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【加筆・修正ver】杉藤 俊雄 は××したい_87_現世編 05

――杉藤! 杉藤! 返事をしてくれ!

――無駄だよ。もう死んでいる。

――緑、なんで……。

――なんでって、全部公博のせいじゃないか。杉藤君にどんだけ暗示をかけてきたの? 記憶の矛盾に気付いたから、こいつはぼくに真相をきこうとしたんだよ。いい加減うんざりしていたからね。後ろからがっと!

――バカ! お前! 自分がなにをしたのかわかっているのか!

――バカは君だよ。それより、もっと有益で未来に繋がる素晴らしいことをしようよ。

――素晴らしい?

――そう、ぼくも君も杉藤君の筆跡をそっくりまねることができるし、ここでコイツが死んだことは、ぼくと公博しか知らない。これってとっても大きなチャンスじゃない? 今までさんざん、付き合わされてきたんだから、今度はぼくたちがこいつを利用する番さ! 大川君も早瀬君ももういなし物部君は簡単に言いくるめられる、ぼくたちを邪魔する人間なんていない。

――もしかして、杉藤 俊雄の立場を乗っ取るつもりか!

――そうそう。世間的には、また整形手術して入院したってことにすればいいし。なかなかなグッドアイディアじゃない!

――ふざけるなあぁっ!!!

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 約5分前

 端末がカチカチと明滅し、細長い液晶画面には【Would you like to re-enter the code?】と短い英文が表示される。 直訳すると【コードを再入力しますか?】だ。
 コードなんて入力していない。だがある条件下になるとコードを入力された扱いになり、爆弾が起爆する仕掛けになっていたのかもしれない。

 騒然として緊張感が走る現場では、爆発物処理班たちが機動隊たちが必死に恐怖心を抗いつつ、緊急時のマニュアルを思い出して実行にうつろうとする。彼らは目前の爆弾を高性能爆弾だと説明されていた。ただそれだけであり、ある種のきな臭さを感じつつも深刻な事態には陥ることはないと、妙に楽観視していた部分があった。つまり俗にいう平和ボケと正常性バイアスの合わせ技みたいなものだ。
 もしも核爆弾だと説明されていたら、彼らは体中の穴という穴から水分を垂れ流しながら、意味不明な言葉を喚き散らして蜂の子を散らすかの如くその場から逃げ出していただろう。

 じつは自分の命が掛かっている場面なんて思っていない彼らは、受けるダメージを最小限にしようと行動しつつ、どこか動きが鈍い。目には迷いがあり、解読班のプロファイリングチームへ連絡する表情には苦々しいものが広がっている。

 彼らの頭にあるのはそこそこの余裕からくる、なんとも言えない居心地の悪さと焦燥感からくる苛立ちがあった。

 退避するにしても高性能爆弾を解除しきれず起動してしまった責任をだれがとればいい?

 自分の命が助かると思っているからこそ、想像力が働く爆発してから数分後の未来と自身の進退。本当はそれどころではないのだが、彼らの現実では【高性能爆弾が爆発して生き延びた】のが本当なのだ。

 優先された認知のゆがみによって挙動が乱れて、【退避】の声が小さく響く。彼らの脳みそは責任という獰猛で理不尽な概念に襲われていた。本来ならば重責にを担うからこそ、驕らず自己過信からの失態を犯さないための強固な鎖が【責任】であるのだ。自身を律するための訓戒であり、周囲の人々に規範を示すための人間としてのるべき姿。

 だが、その場にいる全員が責任をもって責務をまっとうしている人間を見たことがない。それはとても不幸なことなのかもしれない。

 悲鳴交じりの声が上がり、つんのめって転ぶ者もいた。思わず怒声をあげる者もいた。すべての動きが等しくスローモーションになり、徐々に静止画へと、ゼロへと至ろうとした瞬間に、現場を指揮していた男のタブレットから呑気なアニメのアラーム音が響く。

「な、あっ」

 あまりのことにタブレットをもっていた男は、耳まで顔を真っ赤にして固まった。周囲の注目を集めて、避難がましい視線を浴びて居た堪れない様子だった。

『あーあー、きこえるかい? こちらは葉山。公安からの協力員だ。僕が全面的に責任を取るから落ち着いてくれ』

 まさに天の助けだった。タブレットのスピーカーから発せられた、芯のある心強い声には人の心を包み込むような柔らかいものがあった。

『各自、落ち着いて、だけど速やかに。これからこちらが指示する解除コードを入力してくれ』

 あぁ、助かった。
 責任から逃れた彼らは目から光を取り戻し、なにも疑問を覚えることなく葉山の指示した12桁のコードを入力する。

 打ち込んだコードは……。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 君が壊れていくのを私は見ていることしかできなかった。

「え? コイツを殺した理由?」

 まるで私を変なものを見るような眼で見て、なんで私がそんな疑問を持っているのか解せない顔をする。キレイに形を整えた眉を寄せて、艶やかな唇をへの字に曲げる顔は、母親に申し開きを許されなかった子供のように私には見えた。

「だって、しかたがないじゃーん! みんなこいつを殺してくれって、頭の中でずっと願っているんだもん。声がするんだもん。やれって言うんだもん。能力を制限しても、隙間からわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわらわら……蛆のように増殖して、止まらないんだぁ。殺せばすこしの間、静かになれるけど、ほんとうにほんとうに少しの間で……」

 あぁ、君はただ周囲の願いを叶い続けただけなんだね。
 君の能力は心を読むから、そのせいで大多数の人間の汚い心を受け止めて、そして壊れてしまった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「はぁ、解除コードは【000000000000】だとふざけんな!」

 葉山から報告を訊いた本田は声を荒げた。
 思い出に意味はない、だからと言ってすべてを0にするなんて考えもしなかった。まるで子供の発想ではないか。

「プロファイリングチームが気の毒ですねぇ。彼らは杉藤 俊雄の思い出を必死にさらいながら、12桁のコードを見つけようとしたんですから」

 八幡も声を落として、咎めるような視線をタブレットの画面に向けるが、葉山は気の良いさわやかな微笑みと浮かべながら、八幡の視線にゆっくりとあわせて口を開く。

「それならご安心ください。私の方でちゃんとフォローしましたから。なにせカウンセリングが本職なのでね」

 向けられた刃に対して穏やかに流して受け止める態度に、八幡はこの男が危険人物だと本能的に悟る。上司である本田もだった。
 天性の詐欺師でありサイコパス。そんな相手に感情的になったら最後、いいように利用されるのがオチなのだ。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 分厚い窓ガラスの向こうから、激しいスコールの雨音が聞こえてくる。空は黒く染まり、今の時間帯が朝なのか夜なのかも定かではない。天井につるされた観葉植物の葉を揺らす空調の風は心地よく、温度が一定に保っていて、本来の季節も分からない程に。

 まるでこのホテルの一室だけが、世界から切り離されたような錯覚に杉藤 俊雄は襲われる。時間が停まり定かでない空間をクラゲのように漂いながら漂流し、行きつく先に待っているのはいつもの予定調和地獄
 いつもそうだった。一見して順調だったとしても、気づかないところでほころびが生まれて、取り返しがつかない事態になってようやく、どこでほころびが生まれたのか気づくのだ。

 あの時も、あの時も、あの時も。

「ねぇ、私に話させてくれないかな」

 画面の端で女の人の声が聞こえて、葉山がゆっくりと声のする方に顔を向ける。その表情は好々爺そのものを絵に描いていながら、肝心の眼が笑っていない。

 葉山が席を外すと、代わりに老女が葉山の座っていた場所に腰を下ろした。人のよさそうな丸顔の女性。彼女の顔に頭の一部が刺激される。

「たしか、福田さんでしたよね。中学の時に寮が火事になった僕たちのために、いろいろとお世話をしてくれた」
「えぇ、そうよ。久しぶりね」

 寂し気に微笑して、じっと杉藤を見る瞳には昏い陰りが帯びている。強い感情が渦巻いていて、みているだけで息苦しくなるような眼差し。悲しみの色を宿した瞳の奥は妙な静けさが広がっていて、まるで台風の目のようにいでいる。

 この人は嫌いだ。

 杉藤は声に出さないで視線を伏せ、長いまつ毛を扇のように広げる。正直、葉山よりも怖いと感じてしまった。彼女の瞳から逃れたかった。

 自分の内面を一つ一つ丁寧に切り刻んで、分析し分類し、自分の中の想像と現実をうまく折り合いをつかせながら、自分が納得する【虚構ゆめ】ではなく不都合な現実に手を伸ばそうとしている意志。
 自分と対峙している福田は、覚悟を持ってその場に臨もうとしている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 寒くないはずなのに、体の芯に寒気が走り本能が悲鳴を上げる。
 逃げろと大きな声をあげて、脳みそが拘束された肉体をせかそうとするが、もうすでにムダなことなのだ。
 杉藤は自分の敗北を悟り、赤い唇に真珠のような白い歯をたてる。
 全身で福田の視線を感じながら、強張った体が尿意を訴えて口の中がからからに乾いていく。

「……じつはね、私と園生 緑くんはそこそこ交流があったのよ」

 園生 緑。不幸な死に方をしてしまったかつての友の名前。いや、友達【だった】存在の名前。瞼に閉ざされた視界の中で、ぬっとあらわれた園生 緑は日本人離れしたオリエンタルな顔立ちに、不気味な笑顔を浮かべて、こちらをあざ笑うかのように手をひらひらされている。こっちにおいでと笑っているのだ。

 耐え切れなくて目を開けると、福田の視線とぶつかり見えない火花が散った気がした。

「生前、緑くんは私に手紙を託していた。経緯は省くとして、葉山先生にその手紙を渡した流れで、私は今、ここにいるのよ。まるで誰かに、導かれるようにね」

 導かれた? 誰に、誰を?

 緑ではない強い存在を感じた。ここまでも強引で乱暴な道筋を作り、スタートからゴールまで真っすぐに歩かせる存在。
 そんなことができる存在は、一人しかいない。

「杉藤 貴子があなたを導いたのか」
「そうよ。貴子とは中学の同級生なのよ」

 なんの疑いもなく確信をもって断言する顔は、明らかにしぼんで老いでいるのに、瑞々しい少女の面影があった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「……っ」

 杉藤は息をのむ。
 この光景は、心を読む能力の副産物みたいなものなのだろうか。

 老女の姿がセーラー服を着た可憐な少女の姿になり、モニターを飛び越えてベッドに近づき仁王立ちで腕を組む。
 さらりとした黒い髪。化粧気のない白い顔。しっかりと引き結ばれた唇。分厚い本をいつも読みふけような文学少女は、眉一つ動かすことなく、動揺する杉藤を瞳に収めて、杉藤を通して遥か彼方を眺めている。

 オレンジの夕日が差し込む寮の部屋。
 コーヒーの匂いが漂う穏やかな空気。
 窓から一緒に眺めていた夜空、鮮やかな四季の風景。
 つないだ手の感触とあたたかさ。

 杉藤には彼女の見た光景が見えた気がした。優しい思い出に包み込まれるような奇妙な感覚を感じ、見えない誰かに抱きしめられているような安らぎにちていく。

「思い出に意味はない。だってそれは貴方が杉藤 俊雄じゃないから……」

 どこか夢を見る表情で福田は語った。
 それはまるで、神から啓示を受けた巫女のようでもあった。

「もうお仕舞いにしましょう。五代 公博くん」

【つづく】

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