【加筆・修正ver】杉藤 俊雄 は××したい_50_大学生編 04
何度も何度もイヤなことがあったら、頭の中で熊谷を殺してきた。
醜い子供のままの熊谷、なにも変わらない、ずっと変わらない。
『う”え”ん”っん”っん”っ! え”っ! え”っ! え”っ! え”っ!』
遠くから聞こえる耳障りな鳴き声。動物の唸り声に近く、そして虫の鳴き声のように甲高い。そこにたしなめる教師の声と共に、くすくすと小ばかにする子供たちの声が聞こえてくる。
彼女はブスだった。着ている服も所々にシミがあり、風呂が入っていないことが分かる脂ぎった髪と、垢の黒い塊がついた茶色の肌。顔の産毛は黒い針金のように剛毛なヒゲが顔中に生えて、体が毛むくじゃらなうえに、ムダ毛に垢の塊が絡みついている。
生ごみそのものの臭さに加えて、見た目も最低で、顔の造作も、豚を連想させるほどに醜い。
『あだじは、わるぐないい”っいぃぃいいぃ”っ!』
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「…………」
体のラインがくっきり浮かんでいる後姿。ドレスの布越しに、形の良い尻すらも桃のようにぷっくりと浮かび上がって、腰をくねらせて歩く姿にめまいがするほど息苦しい気分になった。下半身が熱くてむず痒くて、身体が勝手に火照っていくのが許せない。
どうして……?
変わらないと思ってきたのに、熊谷は勝手に大人になって、勝手に綺麗になって、勝手に幸せになろうとしている。
男共の欲情と女共の羨望の眼差しを一身に受けている熊谷。
攻撃的な視線を浴びて、虚勢にちかい嘲笑すらも熊谷の美貌をさらに引き立たせているような、そんな錯覚を覚えてしまう。
彼女は
僕のために惨めになってくれない。
僕のために不幸になってくれない。
僕の為にみんなに虐められてくれない。
なんて理不尽なんだろう、こんなのは間違っている。
僕は必死に理屈をこねて気持ちを立て直す。理論武装の盾に、自分は彼女に欲情していないと言いきかせて、ごく普通に成人式に出席している自分を演じている。
みんなみんな死んでしまえという怨嗟を、心の中に吐き出して、混乱が徐々に収まり同窓会の雰囲気になりつつある会場に、強い怒りを覚えている。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
お前ら……。
僕たちに突き刺さる視線に気づかないでいてあげる。
だって数年後には、お前らを殺してあげるから。一切の抵抗なんて許さない。一人残らず殺しつくしてやるんだから。
僕は覚えているよ。
ワインを飲みながらチラチラ僕を見ている君は、小学校の時、熊谷の給食にアリをいれていたね。
サイコロステーキを皿に持っている君は、体育の時間に熊谷に何度もボールを当てていたよね。
着物を褒め合っている君たちは、熊谷を裸にして、下着を目の前で水に濡らして笑っていたよね。
大人の余裕ぶって取り繕っているけど、君たちの身の毛のよだつ匂いで分かっているんだよ。君たちも僕たちと同様に、あの時から全然変わっていない、成長なんて止まっていて、肝心の頭の中は子供のままだって。
そうだよね。くやしいよね。せっかく、小学校の時の延長上で、熊谷をイジメて楽しもうとしたのに、熊谷はキレイな大人になっちゃった。
ズルイよね。許せないよね。だから、なんで、だれもなにもやらないんだよ。お前らド底辺の腐りきった性根に素直になれよ。自分の気持ちに素直になって、今からでも遅くないから、余裕で歩いている熊谷の足を引っかけて、天使の笑顔で蹂躙しろよ。
なんでっ! なんでっ! なんでっ!
「ねぇ、杉藤君」
おい、こっち来るな。こっちを見るな。この僕に、お前みたいなブスが笑顔を向けるな。
「なに? というよりも、大丈夫」
こんな時に偽善者ぶれる僕は、もしかしたら俳優の才能があるのかもしれない。普通の顔に生まれていたら、かなりイケていたのではないだろうか。
そんな現実逃避をしながらも、お構いなしに近づいてくる凶悪な現実。僕の演技は熊谷の成長に戸惑い、呆れながらも心配する善良なかつての同級生という感じだ。
ポケットから(本当に、ものすごく嫌なんだけど)ハンカチを取り出して、濡れた服を着たままの熊谷を気遣う演技をすると「お人よし」と、大川くんの声が聞こえてくる。
うん、大川くん、このまま騙されて。このまま純粋な君でいて。
「熊谷、思うところもあるんだろうが、さっさと帰った方が良いんじゃないか? 水だったからいいものの、このまま長居をしたら、どんな目に遭うか分からないぞ?」
と、五代くんはあからさまに顔をしかめて、さりげなく僕を庇おうとしてくれる。うん、君が女子にモテる理由が分かりすぎるよ。死ねばいいのに。冗談だけど、死ねばいいのに。
「あら。五代君、久しぶりね? 心配してくれるのかしら」
そう言って、キレイなアーモンドの瞳を懐かしそうに細める熊谷。対する五代くんは、端正な顔を不快気に歪めて前髪をかき上げた。二人が睨み合っていることを良いことに、僕はポケットにハンカチを戻して、おろおろした風を装う。会場が静まり返り、周囲の視線と匂いに質が変質するのを感じて、僕は背景になろうとしている傍観者たちを心の中で侮蔑する。
お前ら、自分たちの罪からにげるな、と。
「あぁ、小学校の時に君のとばっちりで山に遭難したからな。あの後、私達がどんな目に遭ってきたか君は知らないだろうね」
「……っ!」
僕は五代くんの声にぞっとしてしまった。底冷えする低い声が、背骨に突き刺さるように鋭く抉ってくる。強い怒りと、決して許すことはない意志を感じさせる声に、熊谷の顔が一瞬凍てつくも、すぐに笑顔を取り戻した。
「そう、大変だったのよね。杉藤君のお母さんから色々聞いたわ。中学の時は二回も住んでいる寮を燃やされたり、高校の時は殺人事件に巻き込まれたのよね。弟さんや妹さんも、殺人事件の同時期に誘拐事件が起きたし」
「えっ! ちょっと、待って! そんなの知らないよ」
僕は思わず叫んで後悔する。じわじわと胸を締め付ける、熱を伴った痛みに、頭がガンガン痛くなってきた。
母さん、なんで、なんで……?
もう子供じゃない、何度も実家に寄って母や父とたわいもない会話をした。弟と妹は僕に会うのを嫌がっているから仕方がないけど、いや、そんな些細なことじゃなくて。肝心な部分はそうじゃなくて。
「もしかして、熊谷って、母さんと仲良いの?」
ようやく出た言葉に、僕自身が驚いて傷ついた。
「えぇ。転校した後も、何度も手紙やメールでやりとりして、化粧のしかたとか直接教えてくれたのよ」
「――!」
頭が真っ白になる。
幼い僕の頬に、クリームを指につけた母の手が伸びて、やさしくゆっくりと頬の上でクリームが塗られていく感覚。心地よくて、冷たいクリームの感触と母の手の温度の絶妙さに、うっとりとした気分になれた――それは、とても幸せな記憶だ。
僕と母だけの……。
「杉藤君のお母さんって、本当に化粧がうまいのよね。手つきが違うって言うのかしら、思わずうっとりしちゃったわ」
「う、うん。わかる……よ」
汚された。
汚された。
汚された。
僕の大切な思い出が、熊谷のせいで汚された。母のせいで汚された。二人のせいで汚された。
僕が熊谷に母を紹介させたのは、そんなことじゃない!
なんで勝手に仲良くなっているんだよ!
僕の知らない事情を、なんで熊谷に話すんだよ!
二人とも勝手だ、勝手すぎる!
僕の頬を優しく撫でる母の手が熊谷に伸ばされる。
僕の為に化粧を施してくれた指が、熊谷の顔を彩っていく。
大切な思い出の輝きを失って、体の中でごろんと横たわる感覚。
虚ろな残骸が胸の奥で消えていく。
思い出はこうやって死んでいくんだ。
「杉藤君のお母さんには感謝しているのよ。彼女のおかげで私は、こんなに変わることが出来たのだから」
輝かんばかりの笑顔が、吐き気を催すほど毒々しくて、僕は直視に耐えられない。顔半分を前髪で隠した状態にして、本当に良かったと思う。
「そうなんだ。よかった」
胸の中に虚ろさと、名前のない痛みに耐えながら、尚も僕は偽善者の仮面を被る。匂いで分かるんだ。熊谷は僕にも母にも素直に感謝しているし、僕が自分の味方だって思い込んでいる。
「よくないよ、杉藤。ちゃんと、自分の気持ちを素直に言ったらどうなんだ?」
心配そうな五代くんの声が聞こえたけど、僕はマスク越しに笑いかけて(うまく笑えたかな)、心の中で首を横に振りながら泣いている。
だってしょうがないじゃない。だって嘘の方が、まだ希望があるように思えるんだよ。だって、おかしいのは結局僕なんだから。自分の考えたことがうまくいかずに、自分で自分の首をしめているのは僕の方なんだから。
「ねぇ、杉藤君」
「なぁ……に?」
にっこり笑う熊谷に嫌な予感がした。
なにもかもが狂っているこの世界で、普通に反応できるはずなんてないじゃない。白い手が伸ばされて、僕の顔が柔らかな手のひらに包まれる。
優しくて淡い花の香り、少し桜に近いような甘さのある素敵な香りがしたけど、その香りは熊谷の体から発せられていた。
小学校の頃は、まるでゴミ屋敷の匂いがしたのに、なんで、彼女とこんなに差がついてしまったのだろう。
美しい顔が僕に向けられているけど、ずっと頭の中に住まわせていた醜い少女が消えるわけがない。現実の美しい熊谷が笑うと、頭の中の幼い熊谷が髭が生えた顔に満面の笑みを浮かべて笑っている。
現実と頭の中の埋まらない溝に、混乱している中で視界から勢いよく白い布がはぎ取られたのが見えた。
「あ」
声を発すると、顔に会場の熱気が直に触れて、見守っていた友人たちが会場の人々が驚愕の表情で僕を見ている。
――え?
見ている、見ている、見ている、見ている、見ている、見ている、見ている、見ている、見ている、見ている、見ている、見ている、見ている、見ている、見ている、見ている、見ている、見ている、見ている、見ている、見ている、見ている、見ている、見ている、見ている、見ている、見ている、見ている、見ている、見ている、見ている、見ている、見ている、見ている。
――大勢の人間が僕を見ている。
「うわあああああああああっ! 化け物おおおおおおぉ」
瞬間に爆発した。
世界が激しく振動する、崩れる、壊れる。
大勢の人間が血相を変えて扉に殺到し、その場に腰を抜かす者、失禁する者、蹲り吐きだす者がいた。園生くんも驚いた顔をして、五代くんも顔を蒼白にして固まり、耐え切れなくなった大川くんは、その場でゲロをぶちまける。
会場の美味しい食事の匂いに混ざって、吐しゃ物とアンモニアが混ざり合い、成人を祝うクラッシックのBGMが人々の悲鳴で不協和音を奏でる。
僕は呆然とした。僕の隣に立っている熊谷は、僕の醜い素顔をみても動じることなく、女神のごとき超然とした態度を崩さない。
「本当に、バカな人たち」
面白がるように笑う彼女を僕は悪魔だと思った。
わざわざ大勢の注目を集めたのはこの時のため。
もしかして、彼女は生意気にもイジメの復讐を果たしたのだろうか。
会場がパニックでひっくり返り、スタッフたちも我先にとドアへ殺到し、人々を無理やり押しぬけてその場から脱出する。
叫び声と悲鳴。
怒号が飛び交う世界の中で、僕は必死で意識を保とうとした。
正直ショックだった。
僕の顔がどれほど醜いのか、感覚がマヒしていたことをイヤでも痛感した。
「杉藤、マスク……」
五代くんがよろよろと、赤い絨毯におちている僕のマスクを拾い上げて、僕の顔を覆ってくれる。柔らかな馴染みのある布の感触が、今や僕をこの世界から守ってくれる防波堤のように思えて、僕は再びはぎ取られないように両の手でマスクをおさえてた。
だけど。
「うっ……」
体が虚脱して、思わず絨毯に膝が付く。
全身に押し寄せてくる、強烈な惨めさに意識が飲み込まれて、喉の奥が引きつる感じがした。
「ひっくっ……ぅう、うわあああああああああああぁんっ! 嫌だ! もうイヤダああああああああああァ!!!!」
あぁ、なんていうことだ。
僕の意思とは別に、僕の体が耐え切れずにそのまま泣き崩れて、顔を両手で覆いながらアンモナイトの化石のように丸まった。
僕の40におよぶ人生の中で、こんなにも惨めったらしく泣き喚いたのは、後にも先にもこの時だけだ。
プライドも虚勢もなにもかも崩壊した僕は、大声で泣き叫び、マスクの中で唾液と涙と鼻水とをぐちゃぐちゃにする。頭の中は空っぽなのに、心の中は様々な感情が溢れ出して飽和して、そのせいなのか身体が重くなって動くことができない。
「杉藤君には感謝しているのよ本当に。小学校の時、私に声をかけてくれたよね。友達になろうって、あの時、君の手を素直にとっていたら、どんなに良かったのかな」
頭上から聞こえる熊谷の声は、思い出に耽るように、ふわふわとした心地で、いまにも儚く消えそうだった。
「こんなことしちゃってごめんなさい。貴方のお母さんに対して、恩をあだで返すようなことをしてごめんなさい。だけど、貴方はずっと私を見下しているのは分かっていたから。だから、貴方が一番許せなかった。イジメた連中よりも、貴方が一番憎かった。どんな手を使ってでも、貴方を傷つけたかった。そう、この顔を《《整形》》しても!」
【つづく】
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