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【加筆・修正ver】杉藤 俊雄 は××したい_70_現代編 06

 202×年6月 日本

 山中崎の交通事情は、杉藤によって歪められている。
 特に大半を占める山間部は、ほとんど杉藤の土地であり、川沿いのアミューズメント施設も、点在する廃墟も、教習所も修行僧たちが詰める宿坊も、元はすべて杉藤の土地であった。

 修験者であり、山神の使いと自称していた彼らは、山間部に対してなにかしら強いこだわりがあり、杉藤が納得しない限り山が拓かれることはない。そしてそれは、特に交通網に関しても同じことが言えた。

 まずY字の川の合流点に当たる、宮ノ区みやのくには車庫があり、手前の駅が都内にでる電車の終電となっている。つまり山中崎の電車は途中で途切れて、川上の隣県であるB県へと出ることはない。
 B県へ行きたい場合は、山中崎の手前の駅で乗り換えて周囲の県を迂回する形でしか、移動できないようになっていた。
 上流部にある市町村を目指す場合も、県外での迂回ルートの方がはるかに早い。

 蛇行している上に九十九折つづらおり。直通のルートがないための不便は令和まで解消されず、近年では道路の老朽化も相まって、限界集落と化している地域もあると聞く。

 よほどの地元愛が強いか、もしくは実情を知らない他所の人間しか、山中崎から上流部の市町村へ向かう者はいない。

 葉山 甲斐がいる長奈村に行くルートもそうだ。上流部の山々が連なる陸路は、道路がうねうねと蛇行していて、その道のりの遠さゆえに、バスやトラックなど大型車両でしか行き来ができない道もある。
(ちなみに山中崎の交通システムでは、どのルートを通っても同じ料金)

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 福田は一旦、山中崎のあるA県を出て迂回するルートでB県へ行き、南下する形で長奈村へと到着した。
 時刻はすでに深夜の一歩手前となり、とっぷりと闇に沈んだ村落が目前にあった。民家のほとんどは明かりを落としていて人影もない、どこか寂れた静けさ。梅雨の時期特有の蒸れた空気が、夜の外気とともに濃密な草の匂いを運んできて、遠くから川の流れる音とカエルの鳴き声が聞こえてくる。

「いやあ。久しぶりだけど、思った以上の寂れっぷりだな」

 そう呟いて、車から降りたのは園生 緑の叔父である園生 利喜そのう りきは、わざと明るい声を出して福田を見た。

「そうなの? 私にはわからないわ」

 疲れた声を出してハンドルから手を離した福田は、眉間を少し揉んで、夜の村へと目を細める。ここに辿り着くまで、集中力の限界を試すような長時間の運転だった。何度もお互いに運転を交代しながらここまで着いたのだが、老年に入った身体にはこたえるものがある。

 利喜があらかじめ持ってきた懐中電灯を光源にして、周囲を眺める福田は「うーん、周りに車が停まっているのはわかるけど」と言って、ため息をついた。

そして、

「ねぇ。勝手に、ここに車を駐車して大丈夫なの?」

 不安げな顔をする福田を、利喜は苦笑を浮かべて手を振って見せる。

「だいじょーぶ、だいじょーぶ。ここはもう村の奴らが好き勝手に、駐車場代わりに使っているから、俺等がとめても文句はねぇよ。まぁ、最近はちょっとわかんねーけど」

 最初は自信満々に、最後には誤魔化すような濁し方をしたのは、福田を安心させようとして、懐中電灯を周囲の車へ次々と照射したからだ。

 停めてある車のほとんどが、杉藤 俊雄の顔が車のどこかにプリントされていたり、中にはグッツやのぼりが後部座席から顔をのぞかせている。

「聖地巡礼ってこと? 迷惑なファンに押しかけられている状態なのかしら?」

 ネットやテレビしか情報がなかった分、直に触れた熱狂的ともいえる杉藤俊雄――美容系ユーチューバー【とっしー】の人気に福田はうすら寒いものを覚えた。

「ユーチューバーってあれでしょ? テレビの芸能人とは違って、自分で企画を考えたり、動画を配信したりしている人達でしょう? 」

 戸惑う福田の横顔を見て、利喜は小さく相槌を打つ。

「杉藤のじいさま……貴子さんの父親で杉藤 俊雄の祖父は、演劇とか好きなイベントぐるいだったからな。血筋のなせるわざなのかもな」「そうなの?」

 なんだろう、違和感がある。
 自分から見た貴子の現実と園生 緑との記憶、それらを総合しても交わらない、点と点がつながらないもどかしさ。
 頭の中にいる学生時代の自分が、なにかを訴えている気がする。

 そうよ、あの手紙も――。

「ん」
「え」

 手紙のことを思い出そうとした時、唐突に福田と利喜のスマートフォンに派手な通知音が鳴り、画面に映し出された緊急速報に鳥肌が立つ。

【速報】連続殺人事件の重要参考人、入院先で死亡を確認

 名前は出ていなかったけど、死亡した人物が杉藤 俊雄の友人であり自分の知っている人物でもあった、物部 雪彦ものべ ゆきひこだと分かった。

「これって、物部君かしら……」

 まるで計ったようなタイミングで速報が流れた。福田は記憶の中にある、物部の顔を思い出し、園生 緑が彼のことを小ばかにしていたことを思い出す。

『中身空っぽな従順バカで、案の定、杉藤君のお気に入りになったよ』

 記憶の中の園生はそう言い切った。
 まだ自分が無敵だと信じられる中学生の時。学生時代の園生 緑は自分の分析に揺るぎない自信があって、身に降りかかる最悪の事態を予測していた。

『ぼくは友達にいずれ殺される。たぶん世間では事故死扱いされるんだろうから、福田さんが殺されたってわかったタイミングで、ぼくのお墓の中を調べてよ。多分、貴子さんが福田さんに託したものが眠っているよ』

 けれど実際に託されたのは園生の手紙。
 いや、もしかしたら手紙の内容を分析できたら、杉藤 貴子の願いが分かるのかもしれない。

「あと生き残っているのは、五代病院の息子か? とはいえ、行方不明だから、警察関係者からしたら絶望的だろうな」

 五代病院の、五代 公博――貴子の――。

 ひゅっと喉が詰まった感覚と共に、胸の奥で疼いている過去の傷が破ける音がした。
 受け継がれたアーモンドアイ、神の寵愛を受けたかのような美貌、成長するごとに増していったカリスマ性。
 自分があずかり知らぬところで生まれてきた、らされていない命。

「おいどうした? 顔色がわるいぞ。大丈夫か?」
「うん、ちょっと眩暈が……あっ」

 ふらつく福田の身体を、思わぬ角度から支える影があった。年老いても尚精力さを感じさせる顔つきに、品の良い服装が暗闇から浮かびあがって、利喜は「うわ」っと声を上げる。

「いやぁ。車で来るのなら、この場所だと思って出迎えに来てよかったです」

 そう言って、葉山 甲斐はやま かいはすべてを嘲るようにわらうのだ。

 支えられて間近で葉山の顔を見た福田は、嫌な汗が背中に伝うのを感じた。柔らかな物腰でごまかされているが本能的に悟る。
 この男は本来、関わってはいけない人種だと。

 だけど、この男の協力が必要だってことなの? 貴子?

 心の中で呟きながら福田は葉山を見る。
 葉山の方は、福田に見られていることに気づいて、反射的に口角を釣り上げて笑みを作り、無害な人種のポーズを取ろうとするが、それが却って福田には胡散臭い人種に見えた。

「あの、遅くなってすみません。もうこんな時間ですし、どこか泊れる場所を紹介していただきませんか?」

 そんな二人の微妙な空気を察して、利喜が間に割って入る。
 確かに、このまま手紙を葉山に託して、どこかで一泊したほうが良いかもしれない。ただでさえ、ここまで来るのに交代で運転してかなり自分たちは疲れているのだ。疲れた体で無理をしても、たいした結果なんて出せない。

 だけど、私達が得られる結果って、なんだろう……。

 世界が滅ぶことを夢見た少女時代、ともに夢見た親友は、自分になにかをさせようとしている。それがなんであれ、受け入れることが彼女に対する友情だと福田は信じている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

――翌日。

 結局福田たちは、葉山の家に泊まることになった。この辺りの泊まれる場所は、すべて杉藤 俊雄の熱狂的ファンが独占している上に、周辺の住民たちも他所の人間に対してピリピリしている。安易に宿泊できる事態ではないことに、福田は自身の甘さを痛感した。

「最近はとっしーのファンたちと交流することが楽しくて、よく泊めているんですよ。飛び込みも歓迎していますし、お二人がそのまま泊る分には問題ありません」
「…………」

 自分たちには選択肢がない。葉山の貼りついた笑顔を見た福田は、後悔と諦念を滲ませて、葉山の申し出を受け入れた。自分たちではどうしようもない流れに、学生時代に感じた無力感が蘇るも、泥のように体にまとわりつく疲労感が勝ってしまうのが老いた証なのだろう。

 用意されたパジャマを着て布団に入った途端、自分の中でざわめいていた感情たちの輪郭が崩れて、すうっと意識の彼方へ吸い込まれていくのを感じた。まるで死んだように眠りにつき、目覚めた時にはすでに日が高く昇っていた。

 慌てて着替えて、身支度を整える。昨日泊まるかもしれない予感がして、休憩で寄ったコンビニでスキンケアセットが買えたのが、今はとてもありがたく感じる。

 ババアのくせに……。

 鏡に映る老いた顔に、民生委員会の男性が吐き捨てた言葉が蘇る。コロナ禍で深刻化した孤独死問題で、独居老人を対象とした見回りに最近民生委員会の人間がよく来るようになった。
 とはいえ、コロナの感染を警戒してドアを少し開けた状態の、簡単な対面方式なのだが、その日は、福田が身支度を整えるよりもドアの開くタイミングが少し早かった。

 来たのは息子ほどの年齢(とはいえ、福田は結婚していないが)の男性だったが、いきなりの異性からの視線に羞恥心で両椀で腕を隠す仕草をした福田を、まるで汚物をみるような眼で見てきたのだ。

 簡単な対面が終わりドアが閉まって立ち去った瞬間、まるで福田に訊かせるように吐き出した言葉がいやでも耳に残っている。

『年齢考えろよ、ババアのくせに』

 ババアで結構よ。あなただって、いずれジジイになるのだから。

 福田は化粧水を手のひらに出して馴染ませると、しわだらけの顔へ労わるように撫でつけた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 部屋から出て廊下に出ると、福田が部屋を出た音を聞きつけて、利喜が顔を出した。お互い短めに挨拶をして、利喜に促されて客間へ通されると、そこには葉山がいた。

「おはようございます。お体の調子はよろしいですか?」

 丁寧な口調で、遠回しの皮肉だと即気づいた。だけど福田は気づかない振りをして、笑みを湛えて軽く頭を下げて感謝を口にする。

「えぇ、お気遣いありがとうございます。おかげさまで、ぐっすり眠れました」
「そうですか、隣の部屋に食事を用意してあります。お話は食事がすんでからにいたしましょう。あの手紙から、なかなか面白いことが分かりました」

 面白い……?

 なんだろう、葉山の言葉にいちいちささくれ立っている自分がいる。そんな福田の心を知ってか知らずか、葉山は上品な所作でお茶を飲んで、隣室にある台所を指し示した。
 用意された食事を食べるが、食べても食べても気持ちが重くて味がしない。

「利喜はもう食べたの?」

 心配そうに隣に座る利喜は、苦しそうな福田を見て首を振って答えた。

「あ、あぁ。だけど、あの先生と一緒にいると、なんだか疲れるからな」

 ようは自分は避難場所らしい。隣室にいる葉山に聞こえないように、声を潜める利喜は、少し自嘲気味に唇を歪めて言った。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 食事を済ませた二人は食後の緑茶を飲みながら、改めて葉山の話を聞くことになった。

「私はね、杉藤 俊雄がなにをしたいのか? と、ずっと考えていたんだよ」

 ソファーに座って、言葉を選びながら話を切り出した葉山は、顔を少し俯かせて沈痛な面持ちを作る。そして、手元にタブレットを引き寄せて操作すると、画面から様々な画像が現れた。幼い子供たちの写真、回答が埋められたテストの答案用紙、どこかの施設らしき動画、さらにユーチューバー活動活動をしていた時の杉藤 俊雄の動画があった。

「私の著作である回顧録を出版する時、かなり内容を精査して削った個所もあるし、当然載せられない話もあった。実名を出さずにイニシャルで人名を統一したんだが察した人間は多かった……だが」

 そこで一呼吸を置く葉山は、テーブルに手紙を置いて横にタブレットを置く。そこで福田は違和感を覚え、ハッとした表情で葉山を見、利喜の方も気づいたのか複雑そうにタブレットと手紙を交互に見る。

「私が彼らの教師として、面倒を見ていたときの記録だよ。よく見て欲しい」

 まるで手品を披露するかのように、葉山はタブレットを操り、並べられた答案用紙の画面を二人に見せる。
 カチカチと音が響くと共に月日がめぐり、答案用紙に起こる筆跡の変化。無責任な周囲によって、本来の子供時代を奪われた彼らの精神が、いびつに変容していくさまと行きついた先に現実の手紙があった。

【つづく】

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