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【加筆・修正ver】杉藤 俊雄 は××したい_55_大学生編 09

 ごっそりと僕の中から、いろんなものが崩れ落ちて路上に転がっていく。
 朝になったら、行きかう人々が、路上に転がる見えない僕の残骸を踏みつぶして、そしらぬ顔で日常を過ごすのだろう。
 そして、適当に泊まれる場所を探して、僕は駅の周辺を彷徨う。そんな僕も、誰かがこぼした見えないなにかを踏みつぶしながら生きてる。

 見知らぬ女性を颯爽と助けた父へのあこがれ。
 我が子への殺意を、守る意思で封じ込めた母への想い。
 漠然とした家族への理想。

 僕の平たい胸に息付いて、知らないうちに育てていたモノは、予測不可能なこの世界を生きる上で、幼い僕の指針となっていたのかもしれない。

 いつかどこかで。

 だけど、そのいつかは来なかった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

――♪

 ポケットの中で携帯が鳴る。小刻みに身を震わせて、誰かが僕になにかを伝えようとしている意志を感じて、気持ちが少し現実に浮き上がる。

「はい、杉藤です」
『おい、俊雄。何があった、今学生寮に大勢のジジィ共がなだれ込んで、お前出せって暴れてるんだぞ』

 大川くんの声に、あんまりな内容に喉の奥がヒュッと鳴った。

 父の差し金だとうっすら察して、背筋が寒くなった。腕時計を確認すると、だいたい僕が寮に戻っている時間帯だった。ホテルを探そうとしなければ、大川くんの言う大勢のジジイたちに取り囲まれていたことだろう。

 あ、ヤバイ。

 全身を圧倒的でまとまりのない、大勢の意思が通り抜けた感覚があった。 まるで、僕の周囲を覆う膜が破れて、どろっと現実が流れ込んできた感触。何度も何度も味わってきた瞬間、容赦なく襲い掛かってくる不測の事態、その背後にはいつも悪意が潜んでいる。いや、今回の場合は僕が悪いのだろうか。平安時代からずっと続いていた、この山中崎の不文律を捨てたいと――杉藤顔を捨てたいと願ったから。

 携帯の向こう側で、騒がしい音が漏れ聞こえて、誰かの怒声が僕の鼓膜を刺激する。

「ごめん、僕、整形手術したいって、父さんに話したから」

 自分のせいで友人たちが危機に瀕している状況に、顔が火照ったように熱くなっていく。惨めさと恥ずかしさと申し訳なさで、頭の中がぐちゃぐちゃだ。

『あー。そっか、わかった。そっちは何とかするから、俺等が連絡するまで、適当にどこか泊ってろ』

――ブチンッ!

 乱暴に通話が切られて、瞬間的な静寂が僕の頭の周りに広がる。大川くんのいる学生寮では大勢の老人が暴れているのに、今、僕が歩いている夜の景色は静かな市内だ。道路を走る車もまばらで、駅が近いから明かりが途切れることはないけど、夜特有の寂しい空気が町全体を覆っている。

 携帯一本で繋がった二つの現実。大川くんが報せてくれなかったら、僕はなにも知らなかった。

 間一髪……な、訳ないか。

 すぐ学生寮らず、泊る場所を探していた理由は【なんとなく】だ。自分の意志で杉藤顔を捨てる、そんな意思表明をしたにも関わらず、父の意思で用意された場所に帰るなんて、みっともないと考えたから。

 後藤さんに頼るしかないか。

 後藤じゃくても、杉藤俊雄の狂った即席ショーで知り合った人たちはたくさんいる。大切な友達がいる。僕の意思を尊重してくれる人たちも知っている。(ただし葉山、お前はだめだ)

 だから、僕は大人になろう。

 僕はマスク越しに自分の顔に触れて、縦に裂け始めた口の辺りをそっと撫でた。こんな顔と縁を切って、新しい人生を手に入れるんだ!

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 数時間後。

僕 はタクシーを使って後藤さんの屋敷に到着した。
 出迎えた後藤さんは、僕の態度から色々察してくれて匿ってくれる上に、父たちを説得してくれるという――なんでそこまでしてくれるのか分からないレベルで味方になってくれた。

 後藤さんが言うには、杉藤家が僕の家だけになってしまった以上、杉藤家は様々な岐路に立たされている。と。
 以前のように土地や財産等を管理・補助してくれる家が、園生家しか残っていない上に、五代家も落ち目、父や僕の力では、杉藤家の全てを維持するのは、これ以上無理な話なのだ。

 駅前開発では、杉藤家の資産を分散して整理するために、貴子さんが示した道しるべ、遺産みたいなものだという。様々な形で外の企業が参入したから、新たなつながりが出来た。それらをうまく利用して、杉藤家の重荷を分散させていくために。
 日本の景気はこれ以上良くならない。むしろ衰退していく可能性が高いからこそ、今のうちにキレイに杉藤家を終わらせることが、杉藤家だけではなく山中崎市の人々を救うことになる。

 大きな財産は、景気が変われば大きな負債に変わるのだ。と、疲れたように老紳士は語るのだ。

 流石だと大人の僕は感嘆する。大きな財産を動かす人間は、長期的なビジョンで資産を運用しないと、自分どころか周囲の人間まで煽りを喰らうのだ。

 後藤さんのその言葉は、2008年に起こったリーマンショックで痛感することになった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 数日後。

 目隠しをされて、僕はそこに案内された。

「さあ、座って。目隠しも取るように」

 僕に指示を出す声は、老木の洞に木霊するような音程で、低く湿っている。耳の奥に妙に響いて静かな余韻を残すんだ。
 僕は声に命じられるまま、目隠しの黒い布のとって目を伏せる。僕の目はもはや人の目の形を保ってない。白目の部分が餅のように眼窩から零れて、分裂した複眼が僕の意思とは関係なく動く。

 僕は泣きたくなった。こんなのは人間ではない。
 目の前に広がる複数の様々な角度から映された景色。映画やドラマでよくある、監視カメラの映像が一つの大きなスクリーンに複数同時に展開されている状態状態を、僕の一つの脳みそが処理しているのだ。

 顔だけではなく口中も変化して、舌も蛇のように二つ裂けているどころか、三つに裂けてミミズのように口内にのたうっている。ずらりとキレイに並んだ白い歯も、きざきざの山形に変形し始めて、あごも前に出はじめているせいかサメを連想させた。

 もう、いやだ。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 ぎょろぎょろぎょろぎょろ……。

 まるで泡ぶくのように分裂して増え続けた瞳が、僕が今いる部屋の状況を、かなり詳しく僕に伝える。

 部屋の広さは六畳ぐらい。四方の壁はブルーの下地にビクトリア朝の壁紙が貼られて、天上は月を模した照明が垂れ下がっている。
 調度品は木で作られたインテリアが中心。僕が座っているイスもテーブルも木なんだけど、テーブルは六畳のスペースの脇に人一人が通れるスペースの幅だ。広いのか狭いのか分からないけど、テーブルの天板が継ぎ目がないことから、一枚板だということが分かる。
 部屋にかかるBGMは波音とハープで、ゆったりとしたハーブの音色とブルーの壁紙のせいなのか、夜の海にいるような錯覚に陥った。

 僕と……そして、目の前の人物しかない夜の海。
 照明が金色の月のように優しく輝いているおかげで、部屋全体の雰囲気がかなり柔らかくて、強張った体が次第に緩んでいくのを感じた。

「こんにちは、杉藤 俊雄くん。私の名前は坂白 美樹緒さかしろ みきおといいます」

 坂白と名乗った人物は、上品に指を組んで優しく微笑んで見せた。声のイメージに反して、つやつやとした肌と唇、細長い瞳が知的な雰囲気を醸し出して、見るだけで分かるおっとりとした育ちの良さが、白衣を聖職者がまとう法衣ケープに見せている。

 僕はてっきり、後藤と同年代の老紳士を想像していただけに、坂白の若さに驚いてしまった。坂白の方は僕の外見に臆することなく、反応も想定の範囲内らしくて、大木のように落ち着き払っている。

「私が若くて驚いているようだね」
「えぇ。後藤さんから、貴子さんのことを聞いていましたから」

 僕が恥じ入るように言うと、坂白は目を細めて嬉しそうに微笑んだ。

「貴子さんを担当したのは、うちの父と祖父だ。つまり親子三代……いや、もっとずっと以前から、うちは杉藤顔の治療と研究にとりかかっていたともいえるね」
「はぁ」

 なんだか僕が思っているよりも、壮大な話をしそうでげんなりしてしまった。

「おっと、君の緊張をほぐすために、坂白と杉藤家の話そうと思ったんだけど、君には不要みたいだったね」
「すいません。それよりなにより、僕はこの顔をいち早く治療して欲しいんです」

 これ以上、この醜い顔がさらに醜くならないように。
 これ以上、他人の視線にさらされないように。
 これ以上、天使に蹂躙されないように、神の供物に捧げられないように。
 これ以上、僕が僕に対して嫌悪をこじらせないように。

「ふむ、了解した。そうだな」

 坂白の細長い瞳がじっと僕――というよりも、僕の顔を凝視する。

「ちょっと、触ってみてもいいかい」
「――ぃっ」

 はい。という前に、つやつやの指が僕の顔に伸びてきて、思わぬ刺激に腰が浮いた。餅のように垂れた僕の白目を掴んで、ぎょろつく複眼たちに細い瞳を接近させる。ふうふうと漏れる吐息が、白目どころか顔にかかって少し不快だ。

「ちゃんと痛覚や触覚があるんだね。視力検査はやったことがあるのかい?」
「はい、問題ないどころか、普通の人よりも視力が良いらしいです」
「その検査した病院って、五代家の病院かい?」
「……はい、そうですが?」

 なんだろう、因縁があるなら他所でやって欲しんだけど。

「――だろうね、納得した。そうだな、君の顔を完全に治すには、最低でも五年かかる」

 そう言って、坂白は自分の手をぱっと花のように開いて突き出して見せた。

「五年……ですか?」

 思ったより短い。
 僕の顔のひどさを見ると、一生単位でかかりそうだと思っていた。

「最低でも、早くても。けれど、君の顔は何でも元に戻ろうとするから、一生をかけてメンテナンスする。それぐらいの覚悟で、私は君の顔を、君の望む形にしてみせよう。君の方はどうなんだい?」

 覚悟を問う言葉の強さに、僕は無意識に唾を飲み込んだ。
 テーブルが波とハープのBGMのせいで、大海をさまよう木のボートのように思えて、僕を遠くへ、知らない場所へ運んで行ってしまいそうだった。

「不安もありますけど、それよりも正直、期待の方が大きいです。よろしくお願いします」

 もちろん、生半可な覚悟で、ここに来たわけじゃない。僕は新しい顔と人生を、僕が本来手にするすべだった物を取り戻すために、整形手術に臨むのだ。

 座ったまま頭を下げる僕に、坂白の身体から、ハッカのようなすうっとした香りが漂いでる。どうやら、僕の答えに満足したらしい。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 結局、みんな見た目、見た目、なんだ。

 曲がったキュウリより、まっすぐ伸びたキュウリが良い。
 マンガだって好みの絵柄じゃなければ、良作だとしても見向きもしない。心惹かれるパッケージじゃなければ、無添加だろうが美味しかろうが、食べようとする気にもならない。信号が赤じゃなければ止まろうと思わないし、カラスが黒じゃなければ、カラスだと思わない。

 みんな判断基準が見た目に依存しているのに、人間を対象にすると途端に発狂する。被害者ぶって、自分は悪くないと喚き散らす。そんな自分も、見た目で判断して、日常生活をしていることに気づかない。

 企業や利益が絡めば、パッケージのデザインに工夫や努力が必要だと尻を叩かれるけど、人間を美醜で叩けば犯罪にならなくても罪になる。

 なぜなら心が傷つくから……けれどもその心は、だれにも見えないし、当人に確認も出来ない。

 見えないものを極端に美化して、怖れ敬うのが人間の悪いクセだ。意味のないモノをまるで意味のあるモノに思い込むことで、無限大の価値を生み出す想像力の化け物だ。自分の人生に価値がないと分かっているから、価値があるものを生み出そうと必死に生きている。

……それで思った、僕は人間のスタートラインにすら立っていないと。

【つづく】

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