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【加筆・修正ver】杉藤 俊雄 は××したい_47_大学生編 01

 2002年3月。来年から僕たちは大学に進学することになっている。

 新しく暮らす学生寮は、山中崎市山中崎区……つまり、故郷の都市部であり、僕たちはとうとう、本格的に山中崎に帰ることになったのだ。

 大学生活の期間は、長く隣の県で暮らしていた僕たちの猶予期間。山中崎に根付くための足場を築く限られた時間であり、温情。そして周囲の大人たちは暗に、僕たちにここで生きることを強制している。

 自分たちも同じだったから、自分たちも逃れなれなかったから、前の世代も同じだったから。

 僕は半分諦めに近い気分になって、三年間生活してきた部屋を片付ける。私物をつめた大きめのダンボール四個分。多いのかわからない。テレビとかレンジは次の住民が使うから持っていくことできないので、あっさりと僕は引っ越しの支度を終わらせることが出来た。

 思ったより広くなった部屋をみて、虚しいような寂しいような気分に息が詰まって窓を開ける。

 三月の空は少し灰色がかって、未だ冬の気配が色濃く残っているのがわかった。息を吸うと冷たい空気が、空っぽの部分を満たして全身がぶるりと震えた。

「はぁ」

 つい、ため息も漏れてしまう。小学校の僕は山中崎に帰りたかった。正確には家に帰りたかった。中学の時もだ。だけど、時間は容赦なく流れて新しい生活や出来事を経験するうちに、帰りたいという気持ちが次第にうすくなって、今では億劫な気分が気持ちの大半を占めている。

 大学に行ったら、父さんの仕事を引き継ぐために、時間を開けろって言っていたなぁ。

 警察署に表彰されて、数年ぶりに再会した父の姿。今の僕なら分かるアルマーニのスーツが似合う貫禄と、けれども心の底からカッコいいと思えない、独りよがりで年老いた親の姿は、思い出すたびに僕の心を限りなく滅入らせた。

 僕はどうなるのだろう。

 大学に進学するにあたって学部とか資格とか、父から指示をされていない。

 杉藤家を継ぐ。

 死体を隠したあの廃墟を、金の力でどうにかする。

 僕たちの日常を壊した奴らを一人残らず殺しつくす。

 それが僕のやるべきことと、やらなければいけないこと。

 だけど、出来るなら、みんなとずっと一緒にいたい。

 大人になんかなりたくない。

 僕たちに手を差し伸べなかった大人たち。

 彼らはみな幼稚で身勝手で、限りなく無責任で、だけど世間では大人として認知されている。

 と、するのなら、大人ってなんだろう。大人になるってなんだろう。

 大人である立場に胡坐をかいて子供たちを軽視している救いようのない存在。保身と責任回避に一生懸命で、自分に火の粉がかからない範囲なら、かぎりなくカッコよく立ち回ろうとする。心が冷たい。キモチワルイ。死ねばいいのに。

 次々と思い出していく大人たちの姿は、マンガやドラマのような潔さがなく、かぎりなく俗っぽくて、かぎりなく救いようのない、かぎりなく衝動的で、かぎりなく即物的。

 子供の頃の僕は、大人という存在はキチンとルールを守り、一人一人揺るぎない意志を持って、全員が良い方向に日々を頑張って有意義に生きていく生産的な存在だと思っていた。

 無邪気に大人になることに憧れて、自分もそんな存在に自動的になれると考えていたのに、現実は僕にいつも残酷で容赦がない。

 僕は振り返って、私物を詰めた四つのダンボールを見た。

 もっといっぱいダンボールが必要だと思っていたのに、僕の今までの人生がなんだか薄っぺらいもののように感じられて、泣き叫びたい衝動に駆られる。

 助けて。

 誰に? どうやって?

 僕の進む道は、初めから一つしかないのに。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

【ヘルプ! 誰か引っ越しの準備を手伝って! 物部】

 いろいろ考えて勝手に塞ぎこんでいた僕に、一通のメールが飛び込んだ。ジーンズのポケットに突っ込んだままのケータイ電話は、悲鳴をあげるように身を震わせて、対応に出るように僕をせっつくんだ。

 ちょうど良かった。と僕は腰を上げた。

 確かに僕たちの中で、物部くんが一番部屋の片づけが苦手だ。部屋に何度か遊びに行ったとき、床に物が散乱してハエが飛んでいたことを思い出す。散らかっていても気にしない、けれども食器類やトイレやお風呂はちゃんと掃除されていて、パソコンやプレステなどの精密機器は分解して掃除するほどの熱心さを発揮している。

 まるで、0と100に50が存在しない感じ。

 物部くんの衛生基準は本当にナゾだ。ホコリが被っている場所と被っていない場所が極端すぎるし、着ている服はちゃんとアイロンをかけているけど、下着とか目に触れない部分はしわくちゃでくたびれている。女子が見たら詐欺だと泣くだろう。

【ちょうど終わったから、手伝いにいくよーっ! 杉藤】

 ショートメールを打った僕は、少し気分が楽になった。

 自分がまだマトモな部類にいると思えたからだ。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 一時間後。

「みなさん、ありがとうございます」

 ぺこりと頭を下げる物部くんに、僕たちは良い感じの笑顔を浮かべて親指をぐっと突き出した。こんな時は余計な言葉なんていらないのだ。

「おう、みんな久しぶりやな」

「そうだな、杉藤はもう終わったのか」

「大川君ちょっと痩せた?」

「てか、身内割引きでうち大川運送使わね?」

 と、狭い部屋にぎゅうぎゅうと集まっているのは、いつものメンバーと、物部くんの私物を詰め込んだダンボール十個分。はたして、学生寮の新しい部屋に全部入るのか、その時にならないとさすがに分からないだろう。

 負けた。僕より多い荷物に、若干の敗北感を覚えながら、僕たちは掃除が終わってキレイになったスペースに車座くるまざになって座る。

 手伝ってくれたお礼に、物部くんがジュースを買ってきてくれたので、各々でジュースを選んで簡単な乾杯をすると、鬱々と感じていた気分が青空のように晴れ渡って行くのを感じた。

 なんだかいいなぁ。

 明るい照明の下で、みんなわいわい笑って、その中に僕が居る。

 将来がどうなるのか分からない。だけど、確定している現在で、僕はここにいる。引っ越しの手伝いをお願いする友達がいて、みんなで荷物をつめて部屋をきれいにして、ジュースで乾杯! 

 ここにいることをお互いに許し合っている優しい空間。ぽかぽかとあたたかくて満たされた気持ちに、少し泣きそうになった。

「せや、先生! 医学部合格おめでとさん!」

「あぁ、ありがとう」

「公博のお父さんも、なかなか厳しいよね。五代家の跡取りになったんだし、お金払えば医学部や医師免許なんて、買い取ること出来るでしょう」

 跡取りか。そういえば、五代くんのお兄さんはどうなっちゃったんだろう。引き籠ったままなのかな。僕の妹も弟も引き籠っちゃっているし、お互い大変だよね。

「おいおい、ソノ。いつも思うんだけど、お前の冗談笑えねぇよ」

「はーい」

 大川くんが渋い顔でツッコミを入れて、園生くんが少し甘えた声を出した。小学校の頃なら、大川くんに抱きついていたのかな。

 アハハハハハ。

 ボケてつっこむ、誘うような調和した笑顔と空間に、僕もつられて笑う。

 今年になって、みんなとても忙しくなって、こうして笑い合える頻度が確実に減ってきた。

 これが僕たちに残された子供の時間なんだろうな。

 なんの利害もない、現実的なしがらみもない、なにも知らない自由な時間。

 なのに大人の僕は、この時間の尊さよりも己の美醜に固着して、なにもかも壊してしまった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 アハハハハ。

 幸せな記憶に浸れば浸る程、記憶の奥底から嫌な記憶がにじみ出る。

 バランスをとるかのように過去にあった嫌な記憶が蘇って、今の幸せな気分をプラマイゼロにしようとするんだ。

 その幸せが薄っぺらいものだという風に。

『ねぇ、君のお父さんには内緒で、良いバイトがあるんだけど興味ないかい? お小遣いは弾むよ?』

 上品に微笑みを浮かべた老紳士は【後藤ごとう後藤】と呼ばれ、大学時代に父が僕に紹介した人間の一人だ。

 ある日の休日。党内の郊外に位置する後藤の自宅に父とともに招待された。

 周囲になにもない、鬱蒼した木が茂っている大きな洋館。

 屋敷の裏手には広い駐車場があって、ランボルギーニやマセラティ―、ベントレーにハマー、他にも名前の知らない外車が余裕のあるスペースで整然と駐車していた。

 父から、これから様々な人々と付き合う上で、相手の持ち物を覚えるように(特に外車)言われていたことが、ここで役に立ったと思うけど、日本の道路に適さない外車たちの巨体は、木陰が作る薄暗さのせいで大きな獣がうずくまっているように見えてくる。

 こういう外車に乗る神経。

 日本の道路で走る合理性よりも、自分たちの見栄が優先であり正義だと信じている。

 これから付き合う連中は、きっと自分たちのことを特別な人種だと思っているんだろうな。

 父の運転する黒のホンダから降りて、駐車場の硬い地面に降りた僕は、周囲を漂う匂いの残滓に憂鬱になった。僕は僕の心を守り切れるか、自分の今後が心配になってくる。

 自宅に招待した後藤は、今取り掛かっている事業について熱く語っている一方、始終マスクをつけて傾聴している僕にじっとりとした視線を向けていた。

『マスク越しでもわかるよ、君の顔は立派な杉藤顔だ。来年、再来年、どのように変化していくか、今から楽しみでならないんだ』

 僕にアドレスを記載した名刺を渡す後藤。この老紳士からは海を汚染する重油の匂いがした。磯臭くて重油特有の科学薬品じみた匂いが混じり合った歪さ、後から考えれば、後藤の本性をこの匂いは僕に伝えていたのではないか。

『あぁ、なんて酷い顔なんだぁ』

『ぎゃあはははははは、これが人間の顔なのか、エイリアンの間違いじゃないのかっ?』

『すごい、すごい、ねぇ、君の顔を触らせてくれないかい。すごい、口が縦に裂けて十字になっている上に、縦列にも歯が生え始めているね』

『瞳もすごいわね。あぶくがあふれているみたい。瞳孔が虫のように複数分裂しているわ』

『鼻の脇に出来ている穴は、もしかして鼻腔に繋がっているのか。つまり君の鼻の穴は四つある! なんてことだ! その穴の横にも窪みがあるなんて興味深い!』

 すごい! すごい! すごい! すごい! すごい! すごい! すごい! すごい! すごい! すごい! すごい! すごい! すごい! すごい! すごい! すごい! すごい! すごい! すごい! すごい! すごい! すごいぃいいいいいいいいいいいいいっ!

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 お小遣いにつられたわけではない。

 だけど、僕はきっかけが欲しかった。

 罠だろうと毒だろうと、なんでも。

 これから数年後、責任を背負わされて社会に放り出される不安と、果てしなく得体がない大人になるという現実に、自分なりの足場とか精神的なよりどころが欲しかった。

 薄暗い照明の広い洋館。老紳士の館に指定された時間に来た時、様々な匂いの束が僕の脳天を貫いた。

 ばちばちとまるで、目の前で火花が散っていたような強烈なニオイ。腐臭とスパイスが混在した、毒々しい刺激臭に脳が破壊されるかと思った。

『おじゃまします』

 少し恐怖で声が震えた。

 あくまで礼儀正しく、なにも知らない風を装い、僕は僕に向けられた悪意に知らない振りをする。

『あぁ、よく来たね。杉藤くん。さぁ、この窮屈なマスクを取って、みんなにこの素晴らしい顔を見せてあげるんだ』

 まるで当然のように、僕の手を引いて屋敷の奥へ招き入れる老紳士は、三階の部屋に僕を通した。

 うねる熱気と多数の視線が僕の体にべたべたとまとわりつき、匂いでやられた頭が、この異様な雰囲気を容認して警戒心を麻痺させる。

 まるで悪夢の中にいるような気分で、ふらひらと連れてこられた部屋はシアタールームと呼べばいいのだろうか。

 壁に大型のスクリーンと音響装置があり、ずらりと並んだイスには様々な人間が座っている。年齢も性別も表情も様々、ただ彼らの僕に向ける視線の質だけが同一で、彼らは僕を目的にこの場に集まったのだと、ようやく頭が現実に追いついてきた。

 嫌悪とは別に気持ちが昂っていく。

 それはピンボールのように飛び跳ねる、原色の照明のせいなのかもしれない。

 それは火事場でも踊りだしてしまいそうな、限りなくハイテンションなハードロックのせいなのかもしれない。

 それは今まで僕に向けられたことのない、歓迎と好機と喜悦の視線のせいだったのかもしれない。

 これって……。

 怯えた亀のように首をすくめる僕の両肩に手を置いて、後藤が僕の耳元に囁きかける。

『怖がらなくていいよ。君は自分の思うがまま、動いたり踊ったりすればいい。なにも考えず、頭を空にして【ありのままの】杉藤 俊雄を私たちに教えてくれ』

 声と共に、ねっとりとした吐息が耳について、少しかゆい。

【ありのまま】という言葉が、僕の心を強く揺さぶった。

 

 客観的に見たら屈辱的な扱いを受けたハズなのに、体中に強い感情が渦巻いて産声をあげるかのように全細胞が振動する。

 パチパチパチパチ……。

 マスクを外して醜い姿をさらした僕を、多くの人々が拍手を迎え、僕の一挙手一投足に歓喜する。

『さぁ、今日の主役の杉藤 俊雄君! A県山中崎市でおなじみの、杉藤家の次期当主だ。今宵は彼が織りなす変幻自在なショーを楽しんでくれたまえ』

 パチパチパチパチ……。

『…………』

 僕は目をつぶった。

 取り巻く悪意たちは、僕の無様に泣き崩れる様を期待して、公開処刑に近い尊厳破壊ショーを望んでいるようだったけど、そんな展開はまったくもってごめんだ。

 となれば、やることは一つ。

 普通にすごいことをやればいい。

 なんの準備も出来なかった僕は、とっさにゼミの忘年会で披露したかくし芸をその場で披露した。

……バク転。

 バン!

 ほう、と息をのむ気配。

……から逆立ちして、ぐるりと宙返りしつつ。

 おぉ、と小さなどよめきが生まれて。

 

……なにもない空間へライダーキック!

 そして一瞬の静寂。

……そしてカレイに着地する。

――ドン!

 おおっ!!!

 方々から歓声が上がった。

 驚愕と純粋な驚きが波紋のように広がって、混沌としたうねりが一つに収束して爆発した。

 パチパチパチパチッ!

 まるで花火のような音を立てる拍手。先ほどの拍手とは違う、自分の感情を伝えるためのジェスチャー。

 みっともなく泣き崩れるかと思いきや、いきなり派手に決めてくるものだから、予想を裏切られたこともあって、彼らは純粋に僕を称賛した。

『どうも、どうも、ご紹介に預かりました杉藤 俊雄です。将来は父の地盤を引き継ぐことになりますが、どうぞ末永く宜しくお願いします』

 僕は涼しい顔で手を振り、優雅に一礼して見せる。

 マットがないから、着地した瞬間に足が痺れたけど、それをおくびに出さずに(こんな顔だけど)ニヤリと笑って見せた。どこかから悲鳴が上がったけど、気にしてなんかいられない。

 僕の身体能力は杉藤家の恩恵ではなく、小学生の頃すごした療養所で農家の手伝いをしたことや、それ以降、顔以外はなんとかしようと努力した結果の身体能力だ。僕がこの世界で生きようとした努力の結晶だ。それらが成果となって、今、この瞬間、役に立っている。

 手を振って歓声に応えながら呼吸を整えると、体中から汗が噴き出してきた。わざとらしく胸をそらせて歩くパフォーマンスをすることで、体を少し休ませると、すっと意識を切り替えてシアタールームにかかっている、ハードロックにちょうどいい派手めのブレイクダンスダンスを披露する。

『おぉっ、すごい! まるで人間じゃないみたいだ!』

 一応、褒めているのだと解釈しよう。

 さらに、パルクールもどきのアクロバティックダンスをして、僕は踊りまくった。

 ダンッ! ダンッ! ドンッ!

 悔しいけど、まるで動物園のパンダのような扱いなのに、僕はとても喜んでしまった。舞い上がり、観客たちの命じるままに道化芝居を初めて、彼らの反応一つ一つに、自分の中で強い化学反応が生じていった。

 ホウ酸を燃やすと緑の炎が燃え上がるように。

 アンモニアの赤い噴水のように。

 ミョウバンで塩で白い結晶が出来るように。

 

 弾けて、燃えて、化合して、自身の内側に息を潜めていたものが、一気に表舞台に踊りだして暴走する。

 ネタが尽きても動いていた。

 演劇の主役然として命じられるままに、歩いたり、変なポーズをとったり、くるりとターンを返したと思ったら、即興でダンスをして、その場で卑猥なポーズもとった。

 手を振り、腰を振り、宙を舞い、化け物顔に笑みを貼り付ける。

 そうありのままに。僕らしく。滑稽で。独りよがりで。

 自分でも驚いている。サルのように騒いで踊って、拍手を送られて、さらに調子にのってバカになる。

 そう、楽しかった。楽しかったんだ。醜い僕が認められた気がして、こんな醜い僕が変な行動をしているのに、誰も僕に嫌な顔をせず、むしろ楽しんでいる光景に奇妙な解放感があった。

 こんなにも僕は苦しかったの?

 こんなにも僕は辛かったの?

 こんなにも僕は、醜い顔をたくさんの人たちに認められたかったの?

 わからなわからないわからない、僕は子供だからわからない。

 よくわからないショーが終わって、みんな帰ってしまった時、とても寂しい気持ちになった。もっといろんな僕を見て欲しい気持ちが強くて、自分自身に戸惑うばかりだ。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「じゃあ、来週もよろしく頼むよ」

 そう言って後藤に小切手を渡された時、確かに自分の中でなにかが失われて、周囲に渦巻いている悪臭が、とても人間臭い好意的な匂いに感じられた。

 僕は認められた――そんな風に思いこむことが出来て、その幸せは成人式の日まで続いた。

【つづく】

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