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【加筆・修正ver】杉藤 俊雄 は××したい_40_高校生編 06

 人間が時々、天使に見える。

 そんなことを言ったら、とうとう気が触れたと思われるだろう。

 深夜に目が覚めた僕は、洗面所の鏡の前でじっと自分の顔を見つめていた。マスクを外した異形の面貌が、深夜の暗闇もあって不気味な存在感を放って告げている。

 僕は、僕の望む幸せなんて、手に入れることは出来ない。って。

 だけど、これは僕が生んだ幻想、将来に対する不安だ。無視するべき幻聴に付け入られた心の隙間は、僕自身が補完しなければならない。顔のない天使の肉の紐に蹂躙されて、偽りの支配と幸福に身をゆだねる気なんてないのだ。

 僕が顔を上げると。鏡に映るのは醜い顔ではなく、顔のない天使が立っている。ぼんやりとその存在を感じていたモノが、今、この瞬間に実態を持って現れる。

 顔のないのっぺらぼうの天使。マネキンみたいな白い体には、着衣一つなく、下腹部にあるべき性器は存在しない。背中にあるのは翼だけど、その羽は白かったり黒かったり、孔雀の羽根や、ムシの羽根、魚の尾鰭がでたらめに寄り集まって、翼としての体裁を保っている。それだけでも気味が悪いのに、腰のあたりに垂れさがっている肉の紐が、うねうねと動いて硫黄臭のする粘液を滴らせていた。

 これのどこが天使だと、人が言うかもしれないけど、僕はこの異形が天使だと胸を張って主張できる。

 他者に対して服従を強いる点や、己が正しいと疑問に感じていない点が、人に天罰を下す聖書の天使そのものじゃないか。悪魔と紙一重のタチの悪さ。そもそも、悪魔は天使が堕落した姿だと葉山が言っていた。

 天使も悪魔も天に存在しない。僕たちの中にいる。

 人間は自分の正義を確信すると、いつでもどこでも天使に化けることができるんだ。僕が幼児の時の母も天使だったのだろうし、熊谷をいじめた奴らも天使、中学の教室で野球部に絡まれてきた時も、クラスメイト達は顔のない天使になった。今回は五代くんだ。

 誰でも天使になれるのなら、僕も天使になれる。腰に垂れさがっている肉の紐を手繰って、自身の正義の名のもとに相手を支配することができるのだろう。

 杉藤家の異能によって、匂いによって相手の心が読める力。記憶を読める能力は、僕が相手の気持ちを知りたい、仲良くなりたいからこそ繋がりたいと願っていたから発露した能力だと考える。

 僕はずっと、この能力を当たり前のように使っていた。なにも考えないで、その能力の高さに疑問を感じることなく、葉山に異能の考察を預ける形で、自身で深堀することなんてしなかった。

 僕はもっと自分を知り、自分の能力を具体的な目的をもって行使するべきだ。

 予感がするのだ。僕はこれからもひどい目に遭う。圧倒的多数の他者が僕の周りで有象無象の攻撃を加えてくる。そんな理不尽を跳ね返すための絶対的で都合のいい力。心を操れるなら、警察は僕の罪を立証できないだろうし、将来的に考えている報復――大量殺人を叶えることが机上の空論として終わることはない。

 鏡の向こうで、天使の僕がぴくりぴくりと腰を揺らしているのが見えた。腰から垂れ下がる肉の紐が、今にも誰かに繋がりたくてしかたがないと、淫らによがり、僕という主人に縋っている。

「大丈夫だよ。機会はもうすぐ来るから」

 にやあ、と。口が横に広がって行くのを感じて、鏡の向こう側に広がる真実の世界を嘲笑う。

 ピンク色肉の壁、ぬらるとしたヒダ、壁に走りどくりどくりと脈打つ血管。僕はこの世界が神様のお腹の中だと確信する。人間たちをうじゃうじゃ増やして、蜜味の不幸を醸造して直接腹の中で栄養を吸収するんだ。

 神様が人型なのは幻想だ。神様の本当の形は単体の臓器。だから神は人間を助けない。救われない。ゆるされない。僕たち個人の生に意味なんてない。価値もない。だって、僕たちは神様の食べ物なんだから。

 家畜一匹一匹の幸福を、人が考えていないのと同じだよ。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

1999年8月9日(月)

 教習は実技第二に移行した。講習内容は三角コーナーを使ったS字のカーブに、木の板で作った坂道、キレイな直角の曲がり角など教習コースに変化が加えられる。

 実技第一の知識と応用能力が試されて、集中力を乱せばバイクの馬力も加わって事故に直結するのだ。みな真剣な面持ちで教官たちの講義を聞き、幾分の不安を滲ませてバイクにまたがる。

 ぶんぶんとエンジンをふかして、僕はヘルメット越しに、本来ならがあり得ない人工的な悪路を見据えた。この悪路は、いままで僕が歩いた人生そのもののように思えて、心の奥底から闘志が湧いて出る。

――乗り越えてやる!

 僕はすべてに打ち勝ってやる。

 半分なんて冗談じゃない! 全部、全部だ!

 僕はすべてを手に入れて、裁いて、支配する。

 僕を傷つけた奴らには必ず報復を!

 奪ってやる。蹂躙してやる。抹殺してやる。

 同等かそれ以下の存在に、貶めてやる!

「おぁ、杉藤は覚えがいいし、それにセンスもいいな」

「ありがとうございます」

 後ろからバイクでついてくる教官の言葉に、僕は吠えるように大声で答えた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

1999年8月9日(月) 18時

 教習が終わって、寄宿舎一階のカフェで食事をとっていた僕たちは、今日の教習について情報を交換していた。コツとか愚痴とか、自分では気付けなかったこと、自分だけが気づけたこと、特に僕たちが感心したのは物部くんだ。

 実技第一をぎりぎり合格した物部くんが、実技第二の教習に入った途端、覚醒した。まるで人馬一体という表現がぴったりなほど、バイクを完璧に操り大川くん以上のテクニックを見せて、その場にいた人間たちの度肝を抜いたのだ。

「せごいやん、物部。なんか、コツでもあるかんか」

「君、ただのノロマグズじゃなかったんだね。良かったね、取り柄が見つかって」

 早瀬くんが普通に褒める横で、園生くんが褒めているようで貶める。

 本当に良い性格をしている。

「すごいね、まるでバイクが生き物みたいだったよ」

「私も驚いたぞ、大川よりさきに免許を取得しそうだな」

「ほんと、見直したぜ。俺が金払ってやるから、一緒に車の免許取らねぇか? そんで、学校卒業したらウチ大川運送で働かね?」

 みんな物部くんを褒める褒める。物部くんの方も、たぶん今までこんなに褒められたことないから、顔を真っ赤にして固まってしまった。

 嬉しそうに口元をひくつかせて、体中から漂う匂いが濃いミルクから桜の香りに変わる。春風にそよぐ桜の香、ミツバチが百花の蜜玉を足につけて大空を飛んでいる。

 今まで寒々しい風景しか見えなかった物部くんの心。長い冬が終わって春へと切り替わったことが僕は嬉しい。

「……うれしい、うれしいです。そんなに、ありがとうございます」

 物部くんが頭を下げるのを、みんな大げさだというけど、僕はそう思わない。

 分かるよ。認められるって嬉しいもんね。

「えっと、大したコツはないんです。精神的なモノなんですけど。オレ、思ったんです。自分が人間だと思うからいけない。自分はバイクの部品パーツだと思えばいいんだって」

 バイクのコツをつかんだ物部くんは、そう持論した。

 なるほど、と納得すると同時に彼は感覚派なんだと腑に落ちる。言葉で詳しく説明するよりも、簡潔に答えを説明する方が肌に馴染むんだ。物部くんの中では、1+1の説明なんてムダで余分なんだ。1+1=2で、答えは2だけと教えてあげればいい。

「そうなんだ。部品パーツ

 部品という単語は、僕の中で赤く燻ぶる炉にキレイに入り込んだ。

 視線の端にチラチラ映る警察官に、気づかない振りをして、自分を取り囲む今の状況を整理する。

 部品パーツを欠いたような、殺人事件。警察は教習の邪魔をしない代わりに、人数を裂いて僕たちを監視している。視線が自分たちのテーブルに集中するのを感じて居心地が悪く、特に実行犯たちのターゲットになっていた僕に対する感情は複雑なものを感じさせた。

 親は関係ないと同情する反面、親の金で友達とバイク合宿。

……どうやら、彼らにとって僕が楽しい青春を送るのは、気に入らない上に不快な出来事イベントらしい。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 食事を終えたタイミングで、僕たちのテーブルに近づく足音。

 登場したのは、アムラーの朋子だ。初日のサンダルとは違う厚底サンダルに僕は少し苛立つ。友達が死んだっていうのに、家に帰らないで普通に合宿を続ける所も、こんな時なのに大川くんにモーションをかける神経も。彼女の行動のなにもかもが怪しく思えてくる。

 それなのに、大川くんの目じりが緩んで顔全体をにんまりさせているんだ。なんだかとても悔しい。

「直人くん、友達といるところでごめんね。怖いから、朋子の部屋におくって欲しいの」

 怯えた表情をつくる朋子はもっともらしい理由で、大川くんと僕たちを引き離そうとしていた。

 怖いんだったら、教習を終わった時点で一緒にいればいいじゃん、と言葉が出そうになってガマンする。

 彼女からはイヤな匂いがした。初日に感じた、バナナを濃くした匂いが酸っぱくなって、嗅いでいるで悪寒を感じさせる匂いだ。

 視界の端で警察がじっと僕たちの様子を伺っている。警察の目があるから、変なことはできないのだろうけど。

「なぁ、とっしー。とっしーの鼻で殺人犯、特定できへん?」

 早瀬くんがうっとうしげに頬杖をつく。たしかに、警察の視線がつねにこちらに向けられていてうっとうしい。

「お、それいいじゃね? 朋子も不安になっているいことだし」

「え?」

 大川くんのその手があったか! という顔に、朋子の瞳が大きく見開いた。

「なるほど。警察もいるし、みんなで寄宿舎の一部屋一部屋押しかけて、杉藤の鼻に引っ掛かるやつをしょっ引けばいい。そうなれば、ここは確実に殺人犯がいない安全な場所だと分かる」

 五代くんがため息をついて、人差し指を宙にむかってくるくるまわす。少し面白がって見えるのは、気のせいだろうか。

「うわぁ。ミステリーの一番面白くない展開ジャン。超能力でロクな推理をしないで犯人特定とか、冷めるんだけどー」

 園生くんの不満げな顔に、僕は殺人犯を特定することに決めた。確実に心を読むことはできないけど、人を殺しているのだから、心に変調をきたしているはずだ。それぐらいなら、匂いから心を読み取ることができる……はず。

「な、なに言っているのかしら、なんだか、彼が人の心を読むことができるみたいじゃない」

「じゃなくて出来るんだよ。朋子。集中しないとダメっぽいみたいなんだけど」

――杉藤家なら、これぐらいできて当たり前だろ?

 大川くんの確信を持った物言いに、朋子も顔が死人のように白くなっていった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 結果、寄宿舎で殺人に関わった生徒10名、教職員5名が任意同行で連れていかれた。

 少年法を利用して実行犯を未成年に任せて、大人は犯行の指示を出す悪辣さ。

 大人たちは、実行犯たちが暴走した時に備えて、ビデオカメラを持ち歩いていたらしい。常に監視して恐喝材料をそろえて、実行犯たちの手綱を握ろうとしたことが仇になるとも知らずに。

 任意同行した教職員から押収したビデオ。リンチから殺人までの行程を、ご丁寧にビデオカメラに録画していたことで、殺人事件は一気に解決へ向かった。

 ビデオの映像にはもちろん、朋子も映っていて、嬉々として友人だった指原 柚子の腹に、なんども蹴りを入れている映像が収められていたらしい。

 この時、ぼんやりと僕は、朋子がいつものサンダルではなく、厚底サンダルを履いていた理由が分かった気がした。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 逮捕者が出たから合宿は延長された。僕はてっきり、中止になるかと思ったんだけど、逮捕された教職員に入れ替わる形で補充されてきたのは、いかにもなOBのおじさん連中。どうやら体のいい天下り先となったらしい。

 それにしても警察が僕たちの申し出に、すんなと従ったのが意外だった。

「それは、あなたが杉藤だからです。あなたのおじいさまは、触れた物の記憶を見る能力で、迷宮入りしそうな事件を何度も解決してきました。あなたが匂いで人の心を読める能力を持っているのには、さして驚きませんし、捜査の協力を申し出てくれて、上の方々がとても喜んでおります。あぁ、杉藤が戻ってきたと」

 まるで歌うように語りうっとりと僕に話す警官は、前日、僕に事情聴取をした警官よりも上の世代だった。

 気持ちが悪いレベルで敬意を表明し、僕に聴取をとっていた警官が無作法を働いていないか心配そうに訊ねてくる。

 杉藤の力の絶対性を信じ、信仰のレベルまで杉藤の決定を疑わない盲目な羊たち。見ていてうすら寒さを覚える彼らを見ていると、彼らの下にいる若い世代が反発する気持ちが分かる気がした。

 怖い、気持ち悪い、薄気味悪い。

 陣頭指揮をとるのは現役ではなく、僕の父と同じかそれ以上の世代。

 杉藤という一つの意思のもとに、殺人犯たちを成敗し、未成年であろともしょっ引いていく。

……僕が杉藤家の力を示したことが大きいからか。

 杉藤家の決定は絶対。

 法律よりも遵守すべき山中崎のルール。

 少年法という足枷から解き放たれた警察官は、嬉々として狼たちを駆逐した。

 そう、仲間を集団リンチした彼らの品性は、人間ではなく動物に近い。

 警察と友人たちと共に押しかけてきた時の、容疑者たちの匂い。人を殺した罪悪感よりも、自身の夏休みの雲行きしか考えていなかった。

 自分たちは未成年だから、大した罪に問われない――殺された指原は自分たちを裏切ろうとしたのだ。だから、リンチにかけて死体を燃やそうとした。

 それのどこがいけないのか、実行犯たちは理解できない。

 実行犯たちの理屈で言うのなら、自分たちは身内のケジメをつけただけであり、ケジメは法律よりも重要で遵守すべきこと。

【警察は、なにもわかってない部外者】【自分たちこそ被害者】【ナメたマネをしたから悪い】【裏切り者に制裁を加えて、次の裏切り者を出さないようにしただけ】……等。

 僕は彼らの理屈がおかしくて、笑いをこらえるのが必死だった。

 法律よりも遵守すべきルール。

 それが地域山中崎か身内かの差。

 彼らの理屈が、彼らが嫌悪している上の世代の理屈と似ている上に、その矛盾と滑稽に気付かない。

 空気を読んで爆笑しなかった僕を、誰か褒めて欲しいものだ。

 当初の計画は、僕を誘拐してリンチにかけて殺してから父に身代金を要求しようとしたらしい。自分たちの生活を壊した杉藤 和樹を許せない。お金を払って、無事息子が帰ってくると期待していたら、息子は凄惨な遺体だった――という筋書きで、大人たちは山中崎の子供たちを巻き込み、自分たちの恨みを晴らそうと考えた。

 ターゲットが僕なのは、僕が一番狙いやすかったからだ。

 僕の弟と妹は学校でイジメに遭い不登校になって家から一歩も出ず、母は二人の世話で家にこもり、父は有名な警備会社と契約を結んで自分と家族を守っている。……僕に対する愛情がないことが、これで確定したよ。分かっていたけどね。

 女を使って大川くんひっかけたのは、山中崎に古くからある運送屋さんだから、自分たちの仲間にひっぱりこみたかったんだと証言した。

(ちなみに、同席していた大川くんはショックで吐いた)

 杉藤家に復讐しようと考えた彼らは、用意周到に入念に準備したはずだった。いざとなったら、子供たちをトカゲの尻尾にして自分たちだけ助かる算段を立てていた。

 だけど、これは明らかな犯罪。疑問を持つ者、離反者が出てもおかしくない。合宿初日に送迎バスのタイヤを潰し、警察の目が教習所に向くようにする。その挙句に指原 柚子が僕に警告する。

 準備に準備を重ねたにも関わらず、裏切り者のせいで大筋の筋書きが乱された。僕が一人にならず、隙も見せないことから彼らは苛立ち、その鬱憤を裏切り者指原 柚子にぶつけて殺した。

 彼女は山中崎の出身ではなく、朋子から小遣い稼ぎを唆されて合宿に参加したらしい。山中崎に住む者の鬱屈を理解していない彼女は、自分が殺されるとは思っていなかったんだろう。

 あまりにも気の毒で、あまりにも運が悪い。

――いいや。彼女も自分が犯罪に関わっている自覚が薄かった。

 自覚の薄さが生死を分けた。僕に警告して、そのまま警察に保護を求めれば、暴行されて死ぬことはなかった。友人に腹を蹴られることはなく、死体を中途半端に燃やされることもなかった。

 彼女も結局、朋子と同じ。

 朋子が怪しいと睨んでいたが、彼女が友人に暴行したことも、殺人に加わったことも僕は匂いで気付けなかった。

 僕がのぞきたい記憶を見るには、相手がその記憶に対してどんな認識なのかが、関わってくるのかもしれない。

 とすると、結構やっかいだ。その人にとってどうでもいい記憶なのか、肝心な記憶なのかは、他人である僕が分かるわけない。

 必要とあれば、無理やり思い出させる必要があるかもね。

 正直、めんどくさい。

【つづく】

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