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【加筆・修正ver】杉藤 俊雄 は××したい_56_大学生編 10

 一年後。

「それで、これがようやく手に入れて君の顔だってことかい?」

 五代くんがそう言うと、疲れた微笑を浮かべて、僕はその微笑を愛でるように目を細めて頷いた。
 大学を休学して一年。復学が認められた僕は、久々にみんなに会いたいと思ったんだけど、連絡が取れたのは五代くんだけだった。

 大川くんは学業そっちのけで物部くんと一緒に家業に精を出して、早瀬くんはヤクザの息子であることを盾にジジィどもを黙らせつつ友達の家を渡り歩き、園生くんに至ってはなにをしているのか分からない。そして五代くんは医大三年生で、もうすぐ四年になるというきわどい忙しさの間で、なんとか僕に会いに来てくれた。

 再会の場所で用意したのは、大学の近くにある商店街の小さな居酒屋で、そこで僕らは乾杯した。ビールジョッキを手に持ったまま、五代くんは呆れたようにため息をつく。息というよりも魂を吐くようなため息だ。僕に対して、様々な言葉を吐きだそうとして、だけど実際に顔を合わせたら言葉が出ないパターン。実によくあることだ。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 とりあえずキープしてある空席が四つ。
 僕はお通しで出され小鉢に箸を伸ばす。
 かつお節がまぶされたこんにゃくと切り干し大根のお通しだ。
 口に入れると豊かな出汁の味が、弾力のあるこんにゃくの食感と、しなやかな切り干し大根の食感、かつお節の味が相まって、口の中で複雑に味が絡み合う。素朴で少量なのに、見事な味わい深さを持った料理だ。

 僕がむしゃむしゃ咀嚼すると、五代くんは物言いたげな視線を投げてくる。
 五代くんは果たして、僕になにを訊きたいんだろう。
 この一年なにをやっていたか?
 ジジィ共やらめんどくさいことを君たちに押し付けたこととか?
 それとも家の事とか?

 考え付くだけでもたくさんある。五代くんはこんにゃくを咀嚼しながら、何かを言おうとして、だけど、言語化できないもどかしさを抱えているのが、長い付き合いで分かった。

 五代くんの身体から、嬉しいという感情が花の香りになって伝わってきて、過剰なまでに僕を気遣う友情にちょっぴりうれしくて、ちょっぴり重たい気分になる。

「今日は来てくれて嬉しいよ」

 僕は五代くんが話しやすいように、ふんわりと笑いかけた。ちらりと五代くんのジョッキグラスを盗み見て、自分の顔を確認し、表情が五代くんに良い印象を与えるように顔の角度を調整する。

 うん、なかなか良い出来だ。

 内心でにんまりとしながら、僕は新しい僕の顔(仮)を見た。そういえば、五代くんには初めて、整形手術した顔を見せたんだっけ?

 五代くんの態度が、どこかぎこちない、ぎくしゃくとした違和感を覚えたのはそのせいかな?

 顔色は腐ったミカンの色から透明感のある白い肌になり、顔の輪郭は綺麗な卵型。少し高い鼻梁に薄い唇、瞳は少女のように大きくあどけなくて、長いまつ毛が濃密に茂っている。

「いや、それなんだが、君の趣味にどうこういうつもりはないんだが、まるで女の子みたいじゃないか」

 そう言って顔を赤くた五代くんは、片手で顔を覆った。なんだかその仕草がかわいくて、意地悪したいような傷つけたいような、変態じみた気分になる。

「仕方がないじゃない。僕小柄だから、身体に合わせた結果がこの顔なんだもん。かわいいでしょう?」

 僕が面白がっているのがわかったのか、五代くんが憮然とした顔を作る。僕も彼に対応した表情を使って反応を伺う。

 うん、なんだか新鮮だな。

 ずっと醜い顔を隠して生きてきた。相手が自分の表情で心情を推し量り、喜怒哀楽を使い分けて反応を引き出し、無言の応酬を重ね合うなんて、顔を普通にさらしている者同士が交わす、日常的なコミュニケーションなんだろうね。

「それにしても、だ。私は君が帰ってくると聞いて驚いたよ。てっきり、このまま山中崎に帰らないと思ったからね」

 喉仏を震わせるように五代くんは言った。太くてたくましい男らしい首筋だ。彼の子供の頃を知っているだけに、お互いに流れた時間と月日をしみじみと感じてしまう。

「そうなの? 僕は帰らないほうがよかった?」
「ん? なんで、それを私たちが決めないといけないんだ」
「……そうだけど」
「去年のあの日、私達は……すくなくとも私は、君が幸せになることを願って老害どもを迎え撃った。老人に手をあげるのは初めてだったから、ちょっと胸糞悪かったよ」
「え、そんなにひどかったの?」

 僕は絶句する。学生寮を襲った老人たちは、僕が杉藤顔を捨てることを必死に阻止しようとしていた。なにがなんでも、けが人が出ようとも。だけど、もう時代は21世紀だ。幼稚園の頃の粛清劇みたいな、過激なことは起こらないだろうと高を括っていた部分もあった。

「場外乱闘がひどかったかな。幸い死傷者や重傷者は出なかったけど、生傷が絶えなかったよ」

 と、五代くんが腕をまくって僕にみせつける。照明のしたで血管を浮き出た腕には傷なんてなかったのに、僕の瞳には細かくて小さな傷が無数についているように見えた。

「体の傷は癒えるけど、心の傷は目に見えない。あの時、真剣に君を守ろうとした私たちの気持ちを、君は推しはかるべきだと思うのだが?」
「ご、ごめん」

 僕は自分の甘さを痛感した。自分の浮かれぶりを恥じ入り、五代くんをイジろうとした己の浅はかさを反省する。そして、目の前にいるこの男が、どれだけ僕を大切に思ってくれていたかを今更ながら知ったのだ。

 こんなことを言ってくれるのは、五代くんしかいないな。

 思えば、ことあるごとに彼は僕に苦言を呈してくれた。

「で、話を戻そう。だから、私達は納得したいんだ。君は治療を続けないといけないけど、普通の顔を手に入れた。一生不自由しない金もある。それってとても恵まれたことじゃないかい? 杉藤はその気になれば、どんどん幸せが手に入る。そう考えれば山中崎に留まることも、私達にこだわることもない筈さ。君はどうして、わざわざ自分から幸せになるチャンスを放棄しようとするんだ」

 手を戻して、ジョッキに手をかける五代くんは、一気に言い切るとジョッキのビールを煽った。ごくごくと音を立てて嚥下される白い泡と黄金の酒。キラキラとした気泡がジョッキの中で輝いて、五代くんの胃に流し込まれている。
 お通し以外のおつまみは、まだ来ていない。メニュー通りなら、フライドポテトとホタテサラダ(六人分)がこれから来るはずだ。

 酔いとぐちゃぐちゃとした感情と、口の中に残るかつお節を舌で弄びながら、僕に真剣に向かい合っている五代くんに、どんな言葉で説明すればいいのか考える。

「……五代くんは、少し誤解しているよ。僕は幸せになることを諦めてもいないし、みんなのことを大切に思っている。それは本当のことだよ」

 幸せ、可能性、伸びしろ。幼い頃に根付いた価値観は、覆すのは難しいし、僕は希望を諦めて生きるつもりもない。
 僕も五代くんを真似るように、ジョッキを手に持ってビールを一気にあおる。子供の頃、ちょっとした好奇心で飲んでみて、軽く後悔した大人の飲み物を、僕の舌はその苦みを喜びをもって受け止めている。
 喉を通る炭酸の感触に、胃の中にたまっていくビールの感触の心地よさ。僕の胃にもキラキラとした気泡が、無数の輝きを放っているのだろう。そうだと良いな。

「けどね、やっぱり許せないし、そのままにしておけないと思うんだ。なにもしないまま、あの時感じた惨めな思いを何度も思い出して、目先の幸せでごまかして腐りながら生きたくない。大丈夫。バレないように、細心の注意を払うよ。彼女も出来たし」
「おい、ちょっと待て! お前、彼女出来たのかっ!」
「……そんなに驚かないでくれる? 僕だって女の子ぐらい好きななるよ」

 そう、数年後に僕が殺してしまった葛西 真由。僕と同じ坂白診療所で顔の治療を受けていた女の子。この頃の僕は、彼女のことを普通に愛していたし、普通に大切にしたい、彼女の憂いを僕の手で晴らしていきたいって、そんな青臭い感情を持っていた。

 だけど、僕は失敗したんだろうね。せっかく手に入れた青臭い感情を大切にしなかったから、腐った香りを放ち始めて、結局ヒドイ形で彼女を手にかけてしまった。

「しかし、君がねぇ。本当に君は私が知っている杉藤 俊雄なのかい? じつは、杉藤 俊雄だと思い込んでいる一般人だったりして?」

 酔っているのか、五代くんが薄ら笑いを浮かべながら手のひらで自分の顔を半分覆って、バッと手を離してみる。どうやら変装を解く時に、顔のマスクを剥ぐルパン三世の真似をしているようだ。

「もう、怒るよ! 僕は杉藤 俊雄だよっ!」

 語気を少し強くして、僕は僕だと主張するけど、なんだか五代くんの言葉に胸がざわめいた。僕が自分自身だと、どう証明すればいいんだろう。

 僕がじつは僕じゃない? 
 じゃあ、本物の杉藤 俊雄はどこにいて、ここにいる僕は果たして誰なのさ。

「あぁ、ごめんごめん。顔が変わったせいなのか、まだ私の中で君が杉藤だと結びつかないんだ。だから、そんな深刻な顔をしないでくれ」
「うん、いいよ。けど、信じて。僕は君の小学校よりちょっと前から友達の杉藤 俊雄だよ。それ以上でもそれ以下でもない」
「「…………」」

 気まずい空気が流れてしまい、僕たち二人は黙り込んでしまった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 あぁ、大川くんだったらうまく取りなしてくれたかもしれない。
 早瀬くんがいたら、強引に話題を転換してくれたかな。
 物部くんはボーとしてそう。園生くんは……うん、いてもいなくてもいいや。

「「…………」」

 僕たちが黙り込んでいる間に、フライドポテトとサラダが運ばれて、大盛りのから揚げと、具だくさんのモツ鍋が出てきた。香しい料理の匂いが鼻腔をくすぐるけど、胃の奥が重くて、お酒も料理も手を付けられない。

 このまま帰ろうかな、と、思ったその時だった。

「お、俊雄にゴー、いたいた」
「どうせ君の事だから、全員分の席を用意していると思ったよ」
「とっしー、あいたかったでー」
「杉藤さん、キレイ」
「み、みんな。どうして……っ!」
「なんでって、そう言われてもなぁ」

 大川くんがぼりぼりと頭の後ろを掻いた。作業着姿だから、さっきまで家業の手伝いをしていたのだろう。大川くんの後ろからのっそりと現れた物部くんも、大川くんと同じ作業着姿で、僕の顔を見て驚いている。

「とっしーに会いたい気持が強うて強て、なんとか無理矢理時間を作ったさかい。来たかいがあったちゅーもんや」

 そう言う早瀬くんは、ブランドのスーツにグラサンをかけて、スーツの襟もとに金色のバッチが光っていた。どうやら僕のいない一年のうちに早瀬くんは自分の道を決めたらしい。

「すごいね、声まで違って聞こえるよ。ここまで徹底的に人間って作り替えられるものなんだね」

 最後に部屋に入ってきた園生くんは、シャツにジーンズのラフな格好だけど、なんだか僕たちの中で一番で浮世離れをしている印象を受けた。危ういような怖いような、周囲の人間に警戒心を抱かせる雰囲気がある。

 とはいえ、みんなが集まって場が賑やかになっていくと、僕と五代くんはイヤな緊張から解放されて、へなへなと体を脱力させた。

「「ハァ~」」

 ん? と、僕と五代くんが顔を見合わせる。

「ㇷ゚ッ……なんで、ハモるんだよ」と僕。
「そっちこそ」と五代くん。

 あはははは。

 僕たちは笑って、笑って、本当に本当に、楽しそうに笑って、その日は、もしかしたら僕の人生で一番幸せな日だった。

【つづく】

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