…………」
まともな人間なら、早瀬くんの言葉をかみしめながら、彼の告発を糾弾するのだろうけど、まともな人間たちが僕たちになにをしてくれた?
「早瀬くん、僕はなにも聞かなかったし、なにも知らなかった。早瀬くんの言葉も冗談の延長で、早瀬くんは明日も明後日もいつどおりに僕たちと一緒の寮に住んで、僕たちと一緒に学校に行く。それでいいよね?」
びくりっ、と。早瀬くんの身体が震える。驚いた顔で僕を見て、今にも泣きそうな顔を作る。
「そうか、ワテ。とっしのーの中では、ずっと友達でいてくれるんやな。おおきに、おおきにやで」
なにもなかった。なにも起こらなかった。大人たちも、うすうすは真相を知りながらも自分たちの利益のために動いている。だったら、僕たちもそれに倣って、なんの罪がある? 問題がある?
醜い顔を持つ僕の顔を【かわいい】と言ってくれた彼を、どうして拒絶なんて出来るの。
みんな、そしらぬ振りをして汚い現実より、キレイな虚像を上を歩いているんでしょう?
「物部はどうするん」
「……そうですね」
巻き込まれる形になった物部くんは、静かに眼鏡のブリッジを抑えて少し考える。
「今回、警察が裏で動いてくれたから、被害届が出せて病院に入院することが出来ました。警察が動かなければ、オレは放置されて死んでいたでしょうね」
と、過去を眺める物部くんの体から、微かにタバコを連想させるヤニ臭さが漂いだす。
「まだ日が浅いけど、オレのこと、友達だと思ってくれるなら、オレ、貴方たちにどこまでもついていきます。例え、終着点が地獄でも」
彼から伝わる重たい覚悟に心地よさを覚えるのは、僕が早瀬くんを受け入れるという――決定的な決断を下したからだろう。
僕たちは泥で出来た船で、優しい夢を見ながら、静かにゆっくりと沈んでいくのを選んだのだから。
こうして、中学生の僕に、新しく友達が二人増えた。
【つづく】
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