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【加筆・修正ver】杉藤 俊雄 は××したい_78_30代編 08

 知っている。知らない。その差は大きい。
 知らない人間が真由の顔をみたら、彼女のつんっと上を向いた鼻を見て、愛らしいとも、気品があるとも、お高くとまっているとも見てとれる。
 あの鼻が、醜くひしゃげた豚鼻の名残だと知らないからこそ好意的に、そして悪気なく捉えることが出来る。
 そう考えると、彼女の整形手術に携わったスタッフたちの美的感覚は一流だ。ただの無個性な美しさではなく、チャームポイントを付与してくれるのだから。

 ただ、彼らの誤算が僕にあること。
 僕が真由の顔を見るたびに彼女の術前の顔を重ねてしまい、優越感と汚い感情が茶色い澱のごとく、心の底で溜まってゆく。そんな自分を嫌悪する。

 彼女は僕に会ってから、積極的に話しかけるようになったし、僕はそれを快く受け入れる一方で、心の中が冷えていく感覚があった。痛みから目を逸らして、美しい現実だけをただひたすら求めて、僕は理想の僕になろうとしていた。

『僕は父さんみたいになりたいな。困っている人を見つけたら、すぐに助けられる、そんなかっこいい大人になりたい』

 だって、その時の僕は幼い僕が夢みた理想だったから。

 僕は父のように、かっこいい大人になりたかった。
 女性を颯爽と助ける、父さんのような男に。
 幼い頃夢見た、諦めていた理想が、僕をがんじがらめに縛りつける。
 だって知らなかったんだ。世間知らずな若者だった、愚かな僕は助けるという行為がどれほど責任を負うものなのか知らなかった。

 葛西真由にとって僕は、自分の窮地を助けに来てくれた王子様だったのかもしれない。僕にとっても彼女は、僕と同じ他者の美醜に振りまわされて同じ傷を負った、かわいそうな女の子だったのかもしれない。

 同情心と愛情を混在させて、僕は彼女に恋――ではなく【執着】した。

 僕は彼女を愛していたけど、その愛情は腐臭まみれの残飯みたいな感情のみで、透明でもないし清くもない。

「君のことが大好きだよ。大切にする。だれよりもだれよりも……」

 と、僕は自分の言葉に酔った。感情を言葉で排泄させて、吐き出した心地よさのみが肉体を支配する。偽りの愛の言葉に感激した風の真由の顔を視界に入れて、金魚のようなあどけない顔を豚の顔にすげかえて、内心で嘲笑う。

 僕は自分の中で自分の現実を合成した。真由だけの顔ではなく、他の人間の顔も動物の顔にすげかえて、世界はサイケデリックな色合いに、テレビに映る人間は天使になり、空には無数の目が浮かんでいる。携帯電話の液晶に口が付き、人々の着ている服には肉片と性器、道路は常に血で汚れて、その血に蝶とカブトムシが群がっている。

 これが僕の本当、世界、事実であり真実、自分の思い込みをコラージュのごとく切り張りして、剥ぎ剥ぎだらけの現実を幻視することで、僕の正常は保たれる。彼女を助けたという責任を全うするためには、僕は僕自身を騙すほか術がない。

 関わってしまった。繋がりを持ってしまった。執着してしまった。

 父は一話完結のヒーローで、僕は長編物のヒーローになってしまった。責任は自分の人生をがっつり消費するほど重大で、父のように器用にたちまわれたら、どんなに僕の人生は変わっていただろう。

 友達に真由を紹介した時、どんなに逃げ出したいとおもったか。

 そう、逃げたかった。
 だけど、僕は僕自身が女性を助けた証が欲しかった。クズの所業だと自覚しているけど、この世界は目で見えることがすべてだ。だから、分かりやすいトロフィーが必要なんだ。それが僕にとっての葛西 真由なんだ。彼女は僕が辛く当たっても文句ひとつ言わずに、その時その時の僕の謝罪をいつも受け入れてしまった。彼女は不幸になれていたから、僕のもたらすDV不幸なんて、不幸の内にもなかったんだ。それが、どんなに危ういことが僕にはわからなかった。

「杉藤……ちょっといいか?」
「五代くん」

 限界だったのかもしれない。壊れかけていた僕を五代くんが呼び止めた。悲しげに美貌を歪めて、整形した僕の顔を映す二重の瞳には憂いの影が揺れている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「葛西 真由と別れろ」
「……なに言っているの」

 すっとぼけてへらへらと薄っぺらい笑みを浮かべる僕に、五代くんは増々悲し気に顔を歪めて、そのまま頭ごと潰れてしまいそうなほど、悲しい気持ちが匂いで伝わってきた。胸が苦しくなって耳鳴りがするほど肉体を侵食する五代くんの悲しみ。
 久々に見せた肉の触手が、びちびちと音を立てながらイヤらしくうねらせて僕に巻き付いて離れない。触手が僕の股間を撫でて、唇を撫でて、五代くんだった天使が穢れにまみれた僕を清めようと、僕を後ろから犯してくる。

 うっと呻いて、後ろからの圧迫感と引き裂かれる激痛。目の前に七色の火花が散って、肉の壁に包まれた本当の世界が、胃液を滴らせて僕ごと飲み込もうとする。

 食べて、神様、僕を、食べ……。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 昇り詰めて到達する。徐々に白み始める意識。解像度が薄くなる醜い世界に別れを告げて、僕は快楽で飛翔しようとしたその瞬間だった。

――どうだい? 大分、慣れてきたようだね。

「ひぃっ」

 聞きたくない声が聞こえた。到達寸前の勢いがしぼんで萎えて、首から落ちた椿の花のように股間を撫でていた触手に落ちた。ぼとりと落ちて、死んだように動かなくなった。

「杉藤、どうした」
「うひっ、ひっひっひっひっひ……ヒイィッ!!!」

――よしよし。じゃあ、次の段階に進もうか。

 頭の中がぐちゃぐちゃする。なんで、五代くんが裸で僕が裸なのかわからない。どうして、僕たちはラブホにいる。あぁ、それよりも頭の中で葉山がいて、輝かんばかりの鬱陶しい笑顔で、幼い僕のズボンをひきずりおろしている。アイツが今からやろうとしていることは……。

「いやだっ! いやだっ! いやだっ! いやだっ! いやだああああああああああああぁ」

 なにもわからない幼い僕は、葉山にいけないことをされて喜んでいる。様々な感覚が全身を蝕んで、肉体という檻の中で、幼い僕は涎を垂れながしながら葉山に蹂躙されている。

 ちがう、いやだ、こんなの僕じゃない。
 ドアの隙間から、子供たちが目をぎょろつかせて僕と葉山を見ている。足を潰した男の子、虚ろな瞳の男の子、眼鏡をかけて泣きはらした顔の男の子。三つの顔、六つの目玉、その子たちの名前を僕は知っている。

「いいなぁ」
 こんなに構われて、という声が聞こえた気がした。

「どうして」
 君はいつもズルイ、軽蔑を込めた声がする。

「杉藤、ごめん、ほんとうにごめん」
 いつか、かならず君を救うから、どんなことをしようとも――この声が僕の神経に鳥肌をぶつぶつと煮立たせて、脳髄まで到達させた。

 葉山の拷問じみたトレーニングよりも、僕が一番堪えがたかった出来事、惨めさで胃酸がせりあがって、口の中が酸っぱい味で広がったあの時。
 五代くんに同情されることが、僕のために流す涙が一番イヤだった。

「いやあああああ」

 だけど、僕はその記憶を封印したんだ。彼は大切な友達だから。
 ラブホで頭を抱えて絶叫する僕は、彼から逃げ出して部屋に閉じこもった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 あれから何日たったのか分からない。一日も経過していないのかもしれない。何時間も経過していないのかもしれない。
 カーテンを閉めきって、電気をつけてベッドの上で寝転がっていた。
 何も考えたくなくて、ただひたすら天井を眺めていた。
 予期しない記憶の氾濫が、再び起こらないように、何も考えないように……ガラスのように透明で重い蓋を作って僕の脳みそにかぶせていく。
 記憶と記録は違う。僕の記憶力は絶対だとしても、それは記録という棚にデータが収納される筈だ。僕は頭の中で二重の思い出を作り、もう二度と心を煩わせてたまるかと、自分の作った殻の中で没頭する。

 月も星も見えない絶対的な暗闇の中で、僕の意識だけが浮き上がって、溶けだして、輪郭を失った空間の中で誰かの声が聞いた気がした。

「俊雄君、いるの?」

 ドンドンとドアがノックされる音を聞いて、僕は今更自分の部屋にいることに気が付くんだ。つまらない現実にいて、くだらない日常がそこにあって、整形したにもかかわらず変化を求めていた部分が変わらなかった、僕にお似合いの世界。

「俊雄くん、お腹空いてない? なにか作る? 冷蔵庫の中のヤツ使ってい良い」

 闇の向こうで、ドアの外側で、光の当たる世界で、葛西 真由の声が僕を脅かしにかかる。食べる事、健康、生活……、彼女の言葉からただよう生活臭によって、僕の感傷が、暗闇の中で閉じこもっている行為が、他者の観測でただの自己愛極まりない、自己憐憫に形が変わる。

 他人の存在はいつも現実を引き連れて、僕の現実を単純化させて矮小化させて、くだらない行為になりさがる。

 僕がきれいな花だと思って手を伸ばしても、他の人間にとっては雑草で、キレイだと思って拾った石は、知らない人間にとっては汚いゴミにすぎない。
 子供のように頭を抱えるしかない僕は、第三者から見たら幼稚極まりないめんどくさい存在として映るのも仕方のない話なんだ。

「やめて、これ以上、僕に関わらないで!」

 僕はこれ以上、自分の価値を下げたくない。
 君は僕を助けないで光のあたるあっち側にいないといけない。
 僕が君の存在の価値を損うなんてあってはならないんだ。君は僕の、僕だけのお姫様なんだから。

「お願い、僕を、独りにして」

 子供のような情けない声を出して懇願する。僕はこのままでいい。嫌われても良い。その方が僕も清々する。君の気持ちなんて知らない、関係ない、だから僕に構わないで。

「いやよ」

 真由の声は大人のようにハッキリとしていた。ドアの向こう側で、仁王立ちになっている彼女の姿が見えていて、あどけない金魚の瞳が情けない僕の醜態を見ている気がした。

 耐えられない。君が僕より強いなんて、君の香りが僕を優しく包み込もうとするなんて。葛西 真由の香り――お風呂あがりの石鹸の匂いが、僕を外へと促そうとしている。僕が、僕自身が立ち直ることを、真摯に願っていることが分かる、この能力が、今の僕にはとても呪わしい。

 なんで、五代くんは来てくれないの?
 なんで、大川くんは来てくれないの?
 なんで、早瀬くんは来てくれないの?
 なんで、物部くんは来てきれないの?
 なんで、園生くんが来てくれないの?
 なんで、よりにもよって、葛西 真由が僕の窮地に駆けつけてきたの?

 五代くんは――気まずいじゃない。
 大川くんと物部くんは――仕事で忙しいじゃない。
 早瀬くんは――立場が許さないじゃない。
 園生くんは――それ以前の問題じゃない。
 葛西 真由は僕と恋人だから、合鍵を持っていた。まめに連絡をとっていた、苦痛に感じながらも積み重ねてきた彼女とのコミュニケーションが皮肉にも、誰よりも僕の異変に気付くきっかけになったのだ。

「どうするの? このままずっと引き籠る?」
「……分からない。分からないから、今は放っておいてよ!」

 ドアを挟んで、僕は暗闇を盾に語気を少し荒げて言い放つ。依然として彼女の匂いは変わらない、変わらないからイライラする。

「今の君を放っておけないよ」
「へぇっ! その根拠はなに?」

 僕の心の内を知っているのなら、そんなことは聞かないで欲しい。僕の心の内を知らないのであれば、そのまま立ち去って欲しい。僕には君が必要だけど、大切でも大事でもないんだ。せっかくきれいな顔を手に入れたのなら、君は僕を見限って、よりよい未来を掴みに行けばいい。僕みたいな身勝手なヤツじゃなくて、君を心の底から大切にしてくれる男を探しに行けばいい。

「根拠? だって、君は今、ひとりじゃない」
「……やめてよ」
「わかるよ。だって、君と私、少し似ているもん。自分を守るために、内面に踏み込まれるのがいやだから、大切な人ほど無関心な振りをして突き放して、虚勢を張って、気づいたら独りになってる。その証拠に、こんな事態なのに、だれも君に気づいてくれない。来てくれない」

――そう、君はずっと独りだったんだね。
 そして、これからも、ずっとずっと独りだよ。永遠にね。

「……やめてくれよ! 君になにが分かるって言うんだよ!」

 声のない真由の呟きに、僕は絶叫した。

【つづく】

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