【加筆・修正ver】杉藤 俊雄 は××したい_33_現代編 03
202×年6月 日本
懐かしい夢を見た。
福田 エリコは、未だぼやけた視界の中で夢の残滓に手を伸ばそうとする。夢の中で自分に伸ばされた白い手だ。だが、掴もうとしても、意味がないことを知っている。だって、彼女はもう、この世にいない。
それが分かっているのに、手を伸ばさずにはいられなかったのは、彼女の本当の望みが叶っていないことを知っているから。
『1999年が来るよりも早く、いま、この瞬間に、世界が滅んでしまえばいいのに』
セーラー服の彼女は、そう言って静かな視線をいつもエリコに寄こしていた。神がかった美貌と優美な佇まい。浮世離れした美しさを持つ彼女は、宮ノ川学園女子寮の女神と称されて、彼女の美貌が災いしてエリコはよく、命の危機を感じるトラブルに巻き込まれた。
それでも、五体満足で令和まで生き残れたのは、杉藤 貴子が体を張って助けてくれたからに他ならない。彼女とは中学の時、同じ寮の同じ部屋に住んでいた。彼女と共にあった三年は、人生に大きく影響を与え――だからこそ、今の自分がいる。
福田は身支度を整えて、食事を取ることなく外に出た。
致死量が高いウィルスが蔓延する世界だろうとも、自分のやるべきことを知っているからだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
車に乗って、山中崎の黄坂区にある霊園へ飛ばす。マスクは要らない。もう、取り返しがつかないレベルで、コロナのウィルスが凶悪化しているのなら、していても意味がない。
弔う花もない、線香の煙の水も嫌がるだろう。ずらりと墓石が並ぶ中で、福田が目的している墓は隅に追いやられて、霊園の塀の影に隠れているような、そんな印象を受けた。
「おはよう」
と、福田が目的の墓の前で、黙とうをささげる男に声をかける。朝日を遮る黒い影の中で、男がぶるりと大きな体を震わせた。老けた猿顔には寂し気な哀愁が漂い、前に落ちた背中には見えない灰色の塊がのしかかっているように見える。
彼の名前は、園生 利喜。園生 緑の叔父である。彼とは中学の同級生だった。
「あぁ、福田か。久しぶりだな」
「えぇ。あなたがここに来るなんて思わなかったわ」
「アイツにはそこそこの情があるからな。じゃなければ、一緒に住まねえよ」
しわがれた声とともに、べったりとヤニで黄ばんだ歯と強烈な口臭が鼻を刺激した。彼のそういう無頓着な部分が、周囲に一線ひかれていると同時に、彼の身が因縁の糸に絡めとられることなく、生存が許されたのは、なんとも皮肉な結果だろう。
「正直、俺の方がふつーに生きていることに驚いているよ。学生時代はロクな死に方をしないって、自分でも分かっていたからな」
利喜はそう言って、墓石に手を伸ばし彫り込まれた字面を指で撫でた。墓石には彼の生家の名前が彫られ、横の壁面にはかつて生きていた親類縁者の名前が連なっている。
園生 利信――利喜の兄であり、園生 緑の父だ。彼の横に並ぶのは、園生 イザベル、園生 緑……福田は字面を眺めて、園生 緑の訃報が届いた三年前を思い出す。
届いた手紙には、葬式は内々ですますことが綴られて、福田を突き放すように、連絡用のメールアドレスが記載されている程度だった。
「緑君が、本当は殺されたって、本当なの?」
「あぁ、それな。なんの根拠があってか分からないけど、そうらしいな。ここが特定されたら、墓が暴かれるだけじゃ、すまされないだろうけど」
そう言って、しゃがみ込む利喜の思いつめた顔からは、暗い後悔が伝わってきて、福田は言いようのない苦しさを覚えた。
「なぁ。福田は、年間の墓の維持費にどれくらいかかるか知っているか?」
「……うちは、永大供養の安いコースにしたわ。百万ぐらいで、別途に年間で二万、払うことになったけど」
「高いよなー。兄貴や兄貴の嫁さんの葬式の時や緑の葬式の時とか、正直、金がかかって面倒だって思った。杉藤家がなんでも費用を負担してくれるっていうから、喜んで飛びついちまって、このまま、過去を突き放して逃げてしまえば、どんなに楽だったんだろうな」
立ち上がる利喜は膝をはたいて、遠い目をした。まるで、大切なものを安易な気持ちで手放したことを悔やむように。だけど福田は思う。本当に大切なものは、自分の中で一体化して生き続けるものだと。手放したくても手放せない、呪いみたいなものなのだと。
「なぁ、杉藤 貴子の呪いって、まだ続いているのかな?」
問いかける利喜の瞳には、そうあって欲しい希望が見え隠れして不快になった。確かに、理不尽な不幸が重なったら、オカルトめいた得体の知れないもののせいにしたくなる。気持ちはわかるけど、認めることでなんの利益につながるのだろう。
それに、呪いというものはそんな軽いものではない。
「あぁ、わりぃ。気を悪くしたよな、だけど、中学の同級生と今日会えるなんて思えなかったんだ。そう思いたくなるだろう?」
沈黙する福田の様子に、利喜は気まずげな顔で言い訳をする。福田の方は、ふぅっと老いてかさついた唇からため息をつき、かつての同級生と目を合わせることなく墓石を見た。
最後にこの男に会ったのは、いつだっただろうか。
中学の時はコイツの兄が悪目立ちしてした。高校の時は、電話での会話が一回。最新の記憶も園生緑が中学に入る時に、電話で一回。
よくもまぁ、お互い、顔が分かったものだ。
「緑くんが中学に入る時、あなたは私に連絡してきたわよね。甥を頼むって……、杉藤家の子がB市の宮ノ川分校に通うのは貴子さん以来だから、いろいろと気を揉んだことを思い出したわ。男子寮の寮長って、かなり問題ある人物だったしね」
「あぁ、兄貴は緑のことを気味悪がっていたけど、オレはオレで心配だったんだ。だって、アイツ、ずっと杉藤家の屋敷に帰りたがっていたから」
「そうね」
と、同意する福田の意識が、過去にさかのぼる。
杉藤家の子供だけではなくその友達も受け入れるために、男子寮の一フロアを無理矢理開けた。元々三階にいた生徒たちを無茶言って、四、五階に部屋を移した時なんかは、ほぼ強硬だ。簡単に説明して「はい。そうですか」って、納得できる素直さなんて中学生の男子に期待していない。
この時、男子寮の寮長は、懇ろだった野球部の顧問に頼んで、上の階に引っ越さない生徒を力でねじ伏せた。かなり、あぶない手段を使ったらしいけど、そのことがキッカケで、寮長は顧問に対して頭が上がらない――いや。手下になった。
あの時の顧問は、確か――真田という名前だっただろうか。
宮ノ川学園のOBで、甲子園で活躍し、有名球団の二軍に所属していた経歴を持っていた。それが、どのような経緯で野球部の顧問になったのか、福田にはわからないし、知るつもりもない。なぜなら、福田も自分がなぜ、女子の学生寮の、しかも寮長になってしまったのか、自分でもうまく説明できないし、深く考えないようにしていたからだ。
教員の両親のもとで生まれて、漠然と自分も教員になると自分の将来を確定していた。それが気づけば、最悪の過去である母校の、しかも因縁深い女子寮の寮長を任されることになってしまった。
周囲が福田の心の傷に無理解だったことも、福田も過去を忘れた素振りで強がっていた面もある。
ただ、一番傍にいた母親が、学級崩壊の責任を取らされて失業していた娘に、宮ノ川学園――中等部の女子寮で寮長をやらないかと、笑顔で言った時、ひどく失望したことを思い出す。「懐かしいでしょう」と、笑う母の顔を殴りつけることが出来たら、どんなに爽快だっただろう。
中学の夏休み、夜の女子寮に野球部が集団で襲ってきた悪夢を、どう説明すればいい。ルームメイトの杉藤 貴子の機転で、避難はしごを使って女子寮を脱出して、警察に駆け込んだ時――一緒にいた彼女が杉藤家じゃなかったら、どうなっていたか分からない。
あなたは、助かったからいいじゃない。と、何度言われて、何度傷つけられてきたか……。
のうのうと野球部が廃部にならなかったのは、被害者が大事にしたくないと逃げたからだ。杉藤家の威光があったとしても、貴子は杉藤顔じゃないこともあり、大勢の人間の意思が働いて、ほぼなかったことにされた。
襲われた被害者たちは次々と、飛び立つように転校して、福田も無言の圧力に屈する形で転校し、杉藤 貴子とは文通することでかろうじて繋がってたものの、成人式を境に手紙が途絶えた。
福田は知っている。貴子の弟である杉藤 和樹の偏執的な妄執が、福田の方にも伸ばされていたからだ。学生時代には事あるごとに、姉を後についていき異様な執着を見せていた孝雄は、常日頃から姉の人間関係を常に把握しないと気が済まないようだった。成長すれば、修正されるどころか成長するごとにひどくなり、貴子が杉藤顔になったとしても、それが収まることはない。
杉藤家の子供を迎えることに決めた90年代。入学式を迎える数週間前に、寮への引っ越しで杉藤 俊雄を見た。女の子のように小柄で華奢で、長めの髪がとくに女性的な印象を与えていたことを覚えている。
まさか、あの子がこんな大それた事件を起こすなんて。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
学生時代に犯罪を犯す兆候はなかったか? と問われると、兆候というよりも「原因」になった出来事を福田は挙げられる。
運動部……とりわけ、野球部と寮生との確執とトラブル。彼が二年の時、男子寮が《《二回放火された》》。最初は一階をこがす程度ですんだが、二回目は完全に全焼した。まさか、顧問の真田が自棄になって、寮長の中を刺し殺して焼身自殺を図るなんて思わなかった。
それ以前に、杉藤俊雄が入学する前から野球部の傍若無人によるトラブルは絶えなかったが、とうとう行きつくところまで行った印象がある。二回目の放火の時は、さすがに男子寮の寮生のほとんどが実家に戻された。
例外は、やはり杉藤 俊雄と友人たち。どうしても、家に戻されることのなかった彼らは、ホテル生活を余儀なくされて、中学三年の生活はB市ないのホテルで彼らは生活した。流石に、福田は心配になった。息子のみならず、友人たちをほぼほぼ一年ホテル生活をさせる経済力。
同時期で彼の父親である和樹は、山中崎の駅前開発計画を強行した。この計画は表面上成功して、杉藤家は大いに潤ったと思うけど、その分、多くの人々の恨みを買った。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「福田さん、福田さん。今日はなにを手伝いましょうか」
「……そうね。まず、事前連絡なしに、女子寮に遊びに来るのはやめて欲しいわね。今度来るときは、近くの喫茶店で待ち合わせでもしましょうか?」
「やったー」
やれやれね。
福田は園生緑の距離感の無さに辟易していた。
彼の叔父に言われたこととかあって、そこそこの交流を持とうしたのを後悔していた。
遠慮のない所が、彼の父親である園生 利信に無頓着な部分が利喜に見えて、あなどれない血の濃さに妙な感慨を覚えたものだ。
「ねぇ。エリコさんは、貴子さんの同級生だったんだよね。お父さんや、叔父さんは中学の頃、どんな感じだった?」
とんでもないクソガキ。あなたのお父さんは、貴子をイジメていておいて、告白してきたわ。
「そうねぇ。私は最近、二人と会っていないから分からないけど。多分、変わっていないと思うわよ」
無難に答える福田は、そう言ってコーヒーを飲んだ。
休日の喫茶店で、向かい合うように座る福田と園生を、知らない人間が見たらどのように映るだろう。勘ぐられたくないからこそ、福田が喫茶店を選んだ時、宮ノ川の学生たちに見られないように慎重を重ねた。
選んだのは理事や役員たちが使う、隠れ家風の喫茶店。レトロな店内はタバコの煙が充満していて、半分、園生緑に対しての嫌がらせも含まれている。
「そうなんだ。確実に女子にはモテていないだろうね。二人とも」
と。屈託なく笑う堀の深い顔立ち。もし、園生緑の顔が、彼の父親に少しでも似ていたら、彼と交流を図ろうとは思わなかっただろう。外見でぎりぎり保たれる関係――それぐらい、園生 利信とは良い思い出を持っていない。
否、杉藤貴子との関係が深いからと言って、杉藤、五代、園生……かつての同級生の子供たちと、まさか自分が交流するかもしれないなんて、考えもしなかった。
「そうね。俊雄くんは君の話を聞いていると、和樹君に似ているわね。公博君は……」
「…………」
ニコニコ笑う顔。だけど、福田は知っている。彼の父親もそんな風に、人畜無害を装って、自分から貴子の情報を聞き出そうとした。
本当に血は争えない。
とはいえ、拒むには罪悪感があった。
フィリピン人とのクォーターである園生緑は、とても浮いた存在だったから。日本人離れをしたオリエンタルな容貌や、長身もさることながら、醸し出す雰囲気が杉藤 俊雄よりも異質感があった。
「福田さん、あのね」
まるで【母さん、あのね】という風に、その日あったことを話す彼。
親元からずっと引き離されて、大人の愛情に飢えていたせいもあるのか、福田が声をかけると嬉しそうに人懐っこい笑顔を向けて、その一方でなにか姦計を巡らせていることは、いくら鈍感な福田でも分かっていた。
彼は福田と交流するために、携帯電話やパソコンを欲しがっていた。
そして。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「――ぅ。ゲホゲホッ!!!」
令和の福田は、その場で咽て咳き込んだ。園生緑の黒い瞳を思い出して、その当時、気にしなかった彼の危うさ。福田を通して、寮長と真田を。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
「お、おい、なんだよ。どうしたんだよ」
突然叫びだしだ福田に、利喜が驚いて声をあげる。
そうだ。あの時の自分は、どうして、どうして、あんなことをしてしまったのだろう。
かつての同級生の声に、意識が現実に戻るが、頭の中がまだ悪い夢を彷徨っているような不安定な気分だった。
いや、私はずっと。
人が一人では生きていけないのは、他人の存在が自分を形作り、行動を左右するのだと半世紀以上生きていて実感する。
今自分を動かしているのは、杉藤貴子かそれとも園生 緑か。それとも、二人からか。
「緑君が言っていたのよ。ぼくは友達にいずれ殺される。たぶん世間では事故死扱いされるんだろうから、福田さんが殺されたってわかったタイミングで、ぼくのお墓の中を調べてよ。多分、貴子さんが福田さんに託したものが眠っているよ。ってね」
「なんだそりゃ?」
「最近ネットで溢れている、変な動画のせいで緑君が殺されたのかもしれないって思ってね。だから、調べに来たのよ」
人は過去で出来ているから過去からは逃げられない。遠い昔に取りこぼしてしまった過去が、こんな形で現実に迫っている。
【私、山中崎のどこかに、核が眠ってるかわかっちゃったかも】
だけど、誰よりも周りの不幸と自身の破滅を願っていた彼女は、結局爆弾を起動させなかった。
1999年に恐怖の大魔王が降臨することもなく、腐った現実がコロナという災厄をひきつれているも、人類は呆れるほどにしぶとく生き延びて、世界は穴だらけのハズなのに崩壊することなく維持されている。
【つづく】
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?