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【加筆・修正ver】杉藤 俊雄 は××したい_49_大学生編 03

 2002年12月

 年末の夜。久しぶりにみんなで集まって、居酒屋で牡蠣鍋をつついでいた時だった。

「ねぇ、杉藤君。成人式出席するの?」

「……」

 園生くんはいつもそうだ。

 僕の味方ポジションなのは、お互いの利害が一致しているから。

 家同士の絡みや自分の欲しい物、将来、それらひっくるめて蜘蛛の巣にかかった羽虫のように糸に絡んで身動きがとれなくなってしまった。

 僕たちはバタバタ暴れて、蜘蛛の巣から逃げようとする。逃げる理由は普通にイヤだからだ。捕食者の存在なんかよりも、それよりも恐ろしいものを知っているから。

「山中崎駅近くの市民会館だっけ? っつか、小学校の時のヤツ等も出席するのか?」

 小皿に自分の分を取り分けていた大川くんは、どこか憂鬱気な顔でぼやくように言った。最近、さらに大川くんの体がまた一段と大きく筋肉が増えた気がする。雰囲気も学業をやる傍らで家の手伝いをしているせいか、大人びているというよりも擦れた印象を持たせた。刈り上げのベリーショートに太い眉が似合う、生真面目な顔立ちと分厚い唇がなんだか色っぽい。

「うん、そうだよ」

 大川くんの問いに答える園生くんは、キラキラと笑顔を輝かせて言った。

 薄い唇から除く白い歯と、濃いまつ毛に縁どられた黒目の瞳には、嗜虐心のいやらしい炎が揺らいでいる。顔の堀が少し濃くなり、オリエンタルな顔立ちが、最近アジア系に寄ってきている気がした。長くて癖のある黒髪を一つに束ねて、肩に垂らしている姿が妙に似合っていて、僕は癪でしかたがない。

「うへー、マジかよ」

「もしかして熊谷をイジメていた奴等や、私達を山に遭難させるように仕向けた奴らも来ているのか?」

 美しい顔に警戒心を滲ませている五代くんは、物憂げに眼鏡の奥の二重の瞳を伏せて、ジョッキのウーロン茶を無理矢理飲んで、そして、見事にむせた。

「――っうっ、グ、ゲフッ」

 家の方針で無理やり医学部に入って、毎日きりきり舞いの五代くんは、疲れているせいか最近、よく細かいミスを犯して自分で自分を自爆している。キレイな顔に病的で薄幸そうな影が差しているせいで、見ていてなんだかほっておけない気分になるのだ。

「先生、大丈夫かいな? ちゃーと休めちょるんか?」

 心配そうに五代くんの背中をさするのは、隣に座っている早瀬くんだ。大学に入ってから、結局また黒髪を金髪に染め直して、髪の長さを肩口あたりまで伸ばしている。垂れ目にフレームなしの眼鏡、柔らかな雰囲気を漂わせている口角の持ち上がった唇から飛び出すのは、お馴染みのミックス西日本弁だ。ギャップ萌えだと女子は騒いでいるけど、彼がヤクザ組織の跡取り息子だと僕たち以外に知っている人間はいない。

「……悪趣味」

 と言ったのは、園生くんの向かいの席に座っている物部くんだ。物部くんは基本的に変わっていなくてほっとする。若干、おじさん臭くて背が高くなった程度だ。物部くんは大川くん以上の運転技術を発揮して、大型の免許はとれたものの、黒ぶちメガネをかけている彼の視力は、牽引系の免許取得の条件を満たせていなかった。まぁ、人の命がかかっているし、条件は厳粛さが求められているのもわかるけど、あんなに悔しがっている物部くんの姿は胸に来るものがあった。

「ねぇ、どうなの?」

「うーん」

 僕は少し考えた。成人式の案内状が寮に届いていたけど、意識していなかったことが本音だ。

 行きたいか。

 行きたくないか。

 その二択、だけど僕が「行かない」って言ったら、山中崎出身の三人は「いかない」と選択すだろうし、「行く」と言ったら三人が行くことを経験則として分かっていた。

「物部くんと早瀬くんは、成人式の日に地元に帰るの?」

 即答をさけるように僕は別の話題を振る。

 確か地元に帰れない生徒の為に、入場式代わりの案内状が、学生寮の全部屋に突っ込まれている話を聞いたからだ。

 だけど、実際のところどうなんだろう。この二人は地元に帰るのだろうか。

「あぁ、親が好きにすればえぇって言っとったわ。こっちの方がえぇかと思ぅが、ちぃーと考えとう最中や」

「……オレはどっちでもいい。あ、いや」

 あれ? 物部くんが迷ってる。なにかを思い出したように、目をパチパチとしばたかせて、少し申し訳なさそうに言った。

 彼から漂う匂いが、久しぶりに雪のように埃っぽくて冷たいモノに変化した。恐らくこうした判断には、彼にとって切っても切れない過去の出来事があるのだろ。現在に影響を及ぼすほどの。

「地元の成人式、行きます。それで、すぐ帰ります」

「そうなんだ」

 僕は面白くないと思いながら、物部くんに自分の気持ちを悟らせないようにマスク越しに笑いかける。

 物部くんが地元の成人式に出席する理由なんてきかない。僕たち以上に大切なものがあるなんて許せないけど、他人の過去を自分の都合にあわせて変えられるわけないから、僕はぐっと我慢するしかない。

 だから。

「すごいのは、成人式に熊谷が出席するんだって。アイツが出席するって聞いて、出席者が一気に増えたらしいよ。成人式の式典が終わったら、出席者たち向けに立食会があるんだって、だからみんな再会を楽しみにしているんだろうね」

 園生くんの言葉で、僕の中で固まりつつあった意志が一気に固まった。

「あの熊谷が?」

 僕が間抜けたように聞き返すと、園生くんが微笑をうかべて首肯する。

『あ”だじば、わ”る”ぐな”い”い”い”っ”』

 そうだよね。ただのブサイクに生まれたことは、君の責任じゃないもんね。  

「そうなんだ」

 喉の奥がくすぐったくて、思い出すだけでうずうずとした気分になる。

 ××な女の子。小汚くて醜くて鼻が詰まった濁った声がきんきんと耳の奥で響いていく。

 五感全てが不快だと訴えて、自分の身を守るために、手軽に傷つけて良い存在。ある意味、小学校の時の僕たちのアイドル。

 あの遠足を彼女が欠席したことで、なにもかもが狂ってしまった。クラスメイト達も同様の感慨を抱いていたハズだろう。死のうが自殺しようが、大人たちも含めて大して反省なんかせず、素知らぬ顔で日常に還っていく。

 あぁ、なんて矛盾だ。

 熊谷のことが絡むと、僕はかぎりなく嫌な奴になる。嫌悪している連中と同じ思考に成り下がり、結局自分自身の首を絞めるのだ。

 大人の僕はずっとずっと考えている。

 もしも、あの時、成人式に出席しなかったら、僕はどうなっていたのだろうと。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 成人式の日。

 女の子とデートすることになった。その女の子は、なんでも同じゼミの子らしく成人式がいわゆる同窓会になりそうだから、一緒に遊んで逃げてくれるナイトを探して、早瀬くんへお鉢がまわってきたらしい。

 僕は自分の中に荒れ狂う嫉妬をかみ殺しながら、いつもの自分を演じる。早瀬くんとデートする女の子が、所詮は早瀬くんの性欲を処理するための便器だと切り捨てて、僕たちの仲が真の友情だと心の中で繰り返す。

「すまんや、とっしー。これは人助けなんや。このとおりやっ!」

「なに謝ってんの? 僕は気にしてないよ」

 随分、僕は面の皮が分厚くなった。白々しい言葉がペラペラ出て、醜い外見を持っているにもかかわらず、人格はかぎりなく聖人君主の仮面を被る。

 本音はデートをする女の子の個人情報を、彼の口からなにもかも吐き出させて、大学の裏サイトの掲示板にその女の子を書き連ねたい。

 とんでもない淫売だと糾弾して、早瀬くんのゼミに来ないように中退までおいつめて、生まれてきたことを、男を普通に愛せる女に生まれてきたことを後悔させてやりたい。

「その代わり、その女の子を大切にしてあげなよ」

 僕の言葉を疑っていない早瀬くんの表情が緩む。垂れ目の目じりが少し下がり、冷たい土の匂いが漂いだす。死者の安らかな眠りを守る――冷たい土。早瀬くんの中にある行動の軸。これも僕の手には及ぶことができない過去。

 僕は早瀬くんを許した、物部くんを許した。僕を陥れた同級生たちも、その日は特別に見逃すつもりで、なにもかもを許した。僕は神様に等しい気持ちで、心を平安に保ち、愚かな下民たちに寛容な心をしめすのだ。

 大人になることがよく分からない僕にとって、意味なんてない成人式。だけど、熊谷 満子くまがいまんこと数年ぶりに再会できることはとても意味があることなのだ。

「おいおい。折角の成人式なのに、誰もはかまを着てないのかよ」

 と、大川くん。

「そういう大川だって、スーツだろうが」

「ぼくの顔だと、袴を着たらコスプレだもん」

「僕は七五三になっちゃうからね」

 そこにツッコミを入れる五代くん、日本人離れの面貌を指さす園生くん、小柄な縮こませて申し訳なさそうに俯かせる僕。

おもむきというか、情緒がねぇなぁ」

 うん、そうだね。と同意するのは、タイのホテルで眠る大人の僕だ。

 今思うと、スーツじゃなくて袴を着ればよかった。小柄だから七五三の印象があって、和装に強い抵抗があったんだけど、こうして振り返ると滅多にない機会だから、袴に対して意地を張るべきじゃなかったんだ。

 まだまだ未熟だった大学生の僕は、成人式に着る服装を、面白味もないフォーマルスーツに選んでその日に臨んだ。

 市長の挨拶と退屈な祝辞に誓いの言葉。

 式典が終わって解放された僕たちは、係員に案内された立食会の会場で、熊谷のあげる阿鼻叫喚の地獄絵図に胸をときめかせていたのに。

「あら? もしかして、杉藤君?」

「え?」

 目の前の美しい女性に《《アイツ》》の面影を見出した時、世界の時が止まって神が死んだことを知った。遠巻きに僕を見る視線の束、僕を通して、僕に話してきた女性の姿に、多くの人間が驚嘆し、会場の空気が氷点下まで冷え込む。

 だって、そんなの、みんな、望んでいない。

「驚いた? それとも、忘れちゃった? 私がわからない?」

「~~~」

 まるで歌うように、ずいずいと強引にくる女。彼女の持つ完璧な顔の造形美。針金のような長い黒髪が優美にうねり、真珠の首飾りがほっそりとした首に巻き付いている。凹凸のメリハリのある肉体ときめの細かい白い肌に、真っ赤なカクテルドレスの姿は、かつての参観日でボディコン姿で出席した彼女の母を彷彿とさせていた。

――ちがう。

 反射的に、僕はその場から逃げたくなった。全身が悲鳴を上げるかのように、強い力で僕を成人式会場の外へと引っ張ろうとしているのに、現実を否定したい意識が、僕をその地獄に縫い留める。

「変わりすぎだよね」

「熊谷って、マジかよ」

 やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて。

「熊谷?」

 かろうじて絞り出した声に、花が咲いたような満面の笑みを浮かべた女は、はにかむような初々しい微笑を僕に浮かべた。

「えぇ、そうよ、杉藤君。病院以来ね」

 なんで、なんでだよ。 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

――ガンッ。バシャ。

「キャッ」

 可憐な悲鳴に神経がささくれ立った。

 どこからか、いきなり水をかけられた熊谷は、その美貌に水を滴らせながら、ぞっとするようなキレイな薄ら笑いを浮かべて犯人を捜そうと大きな瞳を動かせる。

「あらあら、ずいぶんな歓迎ね」

『だれ”よ”っ! だれ”がや”っ”だの”よ”っ!!!』

 すっかり見違えた美しい姿。だけど、発せられた言動が過去の姿と重なって一つになる。

 否応なく納得させられる、熊谷 満子の成長。水で濡れたせいで、体のラインがさらにくっきりと浮かび上がり、会場にいる男共がため息を漏らすのが聞こえた。もしもその場にいたみなが、彼女を熊谷だと知らなければ、すぐに群がり男共は性欲のはけ口にしていただろう。

 

「ふふふふ。私に水をかけたのは誰かしら?」

 不敵に笑みをこぼして、圧倒的な存在感をしめして、熊谷は会場をねり歩き始める。まるで、今の自分を見せつけるかのようだ。

 モデルのように、洗練されている立ち振る舞いと所作。彼女の一挙手一投足が、己の美しさを正しく認識しているようで、燃え上がるように強烈に鮮烈に殺意が湧く。こんなのは間違っているから。

 そうだそうだ、殺さなきゃ。

 いつものように、内臓を引きずり出して、尊厳を徹底的に破壊して殺せばいい。

 頭の中で何度も何度もやってきたから、シミュレーションは完璧だ。

 このキレイな顔をもとの滅茶苦茶に……。

「大丈夫か、俊雄?」

「あ。う、ん」

「うわー、あのブスがキレイになったねー」

「緑、もう何年経っていると思っているんだ」

 五代くんの言葉に、僕は今更ながら気づく。

 僕も、そして熊谷も、大人になったのだと。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 どくどくと体中が脈打っている。

 キラキラとしたオーラをまき散らしながら、成人式の会場を主役然と歩いている熊谷。体中が濡れているのに、周囲から嘲笑され、バカにされているのに、凛と背を伸ばして周囲を睥睨している姿からは、もう喚き散らしていた醜いクソガキの姿がない。

「…………」

 僕は目を逸らしたいのに、逸らせなくなっていた。現実逃避ができる器用な連中は、ビュッフェスタイルであることを良いことに、料理を取り分けて、ワインやビールをグラスに注いで、熊谷を必死に無視してやり過ごしているのに、僕にはそれができなかった。

 なんで?

 彼女はずっと惨めで醜いままで、周囲にいじめられ続ける存在だと思っていた。醜いアヒルの子のままで、白鳥に気づくことなくアヒルの仲間にいじめられて一生を終えるのだと、根拠もなく信じていたのに。

「そういえば、熊谷、五代くんのこと好きだったよね?」

「やめてくれ、気持ち悪い。外見が綺麗になったとしても、私好みじゃない」

 友達に話しかけて必死に意識を保とうとしている僕をだれか褒めて、熊谷に危害を加えず、大人の態度をとっている僕を誰か褒めて。

 僕は大人になったんだよ。と、幼い僕が泣いている。

【つづく】

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