見出し画像

【加筆・修正ver】杉藤 俊雄 は××したい_74_30代編 04

「ふ……ッ!」

 ざけんなっ! 
 という言葉のかわりにこみ上げてくるものがあった。
 女の子に間違えられた。それだけの理由で、僕は一方的に暴力を受け、理不尽と惨めさを被り、全身全霊をかけて整えた顔を半壊させられたというのかっ!

 どれだけの整形手術と、術後の苦痛を乗り越えてきたか。
 どれだけこの顔の骨をけずり、皮膚を切り裂いてきたか。
 肝臓や腎臓やら体中の臓器を壊す覚悟で、ホルモンバランスやら抗生物質やら、たくさんの薬を毎日飲んでいたこととか。

 それらを全部無駄にした挙句、こんな目に遭わせるなんて……。

「あっ、はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは……」

 黒い感情を爆発させた瞬間、腹底から吹き荒れる感情がけたたましい哄笑となって僕の口から放出された。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「あ、はははっはは、はははははっ!」

 折れた歯から血が流れて、笑うたびに周囲に赤い飛沫が飛び散るのが見えた。僕が馬乗りになっている男は、ぽかんとした表情で僕を見て、茫然とした黒い瞳に赤く血塗られた僕の顔を映している。

 壊れた、壊れた、壊された僕の顔。
 この世界で生きるために、醜い顔を潰して、僕が僕であるために必死で積み上げて磨いてきた美貌の結晶。
 生きるに値しない醜い僕がようやく手に入れた安息が、友人との約束を守るためのかなめが、人を殺さずに、普通の人間としてまともに生きるための必要なものが今まさに崩れ去ったのだ。

 砂の城のように呆気なく、路上に踏みつけられた花のように無残に、知らずに踏みつぶされて息絶えたアリのように無感動に。

 この世界は残酷で不条理。

 そんな当たり前のことを、どうして忘れてしまったのだろう。
 僕を見上げている男は、分かりやすく表現するとデブでニキビだらけのブサイクで、体中から酸っぱい饐えた匂いが漂い出ている……つまりゴミだ。
 ゴミは処理しないといけない。
 そうだ。そうしないとたくさんの人間が迷惑するんだ。だからこいつは殺さないと駄目なんだ。

「……君の名前は、小網 正こあみ ただし。ひどいイジメで高校を中退して、ただいま絶賛のひきこもり。趣味はコンビニで女店員にイヤガラセヲすること。今日はそのいやがらせの帰り道に僕を見つけてムカツイタ。原因は僕がマックスマーラのジャケット……つまり、女性物のハイブランドを身に着けていたことだね」
「!」

 これは当人でしか知りえない情報だった。
 それが見ず知らずの他人である僕の口から出たのだから、恐怖の気配が伝わってくる。

「な、なんで、そんなことを」

 かすれた声をだす唇は震えていて、街灯に照らされたニキビの顔には明らかに動揺の色が浮かんでいる。

「……なんでって、みんなが教えてくれるからだよ」

 匂いを介して相手の感情を読む能力。その特殊な嗅覚は、今やこの男の臭気のみならず、周囲の民家から垂れ流されている団らんの香りからも、この小網の情報が流れてきて僕に教えてくれるのだ。

『うるさいわね、また小網さんの息子さんでしょう』『キチガイキャラでごまかしているけど、バレバレよ。だけど困ったわね。警察はめったに動かないし』『どうしましょう。通報した方が良いのかしら? あの声は正君よね』『この前、小学校の女の子を連れ去ろうとしたわよね。母親が土下座して泣いて、有耶無耶にしたらしいけど』『もう、うんざりよ。いい加減にして欲しい』『どっかいけよ、つーか死ね』

 あぁ、おかしい。のどかで優しい匂いでありながら、内包されている感情には冷ややかな無関心さがあった。
 自分だけは安全な場所にいたい、責任を取りなくない、保身が第一でどこまでも自分勝手で好き勝手。政治家が言っていた、国民はすぐ忘れるという言葉は、あながち間違いではないのだろう。自分たちに火の粉がかかろうとも、常に当事者ではない第三者でいたいという身勝手な気持ち。

 そんな周囲の残酷な無関心が、僕どころか、コンビニの女の子に迷惑をかけたり、女の子の連れ去りにつながっていることを、だれも理解しようとしない。ここで何食わぬ顔で生活しているヤツラすべて、全員が加害者であり当事者だというのに。

「みんな、みーんな、小網くんのことを知っているし、分かっているよ。うんざりだ。さっさと死んでくれってね」
「な、なに言って……」
「あわれだよねー。自分より弱い女の子しか強く出れないなんてね。しかもイジメられた原因って、女子に告白してフラれた腹いせに、その子の下着を盗んで校庭に投げ捨てたんだってね」
「な、なんで、おまえが、知っているんだ……」
「だから、みんなが教えてくれるんだよっ! 君が生きる価値のないゴミだってねっ!!!」

 周囲の人間の感情が僕に教えてくれる、流れ込んでくる、僕の感情と混じり合って、僕の腹の中を生き物のように這いまわる。

殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ。

 さぁ、殺そう。

「う、うるさいっ、うるさいっ、なんなんだ! なんなんだよぉっ! おまえ」

 あーあ、泣いちゃったよ。
 けど、それで許すわけないじゃない。

 どろりっと、顔の表面が崩れていく音がした。

 どろり、ごろり、ぼとり、ぐちゃり、ぼてり、ぴちゃり……。

「ひっひぃいいいいいいいいいっ!!!」

 うるさいなぁ。

 僕の顔から色々落ちて、小網くんの顔やら体に雨あられと降り注ぐ。

 赤。
 茶色。
 黒。
 黄色。
 白の粘ついた肉片。
 整形手術で埋め込まれたパーツ。
 肉色の汁。
 透明な体液。

 グロテスクな音を立てながら、壊れたプラモデルのようにバラバラにデタラメに小網くんと路上へぶちまけられる。

「…………っ!」

 あまりにも壮絶な光景に、小網くんは泡を吹いて気絶してしまった。
 僕は眼窩から零れ落ちそうになっている、餅のように伸びた両眼を手のひらでおさえて、小網くんのポケットから僕から奪ったであろう財布とケータイや家の鍵を取り戻して息を吐く。

 ゆっくりと息を吸い、呼吸を整えて痛みをやり過ごす方法は、かなり前に五代くんから教えてもらった方法だ。へその下にある丹田たんでんに透明な玉があるイメージを浮かべて取り入れた酸素で、透明な玉をダイヤモンドを錬成する気持ちで凝縮して、硬く強く練り込んでいく。

――さぁ。
「殺さないと」

 激情で痛みが抑えられている状態だが、この男を殺しきるためには、途中で痛みが復活するのは困る。

「ふぅ……うぅ……」

 僕は糸を吐く蜘蛛になった気持ちで、細く長い息を吐き、長い舌をしまうカメレオンのようにゆっくりと慎重に、臍の下あたりにある丹田へ呼吸をふきこんでいく。

 呼吸に集中すると、じわりと疼き始めている痛みが若干和らいだ気がした。顔面も眼も手の甲も指も、あっちこっちが熱を帯びて痛みがあることを訴えるけど、僕は呼吸に集中して徹底的に無視する、無かったことにする、そうしなければならない。そうしなければ叶えられない。

 僕は赤黒く腫れ始めた指を無理矢理動かして、小網くんの両足を掴んで醜く膨張した肉袋をひきずる。

 Y字の川が走る山中崎。かつて何度も氾濫を繰り返し、疫病を流行らせたこの地域には、三つの川の勢いを分散させるために、人工的に作った小さい川が、町中に人体の血管の如く走っている。

 僕の鼻が告げていた。この先を進んだところに小さな川があり、この汚物を処刑するために最適な場所であることを。

 ずるずると引きずる音が住宅地に響いているというのに、周囲の人間は気づいているけど、気づかない振りをしている。

『悲鳴が上がったけど、……私じゃ、どうしようもないわ。こわいもの』『やっぱ、あの声ってただしだよな。逆襲でもされたのかよ。ざまーみろ』『通報するべきなんだろうけど、億劫でしたがない。本当にだれか何とかして欲しい』『これで懲りてくれたら、ちっとはマシになるんだろうな』『アイツの親の泣きわめく顔が早く見たいぜ』

 ざわざわざわざわ……。

 彼らは匂いと一緒に思考を垂れ流して、興奮して、期待して、昨日よりマシな明日が来ることを心待ちにしている。そして、自分たちに関係ない誰かが、問題を解決してくれることに安堵と感謝をささげて、夜のような純粋に黒い感情でもって小網 正の死を心の底から願っている。

「着いた」

言 葉にすると、痛みと疲労で擦り切れた体が、朦朧とした頭が、現実へとピントを合わせようとする。
 ようやくたどり着いた小さな川は、コンクリートの護岸に挟まれて、一メートルにも満たない川幅に桜の花びらを浮かべていた。

「よいしょっと」

 僕は川をのぞき込むと、小網くんの身体を一旦道路におろして、次に俵抱きをする。

 夜中でもコンクリートの川底が見えることから、この川はそれほどの深度がないことがわかった。護岸からの高さも申し分ないし、柵の高さも僕の腰あたりで小網君を落とす障害にはならない。
 ここから勢いよく頭から落せば、このゴミの息の根は確実に止まるだろう。

 僕は大きく息を吸って、腹の奥に力を入れる。全身が汗でびしょ濡れで気持ち悪いけど、一仕事が終わったあとのシャワーが格別だということを知っているから、もう一息頑張ろう!

「っど、せいっ!」

 勢いをつけて、僕は小網くんを川へ投げ捨てた。

 バシャンッ! と、派手な音がして水飛沫が舞ったけど、所詮は小さな川だ。水流が小網くんの太った体を呑み込むはずもなく、うつ伏せ状態で倒れた体を半分濡らした程度で、頭から流れだした血がゆっくりとした川の流れを視覚化させた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 数分が経過した。
 川に横たわった小網くんの身体はぴくりと動かない。
 死んでいるのか、じつは仮死状態ではないのか、確かめようがない。

 そこでふと気づいた。
 なんの抵抗もなしに、浴場で溺死した祥子さんのことだ。
 なんで祥子さんは化粧をしたままお風呂に入っていたのか。というよりも、その時の風呂は祥子さんの意思だったのか。

 祥子さんが死亡した前後の行動は、彼女に付き添っていた介護士が証言しているけど、その介護士の証言なんて信憑性がゼロに近い。
 確定している情報は、ボケたふりをした男性入居者が浴場に乱入したこと、対応するために介護士がその場から数分ぐらい離れたこと。その二点だけ。

 もしも、だ。祥子さんがお風呂に入る前に、前後不覚の状態に陥っていた場合……そう。僕が川へ突き落した、現在の小網くんのような状態だったとしたら?

――前提が崩れる。

 ここからは、あくまで僕の妄想だ。
 僕たちとわかれた祥子さんは、あの後、どういう経緯か気絶に近い状態に陥り、担当していた介護士さんは気が動転した。だけど事故死なら、自分の責任が軽くなると考えていたら?
 浴場に乱入してきた男性入居者が常習犯で、彼の行動パターンを把握していたとしたら?

【つづく】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?