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【加筆・修正ver】杉藤 俊雄 は××したい_75_30代編 05

 数日後、自宅アパートにて。

「杉藤……すまない、すまない」
「もういいよ。五代くん」

 僕を見て痛ましそうな顔を作る五代くんに、僕は彼の不安を少しでも和らげようと微笑みかけたけど、今の僕の顔は包帯に覆われているのを忘れていた。なんだかマスクで生活していた頃に戻ったみたいだ。
 気持ちをすぐに伝えることができない、伝わることができない不便さに胸の奥にざらついた感触が広がる。

 もう、あの頃に戻れないな。

 表情一つで、どれだけ人間の感情が左右されるのを知ってしまったから。もうマスクをつけて匂いで相手の感情を探りながら、慎重に言葉を選んで会話するなんて、そんなとても面倒なことはもうできない。

「油断した。最近物騒だったのに、私は君を家まで送るべきだったんだ。君まで死んだから、私はどうすればいいのかわからない」

 うなだれてイスに座り込む五代くんの顔は憔悴しきって、そのまま消えてなくなりそうだった。
 そこまで自分を責めなくていいのに。
 僕が襲われたのは僕の自衛が足らなかっただけの、ただの事故みたいなものなのに。

 あれから僕は、堂々と被害者として警察の調書を受けた。
 あっさりと解放されたのは、僕が杉藤であることと、川で死んでいる小網くんのことについては、僕の杉藤顔を見て発狂して自殺した……ということで決着した。

 それぐらい僕の顔面は悲惨だった。
 駆けつけた警察官が、その場で吐いて失神するレベルだし仕方がないよね。

 それで警察病院で手当てを受けて、自宅に帰されて今に至る。
 通常だったら、もっと長時間身柄を拘束されたんだろうけど、今のひどい顔の僕を手元に置くことは、いろんな意味で自殺行為だ。組織運営に支障をきたし、大勢の一般市民に迷惑をかけるのは僕も本意ではない。

 連絡をうけて、警察病院へと迎えに来てくれた物部くんは、ものすごく顔を真っ青にしつつも「警察病院なう! な、動画撮りますか?」と聞いてきた。
……うん、物部くんらしくて逆に安心する奇妙な逆転現象。

「というか【なう】はもう死語だと思うよ」
「そうですか?」

 ちなみに、施設側の許可が下りなかったから、動画の撮影はできなかった。杉藤家に対してNOを突き付けるなんて、なかなか骨のある病院だ。これは、大切にしていきたいと思ってしまう。

 それにしても、びっくりした。
 指が折れていたのは理解していたけど、手の甲のや手首の骨にもひびが入っている上、首はムチウチ。鼻も骨折してあごにもヒビが入っている。のっかれた腰なんか筋あたりを痛めたし、不自然な体勢で無理やりマウントを逆転させたし、興奮状態のままデブを引きずって川に捨てたから、僕はかなり満身創痍な状態だ。病院で痛み止めをもらったけど、ベッドから起き上がることができない。

 ということで、坂白病院の方でしばらく療養生活を送ろうと思うんだけど、そのことを伝えたら、五代くんの顔が気の毒なレベルでものすごく歪んだ。

「そうだな。君の顔のこともあるし、坂白病院で治療をするのは良い判断だと思う」

 と、まるで自分に言い聞かせるように言うもんだから、ちょっと気分が悪くなる。

 ちょっと、その言い方はないんじゃないかな?

 けれども僕の今の顔は、包帯でぐるぐる巻きだから、言葉で伝えるしかないのだろう。
……学生時代の僕だったら「その言い方、気持ち悪い」ってストレートに言えたんだろうな。

「ねぇ、五代くん。祥子さんのことなんだけど」
「うん?」

 代わりに出た言葉は、本音ではないものの一人で考えるには負担のある事案だ。延々と一人で答えのない推理を続けるよりも、五代くんの意見も聞いて、感情的に湧き上がりそうな、厄介な熱を冷ましたかったのかもしれない。

 僕は今回の経緯と祥子さんのことを絡めて五代くんに話し、浴場に入る以前に祥子さんは意識のない状態だったのではないか? と、自身が立てた仮説を順序だてて説明した。
 五代くんは黙ったまま僕の話を聞き、思案気にとがった顎に指を置いて、形の良い少し吊り上がり気味の二重の瞳を品よく伏せる。

 やっぱり顔が良いなぁ。取り替えて欲しいけど、僕の体格で五代くんの顔はバランスが悪い。僕より頭一個分背が高いし、均等の取れた中背中肉の身体だから、五代くんの顔は映えるんだ。顔だけじゃなくて、身体の方もちゃんとバランスが取れているなんて、本当に狡すぎるよ。僕が女の子だったら、今この瞬間に、五代くんの罪悪感を煽りまくって襲っていただろうなぁ。

「と、僕はやっぱり殺人だと思うし、担当していた介護士があやしいと思うんだ」

 だけど、僕の口から出るのは現実を形作る言葉だけ。肉体と心が乖離し始めて、僕の中で次第に現実味が薄れていく空虚な喜劇。
 人の不幸を願う神様の気配を感じて、僕は僕の運命を受け入れるしかないのだろうと、どこか冷めた気持ちになる。

 僕が今歩いている道が、杉藤貴子の敷いたレールだというのなら、僕の意思は始めから要らないものなのかもしれないけれど。

「それで、僕は……殺したい」
「杉藤、それは」
「うん、大川くんには悪いけど」

 結局そうなってしまう運命なのなら、抵抗するだけ無駄なんだ。自殺できるほど度胸も覚悟もない僕は、痛み止めがもたらす安息に感謝しつつ、はっきりと言葉にして、気持ちをダイヤモンドのように固くする。

「僕はもう殺したい。気に入らない人間はすべて、全部、僕の目に映る景色が美しいものであるために」

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 ごめんね、大川くん。
 だけどもう、我慢の限界なんだ。
 僕じゃなくて、この現実が。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
 
 祥子さんのように死んで悲しむ人間がいる一方で、小網くんのように死んでくれてよかったと胸を撫でおろす人間がいる。
 小網くんの家族は、息子が杉藤家当主である僕を襲ったということで、近所から悲惨な嫌がらせを受けて、耐え切れずに離散した。
 まったく、このご近所もたいがいだよね。
 小網くんの被害者であるコンビニの女性店員や、誘拐されそうになった女児の時は何もしなかったクセに。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

2016年某日。

「大丈夫か? 杉藤」
「とっしー、またさらにベッピンさんに磨きかけてん、天井がみえんわ」「まったく。治療に加えてさらに美容整形って本当によくやるよね」
「あ。復活チャンネルの動画再生数、一万超えましたよ」

 去年負傷した怪我の治療に加えて、崩れた顔をさらに改造して今の僕へと至る。
 山中崎の駅まで迎えに来てくれた友人たち。彼らはちょくちょく僕のところに見舞いに来て、進めている計画から僕が取り残されないように、気にかけてくれた。

 みんな結局わかっていたんだ。

 もう僕たちは、一般市民の営む日常生活に戻ることができない。
 人間が骨と肉と水で出来ていることを知っているから。
 魂なんて曖昧なものの存在がないことを知っているから。
 神経が精密機械の如く組み合わさった、酸素と電気信号で動く人形だと知っているから。

 それを知ってしまったら、人間をもう人間として見ることができなくなる。 人間は生きていない。僕たちも生きていない。
 神様の供物である人形として、生きていると錯覚して動いているだけなんだ。勘違いから生まれる感情、意識、生、そして死という理不尽。
 押し付けられた価値観と人生の中で、数少ない選択肢を与えられた人間は【殺人】という【戦争】の選択肢を手にしたことで、極端且つシンプルな境地へ至り技術を進歩させてきた。

 あぁ、こんな婉曲的な表現はやめよう。
 僕は殺したい。僕たちは殺したい。
 早瀬くんも、物部くんも、園生くんも、五代くんも、誰かを殺したくて殺したくて仕方がないんだ。
 大川くんは死ねたから幸運だった。もし生きていたら、確実に【だれかを殺したい病】に苛まれて、たくさんの死体の山を築いていただろう。

 人間を殺すことで得られる真実とカタルシス。
 回数を重ねるごとに深くなる痺れるような、突き抜ける感覚。
 それは麻薬のように苦痛を伴いながら僕らを蝕んでいく。

『俊雄。もう、人を殺すのはやめろ。出来ないなら、いますぐ死んだ方がいい』

 死の縁で大川くんは僕たちの行く末を見越して、なんとか自制をかけるようにお願いしたのだろうか。

 シンプルに殺すな。
 殺すのなら自殺しろ。って。

 ごめん、もう、ダメなんだ。

 この国は、世界は終わりかけている。この世の中の構造は、二枚舌の伏魔殿で出来ていて、天使たちは無数の目だらけになり、ネットを介して不気味で歪で摩訶奇怪まかきかいな姿に進化しつつある。

 こんなおかしい世の中を生きるには、人間を殺して危険な痛みを受けるしか正気を保つ術がない。

 アベノミクス、マイナンバー、相模原障害者施設殺傷事件、著名人の違法薬物所持、スキーバス転落事故、顧客情報流出、電通による過労死、熊本に鳥取県の地震……本当にうんざりする。

 今年、本当に世に出てよかったものは【シン・ゴジラ】とかエンタメ系しかないなんて、本当に本当に終わっている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 けれども世の中の不景気は僕たちに味方した。
 なんと大川運送の方から再契約の打診が来たのだ。このご時世、地方且つ個人で地域密着型の運送会社なんて、ヤマトや佐川に比べたら弱小なんて良い所。時代のニーズに応えられなくなったからこそ、大川くんが生きていた頃のような隆盛を取り戻したくて、杉藤 俊雄の元へわざわざ奴隷になるために頭を下げに来た。
 それがどのような結果をもたらすのか、思考停止してただひたすら目前の利益に飛びつく。まさに飛んで火にいる夏の虫。杉藤という名の誘蛾灯を、僕が有効活用して大川運送を私物化するのに時間はかからなかった。

 死体処理や証拠隠滅の問題もクリアーできた。なんと物部くんの叔父さんが一時期陶芸にハマっていたことを、物部くんが思い出して、使用していたアトリエの窯を直して改造すれば、死体処理と証拠隠滅に一役買えると言ったのだ。そのアイデアを聞いた時は本当に嬉しかったし、よくぞそれを思い出してくれたと思った。
 窯があるアトリエの場所も、住宅街から離れていて川が近いのもポイントが高い。

 殺人をやめるために僕名義の別荘は全部更地にしてしまったから、このアトリエが唯一の殺人と死体処理の拠点になる。
 山間部でもないし、人の生活圏が近いから常駐して管理する人間が必要になってくるのだが、報酬を払うと言ったら園生くんが快く引き受けてくれた。 これで、彼の父親がこさえた借金が完済できるのだからと、暗く笑う彼に、あの時の僕はなにが出来ただろうか。

 タイのホテルで眠る僕は、ここが園生くんと僕のターニングポイントだったんだと痛感する。
 三歳の頃から遡って、自分の嫌で変わらない部分。あまりにも楽観的無関心な薄情さに泣きそうになり、どうして気づいていたのに踏み込めなかったのかと自問自答して、自問自答したこと自体に満足しそこでて終わりにするんだ。いつもいつもそうなんだ。

 ぐるぐるぐるぐる僕は繰り返す。
 ぐるぐるぐるぐる僕は何度も後悔する。
 ぐるぐるぐるぐる僕は過ちを犯して、苦悩した振りをする。

 そう、いつもいつも。
 完治することのない病気のように。

 さぁ、大川運送から借りてきたトラックを物部くんに。
 五代くんが横流ししてきた薬をいつでも使えるように、園生くんはアトリエの準備を、僕と早瀬くんの担当はターゲットの拉致監禁……その中に、一名いない。
 失敗が許されないというのに、そんなときに限って無用の緊張が走るんだ。その度に、大川くんはいつも場を和ませてくれた。
 大切な仲間。前線のエース。心優しいムードメーカーが、なによりも人殺しを楽しんでくれた心強い仲間がいない。知っているからこその欠落が僕をたまらなく寂しくさせたけど、今はこの湧き上がる寂しさを抱きしめるように愛でたい気分だ。だってこれって、大川くんが生きていた証みたいなものだから。

「すいません。大川運送です」

 僕はインターホンを押して、久しぶりのセリフを口にした。
 今回のターゲットは去年の因縁――祥子さんを殺したであろう担当介護士である女性だ。

「はーい」

 まったく、祥子さんを殺して良い御身分だよ。
 といっても、これは人殺しの僕たちにも言える事なんだけどね!

【つづく】

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